リーザス潜入
イヴァリースの街へ戻ると、俺はサティのもとへ訪れた。
戦地へ赴くため、しばらく彼女の顔を見られない。
これが今生の別れになるわけではないが、長引けば数ヶ月は彼女の顔を見られないのだ。
しばらくで良いから、彼女と二人だけの時間が欲しかった。
俺は執務室で彼女の入れてくれた紅茶を飲みながら、彼女特製のスコーンを口に入れる。
ハチミツとヨーグルト・ソース、それにベリー・ソースの三種が添えられていた。
どれもがサティお手製で戦場では食べられないものだ。
俺は思う存分それらを堪能すると、サティにこう言った。
「さて、またしても戦争だ。しばらくサティの作った料理を食べられなくなるから、味覚の水準が落ちてしまわないか心配だよ」
「でも、代わりにお世辞の水準が上がりますね」
彼女は微笑みと共にそう返してくれると、いつものように験担ぎをしてくれた。
今回は火打ち石ではなく、戦の神の神殿に赴き、護符を貰ってきてくれたようだ。
護符の中には外れのおみくじが入っているらしい。
なんでも『外れ』のおみくじを入れておけば、矢に『当たらない』という伝承があるらしい。
人間の間ではポピュラーな験担ぎのようだ。
俺はその護符に矢が突き刺さって死んでいる兵士の死体をみたことがあるが、敢えてそのことには触れず、
「ありがとう」
と彼女に返し、戦場へと向かった。
愛馬に跨がり、単騎でリーザスに向かう。
すでにジロンとリリスに軍は向かわせてある。
俺の愛馬ならば第8軍団がリーザスに到着する頃に合流できるだろう。
――ジロンとリリスが道中、致命的なミスでもしていなければ、だが。
「あの二人に軍隊を任せるのは焚き火の上で爆薬を扱うような気分だよな」
もっとも、お目付役としてドワーフのギュンターやアリステアもいる。
万が一、という事態にはなっていないだろう。
俺はそう信じながら、愛馬で草原を駆抜けた。
王都リーザス付近で第8軍団と合流を果たした。
俺の心配は杞憂で終わったようだ。
我が第8軍団は、なんの問題もなく、一人の命も欠くことなく、整然と陣を敷いていた。
ラミアのルトラーラ率いる第4軍団、
サイクロプスのウルク率いる第5軍団、
魔女セフィーロの率いる第7軍団もすでに着陣し、リーザスを包囲していた。
敵方の王都を大軍で取り囲む様は圧巻の一言であったが、同時に戦慄も覚える。
今は戦の前の静けさで物音一つ聞こえてこないが、本格的な戦が始まれば辺りは騒乱に包まれるだろう。
王都内部には歩兵を中心に万近い軍隊がいる。
それを取り囲む魔王軍も数万の数。
どちらが勝つにしろ、その数の軍隊が交戦すれば、甚大な被害が及ぶはずだ。
人間を殺したくない、などという泣き言は今さら言うつもりなどないが、できれば双方の被害が最小限で済めば良いとは思っていた。
俺は被害を最小限に抑えるため、さっそく、部下たちを集めた。
集めた部下はオークの参謀ジロンと、アリステアである。
まずはジロンに命令を下した。
「ジロン、俺はアリステアと共に王都に潜入する。お前はリリスと共に第8軍団の指揮に当たってくれ」
その言葉に驚愕するジロン。
「え、旦那、たった一人で王都に潜入するんですか?」
「一人ではないよ。アリステアをともなう」
俺がそう言うとジロンはじっとアリステアを見詰める。
しばらくアリステアを凝視すると、ジロンは俺の側までやってきて、小声で俺の耳元で囁く。
「……リリスの姉御ならともかく、この娘は役立つんですか? あまり頼りになるとは思えませんが」
少なくともお前よりは腕が立つよ。
そう言ってやりたかったが、女よりも弱いと名指しで言われればジロンといえども傷つくだろう。
俺は当たり障りのない返事をする。
「武力の方は期待していない。アリステアには王都の道案内をして貰うつもりだ。王都は広い。それにアリステアは宮殿に何度も足を運んでいる。彼女以上の案内人が他にいるか?」
「そう言われると返す言葉はありませんが……」
ジロンは渋々といった体で認めると、次の疑問を投げかけてきた。
