扮装して王宮へ
戦争中だろうが、国が滅ぼうが、人は物資を必要とするし、竈から火が絶えることはない。
――と言った政治家がいるらしいが、それは事実であった。
包囲網によって物資が入ってこず、物価は高騰しているが、それでも市場はいつものように開かれていた。
いや、それどころか物資が尽きる前に小麦粉や塩といった生活必需品を求める市民が多く集まっていた。
俺とアリステアは、目立たない恰好に着替えると彼らに溶け込むように市場に潜入を果たした。
古来より商人ほど情報に通じている職業はないからだ。
情報とは時に黄金よりも価値を持つ、と彼らはよく知っていた。
事実、彼らはどこで情報を掴んだのか、魔王軍がリーザスを包囲するよりも前に生活に必要な物資を大量に持ち込み、それを市民達に売りつけていた。
如才ないというか、抜け目のない連中である。
俺は世話になった乳母に贈るために高騰している小麦粉と砂糖を買うと、その代価を多めに払い、商人たちから情報を収集した。
最初こそ怪訝な顔をされたが、衛兵に通報するほど暇な商人はいなかった。
それに商人とはおしゃべりな連中でもある。
金さえ掴ませれば情報は惜しみなく話してくれた。
無論、そのすべてが正しいかは不明であるし、中には怪情報もあったが、様々な商人の話を総合的に判断すると、王国宰相アイヒスは、連日のように夜会を開いている、という情報を得ることができた。
「夜会……ですか? それも連日のように、この状況下で……?」
その情報を聞いたアリステアは俺に語りかけてくる。
「なにか不自然なところがあるのですか?」
俺はアリステアに返す。
「いえ、不自然というわけではないのですが、意外だと思いまして」
「どう意外なのですか?」
俺が尋ねるとアリステアは王国宰相の為人を話してくれる。
「アイヒスという人物はトリスタン陛下から王位を簒奪した悪党ではありますが、堕落にふけるような男ではありません」
「ほう」
「むしろ、高潔な人物として知られています。奥方を大事にされる方ですし、夜な夜な夜会を開くようなタイプには見えないのですが」
「王位を簒奪して気が大きくなっているのかな。それとも――」
あえてその先は告げずにそこで言葉を句切ると、俺はアリステアに語る。
「アイヒスがどういう意図で夜会を開いているかは分からないが、ともかく、毎晩のように開いているのならば、それに乗じさせて貰おう」
「と、いいますと?」
アリステアは蒼い瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
「そうですね。踊り子か歌い手にでも変装して忍び込みましょう。旅の一座の座長にでも金を渡して忍び込めばいい」
「なるほど」
彼女は手を打って納得すると、
「あそこに丁度一座がいます。交渉してみますか?」
と、尋ねてきた。
「そうですね、それがいいのでしょうが。問題が二つあります」
「二つですか?」
「はい、ひとつはあの旅の一座の座長が買収に応じるタイプか。買収に応じてくれるのならばそれに越したことはないが、小心者で衛兵に密告するタイプだと困ります」
「確かにそれは大変ですね」
「だからなるべくならば自然な形で一座に潜り込みたい」
「といいますと?」
「これが二つ目の問題です。まあ、簡単に言ってしまうとアリステア殿はなにか芸のようなものはお持ちですか?」
アリステアは満面の笑みで答えた。
即答だった。
「ありません」
彼女は自慢げにいう。
「貴族の令嬢とは小さな頃からピアノやお稽古事漬けにされるものですが、私は幼き頃から剣と兵学の修練に明け暮れていました。士官学校に入るために。そのような私に芸の類いを求めるのは間違っています」
「――なるほど、確かに」
俺自身、芸と呼べるようなものはないので、彼女を非難することはできない。
ならば別の方法を採るか。
そういう結論に達した俺は、裏通りに目を向ける。
この街にも娼館くらいはあるだろう。
王都ならば商人や官吏や貴族向けの高級娼館があるかもしれない。
そう思った俺はそちらに向かうことにした。
毎夜、夜会を行うならば、その手の女性も呼ばれること必定であろう。
話の分かる娼館の主を見つけ、金を渡せば潜り込ませてくれるかもしれない。
それに善良な旅の一座を脅すのは気が引けるが、裏社会の住人である娼館の人間ならば、こちらも力を使うことに躊躇いを覚えない。
前世でもこんな格言がある。
「優しい言葉に暴力を添えたとき、優しい言葉だけよりも多くの贈り物が貰える」
と――。
確かその言葉を残した人物はアメリカという国でマフィアをやっていたはずだが、至言である。
力という奴は時として金銭や言葉以上の力を得ることもできるのだ。
俺はリーザスで一番あくどいという評判の高級娼館に赴くと、遺憾なくその力を見せつけた。
娼館の主に、『断ることのできない申し出』を快諾して貰うと、アリステアに娼婦の恰好をして貰った。
生まれながらの貴婦人にそのような恰好をさせるのは気が引けるが、これで王宮に忍び込めるのならば安いものである。
アリステアも「恥辱ではありますが、これで国璽を取り戻せるのならば安いものです」と了承してくれた。
ちなみに俺は高級娼婦の付き添いの下男という役所だ。
アリステアは、
「アイク殿も女装をされてはいかがですか? 或いは男娼と言い張ることもできますが?」
と、言ったが流石にそれは遠慮した。
女装するほど女顔でもなかったし、男娼と言い張れるほど美形でもなかった。
俺は他人事のように漏らす。
「まあ、王宮に潜り込めさえすればあとはどうとでもなるさ」
そう言うと震えている娼館の主に視線を送った。
優しい目をしているつもりだが、彼は震えていた。
少々力を見せつけ過ぎただろうか。
まあ、密告されて計画が台無しになるよりましだが。
俺は粉々に砕けた彼の部屋の壁に目を向ける。
「やれやれ、俺もちょっとは魔族らしくなってきたかな」
と、今さらながらに自分のあくどさを嘆いた。
ともかく、今宵、この男の紹介ということで王宮に潜り込み、国璽を奪還する。
それが俺の考えた策であった。
成功するかは分からないが、今はそれ以外に王宮に忍び込む方法を思いつかなかった。




