サティと市場へ
敵情視察だ。
オークの参謀ジロンにそう言い残すと、俺はサティをともなってイヴァリースの街を出た。
ジロンは、「そのお姿では目立つのでは?」
と、控えめに提案してきたが、俺は案ずるな、と斬り捨てる。
「さすがに街に近づけば魔法で変化する」
ジロンはそれでもそのような任務、部下に任せるべきと主張したが、俺はそれでも自分の目で確認したいことがあった。
――というのは建前で、ろくに街に出たこともないサティを外に連れ出す、というのが目的の一つだった。
あとは、久しぶりにこの窮屈なローブと仮面を脱げる、というのもある。
やはり何日も同じローブと仮面を身に纏っていると気分が滅入る。
物理的にでもあるが精神的にも。
たまには仮面を脱ぎ捨て、1日羽を伸ばすのも悪い選択肢ではなかった。
俺とサティは、ジロンの姿が見えなくなったのを確認すると、森の奥に入り、そこで魔法を使い、大きな穴を掘った。
そこに『不死の王のローブと髑髏の仮面』と『円環蛇の杖』を埋める。
一応、魔法で周囲を探索し、近くに人間、もしくは魔族がいないことを確認して。
正体がばれるのも困るが、この装備を他者に奪われるのはもっと困る。
この装備は祖父が残してくれた形見であると同時に、俺の生命線なのだ。
《土作成》魔法で装備を埋めると、森を後にした。
俺達一行が向かったのは、ローザリア王国の首都、王都リーザスである。
大陸のほぼ中央に位置するローザリア王国、大陸でも有数の列強として知られるが、今は魔王軍の侵攻を受け、国土の半分を占領されている。
そんな国の首都だから、最盛期ほどの熱気はなかったが、それでも人通りは多かった。
いや、戦時だからこそいつもより人は多いのかもしれない。
他国から流れてきた傭兵、他国の紋章を持つ騎士、様々な人物を見かけた。
「やはり、諸王同盟が成立したというのは本当だったか」
「諸王同盟ですか?」
サティは控えめに尋ねてくる。
「有事の際、国家間の利害を廃して結ばれる古の盟約だ」
「サティには難しいことはわかりません」
「要は魔王軍が攻めてきたら喧嘩は一旦やめて、同盟しようぜ、ってことだ」
「なるほど、つまり、一致団結して、魔王軍に対抗する、ということですね」
「その通りだ。過去にこの盟約が発動されたのは三度。その都度、魔王軍は撃退されて、東の端のドボルベルクまで追い詰められた」
「……今回もそうなるのでしょうか?」
「何を心配げにしているのだ。お前は人間ではないか? もしも魔王軍が撤退すれば、自由の身になれるぞ」
冗談の振りをして言ったが、サティは悲しげに首を振る。
「奴隷の子は一生奴隷です。もしも、アイク様に捨てられたら、わたしはあそこにいる子たちのようになるでしょう」
見れば大通りには鉄格子付きの馬車が走っていた。
中に積まれている商品は、物ではなく者であろう。
「……同じ奴隷になるのならば、アイク様の側にいとうございます」
「………………」
俺はしばし沈黙すると、言葉を選んだ。
「……心配するな。同じ轍は踏まない。今の魔王様は歴代の魔王様の中でも最強の力と知恵を持っている、と言われている。今度こそ、人間共を撃退してみせるさ」
少女を心配から解放するために言った言葉だが、自分でも言ってみて驚いた。
あれ? そう言えば俺は何を目的にしているのだろう?
と――。
そもそも、俺は人間だった。
前世でもあるが、この異世界においても完全な人だった。
心情的には人間の味方のはずだが、実際は、魔王軍の旅団長として働いていた。
なぜだろう?
と、自問する。
祖父のためだろうか?
祖父である不死の王ロンベルクは、俺が人間であるにも関わらず育ててくれ、戦い方まで教えてくれた恩人だ。
その恩義に報いたい、という気持ちは当然あった。
魔族に恩があるとまではいわないが、少なくとも借りはある。
そう思っていた。
その借りを返すため、今日まで戦ってきたが、その先にあるものはなんなのだろうか?
