イヴァリース防衛戦
ローザリアの軍隊、白薔薇騎士団が攻めてきたのは、翌日の明け方であった。
そのことを事前に察知していた俺達は、武器庫から弓矢を取り出し、入念に準備を重ねた。
武具は後方の都市から送られてきた一級品だ。
名のあるドワーフの工房のマークが入ったものもある。
魔王様の占領政策が上手くいっている証拠だろう。
一昔前の魔王軍ならば、こういった兵站という概念がなく、武具どころか食料さえ補給されなかったという。
つまり、全部現地調達だ。
当然、占領下にある人間たちは猛反発する。
魔族はそれを押さえつけるため、反乱を鎮圧する。
人間は更に反発する。
結果、難民の大量発生、住民の反乱が続発する。
後方でそんな真似をされたら、前方で戦っている実戦部隊は戦いどころの話ではない。
数の上では魔族(オークやゴブリンなどは除く)よりも人間の方が圧倒的に多いのだ。
前方と後方、双方から数で押されれば、一騎当千の魔族を抱えている魔王軍といえどもひとたまりもなかった。
「しかし、今は占領政策は十分上手くいっています。同じことにはならないんじゃないですか」
とはジロンの言葉だった。
俺は「当たり前だ」と威厳ある返事をしたが、内心はひやひやしていた。
確かに魔王様の占領政策は今のところ上手くいっている。
俺が預かっているイヴァリースの街も、今のところ反乱一つ起きていない。
しかし、それは将来にわたってもそうか、問われればそうとも言い切れない。
なぜならば人間の気持ちも分かるからだ。
やはり、街の中を魔族がうろうろとしているのは気持ちよいものではない。
オークは豚のように醜いし。
ゴブリンの不気味に光る眼球と緑色の肌は気味が悪いし。
トロールの大きさは人を畏怖させる。
実際はそれらは大きな誤解なのだが。
確かにオークは醜いが、よく見れば愛嬌があるし、実際の豚のように綺麗好きな魔物だ。それによく俗説でオークは人間の女を攫い犯し、その腹を借りて子孫を増やすなどと言われているがまったくのデマだ。
そもそも、ジロンには、女房が3匹、子供が12匹もいる。
それにゴブリンは見た目こそ不気味であるが、話してみればなかなか気の良い連中が多い。頭こそ足りない奴が多いが、酒を酌み交わせば陽気な踊りなども見せてくれる。
だが、人間たちはそのことを知らない。
一方、魔物たちも人間のことを似たような目で見ている。
偏見の眼鏡を持った状態で互いに監視しているのが今の状況だ。
ちょっとした事件があれば、雪崩を打って占領下にある都市の住民たちが反乱を起こすこともあり得た。
「例えば、もしもこの戦いに負ければ」
とか――。
俺は独語する。
「十分あり得る話だな」
今のところ人間の領主が支配していたときと同じ税金を課しているが、領主の座に座っている人物は、魔物よりも人間である方がいいに決まっている。
もしも、今回の戦いで負ければ、籠城することさえ許されず、そのまま退却を余儀なくされるだろう。
――もしも負ければ、の話だが。
残念ながら、この都市を支配する人物はあきらめが悪い上に負けず嫌いだった。
俺は、目前に迫った白薔薇騎士団を、城壁から見下ろすと、重装備のオークの一団を前面からぶつけた。
全身をフルプレートのアーマーで覆い、巨大な盾も装備させ、長槍を持たせている。
いわゆる密集陣形、という奴だ。
古代ギリシャでアレクサンダー大王が用いた戦法である。
この作戦の利点は、密集し、味方同士の盾で味方を護り合えること。
士気が下がり、兵が逃亡するのを防げること。
であった。
ただし、この陣形を用いるには入念な訓練がいる。
一人でも臆病者がいたら、この陣形は崩壊してしまうのだ。
「日頃の鍛錬の成果が出ましたな」
と、オークの参謀ジロンは顔を緩ませる。
「想像以上の成果だ」
俺は答える。
「通常、騎士1体に対し、オークは5体で互角、というのが相場ですからな」
「そうだな」
残念ながら、オークという魔物は弱い。
小説の中で雑魚キャラ扱いされることも多いが、それはこの世界でも同じ。
普通の騎士であれば、1人で5体くらいは平気で相手取れる。
それを同じ数で互角に渡り合わせているのだから、この陣形の効果が分かるというものだろう。
俺は改めてこの陣形の発案者に敬意を表すと、次いでゴブリンの弓兵に弓を放つように命じた。
城壁の上から放たれた弓は、放物線を描き、騎士たちに降り注ぐ。
「ぐわぁ!」
聞こえぬはずの騎士たちの悲鳴がここまで聞こえてくるようだった。
まさか城の上から弓を射られるとは思っていなかったに違いない。
