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ルトラーラの変化 ††

 魔王軍第4軍団軍団長ルトラーラ。


 当代の魔王ダイロクテン様が魔王の座につかれたと同時期に、軍団長となった娘である。


 娘、といっても数百年は生を受けているので、人間たちから見れば年増、ということになるのだろうが、邪蛇(ラミア)族のものから見ればまだまだ小娘扱いされる年頃であった。


 事実、ドボルベルク時代から仕えているばあやは、彼女のことをいまだに『お嬢様』と呼ぶ。


 泣く子も黙る魔王軍の軍団長、それも絞蛇の氷結姫の異名を持つルトラーラをお嬢様呼ばわりとは失礼な話であるが、彼女曰く、


「お嬢様はお嬢様ですよ。たとえ結婚されてもわたくしめはそう呼ばせて頂きます」


 とのことだった。


 これは子供でも産まない限り、その呼称はとれそうにないな、と最近は諦めていた。


 ただ、そのことは口にはしない。


 そんな冗談を口にすれば、彼女は両手で抱えきれないばかりの肖像画を持ってきて、お見合いの話を纏めてしまうだろう。


 それは愚策中の愚策、悪手の中の悪手であった。


 ルトラーラは愚か者ではないのでそのようなヘマはしないが、その日は珍しく口を滑らせてしまった。


「ばあや、ラミア族と不死族の間に子供は作れるのだろうか?」


 ばあや、ラミア族の老女は不思議そうな顔でルトラーラを見つめる。


「はて、お嬢様、このばあや、耳が遠くなったのでしょうか。それともついにぼけてしまったのでしょうか? 今、お嬢様が子供を産みたい、とおっしゃったように聞こえますが」


「そのようなことは口にしていない。ただ、不死族との間に子供を作ることができるか。そう尋ねただけだ。それもただ聞いただけだ。戯れだ。忘れろ」


 ルトラーラはそう言いきったが、ばあやは逃しませんよ、と続けてくる。


「せっかく、お嬢様がその気になったのです。我がラウエスト家の未来にもかかわります。今の発言聞き逃せませんよ」


 服の袖をまくし上げんばかりの勢いだ。

 それにラミア族の尻尾、つまり蛇の尾の部分が逆立っている。

 普通、年を取るとその尾が逆立つことはない。

 つまりそれくらい興奮しているということだろう。

 これは悪いことをしたかもしれない。ルトラーラは素直に謝ると、こう言った。


「私は結婚などするつもりはない。すくなくとも人間との戦いが一段落するまではな。卵を産ませたいのならば、妹たちの方へ期待しろ」


「しかし、ラウエスト家の当主はお嬢様ではありませんか」


「当主が子供を作らなければいけない、などという法律は魔王軍にはない。妹が子供を産めばその子を私の養子にして跡を継がせればよい」


「しかし、ばあやは妹君たちの子ではなく、ルトラーラ様の子供が見たいのです。そうでなくてはあの世に行くとき、この世に未練を残し、ゴーストになってこの世をさまよってしまうでしょう」


 そうなったら《除霊(ターン・アンデッド)》の魔法で成仏して貰うさ、心の中でそう返すが、彼女は気にする様子もなく、先ほどの話を続ける。


「ラウエスト家は魔族の名門。その武威と権威を維持するには強き当主が必要なのです。その為にもラウエスト家成立以来の天才児といわれているお嬢様のお子様が必要なのです」


