表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
119/186

伝説の大海蛇の陰

 航海5日目、味気ない食事にも馴れてきた。

 むしろエルトリアの方が不満を口にし始めた。


「過度の美食は避けるべきだね。この堅いパンにも些か飽きてきた」


「保存性重視の堅焼きパンですからね。水分は飛ばしてあります。不味いのは当然でしょう」


「それと芋のローテーションだ。本当に飽きるね」


「主食はそれらですが、スープは毎日変わるでしょう?」


「基本、日持ちするタマネギだがね」


「昨晩はトマトも入っていましたよ」


「もうじきストックが尽きるからこれからは毎日がタマネギだよ。宣言しよう、私は無事、港に帰還したら、二度とタマネギは口にするまい、と」


「いいのですか? オニオンフライは美味しいですし、ミート・ソースも口にできなくなりますよ?」


 タマネギという食材は旨味と甘みが凝縮されている。それを避けるということは必然的に美食から遠ざかるような気もするのだが――。


 俺がそのことを指摘すると、彼女は声を小さくし、

「……ならば一週間ほどだけ控えよう」

 と前言撤回した。


 その姿を見て少しだけ微笑ましくなる。

 なんだかんだでこの人もユリアの母親なのだな、と思った。

 気まぐれで我が儘なところに同じ血筋を感じる。


 そんな風に思っていると、部下である二人の娘達がやってきた。

 サキュバスのリリスと、エルフのアネモネである。

 彼女たちも食事の不平を俺に言いに来たのだろうか? 

 ならばお門違いであったし、そもそも俺にはどうしようもできないのだが。

 そう思ったが、違うようだ。

 彼女達はこの海鷲号の船長代理から言づてを預かっているらしい。


 アネモネ曰く、

「船長代理さんが、そろそろ危険な海域に差し掛かっている、とアイクさんとエルトリアさんに伝えてこい」

 とのこと。


 その報告を聞いた俺はエルトリアの方を振り向くと、視線を交差させた。

 それでは甲板に出ますか、そう問うまでもなく、彼女も俺の後ろに付き従ってくれた。

 船室から甲板へと出る。

 扉を開けた瞬間、光が俺の目に飛込み、どこまでも続く水平線が俺の前に広がった。



 甲板に立つと、この船の船長代理を務める中年の男がエルトリアに尋ねてきた。


「お嬢様、例の海域に着きましたが……」


 お嬢様という歳でもないだろうに、と心の中で突っ込みを入れたくなったが、それは控えるべきだろう。


 彼はエルトリアが船に乗っていた現役時代から仕えてくれている側近らしく、うら若き乙女時代のエルトリアのことをよく知っているのだそうだ。


「まったく、困ったものだよ」


 と、自分で言うと、甲板の(ふち)へ赴き、海を覗き込んでいた。

 俺もそれにならう。

 真っ青な海だった。

 透明度が高い。


 前世のように生活用水や工業用水が垂れ流れることもなく、原初の海に近い環境を保持しているのだろう。


 どこまでも深い青色が続いていた。

 船の旅は二度目だが、この美しい海は何度見ていても飽きない。

 前回もサティと共に甲板に出ては、日がな一日海の色を眺めていたこともある。


「美しい海ですね」


 俺がそう言うとエルトリアは「ああ」と首肯(しゅこう)する。


「――ただし、この海の底に大海蛇(シーサーペント)やクラーケンなどが潜んでいなければ、だがね」


「そうですね。海は浪漫に満ち溢れていますが、同時に恐怖にも満ちています」


 海という奴は様々な顔を持っている。


 穏やかで美しい昼の海、恐怖と畏怖に満ちた闇夜の海、それに大型の帆船が笹舟のように思えるような荒れ狂う海。


 海という奴は神秘にも満ちているが、同時に魔性の側面も持っている。


 幸いと荒れ狂う海という奴は体験したことはないが、この澄み切った海の底に化け物が潜んでいると思うとぞっとするのは確かである。


 ただ、同時にワクワクしてしまうのは男の悲しい(さが)であろうか?

