魔王城遷都
魔王城を大陸の東端にあるドボルベルクからローザリアに移す、と聞いたとき、俺は意外な顔をしなかった。
意外な顔をしなかった俺をセフィーロも意外には思わなかったようだ。
「どうせお前のことじゃ、魔王様が遷都をされることも計算の内だったのじゃろう」
そんな言葉を発した。
確かにその通りだ。
「魔王様の性格ならば、いずれそうなされると思っていました」
正直に話す。
セフィーロも率直に尋ねてきた。
「してその心は?」
「これは、通商連合のゼノビアのエルトリアさんにも言ったことなのですが。魔王軍がこの大陸を統一されるにはどうしてもドボルベルクでは物足りません」
「なぜじゃ? ドボルベルクは大陸の東端に位置する堅城じゃぞ。文字通り、難攻不落の城だ。この大陸で魔族が誕生して以来、一度たりとて人間のものにはなったことがない」
「逆に言えば魔王軍がこの大陸を完全制覇したことがないのもドボルベルクのせいだと俺は思っています」
「……ふむ、理由を聞こうか」
「理由は大きく分けてふたつあります。まずひとつはドボルベルクは遠すぎること。確かにドボルベルクは魔族領の最果てにあり、人間は攻めにくいでしょう。ドボルベルクを攻めるには入念な準備が入ります。兵站の確保、つまり補給路を充実させ、大量の攻城兵器を用い、大軍で包囲してやっと落とせる。さっきも言いましたが、幸いなことにその条件を全て満たしてドボルベルクを落とした人間の王は歴史上一人もいません」
「当然じゃな。もしもそんな王がいれば今頃、魔族は根絶やしにされていた。さすれば妾とお前がこうして膝を交えて酒を飲んでいることもなかろう」
「はい、ですが、その距離の障壁は最大の防御にもなりますが、最大の足かせにもなります」
「つまり、魔王軍が人間の領土を攻める際、その距離が足かせになる、と?」
「ええ、実際、このリーザス攻略の折、魔王様は直属の部隊をドボルベルクから出征させました。その費用だけでも馬鹿にならない。どれだけの兵糧を消費させたことか。それにどれだけ兵士たちを疲れさせたことか」
前世でもアレクサンダー大王という英雄がいた。
古代ギリシャの小国に生まれた彼は、やがてギリシャを統一し、当時、最強を誇ったペルシア王国を打ち破り、地中海沿岸、それにオリエント世界にまで及ぶ巨大な帝国を作り上げた。
今日、異教徒や異民族にまで英雄として崇め立てられる彼だが、彼も『距離』という名の暴君の前には無力だった。
インドにまで達した遠征軍は、補給の困難を極め、疲労と占領地の風土病に大いに苦しめられた。
ナポレオンやカエサルをして英雄と言わしめた人物でさえ勝てなかった『距離』という悪魔。それに対抗するには方法はたったひとつしかないように思われる。
「それが魔王城の遷都、というわけか……」
セフィーロが俺の内心を見透かしたかのようにそう言うと、「ふむ」と顎に手を添える。
「確かにあの奇天烈な魔王様ならば、そのように申し出てくる可能性は高いな」
「ええ、十中八九は」
「して、その候補地はどこだと思う?」
「恐らくですが、アーセナム付近かと思われます」
「アーセナム付近か……」
なぜそう思う? セフィーロは尋ねる。
「このローザリアはこの大陸の中心にあります。そしてアーセナムはこのローザリアの中心にあります。その地を首都に定めれば、必然的に物流や人材の集結地点となりましょう」
「なるほど。道理じゃ。しかし、合理的な考え方で、今後の魔王軍にとって益となる案ではあるが、お前と魔王様はひとつだけ大きな見落としをしておるぞ」
彼女はそう言いきる。
「と、いいますと?」
「魔族の拠点を東部から大陸中央に移す、こと経済に関してはなんの不備もない案に思えるが、魔族の感情を無視している。魔族とはこの大陸の東で生まれ育った連中じゃ。その地を捨てて首都を移すなど、大反対をする魔族も出てこよう、それはどうする?」
「確かにそれはありますね……」
俺の中身は人間だ。
しかも前世の記憶持ちである。
