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少女たちと巡る観光地

 その後、延々とユリアの話に付き合わされた。


 曰く、


「アイク様が戻ってこられるまで、ずっと花嫁衣装を作らせていました。もうとっくに完成しているのですが、どこかデザインに不満なところはありますか? わたし的には絹のレースが少し派手すぎるような気がするのですが?」


 とか。


「アイク様が戻ってこられるまで、ずっと花嫁修業をしていました。今ではスクランブルエッグが作れるんですよ! 普通の目玉焼きは潰れてしまって作れませんが……」


 とか。


「アイク様が戻ってこられるまで、ずっと編み物のお稽古を受けていました。今では羊毛のマフラーが作れるようになりました!」


 と、マフラーだか雑巾だか区別の付かないようなものを見せられた末、深夜になると解放してくれた。

 ちなみに寝室に戻った後、ドアに強力な《施錠(ロック)》の魔法をかけた。


 案の定、しばらくした後、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえたが、犯人はユリアかリリスかは不明だ。


 アネモネやサティでないことだけは分かるが、明日、それとなく探りを入れてみよう、そんな風に思いながら、豪奢なベッドに身を預ける。




 昨晩俺の部屋に忍び込もうとしたのは、ユリアとリリス双方だった。

 ほぼ同時にドアノブに手を添えて、それで喧嘩になったらしい。

 


「アイク様の夜伽(よとぎ)をするのはわたしよ!」


「いいえ、アイク様と初夜を過ごすのはわたくしです」



 その後、小一時間に渡って俺の寝室の前で喧嘩をしていたらしいが、勝敗は着かなかったようだ。

 今朝、食事のときに二人は顔を合わせたが、二人とも視線を合わせようとはしない。

 冷戦中のようだ。

 まったく会話のない食事というのも味気ないので、俺はユリアに質問を振ることにした。


「昨晩は寝付けましたか?」


 無難な話題というか、それくらいしか尋ねることはない。


 話題を振られたユリアは表情を崩すと、「はい。アイク様のおかげでぐっすりと眠れましたわ」と返してくれた。


「それはなによりです」


 と笑みを浮かべて返すと、食事を続ける。

 オクターブ家の食卓は想像以上に豪華だった。


 パンは全粒粉ではなく、小麦のみで作られた最高のものだ。隠し味に蜂蜜を練り込んでいるらしく、ほんのりと甘い。


 添えられたスープも朝食にしては豪華だ。


 牛のテイル、つまり尻尾を煮込んだスープで、下品にならない程度に香辛料が振りかけられており、食す人間の食欲を刺激してくれる。


 それに生野菜のサラダも添えられているのが心憎い。この中世めいた異世界において新鮮な野菜が食べられる、というのは贅沢の証だ。


 運送技術・冷凍技術が発達していない以上、都市部で新鮮な野菜を手に入れるのは難しい。


 オクターブ家ほどの財力があれば、魔術師を雇い、《凍結(フリーズ)》の魔法で遠方から取り寄せることもできるのだろうが。


 ただ、ユリア曰く、これは市場から入手したものではないらしい。


「これは庭にあるオクターブ家の専用農園で採れたものですわ」


 と教えてくれた。


 流石はゼノビア一の豪商だ。この広大な庭には専用の農園もあるのか。


「母上は家庭菜園が趣味なんです」


 とも補足してくれる。

 正直、意外な趣味だと思ったが、彼女ほど忙しい人物でも趣味は必要なのだろう。


 今も軍艦の手配と同時に商人としての仕事もあるから、と執務室に籠もりながらサンドウィッチを食べているらしいが、時間ができれば彼女自ら菜園に立ち、植物の世話をしているらしい。