 巨大生物という奴はどうしてこう男の心をくすぐるのだろう。


 前世でももしもメガロドンや首長竜が生き残っていて、大海原のどこかにいれば、と夢想したことがあった記憶がある。おぼろげではあるが。


 それに今回のシーサーペント討伐も実は恐ろしい気持ちより好奇心の方が勝っている。

 大型帆船を何隻も沈めるような巨大な怪物など、早々見られるものではない。

 海の上とは無縁な生活を送っている俺だ。


 それに船を何十隻も沈めるような超大型種は、数十年に一度しか現れず、船乗りでも一生目撃しないままその生涯を終えることが多いらしい。


 そういった意味ではある意味貴重な体験ができるのかもしれない。

 そう思っているが、勿論、口には出さなかった。

 不謹慎であることは自覚しているからである。


 目の前の赤毛の女性にしてみれば、大勢の部下を殺した憎き敵であり、ゼノビアから富を奪う災厄でもあるのだ。


 俺は努めて謹厳な表情を取り戻すが、少々遅かったようだ。

 表情や仕草からばれたのだろうか、エルトリアは俺の心を覗いてきたかのように尋ねてきた。


「どうやら君は恐れよりも好奇心が勝っているようだね」


「…………」


 本当に鋭い女性だ。ある意味セフィーロよりも厄介かもしれない。

 しかし、セフィーロよりは話の分かる人物でもあった。


「いや、窘めているつもりはないよ。男子たるもの、それくらいの気概が欲しい。それに海の男に必要なのは、臆病風より好奇心だ、と私は思っている」


 と言うと彼女は続ける。


「ゼノビアが南洋に進出して数百年。5つの海をまたに駆けるようになって100年ほどだが、好奇心の強い男達によって多くの航路が発見され、新しい島々や特産物を見つけてきたのだ。君のようなタイプの男がこの大海原を冒険し、ゼノビアを豊かにしてきたのだよ」