魔族の故地である大陸東部には大して未練はなかったが、感慨がないわけではない。
俺は『奈落の守護者』と呼ばれた魔族の魔術師に育てられた。
魔王城ドボルベルクの城下である。
子供の頃、近所の悪ガキ共とケン玉をしたり、竹馬に乗ったり、鬼ごっこのような遊びもやった。
まだ哀愁を感じるほど老いてはいないが、全員が全員、俺と魔王様のような考えを持っているわけではない。
なかには梃子でもドボルベルクから離れない。
あるいは人間臭いアーセナムになど引っ越せるか。
そう言い出す魔族がいる可能性も十分有り得た。
「ここは一計が必要かな……」
ぼそり、と俺は漏らす。
目の前の魔女はそれを聞き逃さなかったようだ。
「ほう、その口ぶりじゃと、魔王城移転に反対する奴らを黙らせる妙案がある、と思って良いのじゃな?」
「妙案、というほど目新しいものではないですし、それに完全に黙らせることはできないでしょうが、それでも他の軍団長に遷都を納得して貰える手段があります」
俺がそう言い切ると、魔女セフィーロは、にたり、という擬音が聞こえてきそうなほど口元を歪めさせた。
「それは丁度良い。明日、魔王様は北部戦線から戻ってこられる。一緒に赴いてその案とやらを聞かせて貰おう」
「……それは構わないのですが、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
そう言うと、彼女は大仰に、「構わんぞい」と許可してくれた。
「ただし、年齢のことは聞くな。でもそれ以外ならなんでもOKじゃ。スリーサイズから、使っている美容液の種類、果ては初恋の相手まで、なんでも聞かせてやろう」
相変わらず年齢は禁忌なのか。
それ以外の情報はおおよそ見当がついていたし、尋ねなくてもそのうち自分からベラベラと話してくれそうなのであえて尋ねないことにする。
そもそも興味がない。
俺が尋ねたかったのはそんなくだらないことではなく、彼女の真意だった。
単刀直入に尋ねる。
「団長は遷都に賛成ですか? それとも反対なのでしょうか?」
俺がそう尋ねると、セフィーロは珍しく真剣な表情をする。
大事な質問である、と理解してくれたのだろう。
彼女はしばらく沈黙すると、逆にこんな質問をしてきた。
「もしも大反対、と言ったらお前はどうする?」
「それは考えていませんでしたね」
「どうしてそう言いきれる。妾の心でも読んだか? 自慢ではないが、妾の心を読める魔術師などこの大陸にはおらんぞ」
「ですが、団長の心を察することができる魔術師なら一人だけいますよ。幼き頃から黒禍の魔女と呼ばれた女性に可愛がられ、魔王軍の軍団長になったアイクという魔術師ならば、彼女の気持ちを察することぐらいはできるんじゃないでしょうか」
「ほう、そのアイクとかいうはな垂れ小僧は、その麗しの魔女の気持ちをどう察している?」
「そのアイクという小僧はこう思っていますよ。黒禍の魔女と呼ばれている悪戯好きの狂錬金術師が遷都だなんて重要イベントを見逃すわけがない、と。彼女ならば、なんなら妾を遷都計画の責任者にして新しく建築する魔王城の設計書を書かせろ、というんじゃないかな、と」
その言葉を聞いたセフィーロという名の魔女は会心の笑みを浮かべた。
次いでその大きな胸を言葉通りに振るわせながら高笑いをする。
「かっかっか」
その笑い方を見る限り、俺の推測は正しいようだ。
先見の明を誇ることもできたがしない。
俺はしばし笑い続ける元上司を見詰める。
さて、相も変わらずうら若き乙女には見えない個性的な笑い方であるが、それは触れないでおこう。
彼女の笑い方と遷都は関係ない。
ただ、彼女が俺と魔王様と同じ考え方を持ってくれているというのは嬉しかった。
魔王軍にある7つの軍団のうち、2つの軍団長が賛成してくれているのだ。
過半数には遠く及ばないが、それでも全軍団長に反対されるよりもましであった。
改めて悪戯好きの魔女の顔を見詰めると、俺の中にある妙案を彼女に話した。