「アリステアを伴うのは良いとして、旦那自身はどうやって潜入するんです? また人間に化けるつもりですか?」
化けるのではなく戻るんだよ、実態はそうなのだが、そう告白することはできない。
俺は少し戯けた口調で返した。
「最近、人間に変装する機会が増えたな。面倒なのでこのまま人間に転生してしまおうかな」
それを聞いたアリステアは嬉々とした言葉を返してくる。
「是非そうして下さい。アイク殿が人間になられれば人間との架け橋になってくれそうな気がします」
「――だそうだが? ジロンはどう思う?」
一応、参謀の意見を聞いてみる。
ジロンはいつもの愛嬌ある顔でこう返してくれた。
「あっしは旦那が人間だろうが不死族だろうが構いませんぜ。ただただ、旦那のお側にお仕えするだけです」
本音なのだろうか、即座にそう返してくれる。
役に立たない参謀であるが、その忠義心だけは我が部下一番なのかもしれない。
そう思った俺はジロンに後のことを托すと、アリステアを伴い。リーザスへと向かった。
リーザスへの道のりは平坦なものだったが、道中、《透明化》の魔法を忘れずに施した。
魔王軍が包囲している中、人間の男女が二人、城に入り込むのは不自然極まりない。
俺たち二人は風景に溶け込むように城壁まで近寄ると、そのままアリステアを担ぎ上げ、《飛翔》の魔法で城壁に飛び移った。
時間帯を深夜に選んだのは城門を警護する敵兵に悟られないようにするためである。
アリステアに、
「もしも敵兵に見つかったらどうしますか?」
と問われたが、俺はこう答えた。
「物語の定番としては、アリステア殿にキスする振りをして、見回りに『お楽しみ中』か、と錯覚させてやり過ごすかな」
その言葉を聞いたアリステアは顔を真っ赤にする。
冗談のつもりで言ったのだが、アリステアは、
「わ、私はまだ、み、未婚でありますが、ア、アイク殿が責任を取って頂けるというのならばその作戦に同意するのもやぶさかではありません」
と、慌てふためいた。
しかし、幸いというか、残念ながらそのような事態にはならなかった。
夜陰に乗じて忍び込んだ俺たちは、敵兵に悟られることなく、そのままリーザスの街へと潜入を果たした。
リーザスの街はまるで墓場のように静まりかえっていた。
完全な戒厳令が敷かれているのだろう。
それに魔王軍に取り囲まれているのだ。
そんな最中、深夜の酒場に集まるような剛胆な人間はいないようだ。
人っ子一人いないので、それを取り締まる衛兵たちの姿も見えない。
ある意味、これほど潜入しやすい環境はなかったが、ひとつだけ困ることがあった。
「さて、これほど静かだと逆に宿屋を探すのに苦労するな」
この王都に何日滞在するかは分からないが、当面の活動拠点となる場所は必要であった。適当な宿屋を探すつもりでいたが、それはなかなか難しいかもしれない。
「この戒厳令の最中、旅人が宿屋に泊まる、というのも不自然極まりないな」
下手をすれば宿屋の主に密告され、そのまま衛兵たちに包囲される可能性もあった。
できればそのような悪手は避けたいが――、そう思案していると、アリステアが俺の服の袖を引っ張った。
「アイク殿、宿屋ではありませんが、宿泊できる施設ならば心当たりがあります」
アリステアはそういうと俺を導いた。
一瞬、彼女の後に続こうか迷ったが、彼女に従うことにした。
少なくともこの王都の地理や情勢には俺よりも遙かに通じているはずだ。
闇雲に歩き回るよりも彼女の意見を受け容れる方が得策であろう。
そう思った俺は彼女に付き従い、リーザスの下町へと向かった。
闇夜に乗じているとはいえ、衛兵には出会さなかった。
運という奴が定量であるならば、そのツケは後で返ってくることになるのだろうが、俺は生憎と運勢定量説を信じていなかった。
幸運が続くと、今は流れが来ている、と解釈するようにしていた。
そちらの方が建設的であるし、気を揉まなくて済むからである。
俺は月夜に照らされるアリステアの金色の髪を目印に彼女の後ろに付き従った。




