老将アインゴッド
娼婦といえば露出の多い恰好。
例えばリリスのような短いスカートを身につけているイメージがあるが、この異世界の高級娼婦の恰好はそこらの貴婦人と変わらない。
いや、貴婦人よりも貴婦人らしい恰好をしているかもしれない。
前世でも日本という国には花魁と呼ばれる高級娼婦がいた。
彼女たちは大名の奥方よりも華美な恰好をしていたそうだし、どこの世界も行く付く先は同じなのだろう。
アリステアの見目麗しい恰好を見て、そう思った。
俺は娼館の主に紹介状を書かせると、それを携え、王宮に潜り込んだ。
娼館の主は余程信頼を置かれているのだろうか、特に身体検査をされることなく、王宮の中へ入れて貰えた。
「アリステア殿の美しさに説得力があったのかな」
そう感想を漏らしたが、アリステアは返答に窮しているようだ。
それはそうか、高級娼婦に見劣りしない美貌の持ち主、と賞されても本人は返答に困るだろう。
俺は口をつぐむと、夜会が催されている会場のある控え室の間へと向かった。
――無論、途中で道案内してくれている兵士に《催眠》の魔法をかけ、どこか適当な部屋に放り込み、縛り付けるが。
「この者は何時間くらい眠っているのでしょうか?」
「アリステア殿がお望みならば永遠にでも」
アリステアはぎょっとした顔をする。
少し魔族ジョークがきつすぎただろうか。
俺は笑って誤魔化すと、
「丸一日くらいですよ。命に別状はありません。むしろ熟睡をして健康体になるのではないでしょうか」
睡眠とは人間の三大欲求のひとつだ。
飯を食わなくても一月くらいならば生存できるが、人間、2週間睡眠を取らないと死ぬらしい。この男も街を魔王軍に包囲されて眠れぬ夜が続いていたはずだ。
或いは熟睡できて幸せなのかもしれない。
そう説明をすると、俺はアリステアに尋ねた。
「王宮に潜入することは成功しましたが、さて、問題の国璽のありかなのですが、どこか見当は付いていますか?」
アリステアは恐らくですが、とは前置きした上で答えた。
「国璽は王宮の奥にある宝物庫に保管されているかと思われます。厳重に」
「その場所は分かりますか?」
「はい」
とアリステアは言い淀むことなく答えた。
「では案内して貰いましょう。厳重といっても俺は魔術師、門番をどうにかすることもできますし、結界も破れます。例え分厚い鉄の金庫の中にあってもその金庫を破壊してしまえばいい」
「それは頼りになります」
そう言うとアリステアに案内を頼んだ。
彼女は「はい」と元気よく言うと後ろに付いてくるように要求した。
俺は彼女の下男の振りをしながら、王宮の奥へと進んだ。
王宮の警備は思ったよりもザルであった。
数十メートルおきに衛兵が配置されていたが、誰何されることはなかった。
アリステアの艶姿に見とれるものはいても声をかけるものはいない。
大貴族のお手付きであることを恐れているようにも見えたし、ただの職務怠慢にも見える。
大貴族の機嫌を下手に損ね、自分たちに累が及ぶのを避けているのだろうか。
それとも国難に遭って給料の遅配でも続いているのだろうか。
どちらかは分からないが、この職業に扮して正解といえた。
「ここまでスムーズに王宮に潜入できるとは思わなかった」
己の先見の明を誇ったが、それがいけなかったのだろうか、そう思った瞬間、数メートル先にある廊下から複数の人物がやってきた。
その中心に座しているのは一目で大貴族と分かった。
身なりが貴族そのものであったし、貴人独特のオーラのようなものを纏っていた。
どんなに立身しても庶民には得られぬオーラである。
俺は軽く舌打ちしたが、アリステアはその場で足を止め、震えだしていた。
俺は平常心を取り戻すように耳元で囁くが、それは無駄だった。
彼女は貴族の姿を見るなり、
