ラミア族の娘に紅茶を
「懐かしいですね」
アーセナムの城壁を見たサティが最初に漏らした言葉である。
「確かに」
俺も同意する。
思い出せば俺がまだ旅団長だった頃、この都市を落とし、ローザリアという国にくさびを打ったことが、本日の魔王軍の快進撃に繋がっている。
大陸中央にあるこの大都市を落としたことにより、俺の名が魔王軍内でも知れ渡ることになり、魔王様への謁見が叶い、その後の出世に繋がっている、と思えば感慨を覚えずにはいられない。
――それに、
この都市は今、傍らにいる少女、13番目の奴隷サティと初めて出会った思い出深い街でもある。
もしも俺が他の地方に派兵されていれば、
あるいはこの街を占領することができなければ、
サティという名の少女に出会うことはなく、ふたりの人生は大きく変わっていたかもしれない。
そう思うと確かに彼女の台詞はこの場にふさわしいものであった。
この街の領主の館へ赴くと、そこに常駐している女中にではなく、サティに紅茶をいれて貰う。
「かしこまりました。ご主人さまの分だけで宜しいのでしょうか?」
サティは俺とラミアのルトラーラに目配せしてくる。
次いで庭のある方向にも。
ルトラーラの方を見たのは彼女の好みを把握していないからだろう。
魔族は大別すると酒飲みとそれ以外に分かれる。
俺などは紅茶やコーヒーの方が好きだが、セフィーロのように無類の酒好きも多い。
というかそちらの方が多数派だ。
お客様に好みではない飲み物を出すのはメイドの恥! と公言しているサティとしてはルトラーラの好みを聞き出してから用意する飲み物を出したいのだろう。
一方、窓の外を見たのは屋敷の庭で控えているサイクロプスのウルクのことも気にしているためのようだ。
この館は残念ながら人間用に作られたサイズのものだ。
巨人族であるウルクは入ることができない。
しかし、それでも好きな飲み物を出して長旅の労をねぎらいたいのだろう。
サティのおもてなしの心はもはや国宝級である。
ルトラーラも感心したのか、
「アイクよ、とてもよい女中を雇っているな。私の女中と交換をせぬか?」
と冗談めかしていってきた。
無論、お断りする。即座に。丁寧に。
「10人の美女と秤にかけてもサティの方を選びますよ」
「ならば100と8人の美女を用意するが」
丁度、煩悩と同じ数だが、それでもきっぱりと断る。
「俺は量よりも質を選ぶので」
「それは残念だ」
氷の彫刻のような美女、ルトラーラはそう漏らすと、
「私は白湯でいい。最近は酒は控えている。外にいる単眼鬼は、樽にエール酒でも入れて飲ませればよかろう。なんならそこらに溜まっている泥水でもいいくらいだ」
無表情にそういうが、別にルトラーラは冷酷な女性ではない。
これはこれで彼女の愛情表現らしく、第5軍団長ウルクとの付き合いは長く、ふたりの間には友情めいたものも存在するらしい。
らしい、とはすべてセフィーロから伝え聞いたことなので、真偽は不明だ。
ただ、俺が軍団長になってから色々な大物を観察してきたが、このルトラーラという女性はかなりミステリアスな女性である。
ラミア族に属する魔族、魔術に長け、軍略にも通じていると聞いているが、なかなか感情を表に出さない。
時折催される魔族の宴にも参加はするが、酒杯を片手に宴の席の端でだんまりをしていることが多く、セフィーロもあまり話したことはないらしい。
「まったく、無口な女じゃ。妾の爪の垢でも飲ませてやりたいわい」
とはそのセフィーロの言葉であるが、確かに実際に接してみると、そのクールさが際立つ。
セフィーロの爪の垢を飲んで急に口達者になられるのも困るが、もう少し友好的なムードを醸し出して欲しいものである。
まずは緊張をほぐすため、俺はサティに飲み物を持ってくるように命じた。
「外にいるウルク殿には、エール酒を樽で。ルトラーラ殿には俺と同じ紅茶を」
俺がそう指示をすると、サティは「かしこまりました」と頭を下げ、下の階にある厨房に向かった。
ルトラーラはその姿を無言で見送るとサティがいなくなったのを見計らって話しかけてきた。
「私は白湯でいいといったはずだが?」
「彼女は紅茶を入れる名人です。騙されたと思って一杯だけ飲んでください」
「…………」
彼女は無言によって答える。
この人は表情を変えないから怒っているのか笑っているのかよく分からないが、なにも文句を言わないところを見ると怒ってはいないのだろう。
それに紅茶も嫌いではないと推察できる。
ただ、やはりそれでもそれ以上の反応がない。
「………………」
彼女はただ、目をつむり俺の前に対面していた。
俺の周りはなぜか小うるさい女性が多いので、この手の女性の扱い方は計りかねる。
セフィーロやリリスならば黙っていても自分からどうでもいい話を延々と振ってくれるし、サティなどは互いに沈黙していても心地よい時間が流れるのでどうでもいいが、彼女のような女性の扱いは困る。
俺の知っている女性の中で強いてタイプ別に区分けするならば魔王様に近いだろうか。
知的で、クールで、余計なことは口にしない。
ならば魔王様と同じように扱えば上手くいくのだろうか?