「私の強さが遺伝するとは限らないぞ」


「でも、お嬢様が目をかけた殿方のお子様ならばきっと強い()の子が生まれますよ。がんばってたくさん卵を産んでください」


「気軽に言ってくれるな」


 この手の話になると、どうして老婆は張り切るのだろうか。

 生涯、結婚もせず卵を生まないラミアの娘もたくさんいるではないか。

 そう思ったが、面倒になるので口にはせず、彼女に合わせることにした。


「さて、話を戻そうか。仮に私が婿を娶るとしよう。その場合、相手が不死族というのは障害になるのか?」


 ラミア族は例外なく女しか生まれない。ゆえに歴代の当主はすべて雌だ。


 ラミアの娘は産卵適齢期になると、婿を迎え入れるか、他種族の男と一夜の関係を築いて子を授かる。


 それがラミア族の娘の子孫の残し方であった。

 通常、遺伝子を得る相手は魔族の男であることが好ましいとされる。

 魔族は魔族と結ばれるのが望ましいからだ。

 それにラミア族は強き娘を欲す。魔族の男であるならば、強さに問題はない。

 ただ、ラミア族は生殖器を持つ雄とならば大抵交配できる。


 人間との間に子供を作ったラミアの娘もいるし、なかにはゴブリンとの間に子をもうけた娘もいると聞く。


 しかし、不死族との間に子をもうけたラミアの娘の話はルトラーラも聞いたことはない。


 長年生きているばあやならばその辺の事情に詳しいのでは? と思って思わず口に出したのだが、ばあやがもたらした答えは意外なものであった。


「このばあやが幼い頃、不死族の魔族との間に子をもうけたラミアの娘がいる、という話を聞いたことがあります」


「本当か?」


 ルトラーラは思わず身を乗り出してしまう。


 テーブルにかけられたテーブルクロスが少しずれ落ちてしまい、軽く咳払いをされ、ばあやにたしなめられてしまったくらいだ。


「あくまで噂ですがね」


「しかし、不死族とは読んで字のごとく死んでいる連中だろう。そのようなものたちがいったい、どうやって子孫を残すのだ?」


「さあ、詳しくは存じ上げませぬ。まさかどのように子をもうけた、と聞くわけには参りませんからね」


「確かに」


 そのような破廉恥なことを聞くものが、このラウエスト家に仕えることは許されないし、ルトラーラの乳母に選ばれることはないだろう。


 ――しかし、


 と、ルトラーラは己の顎に手を添え、そう漏らす。


「前例はある、ということなのか」


 おそらくではあるが、なにか秘術的な方法を用いて子をもうけたのだろう。

 不死族も上位のもの、リッチやレイスやワイトと呼ばれる存在になれば、強力な魔法を操れる。そうなれば他種族の雌を孕ませるくらいはやってのけるだろう。


「そういえば彼の男もリッチだったな……」


 ふと、魔王軍第8軍軍団長の顔を思い出す。

 


 骸骨の仮面を纏い、不死の王のローブを纏った不死族の若者――。



 仮面をかぶっているゆえ、その真の姿を見ることはできないが、魔族の中でも異形と呼ばれるに相応しい姿をしている。不死の王と呼ばれる種族は、皆、似たり寄ったりの姿をしているので、彼が不死族の中でもハンサムに分類されるかは分からないが。


 ただ、奈落の守護者と呼ばれた彼の祖父であるロンベルクの残した『円環蛇の杖』を受け継ぐに相応しい才能を持っているのは確かなようだった。


 正直、ルトラーラはつい先日までアイクのことなど眼中になかった。


 風の噂でロンベルクの孫である若者が第7軍団に入団した、という話を聞いていた程度だ。


 すぐに旅団長に昇進した、と聞いたときも、「どうせ祖父の七光りで出世したのだろう」という周囲の噂を信じていたくらいだ。


 しかし、実際に会い、その実績を目の当たりにし、その為人(ひととなり)に触れてみれば、自分がいかに愚かで無能であったか思い知らされた。


 自分の目で確かめもせずに噂の方を信じてしまった自分を恥じた。

 

 アイクという人物は、祖父の威光で出世したわけでも、セフィーロの後ろ盾で出世したわけでもない。


 その実力と才覚によって、今の地位をもぎ取ったのだと、改めて認識させてくれた。


 戦場での獅子奮迅の働き、一度だけアイクの姿を戦場で見たことがあるが、かのものの働きぶりは凄まじいの一言に尽きる。


 その冷静沈着な采配は過去の名だたる魔王軍の名将たちに比肩しうるし、その魔力は魔族の中でも五指に入るほど強力であろう。


 また、その知謀も一個軍団に匹敵するほどの価値を持つ。

 


