魔王様の参謀
第8軍団の陣幕に戻り、少し休憩すると、すぐに魔王様直属の使者が使いにやってきた。
王都リーザス攻略の方針を固める軍議である。
出席しないわけには行かないが、リリスが自分も連れて行け、と五月蠅かった。
なんでもリーザス潜入の折は役に立てなかったので、今こそ役に立ちたい、とのことだ。
この娘は軍議で役に立つ自信があるのだろうか。
甚だ疑問なので、なんとかこの場に留まるように説得する。
オークの参謀ジロンが、
「姉御の出番はもうじき行われる城攻めのときが本番でさ。今はお控えください」
と助け船を出してくれたためだろうか、彼女はなんとか引き下がってくれた。
「でも、戦の時は大暴れしますからね! 覚悟しておいてくださいよ!」
と、捨て台詞も忘れずに見送ってくれた。
俺は彼女と対峙するであろうローザリア兵に同情すると、そのまま魔王様の本陣に戻った。
本陣にはすでに机と椅子が並べられていた。
机には真っ白なテーブルクロスがかけられている。
レースも施されており、少しだけ女性らしさを感じたが、多分、魔王様の差配ではなく、侍女の魔族の手配であろう。
この合理的な少女は、華美は好むが無駄は好まない。戦場でこのようなことまで気を配るとは思えなかった。
次ぎにテーブルの横に設置された椅子に目をやる。
極々普通の椅子だ。木材で作られている。
軍団長クラスが座るため、粗末ではないが、豪華ではない。
市民レベルでも金を払えば買える。
俺はテーブルに備え付けられた椅子の数を数える。
椅子の数は三つだけだった。
その席はすでに二つ埋まっている。
まずは主賓席にいるのは魔王様だ。彼女はこちらの顔を見ていた。
隣の席にはセフィーロが座っている。彼女は退屈そうに欠伸をしていた。
「ということは、残りの席に俺が座れ、ということなのだろうか」
俺は口の中でそう呟く。
残された椅子は魔王様のすぐ側にあった。
しかも彼女の右側だ。
魔王軍では、伝統的に参謀役が主の右側に座ることになっている。
なぜそのような伝統ができたかまではしらないが、主の右に座るものは文字通り『右腕』となり、主を支えなければならない。
魔王様は先ほどおっしゃられた通り、俺を参謀役として軍議を進めるようだ。
「…………」
思わず緊張してしまうが、 緊張しているのは俺だけのようだ。
魔王様当人はともかく、セフィーロはいつもの気怠げな表情をしているだけだった。
俺は遠慮がちに座るが、それを茶化すようにセフィーロは口を開く。
「どうじゃ? その椅子の座り心地は?」
「自分には荷が重いですよ」
俺がそう言うとセフィーロは更にからかってくる。
「魔王様の参謀役とは出世したものじゃの。これからはアイクではなく、アイク殿、と呼ぼうかの」
背筋が凍るので止めてください、そう冗談で返そうと思ったが、その余裕はなかった。
残りの二人の軍団長も陣幕に入ってきたからである。
「さて、彼女たちは魔王様の右側に座る俺を見てどう思うであろうか」
我がことながら他人ごとのようにそう考察すると、彼らを観察した。
まずは第5軍団軍団長のウルク。
見上げんばかりの大男――。というか巨人。
サイクロプスのウルクはその単眼で俺を見下ろすが、特に気にした様子はなかった。
その巨体に相応しく、元々も些末なことに拘らない男だ。
俺が参謀役を務めていても何も口にせず。
「アイクの坊主よ、見事、国璽を奪還したそうだな、よくやった」
と褒めるだけだった。
それよりも陣幕が狭いことの方が気になるようだ。
大きな身体を縮ませながら、あぐらをかいている。
一方、第4軍団のルトラーラはどうだろうか。
彼女は蛇の下半身を持っている。セフィーロ曰く、その性格は蛇のようにねちっこいぞ、とのことだが、彼女も特に不満は持っていないようだ。
彼女は俺の姿を一瞥すると、
「どうやら例のものは手に入れたようだな」
と、一言口にするだけで、それ以上のことはなにも言わなかった。
俺は軽く吐息を漏らす。