無論、魔王軍でも弓を使う魔物はいるが、それを組織だって運営したのは俺の部隊が初めてではないだろうか。
それもゴブリンを弓兵隊にするなど、人間はもちろん、魔族たち、いや、当のゴブリンたちでさえ考えていなかったに違いない。
そもそも、弓を扱うのは案外難しい。
いや、案外どころではなく、とてつもなく高難易度だ。
剣を振り回す、槍を突き立てる。
それは猿でもできるが、弓を扱うのには高度な訓練がいる。
実際、日本でも戦国時代は、刀や槍の扱いよりも、弓や馬の扱い方を覚えるのが武士の基本であったし、中世、猛威を振ったイングランドの長弓兵部隊も、ただの徴兵した農民ではなく、弓の鍛錬を施した専門の部隊であった。
不死旅団を預かったとき、まず最初に行ったのが弓兵部隊の組織であった。
ともかく不器用であるが、不器用ゆえに、ひとつのことに集中できるゴブリンは弓兵部隊に丁度良い、と思ったのだ。
……まあ、単純と言い換えることもできるが。
ともかく、俺の作戦は今のところ完璧に成功していた。
予想以上に手強いオークの重装歩兵。
組織だって存在するはずのないゴブリンの弓兵部隊。
鍛錬に鍛練を重ねた白薔薇騎士団の精鋭たちはさぞ驚いていることだろう。
俺は彼らが浮き足立ったところを見逃さず、すかさず切り札を投入した。
サキュバスのリリス率いる魔族の精鋭、魔法剣士部隊を投入したのである。
通常、魔族は、訓練された騎士よりも強固だ。
生まれながらに強靱な身体と強大な魔力を持つ。
こちらは逆に1体を倒すのに、熟練の騎士10人は必要なのではないか。
それほどまでに魔族とは強い。
しかし、上位の魔族は数が限られている。
また皆、自尊心が強いのでその扱いには細心の注意が必要だ。
(――もっとも、リリスの奴は俺にべた惚れだからその辺の心配はないが)
それに実力の方も疑う余地はない。
リリスは、
「不死旅団一の魔剣士にして、アイク様の未来の妻、リリスの実力を見るがいい人間ども」
と、高笑いを上げながら、騎士団の陣形を切り裂いていった。
「うむ、相変わらず見事な働きぶりだ」
その実力だけならば旅団長に匹敵するかもしれない。
彼女の働きにより、白薔薇騎士団の陣形は真っ二つにされ、大混乱に陥る。
敵の指揮官と思われる人物は、
「ええい、このままではまずい、一旦、陣を引く」
と、部下に命令を下しているようだ。
真っ白な鎧を身に纏った団長と思わしき人物は、最後まで奮戦すると、部下たちに退却路を作りながら、後退していった。
「なかなかの人物だ」
普通、己の命惜しさに、真っ先に逃げるものを自身が最後まで戦場に残り、指揮を振う。なかなか凡人には真似のできるものではなかった。
「骨のある大将ですね」
ジロンもそのことに気がついたようだ。
「ああ、貴族って奴は案外へたれが多い。なかなか真似のできる奴はいない」
「魔族でもああいうタイプはいないですよ。みんな、我先にと逃げます。普通は。……いえ、まあ、アイク様は違いますが」
「いや、世辞はいい。それに俺も真っ先に逃げるタイプかな。指揮官が死ねば、部隊を指揮する人間がいなくなる。結果、更に兵たちが死ぬことになる」
「ということは、あの指揮官は無能、ということですね」
「そうなるな」
だが――、と俺は続ける。
「結果、それがあいつの命を救ったようだぞ」
そう言うと、俺は魔法の詠唱をする。
「蘇れ! この世に未練を残す傀儡兵どもよ!」
本当はもっと複雑で煩雑で難解な発音の言語だったが、日本語にするとこんな感じだろうか。
ただ、意味はまったく同じである。
その呪文を唱えた瞬間、後退していた敵の部隊の背後の砂地から、骨の腕が地上に飛び出す。次いで人間の頭骨が姿を見せる。
「あ、あれは!?」
《遠視》の魔法でその光景を見たのだろう。ジロンは驚いているようだ。
俺は説明をしてやる。
「あの辺は砂地でできていたからな、事前にスケルトン兵を埋めていた」
合図と共に復活させ、敵を挟撃し、殲滅する。
それが俺の考えた作戦だった。
敵兵はさぞ驚いたことだろう。
人間同士の戦いでは絶対に有り得ない戦法を採られたのだから。
しこたま打ちのめされた上に、そのような奇略を使われてはたまったものではないはずだ。敵兵ながら同情せずにはいられなかったが、こちらも仲間の命を預かっている身だ。手加減などすることはできなかった。
その奇策が決定打となったのだろう。
戦意を喪失した白薔薇騎士団は、もはや陣形さえ組むことはできず、散り散りに消えていった。
つまり、俺は防衛戦に勝利したのだ。
それも圧倒的な形で。