 女性らしいと言えば女性らしいし、商人らしくないと言えば商人らしくない趣味だ。

 土を弄っている時間だけが安らぎの時なのかもしれない。


 前世でも、独眼竜と呼ばれた戦国武将の趣味が料理だったり、徳川家康の趣味が薬作りだったり、英国のチャーチル首相の趣味がレンガ積みだったりする。


 歴史上の偉人と呼ばれる人物も、どこかで息抜きをし、精神の安寧(あんねい)を計っていたのかもしれない。


 そう思いながらエルトリアの育てたトマトを口に運んでいると、ユリアは話しかけてきた。


「あの、アイク様、宜しければですが、午後から一緒に街へ出かけませんか?」


 と提案してくれた。


「街、ですか?」


「はい、街です」


「それは構わないのですが、御身を今、危険に晒すのは控えた方がいいのではないですか?」


「そうかもしれませんが、わたくしが生け贄候補に選ばれてから、一度もこの館を出ていないのです。このままですと息が詰まりそうでして……」


「なるほど」


 彼女の気持ちを理解できた俺は、「それでは気晴らしに街を案内していただけますかな?」とこちらから申し出た。


 その言葉を聞いたユリアは、幼子のような笑顔を浮かべると、


「ありがとうございます、アイク様」


 と、席から立ち上がり、くるり、とその場で一回転し、喜びを全身で表した。


 その姿を見て、メイド長と思われる女性は、「……こほん」と軽く咳払いをする。

 お嬢様、はしたないですよ、という意味なのだろう。

 ユリアはすぐに席に座ると、淑女らしくお上品にナイフとフォークに手を戻す。

 しかし、一瞬、メイド長が視線を離すとそちらの方へ振り向き、「べー」と舌を出す。

 曰く、あのメイド長は小言が五月蠅くて好きではないそうだ。

 それは何となく共感できるが、その姿を見て俺は思った。

 この数ヶ月、ユリアは花嫁修業に明け暮れていたらしいが、その成果はあまりなかったようだ、と。

 彼女の夫となる人間は大変だな、そう思ったが口には出さなかった。

 失礼になると思ったのと、よくよく考えてみれば、彼女の婚約者は『俺』ということになっている。


 無論、彼女との婚約は口約束でしかないが、彼女が俺の花嫁にならない、と断言できるほど俺は楽天家でもなかった。


 俺は未来の自分が正しい選択をしていることを祈ると、手のひらに残された一切れのパンを口の中に放り込んだ。


 焼きたてパン独特のいい香りと甘い味が口の中に広がった。





 朝食を食べ終えると、俺とユリアは街へ出かけた。


 二人きり――、ではない。


 我がメイドであるサティにも同伴して貰っている。


 サティは最初、「サティがお供してもいいのですか?」と困惑したが、それに関しては「いいんだ」としかいえない。むしろ付いてきて貰わないと困る。


 サティには『ある種の護衛』も兼ねて貰うつもりでいる。

 女性を伴えばユリアも変な真似はしてこまい、と考えたのだ。

 例えば白昼、衆目の前で抱きついてくるとか、暗がりに押し込まれるとか。


 ――というのは冗談であるが、あまり外の世界を見る機会が少ないサティを一緒に連れて行くのは正解であろう。


 普段はイヴァリースの街に籠もり、俺の身の回りをしてくれているのだ。

 たまには彼女を持てなすのも主の努めだと思われた。


 俺がそのことを伝えると、サティは、

「ありがとうございます、ご主人さま」

 と天使のような笑顔を浮かべた。


「ですが、ご主人さま、アネモネさんは連れて行かないでいいのでしょうか?」


「連れて行かなくていい」


「なぜですか? 彼女は大都会に憧れていると言っていましたが」


 だから連れて行かないんだよ、と俺は即答する。


「というか、言われずとも朝から行方不明だよ。朝食の茸のサンドウィッチを食べたらそのまま飛び出ていった」


 サティはその言葉を聞くと、

「彼女らしいですね」

 と、微笑んだ。


「ああ、でも俺はちょっと心配している。一応、ゼノビアで流通している銀貨を数枚もたせたが、悪い奴に騙されないといいけど」


「アネモネさんは少し世間を知らないところがありますからね」


「――少し? かな。今頃、奴隷商人に、綺麗な服を着せて、白いパンを沢山食べさせてあげる、と言われてノコノコついていっているような気がする」


「あ、ありそうですね……」


 サティは、微妙な顔をする。


「まあ、その後、奴隷商人をボコボコにする未来図も浮かぶけどな。アネモネの剣術はなかなかのものだ。リリスには及ばないが。それに彼女は精霊王クラスの精霊を召喚できる精霊使いだ。彼女の心配よりも奴隷商人の心配をすべきかもしれない」