人狼旅団のベイオのように嫉妬深い軍団長がいれば、揉め事になること必定かと思われたからだ。
その心配は杞憂だったようだが、セフィーロは口元を歪めながら話しかけてきた。
「この場にいる軍団長が穏健派で良かったの。精鋭の第1軍団や高慢な第2軍団の軍団長がいれば揉め事になっていたかもな。奴らは総じて自尊心が高い。席順ひとつでわめくこと必定じゃ」
「ええ、もしも、全軍団長が集まるならば、次は末席にして貰いますよ」
俺がそう言うと、
「それはできないな、魔王軍随一の軍団長を隅にやるなど、魔王様の鼎の軽重を問われる。それに昔から散々言っておるだろう。魔族の間では謙虚は美徳ではない。己が功績に相応しい態度を取っておれ。お前がそんなに弱気だと師匠筋の妾まで舐められる」
セフィーロは、いつもの説教をくれた。
彼女を師と仰いだことなど一度もないが、「気を付けます」と言うと、俺は会議の開始を宣言した。
望まずに参謀役に抜擢された俺だが、ここでその役を放棄したり、魔王様の期待に添えなければ、魔王様に恥をかかせることになる。それだけは避けたかった。
滞りなく議事進行役を務めることにする。
それが期待をしてくれている魔王様への恩に報いる道だろう。
俺はテーブルの中央に置かれた絵地図を指さす。
大陸中央部が赤く光っている。
無論、その場所はここ王都リーザスであった。
そんなことも分からない無能は軍団長になることは許されていないので、説明を省いて続ける。
「現在、我々は王都を包囲しています。今まで城攻めに移らなかったのは、静観していた諸侯の動きを見るためです」
「諸侯とは、ローザリアの諸侯か? それとも諸王連合か?」
ラミアのルトラーラは尋ねてきたが、確認の意味を込めているのだろう。
彼女の軍略は軍団長の中でも指折りだった。
兵法の先達に所見を述べるのは釈迦に説法なような気がして気恥ずかしいが、俺は断言する。
「双方です。諸王同盟の動きも気になっていましたし、中立を決め込んでいたローザリアの地方貴族も気になっていた」
ただし、と俺は続ける。
「今回、国璽を奪還したことで、日和見を決めていた地方貴族が援軍にやってくる可能性は消えたと見ても良いでしょう」
「それはつまり心置きなく城攻めに移れる、ということでいいのかな?」
サイクロプスのウルクは楽しげな口調で言う。
ウルク率いる第5軍団の主力は巨人族である。城攻めとなると俄然やる気が出てくるのだろう。
「ええ、まあ、後背の安全は確保できたかな、と」
「ということは我らが配下の出番かな。巨人共が棍棒を磨き、いつ出陣できるのか五月蠅くて堪らなかったのだが」
ウルクは、にやり、と笑うが、ルトラーラはそれに反対の意見を述べる。
「国璽を取り戻し、トリスタンを国王にしたのだ。このままリーザスを包囲していれば、地方の貴族共はこぞって媚びを売ってこよう。それにこのまま包囲を続ければリーザスの王都の食料は尽きる。そうなれば何もせずとも向こうから軍門に降ってくれるのではないか?」
「むう、確かに、そういう考え方もあるな」
ウルクはうなり声を上げる。
「確かにその通りです。このまま包囲していればやがてリーザスは必ず落ちるでしょう。しかし、長期に渡って城を包囲すれば、諸王同盟が動き出す心配もある。もはやローザリアは風前の灯火だ。王権の所在など無視をし、ローザリアに攻め込み、そのまま占領してしまうかもしれない」
「それは有り得るな。というか私が人間の指導者ならば同じことを考える。トリスタンが勝とうともアイヒスが勝とうとももはやローザリアに利用する価値はない。ローザリアを諸王同盟で分割支配しよう、という話になってもおかしくはない」
「でしょうね、魔王軍と諸王同盟に挟まれたローザリアの貴族たちは恐慌状態に陥っているんじゃないかな。どちらに味方すれば生き延びられる、のかと」
「では、できるだけ早いうちにけりを着けた方がいい、というのがアイク殿の見解だと?」