 魔王城の遷都――。



 それ自体は魔王様の発案であるが、その価値に一番最初に気がつき、賛同し、それを実行する方法を考え出したのは、魔王様ではなく、アイクという若者であった。


 もしもアイクがいなければ、今頃、魔王軍は遷都をするか否かで揉めに揉めていたかもしれない。


 その間隙を狙われ、せっかく落としたリーザスを敵の手に奪われていたかもしれない。


 もしくは業を煮やした軍団長の誰かが裏切り、この状況下で内乱が発生していた、という可能性も大いにあった。


「さて、その際は第2の裏切り者は誰になったのかな?」


 思わず独り言が漏れる。


 極々小さな声だったのでばあやの耳には届かなかったが、不穏にして不吉な言葉であった。


 実際、魔王軍は一枚岩ではない。


 魔族という生き物は自尊心が肥大化しており、己の上に誰かがいることを酷く嫌う。


 無論、上位のものが自分よりも遙かに格上であれば納得し、服従もするが、隙があれば自分が魔王になろうというのが『力』を持つ魔族の(さが)であった。


 かくいうルトラーラでさえ、その傾向がある。

 もしも、今の自分が魔王様より強大な魔力を持っていれば、

 もしも今の自分が魔王様よりカリスマを持っていれば、

 そう考え、血をたぎらせた夜がない、と言えば嘘になる。


 事実、魔王様と謁見すれば、常に魔王様の言動を注視し、彼女につけいる隙がないか探しているくらいである。


 しかし、そう考えただけで、実行に移したことは一度もない。

 当代の魔王様、ダイロクテン様に付け入る隙がないからである。

 当代の魔王様の魔力と才覚は歴代の魔王様の中でも屈指であった。


 大胆にして不敵、冷静にして沈着、その采配と戦略眼は、反骨心の塊であるゲルムーアでさえ一目置いている。


 そんなカリスマ的な魔王に反旗を翻すほどの勇気や気概を持った軍団長は今のところ一人だけである。


 ルトラーラは昨年、魔王様に反旗を翻し、見事返り討ちに遭った軍団長の顔と名を思い出す。


 第3軍団軍団長、血塗られた公爵バステオ。

 長年、魔王様に仕えた首なし騎士である。

 彼はゲルムーア以上の武断派であり、ゲルムーア以上に人間を毛嫌いしていた。


 魔王様が提唱し、実行している人間との融和政策を嫌い、魔王様に反旗を翻したのだ。


 無謀な賭けだった――、とは言えない。

 バステオは魔王軍の中でも実力者であり、彼と同調する魔族もいたはずだ。

 しかし、彼の反乱はすぐに鎮圧された。

 その反乱を鎮圧したのもアイクという名の青年であった。


 彼は魔王軍でも指折りの騎士であるバステオを手玉に取り、彼を首『なし』騎士から、首『だけ』騎士に転職させた。


 見事、バステオを倒し、反乱を未然に防いだわけだが、もしもアイクという青年がいなければ、バステオの反乱は成功し、魔王軍は真っ二つに分かれていたかもしれない。


「つまり、アイクという男がいなければ、今、私はこのアーセナムに滞在していない、というわけか」


 バステオの一件だけではない。


 南方の通商連合と協約を結び、南方から食料が届くようになったのもアイクの手柄である。


 今現在、魔王軍に流通し始めている『火縄銃』という武器も彼が魔王軍にもたらした産物である。


 それだけではない。


 内政や外交だけでなく、戦場においてもアイクという青年は勇者であった。


 諸王同盟の大群を追い払い、ローザリアの主力騎士団を壊滅に追い込み、ローザリア占領の奇策を考えあげた。


 軍事的な面だけを見てもアイクの活躍は魔王軍の中でも随一と言っていいだろう。

 もしもアイクという青年がいなければ、魔王軍はとっくにローザリアから撤兵していたはずだ。


 無残にも人間に敗れ去り、今頃、魔王軍領内で人間たちと死闘を繰り広げていたかもしれない。


 実際、魔王軍は過去、何度も人間たちに攻め入られ、苦杯を嘗めさせられていた。

 今回も同じ轍を踏む可能性が大いにあったのだ。アイクという若者がいなければ。


「しかし、そう考えるとこういうふうにも考えられるな……」


 ルトラーラは己の顎に軽く手を添えると、大胆不敵な思考を巡らせた。


「今の魔王軍があるのはアイクのおかげ。……逆に言えばアイクが魔王様の下にいなければ我々は負けていた」


 つまり、なにが言いたいのかと言えば、アイクがルトラーラの配下になれば、自分が次期魔王になることも不可能ではないのではないか。


 そんな妄想を抱いてしまう。


「ラウエスト家から魔王が出るか……」


 魔王軍開闢以来の名門と謳われたラウエスト家であるが、残念ながらその血族から魔王が出たことはない。


 今後も、少なくとも自分の代に魔王を輩出することは叶わないと思っていたが、もしかしたらそれは大きな勘違いだったのかもしれない。