「アインゴッド大将軍……」
と呟いていた。
俺はその言葉と態度で、数メートル先にいる男がこのローザリア軍を統括する人物であると察する。
緊張が走る。
当然だ。
目の前に敵の親玉がいるのだ。
平常心を保てという方が難しいだろう。
アリステアは腰の方に手を伸ばしている。
腰にあるはずの剣を探しているのだろう。
ここでアインゴッドを討ち取れば、アイヒスは切り札である軍事の要を失うことになる。
さすれば彼女の望みであるトリスタンの復位は容易に叶うかもしれない。
だが、俺はそれが無駄であると伝える。
そもそも彼女は剣はおろか、短剣さえ携えていなかった。
この宮殿に入る際、武器の類いはすべて置いてきてある。
俺でさえ徒手空拳だ。
そんな最中、腕利きの騎士や魔術師に護衛されている男を暗殺するなど、愚挙といえた。
俺たちはただ、廊下の横に移動し、彼らが通り過ぎるのを待つだけだった。
アリステアにそう命令すると、彼女も冷静さを取り戻し、俺に倣う。
俺たちが廊下の端に寄ると、アインゴッドとその護衛たちはその横を通り過ぎる。
己の頬の横に一筋の矢が通り抜けるような緊張感に包まれるが、俺たちはただ暴風が過ぎ去るのを待つしかなかった。
――ただ、その暴風はなにごともなく通り過ぎることはなかった。
アインゴッドは俺たちの前でぴたりと止まると、こちらの方へ振り向き尋ねてきた。
「――見慣れぬ顔だな」
低重音の声であった。
見た目は痩せこけ、立派な口髭と顎髭が目立つだけの老人だったが、その声にはある種のカリスマめいたものを感じた。
流石はローザリア全軍を率い、数々の武勲を打ち立ててきた男である。
理知的で野心的な瞳を持っていた。
俺は言葉を失っているアリステアに代わり答える。
「この娘は享楽楼の娘でございます。先日、水揚げしたばかりの娘でして――」
弁明としては妥当なところだろう。
ただ、このアインゴッドという男が白薔薇騎士団の団長であるアリステアの顔を覚えていなければいいのだが……。
もしもこの男の記憶力が想定以上ならば、俺たちの計画はお終いである。
この場で捕縛――されるわけにはいかないので、魔法を駆使し、この場から逃亡せねばならない。
さすれば国璽を奪還することは不可能となる。
それは魔王軍にとってもこのリーザスの住民にとっても不幸を招くだろう。
最終的には魔王軍が勝つだろうが、長引く攻城戦は、双方を疲弊させる。
それだけは避けたかったが――。
そう思い、アインゴッドがアリステアの顔を思い出さないよう祈っていたが、幸いというか幸運なことにアインゴッドはアリステアに一瞥くれただけで何か感づいた素振りは見せなかった。
取りあえず一安心するが、アインゴッドはそれでもその場にたち留まっていた。
アインゴッドは俺の瞳を見詰めると、尋ねてきた。
「そうか。新入りの娘か。また女好きのアルベルト大公が呼んだのだろう。お盛んなことだ」
アインゴッドはそう漏らすと次いで尋ねた。
「そこの下男よ、お主はどう思う?」
「――どうとはどういう意味でしょうか?」
思わず冷や汗が流れる。
当面の危機を脱したかと思われたが、まさかこのような質問をされるとは思っていなかったからだ。
「魔王軍に囲まれている最中、連日のように夜会を催し、乱痴気騒ぎを繰り返すこの滑稽な様を見て、だ」
「……私のような無学なものには計りかねます」
「そうか、お主のような立場ならばそう答えるか」
アインゴッドはそう言うと渇いた笑い声を漏らす。
「しかし、お主のような男の耳にもすでに届いているだろう。この乱痴気騒ぎがただの虚飾に過ぎないことを――」
「虚飾ですか?」
「ああ、アイヒス閣下は恐れている。魔王軍の力を。魔王という存在を。敵軍に取り囲まれ、眠れぬ日々を過ごしておられる。連日のように夜会を催すが、閣下が毎夜出席されるのは敵軍を恐れているのを家臣に悟られぬためだ。それに家臣が裏切らないよう目を光らせている」