「俺ならばそうしますが、皆さんの意見はどうでしょうか? 早期の城攻めか、それとも包囲網を敷き軍門に降ってくるのを待つか? 挙手を願いたい」
俺はそういうと、強襲に賛成のものは挙手してください、と促した。
まずはサイクロプスのウルクが手を上げる。
彼は心優しい巨人ではあったが、城攻めの専門家だ。
大陸屈指の城塞都市、それも敵の王都を攻められるのは武人の本懐と考えているのだろう。
城攻めに賛同してくれた。
次ぎに同意をしてくれたのは、ラミアのルトラーラだった。
「基本的に城攻めは好かない。城攻めは攻め手が不利だからな。だが、それでも私はアイク殿と同じ考えだ。ここは手早く城を落とし、このローザリアは魔王軍のものだと諸王同盟に知らしめた方が得策であろう」
彼女はそう言うと白い手を掲げてくれた。
俺は魔王様の隣にいる魔女に視線をやる。
セフィーロの意見を聞きたかったからだ。
彼女は勿論、賛成のようだった。
「妾はこの日のために対都市攻略用ゴーレムを建造し、どこに《隕石落下》をぶち込めばリーザスの城壁に風穴を開けられるか研究してきたのじゃ。今さら反対するわけなどあるまい」
と手を上げてくれた。
その姿を見て安心する。
この魔女はへそ曲がりだから、意味もなく反対意見を述べることがある。
流石にこの状況下ではその性悪な性格を押さえたようだ。
有り難いことである。
俺は全員が賛同してくれたことを確認すると、最後に魔王様を見詰めた。
これで魔王様が裁可を下してくれれば、そのまま城攻めに移ることができる。
魔王様の本隊+魔王軍の精鋭4軍団に掛かれば、難攻不落の王都リーザスも風前の灯火だろう。
そう思い魔王様の判断を待ったが、魔王様は思いも寄らぬ言葉を口にした。
「撤退するぞ」
その言葉を聞き、その場にいた軍団長は驚愕の表情をする。
滅多なことでは動揺を見せないセフィーロも驚きの表情を浮かべていた。
恐らくだが、俺の仮面の下の表情も似たようなものだろう。
魔王様の衝撃の発言に言葉を発することができないでいた。
皆、一様に沈黙するが、その沈黙を破ったのは黒禍の魔女セフィーロだった。
「――合理的な魔王様が意味もなく撤退をされる、などとは思えません。なにか理由がお有りなのでしょう? できれば我々にもご説明願いたい」
セフィーロがそう言うと、魔王様は、こくり、と頷く。
「答えは簡単だ。このまま城攻めをするにしても、包囲網を敷き、持久戦に持ち込むにしても負けるからだ」
「負ける? 我々がですか?」
サイクロプスのウルクは問う。
理由はいかに、と続ける。
魔王と呼ばれた少女は明確に答える。
「今し方、西方に布陣していた第1軍団から報告があった。ローザリア西方に諸王同盟の軍隊が進軍を始めた、と。その数は10万。ローザリアの領主たちは抵抗を続けているらしいが、早晩、西部は諸王同盟のものになるだろう、という報告があった」
魔王様はそう言うと頭上に飛んでいる鷹を指さす。
どうやら彼女の使い魔のようだ。
鷹は直滑降に下りてくると魔王様の白い腕に止まった。
魔王様は使い魔を愛しげに撫でると、更に耳障りの悪い情報を伝えてくる。
「どうやら北方からも諸王同盟の軍隊が迫っているらしい。その数は5万だ。西方はローザリア貴族の抵抗、それに配置してある他の軍団長で暫くは持ちこたえられるかも知れないが、北方はほぼ無人だ。このまま座視していれば北方のローザリア領はかすめ取られ、この王都までやってくるだろう。そんな最中城攻めや包囲網にうつつを抜かしていれば、魔王軍は敗退するかも知れない」
ここは引き時だろう。
魔王様はそう言い切った。
俺は周囲のものを見回す。
先ほどまでリーザスを落とす気でいた軍団長たちであったが、今は意気消沈していた。
その落胆の度合いはそれぞれ個性的だったが、皆、一様に表情を陰らせていた。
一同を代表してセフィーロが呟く。
「食料を確保し、大軍を動員し、国璽も取り返し、王手までかけてこのざまですか。いやはや、何百年生きてみても戦というものは分かりませんな」