「男だけではないでしょう。『女性』も混じってますよ」


「そうだった。私を勘定に入れ忘れていた」


 彼女はそう言うと豪快に笑う。


「まあ、そんな男が我がオクターブ家の婿になってくれるのだから有り難い。それにそのような勇敢な男が船に乗ってくれているだけでこちらも心が安らぐよ」


「……そうだといいのですが」


「その言葉はどちらの方に掛かっているのだ? 婿になってくれる、と解釈してもいいのかな?」


 彼女は我が元上司セフィーロのような表情を浮かべると、そう尋ねてきたが、俺からの回答は得られなかった。


 俺がお茶を濁したからではない。

 突如として半鐘が鳴り響いたからだ。

 見上げればマストに設置された見張り台にいる水夫が、力一杯に半鐘を叩いていた。

 青銅で作られたそれは耳をつんざかんばかりの音を発していた。


「やれやれ、婿取りの話になると、いつも誰かに邪魔されるような気がするのは私だけかな?」


「いえ、俺もそんなような気がします」


「頬が緩んでいるように見えるが、そこは突っ込まないでおこう」


「それは助かります」


「無論、諦めたわけではないので、その辺は勘違いしないように」


 エルトリアは傲然とそう言い放つと、船員達に指示を送り始めた。

 海の女としての顔を取り戻していた。

 俺はそれを確認すると、《飛翔(フライ)》の魔法で空に飛び上がった。

 大海蛇様という奴を確認するためである。

 マストよりも高く飛び上がり、数秒ほど空中に留まると、悠然と海原を見下ろした。

 確かに見張りの主張通り、遠くから黒い影が見える。


 目測になるが、少なくとも大型帆船と同じくらい。いや、それ以上に巨大な影が蛇行するようにこちらに向かってきていた。


 速度はかなり速い。


 順風の時の大型船に匹敵する速度だろうか、このままでは数十秒後に接敵し、先頭の戦艦に絡みつくかと思われる。


 俺はそのことを《念話》の魔法でエルトリアに伝えた。

 彼女は言葉によって返信することなく、行動によって返信してくれる。

 旗艦である海鷲号の砲撃手に手早く大砲を放つように命じる。

 半鐘の音よりもけたたましい轟音が俺の耳にも届く。

 弧を描くよう放たれた砲弾は、水面下に潜んでいた巨大生物の背中に命中したようだ。

 思わずお見事、と心の中で賛辞を送る。

 大砲を輸出するようになってまだそれほど月日が経ったわけではないが、見事に使いこなしている。

 その腕前は我が第8軍団に所属するドワーフの砲撃手と同等か、それ以上と思われた。

 大砲の練習射撃には莫大な金と労力が掛かる。

 それに大砲という奴は勘で撃つものではない。

 専門の兵が、綿密な計算の元放つのだ。

 高度な数学の知識と、たゆまぬ努力がなければ砲兵になることはできない。


「この短時間でこれほど訓練をするとは、ゼノビアの、いや、エルトリアさんは侮れないな」


 俺はそう漏らすと、心の中でこう付け加えた。


「やはり通商連合には魔王軍に完全に協力して貰い海軍力の一旦を担って貰おうか?」


 海を制するものは世界を制する。

 かつて大英帝国と呼ばれた国がある。

 日の沈まぬ帝国と謳われたかの国も、その圧倒的な海軍力によって歴史上空前の大帝国を作り上げた。

 魔王軍もかの国に習うのであれば、当然、海軍力の増強は必須となるだろう。

 半魚人(サハギン)や他の海生魔獣だけの混成部隊では少々心許ないところがある。


「まあ、その辺は俺のような中堅幹部が悩むことではないか」


 ぼそりと漏らす。我らが魔王軍の総大将は戦国時代に終止符を打ったかの織田信長公だ。

 彼女ならば進言をせずともすでになんらかの準備をしているはず。


 なにせ彼女は『鉄甲船』なる兵器を作り出して海戦でも日本史の歴史を塗り替えた人物なのだから――


 そんな構想を練っている間に、エルトリアは次弾の装填を始めた。

 次は更に正確に大海蛇の背中に命中する。

 シーサーペントは堪らず海面からその巨体を突き出し、大きなうなり声を上げる。

 腹の底にまで響かんばかりの大声であった。

 聴覚の良いエルフのアネモネなどは思わずその尖り気味の耳を塞いでいる。

 一方、リリスの奴は平然としていた。

 魔獣の咆哮に馴れている、ということもあるのだろう。

 その対比が面白かったが、俺は《飛翔》の詠唱を止めると、甲板に降り立ち、彼女たちに声を懸けた。


「さて、あれが件のシーサーペントだが、どう思う」


 二人は同時に答える。


「思ったよりも大きいですね」

「思ったよりも大きいです」



 見た目の話から入るのがなんだか彼女たちらしくて良かった。

 それにあの巨体を目にして臆していないところが頼もしい。

 俺は尋ねる。


「あんな化け物を見て怖くは無いのか?」


 またも二人は同時に首を振る。



「ちっとも」

「全然」