「そうですね――。手加減をしてあげるといいのですが」


 そんなことを話していると、案の定、ユリアは頬を膨らませる。

 

「アイク様にサティさん、いつまで二人で話しているのですか? このままだと日が暮れてしまいますわ。ゼノビアの街には名所が一杯あるのです。さすがにすべてご案内することはできませんが、このままだとちょっとしかご紹介できません」


 俺たち二人はユリアに視線を向けると、同時に呟く。


「まあ、アネモネの心配よりもまずは我が儘なお嬢様のご機嫌取りだな。そちらの方が重要だ」


 俺はそう漏らしたが、サティは「そうですね」とは肯定しない。

 相も変わらず皮肉一つ言わない娘だ。

 奥ゆかしいというか、慎ましいというか、メイドになるために生まれてきたような娘だな。

 そう思ったが、そう口にする暇もなく、ユリアに腕をひっぱられる。


「さあ、早く参りましょう。アイク様」


 彼女はそう言うと腕を組み、頬を俺の腕にすりつけてくる。

 周りからは恋人か婚約者のように見えるだろうが、一応、婚約者なので問題ないだろう。

 俺は彼女に言われるがまま、ゼノビアを案内されることになった。





「ゼノビアの名所はなんといっても中央広場に面している大きな時計台ですわ」


 とはユリア嬢の言葉だった。


 なんでもゼノビア出身の有名な建築家がデザインした巨大な時計台で、建築に100年の歳月を要したらしい。


 前世でいえばロンドンの大時計台(ビッグ・ベン)に近いだろうか。

 恋人達の待ち合わせの定番スポットになっているらしい。


 曰く、

「夫婦のわたしたちには不要ですよね」

 ということだが、いつから夫婦になったのだろうか。


 その辺は無視しておくが、取りあえず、迷子になったら、この時計台の前に集合、ということになった。


 もっとも、こんなに腕を組まれて密着されたら迷子になりようがないが。

 


 さて、次ぎに案内されたのは、ゼノビアの魚市場だった。

 これは俺の希望だ。

 貿易都市ゼノビアは貿易を主産業としているが、漁業も産業の中心である。

 南洋特有の珍しい魚介類が並べられている。

 さっそく、好奇心で胸一杯になるのはメイドのサティであった。


「こんな珍しいお魚みたことがありません」と、はしゃぐ。


「そんなに珍しいのですか?」


 とはユリアの言葉だったが、俺が代わりに答える。


「我が領地イヴァリースは内陸都市なのです。新鮮な魚介類は手に入りにくい」


「まあ、それはそれは、それではお刺身とかは食べたことがないのですか?」


「ないですな」


 前世ではあるけど、とは答える必要はないだろう。

 というかこちらの世界でも地域によっては生魚を食べるのだな。


「イヴァリースでも魚は食べられますが、鮮魚はなかなか手に入りません。北方から魚の干物を輸入するか、川魚を焼いて食べるくらいです」


「川魚をお刺身にはできないのですか?」


「川魚には寄生虫がいます。生で食べるととんでもないことになりますよ」


「まあ、それは怖いですわ」


 と、大きく口を開け、それを手で押さえるユリア。


 パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない、的な言葉であったが、彼女に触発された俺は、市場で活きのいい青魚を購入する。


 後で自分でさばいて刺身でも食べよう。

 そんな風に考えながら、次の観光地へと案内された。

 ユリアの言葉通り、ゼノビアは広い。夕刻まで案内されたが、徒歩だったためくたびれてしまった。

 だがそれでもユリアだけは元気だった。


 馬車移動が主なはずのユリアだが、どこにそんな力を蓄えていたのだろうか、俺とサティは不思議そうな顔を付き合わせたが、翌日、筋肉痛と疲労でユリアは寝込むことになる。


 そんな楽しい日々を過ごしながら、戦の準備が整うのを待った。

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[気になる点] 貿易の条件として婚約を受け入れたのに結婚するかは解らないみたいな言い方するのは普通にクズ過ぎでは? 個人間の口約束でなく魔王軍の名代として受け入れた条件なのに個人の感情で履行するか否…
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