それならば対処のしようがあるかな?
そう思ったがすぐに考え方を改める。考えて見れば俺はいまだ魔王様が苦手である。
いや、言葉が悪いか。
いまだに魔王様の扱い方を計りかねている、といった方がいいか。
魔王様と出会ってから幾ばくかの年月が流れた。
魔王様に目をかけていただき、過分な地位を得ているが、いまだに彼女にどう接すればいいか迷っている。
その実績と志には共感しており、それに相応しい態度、つまり尊敬に値する指導者として接しているが、最近、お会いする機会も多く、彼女の人間(?)らしい一面にも触れることができた。
存外、話してみれば年頃の少女っぽいところがあるのだ。
乙女らしい、といえばサティよりも少女っぽいところもあり、冗談も通じるし、茶目っ気もある。
うん、そうだ。ここは冗談のひとつでも披露してルトラーラの心を解きほぐしておくべきだろう。
この地への遷都が決まれば、彼女とは共同してことに当たるのだ。
遷都は一朝一夕では終わらない。
彼女とは長い付き合いになるだろう。早めに関係を築いておいて損になる、ということはない。
そう考え、会話の切り出しをいくつか考えたが、最悪なことに何も思い浮かばない。
よくよく考えれば女性受けするような小粋なジョークのストックなど持ち合わせていなかった。
こんなときはどんな言葉が相応しいのだろうか?
仮にジロンにアドバイスを求めたならば、
「ラミアだけに、重い話でもすればいいんじゃないですか? 蛇だけにヘビィな話を」
とか言いそうだったし、セフィーロに助言を求めればこう言えとそそのかすだろう。
「あの、ラミア族の女性は卵を産むのですか? それともほ乳類のように出産されるのですか?」
「………………」
どちらもあまり親しくない女性にする話ではないことだけは確かだろう。
そう考えあぐねていると、ルトラーラは急に目を見開き、その口を開いた。
彼女の視線の先を見れば、サティがいた。
サティは銀のワゴンを持って現れた。
ワゴンの上にはティーポットとカップと受け皿とスコーンが置かれていた。
それを見たルトラーラは「ほう」と感心したような声を上げる。
「何か失礼なことがありましたか?」
サティに限ってそんなことなどあり得ないと思うが、ルトラーラが意外そうな表情をしたので尋ねてみる。
「いや、あの娘の手際があまりにもいいのでな」
「それは彼女がこの館に長年住んでいたからでしょう?」
「……?」
ルトラーラはその美しい眉目を僅かにつり上げる。
意味を計りかねているのだろう。
「彼女は以前、このアーセナムの領主のメイドをしていたのです」
「なるほど、確かこの街は貴殿が落としたのだな?」
「ええ、その際、色々あって俺のメイドになって貰った、というわけです」
「それはなかなか運がいいな」
「そうですね、彼女のようなメイドを得ることはなかなか難しい」
「私はあの娘の運がいい、といったのだがな。もしも貴殿と出くわさなかったら彼女は今頃、奴隷商に売られていたんじゃないかな?」
ルトラーラはそこで一呼吸置くと続ける。
「しかし、そうならなかったのは良いことだ。そのおかげで、こうして旨い紅茶にもありつける」
「まだ一口も口をつけていませんが、なぜ、味が分かるのです?」
サティは紅茶を注ぐどころか、まだ部屋の中にも入っていない。
「このかぐわしいスコーンの香り。それに彼女はスコーンの付け合わせを5つも用意してくれている。そのような人物がいれた紅茶がまずいわけがないだろう」
ルトラーラはそう言い切ると、さっそく、サティにお勧めのスコーンを尋ねた。
サティはぺこりという擬音が聞こえてきそうなほど可愛らしくお辞儀をすると、少し緊張気味な表情で説明を始めた。
「本日、用意したスコーンの付け合わせですが、蜂蜜、ホイップクリーム、ブルベリージャム、クリームチーズ、それにキャラメルソースです。わたし的にはホイップクリームをたくさんかけて、その上に蜂蜜とキャラメルソースをたっぷりかけるのが好きです」
ルトラーラはその言葉を聞くと素直に「それを頂こう」と申し出た。
サティは笑みを浮かべると黙々と紅茶を注ぎ、ルトラーラ好みのスコーンを差し出す。
彼女は一口それを口にすると、本日、初めて笑みを浮かべた。
「旨いものだ。やはりこの娘を女中に欲しいくらいだ」
無論、差し上げるわけにはいかない。
ただ、その言葉と笑みでその場がだいぶ和やかになったのも事実だ。
俺はその隙を狙って彼女に尋ねた。
さりげなく、ごく自然に、まるで明日の天気を尋ねるかのような気軽な口調で。