 どうしてだ? と問うまでもなく彼女たちは理由を答えてくれる。


「今まで、アイク様が指揮をとった戦で負けたことってありましたっけ?」


 とはリリスの言葉だった。


「幸いなことにないな、一度も」


「ならば負けませんよ。ささ、さくっとやっちゃいましょう」


 と、己の腰に下げていた武器を抜き放つ。

 魔力が付与されているレイピアは怪しげな光を放っていた。

 一方、アネモネも真銀製の一品を抜き放つ。


「幸い、ここは海の上、風精霊(シルフ)水精霊(ウィンディーネ)の力に満ち溢れています。戦争よりもお役に立てると思いますよ」


 彼女はそう宣言すると、ふわりと宙に浮いた。

 さっそく風精霊の力を借り、己に浮力を与えたようだ。


 リリスもそれに負けじと《飛翔》の魔法を唱えるが、加減が難しいのだろうか、アネモネのように上手く空中で停止することはできない。


 その姿を見るとアネモネの方が頼もしく思えるが、気にすることなく俺は彼女たちに指示を出した。


「さて、砲撃の方は俺たちが口を出す問題じゃないな」


「そうですね、餅は餅屋、砲撃屋は砲撃屋といいますし」


「その通り、素人が口を出すものじゃない。それにエルトリアさんの指示は完璧だ。巧みに艦隊に指示を出し、シーサーペントを取り囲むように間断なく砲撃を加えている」


「先ほどから砲撃とシーサーペントの咆哮が五月蠅くて堪りません」


 と、アネモネは大きな耳を両手で塞いでいる。


「聴力の良いエルフ族には気の毒な状況下だが、まあ、戦況が有利である証拠だ。我慢してくれ」


 ただ――、と俺は付け加える。


「有利とは言ってもそれは最初だけだろうな」


「このまま砲撃だけで勝つのは不可能だと?」


 アネモネは尋ねてくる。


「それだけで勝てるほど甘い相手ではなさそうだ」


 怒り狂うシーサーペントを指さす。


「見ろ。確かに的確に砲撃を当ててはいるが、皮膚は鉛玉の砲撃を弾き、炸裂弾の火薬はすぐに鎮火している」


「本当だ。稀にめり込んでるのもありますが、数個に一個の割合ですね。それに傷も浅い」


「ああ、流石は数十年に一度の周期で現れる伝説の怪物だよ。大砲くらいではびくともしないらしい」


「びっくりですね。流石は伝説(レジェンド)。このままだと前回のように艦隊が全滅ということも……」


 アネモネが不吉な予言を口にした瞬間、怒り狂ったシーサーペントの尾が天高く振り上げられ、振り下ろされる。


 その一撃は討伐艦隊の海鳶号の甲板に突き刺さる。


 シーサーペントの尾の質量は凄まじく、その一撃だけで船はひしゃげ、多くの船員の命が失われた。


 その光景を海鷲号の上から見ていたリリスは、「あちゃー」と漏らすと、

「このままだと前回の二の舞になりそうですね」

 と、溜息を漏らした。


 確かにそうなりそうではあった。


 たったの一撃で海鳶号を戦闘不能状態にしたシーサーペントは次ぎに海鷹号に狙いを定めたようだ。その蛇のような巨体で海鷹号に巻き付き、船を粉砕しようとしている。


 纏わり憑かれた海鷹号の水夫達は剣で必死の抵抗をしているが、それも空しかった。

 全体重をかけた一撃も、シーサーペントの鋼のような鱗の前では無駄な抵抗のように見える。


 一部、魔力を付与した武器の所有者の一撃は辛うじて鱗を貫いていたが、肉厚なシーサーペントの攻撃の前では無意味だった。


 水夫たちの一撃は致命傷に至ってはいない。

 大砲も効果が薄い、接近戦も決め手にならない。

 こうなってくると対処のしようがない。

 海鷲号の水夫達にも動揺が走っているのが手に取るように分かる。

 それを肌で感じ取った俺は、リリスとアネモネに指示を下す。


「砲撃だけでなんとかなる、というのは都合が良すぎる案だったようだな。ここはプランBで行こう」


「プランBですか?」


 きょとん、とした顔でリリスは尋ねてくる。

 どうやらこいつは先ほどの作戦会議で居眠りをしていたようだ。

 俺は飛翔の魔法でリリスのもとへ近寄るとリリスの首根っこを掴み、彼女を放り投げた。


「俺たち魔王軍のものが特攻して活路を開くんだよ」


 突如として放り投げられたリリスだが、怒るようなことはなく、逆に、にやり、と白い牙を覗かせる。


「流石はアイク様です。実は砲撃戦だけで終わってしまったら、勿体ないと思っていたところでした」


 リリスは嬉々としてそのままシーサーペントの方へ跳躍していった。

 俺はエルフのアネモネの方へ振り向くと、互いに視線を交差させた。

 彼女は命令されるまでもなく、風精霊の力を使いシーサーペントのもとへ飛んでいった。

 アネモネの美しい金髪が潮風に舞う。

 俺も彼女の煌めく金髪を追うかのように《飛翔》の魔法を詠唱し、シーサーペントに接近した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