「アイクを籠絡することが叶えば、この私が次期魔王となることも可能であろう」


 今やアイクという青年は、魔王軍にとって欠かせぬ人材、いや、魔王軍の屋台骨そのものになっている。


 彼さえ味方に引き込むことができれば、その戦力は魔王軍でも随一となるだろう。

 いや、魔王様を凌駕することができるかもしれない。


「――否、確実に天下を取れる」


 ルトラーラは己の首を振る。


 アイクが築き上げてきたこれまでの実績、遷都に反対する軍団長たちを説き伏せた奇策、どの事例を見てもアイクという青年の非凡さを証明していた。


「アイクという不死の王を味方につければ次期魔王になれる」


 自分で口にしてみればそれは魅惑的な言葉であった。

 ――ただ、実際に言葉にすると急に現実感がなくなるのも事実であった。


「……ふ、馬鹿馬鹿しいか」


 ルトラーラは吐息を漏らす。

 冷静に考えればルトラーラの野望は妄想と呼ばれる類いの戯言であった。

 端から見れば魔王様とアイクの絆は強い。


 その絆は主従と夫婦の間くらいであろうか。今さらルトラーラが付け入る隙など微塵もない。


「いや、仮にあったとしてももうひとつ問題がある」


 仮に魔王様とアイクの間に亀裂が入り、そこに付け入る隙が生まれたとしよう。


 しかし、その間に真っ先に入ってくるのは、ルトラーラではなく、第7軍団の長セフィーロであろう。


 彼女はアイクの姉のような存在である。


 セフィーロとルトラーラ、どちらに付くか、想像を巡らせるまでもない。答えは決まっていた。


「やはり、詮ない考えであったか」


 武門の家に生まれたからには、一度剣を取ったからには、魔王を目指して見たくなるというのが人情であったが、その夢は夢のままにしておいた方がいいだろう。


 ルトラーラは今も魔王城の地下で首だけの姿となり、恨み節をはいているはずのかつての同僚を思い出す。


「さて、私がもしも反乱を起こし、失敗した場合はどうなるかな?」


 蛇は皮の材料として使われていると聞く。


 ルトラーラの場合は首だけではなく、上半身から上だけは生かしておいて貰えるかもしれないが、それでも素敵な未来図とはいえなかった。


「下半身がなくなればラウエスト家の子孫が残せなくなってしまうからな」


 せめて自分の代に魔王を輩出することは不可能でも、自分の子供の代に輩出(はいしゅつ)する可能性は残しておきたかった。


 その為にはばあやの勧め通り、強き男の子を産むべきだろう。

 そう悟ったルトラーラはもう一度ばあやに尋ねた。


「ラミアと不死族の間に子供を作った例があると言っていたが、もう少しだけ詳しく聞かせて貰おうか」


 その質問をされたばあやは目を丸くさせたが、快く質問に答えてくれた。

 だが、最後にこんな忠告をされた。


「お嬢様が跡取りについて考えてくれるのは嬉しいのですが、ひとつだけ問題があります」


「問題か……、話せ?」


 ルトラーラはいつもの口調、いつもの表情で返す。


 ばあやは溜め息をつきながら、ルトラーラのもとにやってくると、口元を緩め、ルトラーラの頬を掴んだ。


「そのように能面のような表情をされていたら、どのような殿方も近寄って参りませんよ。笑顔ですよ、笑顔。男は度胸、女は愛嬌です」


 彼女はそう言うと、ルトラーラの頬を無理矢理歪め、笑顔を作らせる。


「ほのようなものひゃのか(そのようなものなのか)」


 ルトラーラはそう返すと、以後、気をつけることにした。

 もっとも、このしゃべり方と表情は生来のものである。

 気をつけはしても改善することはできないであろう。


 アイクという青年の子をこの胎内に宿すには、愛嬌ではなく、なにか別の武器が必用かもしれない。


 それがなんだかは今のルトラーラには分からなかったが、取りあえず化粧台の前まで這っていった。


 下半身は蛇であるが、少なくとも上半身は人の形をしていた。


 化粧さえすれば見栄えはよくなるだろう。これでも魔族の男から色目を使われるくらいには目鼻立ちが整っているのだ。


 ルトラーラは生まれて初めて、自主的に、積極的に、ばあやや侍女たちから化粧の方法を習った。


 化粧の方法を習うのは、剣の振り方を覚えるよりも難しかった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >ラミア族は例外なく女しか生まれない。 ≫その為にはばあやの勧め通り、強き男の子を産むべきだろう。  矛盾していると思います。 [一言] 楽しく読ませていただいてます。応援しておりま…
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