俺の心と体は人間である。
一方、育ての親は魔族だ。
できれば両者には戦って欲しくない。
しかし、人間同士はもちろん、魔族同士でも常に争っているのが現実だ。
今更仲良くしろ、だなんていってもそれは不可能であろう。
ならばどちらか一方を殲滅するしかない、というのが魔族と人間共通の考え方だった。
共存だなんて考え方はなかったのだ。
しかし、今は違う。
現魔王様であるダイロクテン様は前世の記憶を持っている人間だ。
それに俺もいる。
このまま魔王軍が世界を制覇すれば、人間との共存もありうるのではないだろうか。
そんなような気がするのだ。
しばし沈黙する。
「………………」
俺の横にいる娘、サティ。
偶然、気まぐれで拾った娘であるが、彼女を拾ってしまって以来、改めて自分が人間であることを思い知らせてくれる。
「……まったく、難儀な娘を拾ってしまった」
この娘と共に過ごすようになり、今まで考えなくて良かったことを考えなくてはならなくなった。
「………………」
しばし沈黙していたためだろうか、サティは不思議そうな顔でこちらを覗き込んできた。
「ご主人様、どうかなさいましたか?」
心の底から心配をしているような目だった。
俺はその視線から逃れると、サティに命令をした。
「俺達の目的は敵情視察だ。さっさと行くぞ」
そう言うと市場へと向かった。
†
「うわぁ、ご主人様これはなんですか?」
サティは南国の果物を指さしながら問う。
「それはオレンジという果物だ」
だと思う。
少なくとも蜜柑ではないだろう。
「それではあの大きなのはなんですか?」
「あれはなんだろ……、丸太だろうか?」
そんなわけないか。
商人に尋ねてみる。
「これは、ファルス王国産のチーズでさ。熟成が進むと木の丸太のように周りが茶色くなるんですよ」
「なるほどな、試食させて貰っていいか?」
商人は、
「へい」
と、頭を下げる。
チーズの大木から削り取った端切れを貰う。
それを口にする。
「ふむ……」
「ええと……」
俺とサティは同時に似たような表情を浮かべたらしい。
商人もそれを想定していたらしく、
「まあ、これでも食べ慣れると極上品なんですがね」
と、笑った。
現代世界でも異世界でもだが、発酵食品というのは、その土地に長年慣れ親しんでいないとキツイものがある。
外国人に納豆が合わないように、日本人はブルーチーズが苦手だ。
その土地の発酵食品を旨いと思うようになったら立派な現地人、というのは、異世界でも共通らしい。
しかし、試食させて貰うと買ってしまうのが、前世の記憶持ちの悲しい性、俺は「ジロンへの土産にでもするか」
と、商人に銀貨を渡した。
「毎度あり」
商人は商売用の笑顔で微笑む。
ちなみに相場よりも多めに渡したのは、この商人から情報を得るためだった。
古来より、商売人という奴はどんな職種よりも情報に長けているのだ。
「この市場は活況なようだが、なにかあるのか?」
商人は一瞬、こちらを見たが、さすがに俺が魔王軍のものだとは思わなかったようだ。
ただの同業者かもの好きか、そんな感覚で話し始めた。
「いえね、旦那も、ご存知かとは思いますが、諸王同盟が発動された、というのは知っていますよね?」
「具体的な情報は知らないが、そのように聞いている」
「正確には、現在、帝国の帝都で盟約を結び、条件を詰める段階に入っているそうなのですが、その前に、ローザリアの騎士を中心に、魔王軍に一矢報いようという話が持ち上がっているみたいでして……」
「なるほどね、だから商人どもがこんなに元気なのか?」
「どういうことでしょうか?」
サティは尋ねる。
「つまり、諸王同盟が成立する前に、魔王軍に手痛い一撃を与えて、ローザリア王国ここにあり、と宣言しておきたいんだよ。そうすれば諸王会議でも優位になれるし、戦後の発言権も増す」
「なるほど、貴族さまは色々と考えて行動されるんですね」
「打算と保身だよ」
いや、博打かな、とも思う。
「正規軍の半分は壊滅、国土も半分占領されている今、反攻に出るのは下策中の下策だ。もしも敗れればこのまま王都を占領されるかもしれないし、そうでなくても、諸王同盟内でのローザリアの立場は最悪になるんじゃないかな」
「なるほど、確かにその通りですね」
商人は暢気な口調で言う。
「緊張感のない奴だな。お前が言ってた最期の反抗作戦も失敗に終わるかもしれないぞ」
「まあ、そのときはそのときです。失敗しても、リーザスが占拠される前に諸王同盟が成立してくれればいい。そうしたらここが諸王同盟の根拠地になる。それはそれで商売のしがいがある」
「その前に魔王軍に支配されたら?」
「それはそれで結構。今の魔王は、冷酷ではあるが残忍ではないと聞きます。それに魔族とて豚肉は食うでしょうし、パンの上にチーズは乗せたくなるのが人情でしょう。正直、亡国だの戦争だの、手前どもにはあまり関係ありません」
なるほど、魔王様の評判は末端の人間にまで行き届いている、ということか。
人間たちの抵抗や反乱が最小限に抑えられているのは、やはり魔王様の統治方針によるところが大きいようだ。
改めてそれを確認すると、俺は必要最小限の物資を買い込み、イヴァリースへと戻った。
ローザリアの騎士たちが最後の反攻に打って出るというのだ。
その最前線の一つとなるのは確実にイヴァリースであった。
今から戦の準備をしておくに越したことはなかった。