皆、セフィーロの言葉に共感をしているようだ。
ラミアのルトラーラは、
「ここまでやってきて口惜しい」
と、その美しい顔を歪めていた。
蛇の尻尾も心なしか項垂れているように見える。
サイクロプスのウルクも苦渋の顔をしていた。
「無念」
と、一言漏らすとその単眼を閉じ、物思いにふけっているようだった。
全員が魔王様の報告を聞き、撤退を覚悟しているようだった。
当然だ。
この状況下で楽天的でいられるものは余程の無能か、頭のネジが緩んでいる奴だろう。
魔王軍の軍団長に無能な魔族はいない。
それに魔王様自身、このままここに留まっていても敗北すると結論づけたのだ。
ここで徹底抗戦を叫ぶものはいなくて当然であった。
しかし、そんな最中、一人だけ違う意見をいう魔族がいた。
正確には『人間』がいた。
その頭のネジが緩んだ『人間』は挙手をするとこう発言した。
「魔王様、俺に王都リーザスを瞬時に攻略する策があります。撤退するにしてもその策を聞いてからにして貰えないでしょうか?」
一同の視線が俺に集まる。
ルトラーラはその美しい瞳を、
ウルクはその単眼を、
セフィーロは悪戯心に満ち溢れた瞳を、
魔王様はいつもの無感情な瞳で俺を見詰めてくる。
ただ、皆が一様に俺の策に興味を示してくれているようではあった。
皆が俺に一目置いてくれていることがひしひしと伝わってくる。
一同を代表して魔王様が尋ねてきた。
「その策を用いればリーザスを攻略することが叶うのか?」
魔王様はそう尋ねてきたが、俺は、こくり、と頷く。
「必ずや落とせるのか、とは問わない。戦には天の時がある。失敗することもあろう。失敗を前提に作戦を立てたのではなにもできない。ただし、魔王軍の頭領としてひとつだけ聞きたい。もしもその策が失敗すれば魔王軍はどうなる?」
俺は正直に答える。
「この作戦がもしも失敗に終われば、我が第8軍団は壊滅するでしょう。他の軍団も無傷というわけにはいきませんが、それでも十分再起は可能かと」
なるほど、魔王様はそういうと己の形の良い顎に軽く手を当てるとしばし考え込む。
今度は全員の視線が魔王様に集まった。
魔王様の考えによって魔王軍の運命が定まるのだ。
当然であった。
ルトラーラは俺と魔王様を交互に見詰める。
魔王様はこの新参者をどう評価しているのだろう、そんな風に考えているのかもしれない。
ウルクはその単眼で魔王様を注視している。
彼は軍団長の中でも随一の忠臣だ。
魔王様が命令を下せば、どんな困難な任務も忠実にこなすだろう。
一方、セフィーロは最初こそ魔王様を見詰めていたが、すぐに瞳を閉じ、瞑想するかのように座っていた。
なにか思うところがあるのだろうか。
長年の付き合いであるが、いまだにこの魔女の考えを掴みかねることがある。
もしかしたら俺のことを案じてくれているのかも知れないし、まったく別のことを考えているのかもしれない。
俺は軍団長全員の行動を見ると、最後に魔王様に視線を移した。
相も変わらず陶器の人形のように無表情なお方だ。
その表情からはなにも察することはできなかったが、彼女が俺を信頼してくれていることだけは分かった。
彼女は俺が視線を向けると即座にこう言い放った。
「あい分かった。此度の一件、すべてアイクに一任しよう」
魔王様はそう断言すると、俺に作戦の概要を説明するように求めた。
俺は魔王様の信頼に応えるため、他の軍団長に納得して貰うため、魔王軍の勝利のため、己の策を全て披瀝した。
俺の策を聞いた一同は呆れた表情を浮かべたが、その策に反対するものはいなかった。
今までの実績が信頼感を生んでいるのだろうか。
それとも俺を信じる魔王様を信頼してくれているのだろうか。
それは定かではないが、俺の作戦は全軍団長と魔王様の信認を受けた。
誇らしいことであったが、同時に恐ろしいことでもあった。
俺の行動次第で魔王軍の命運が大きく変わるのだ。
ただの人間である俺には重すぎる責任であったが、それでもその責任を放棄する気にはなれなかった。