「…………」
「小心者だと思ったか?」
肯定するわけにも否定するわけにもいかなかった。
「アイヒス閣下とはそのようなお方なのだ。貧乏貴族の三男が一代で王国宰相までなられたが、あのお方は本当は気の小さき御仁よ。知っているか? 閣下は女は招き入れるが、決して女は近づけぬ。暗殺を恐れているということもあるが、己の臭いを嗅がせぬためよ」
「臭い、ですか?」
「閣下はいつ敵軍が襲ってくるか分からぬため、風呂にも入っておらぬ。暗殺を恐れるあまり、食事もろくに取らぬ。ゆえに香水を振りかけ、己の臭いを誤魔化している。痩せこけたのを悟らせぬため、腹に詰め物をし、頬には綿を含ませている」
「……アイヒス閣下のお立場ならそのご心労は計り知れないでしょう」
「ふ、確かにな。しかし、そのようなお方だが、未だに一人の裏切り者も出ていない。ワシはそれが誇らしい」
アインゴッドはそう言うと己の顎髭を触りながら呟いた。
「ワシはアイヒス閣下の忠臣を気取っているが、そのワシの贔屓目から見ても今回の一件はアイヒス閣下の謀反だ。大義名分など微塵もない」
アインゴッドはそう断言するが続ける。
「しかし、ワシはどんなことになろうともアイヒス閣下を支持する。それが一度主と定めた相手に対する最大限の義理だろう」
「その物言いだと、ローザリア軍は負ける、と言っているように聞こえますが」
「恐らく――、いや、確実に負けるだろうな」
アインゴッドはあっさり肯定する。
「…………」
「ワシは大胆なことを言っているように聞こえるかな? 魔王軍に四方を取り囲まれ、諸王同盟の援軍も期待できない。そんな状況下で勝てるというのならば、そやつの頭の中を見てみたいわ」
「アインゴッド将軍は最後まで交戦されるおつもりなので?」
アインゴッドは「うむ」と頷く。
「この身体が動く限り、最後まで戦うつもりだ」
「負けると分かっていてもですか?」
「負けると分かっているからだ。だからこそ戦う」
「その理由はなんなのでしょうか?」
尋ねる必要のない言葉だったし、アインゴッドにも答える義務はなかったが、アインゴッドは僅かに微笑むとこう返してくれた。
「此度の一戦でアイヒス閣下は破滅される。今はまだ裏切り者は出てこないが、そのうちトリスタン陛下に帰参を申し出る臣下も出てこよう。そんな最中、全員がアイヒス閣下のもとから離れるのは酷ではないか」
一人くらい、アイヒス閣下の盾となり、最後まで戦う馬鹿者がいてもいいではないか。
アインゴッドはそう締めくくると、「かっかっか」と笑いを漏らした。
俺はその姿をしばし見詰める。
それ以上彼に尋ねる言葉はなかったし、そんな雰囲気でもなかった。
ただ、最後にひとつだけ尋ねたいことがあった。
「どうして俺のような男にそのような話をされるのですか?」
ある意味、それが一番の疑問であった。
まさか正体を悟られたのだろうか。
そういう疑念が湧いていた。
しかし、老人は明瞭にそれを否定する。
「さての。自分でも分からない。ただ、お主のようなまっすぐな瞳を持った青年に遺言代わりに聞いて欲しかったのやもしれない。ワシの命はそうは長くないだろうが、ワシの愚かさを誰かに記憶して貰いたかったのかもな」
アインゴッドはそう言い切ると、
「戯れ言だ。気にするな。貴様は貴様の仕事に励め」
と、俺に背中を見せた。
アインゴッド一行はその場を立ち去る。
アインゴッドは老人であったが、その歩調は早かった。
あっという間に俺の視界から消えると、何事もなかったかのように再び時は流れ出した。
俺はアリステアから、「アイク殿」と呼ばれるまで、その場に立ち尽くしていた。