「サティを差し上げるわけにはいきませんが、魔王軍の居城をこの地に移す奇策なら教えて差し上げることができます。ルトラーラさん、聞いて頂けますか?」
俺の突然の奇襲にも眉一つ動かさないのはさすがは魔王軍の軍団長といったところか。
彼女はまったく動じた様子もなく、スコーンを口に運び、それを上品に紅茶で口に流し込む。
食べかけのスコーンを嚥下し終えると、彼女はこちらの方を見下ろし、こう尋ねてきた。
「大胆にして不敵な発言だな。もしも私が遷都に反対する立場の魔族だったらどうするつもりなのだ」
「それはないでしょう」
と言下に言い切る。
「どうしてそう言い切れる?」
「理由はいくつかありますが、ひとつはルトラーラさんが魔王様より直々に遷都の計画立案者に指名されたことです」
「魔王様の命令は絶対だ。反対者を強引に選ぶ、という可能性もあるのではないか?」
「あるでしょうね。というか、遷都に確実に賛成しそうな軍団長は俺くらいだ。あとはセフィーロか。だけど、魔王様は俺とセフィーロではなく、俺と貴女を指名した。それには理由があると推察しました」
「どのような理由だ? うかがおうか」
「たぶんですが、魔王様はルトラーラさんを緩衝材として指名したのでしょう。ここで露骨に遷都賛成派に城普請を命じても後に角が立つかもしれない。そこで賛成でも反対でもない中立のメンバーを一人加えておけば、多少なりとも反対派の気分も収まる」
「確かにそういう意図で選ばれたのだろうな。私は。実際、私は遷都には反対でもあり、賛成でもある。魔王様のお考え、戦略的な意味は理解しているが、反対派の心情も分かる。ドボルベルクは魔族の故郷であると同時に象徴でもある。それをたやすく放棄しろとは言えないな」
「でも、ルトラーラさんは最終的には魔王様の命令に従うつもりでしょう?」
「………………」
彼女は沈黙によって答える。
古来より、沈黙はイエスと相場が決まっていた。
彼女は観念したように言う。
「確かに私は魔王様の命令を受けたと同時に、故郷や哀愁などといった感情は捨て去ったよ。魔王様が遷都を望まれるのであれば、それに全力で協力するつもりだ」
ただし、と彼女は付け加える。
「私がそうでも、他の魔族はそうそう納得するまい。魔王軍にはお主のように先が見える男もいる。セフィーロのように面白いことに首を突っ込みたがる魔族もいる。だが残念ながら多数派ではない、少数派だ。そのものたちをどうやって納得させる?」
「納得させるのは不可能でしょうな」
俺があっさり言い切るとルトラーラは眉をしかめる。
柳眉が下がり気味になる。
氷の彫刻のような女性だが、実際に接してみると、存外、表情が豊かな女性である。
彼女は俺の言葉に腹を立てたのか、言葉を強めながら返してきた。
「貴殿は先ほど遷都に反対する魔族を納得させる方法が私にあると言ったではないか、あれは私を謀った、ということか」
「まさか。貴女のような美しくて賢い女性を騙すほど俺の舌は饒舌ではありませんよ。俺は遷都を成功させる『奇策』があると言っただけです。いや、奇策と言うほど大層なものではないな。いわばペテンです」
「つまり、魔族のものを騙す、ということか」
「その言い方はあまり使いたくないですね。正確に言えば譲歩して貰う、でしょうか」
「むむぅ」
ルトラーラはその形の良い眉を八の字にさせる。
俺の話に乗るべきか迷っているようだ。
迷っている、ということは彼女の魔王様に対する忠誠心、それに遷都を成功させたいという気持ちに偽りはないようだ。
それに魔族を思う気持ちも並立していることも確認できた。
彼女は魔王様の意に従い遷都を成功させたい。
しかし、故郷を思う魔族の気持ちも理解しているのだろう。
俺はルトラーラの態度を見て逆に安心した。
魔王軍の大多数の魔族は、彼女と気持ちを等しくしているからだ。
魔族の大部分が彼女のような心情を抱いているはずである。
つまり、彼女を口説き落とすことができるのであれば、他の魔族も最終的には遷都に賛成をしてくれるだろう。
そう思った俺は彼女に俺の考えた策を話した。
その策を聞いたルトラーラは文字通り声も出ない、というような表情を見せてくれた。
その表情を見る限り、俺の考えた策は成功が約束されたようなものであった。
俺は改めてルトラーラに協力を求める。
右手を差し出した。
彼女も右手を差し出してくれる。
彼女の下半身は鱗に覆われていたが、その手は絹のように滑らかだった。




