大海蛇の恐怖
所用がある、と客間からエルトリアが立ち去った後、俺の横にちょこんと座っていたサティは不思議そうな視線を投げかけてきた。
「ご主人さま、シーサーペントってなんですか?」
俺の代わりに答えたのはサキュバスのリリスだった。
「相変わらずものを知らない小娘ね。シーサーペントってのは、海に住む大きな蛇のことよ」
お前が他人に講釈をするか、と突っ込みたくなるが、事実なので何も言わない。
脳みその容量が少ない娘であるが、一応は魔族の端くれ、魔物に関する知識は持ち合わせているのだろう。
先ほどエルトリアが見せてくれた絵画を指さすと、
「まさにあの絵画のような化け物だよ。大型帆船よりも大きく、その巨大で船に巻き付き、船を沈める」
と説明する。
「そんなお化けみたいな生き物が海には住んでいるのですね……」
サティは怯えるが、それには俺も同意だ。
前世の海でも30メートルに及ぶ巨体を持つ大鯨、20メートル近いクラーケンのようなイカも実在するのだ。
ドラゴンやゴブリンが存在するこの世界においてシーサーペントが存在しない方がおかしい。
「さて、あの絵から見るに大きさはシロナガスクジラよりも大きいのだろうな」
「鯨さんよりも大きいのですか」
「絵から推測するにな。それにエルトリアの話や船乗りの恐れようを聞く限り、30メートルはくだらないんじゃないかな?」
まるで白亜紀やジュラ紀の恐竜といった感じだ。
「さて、そんな化け物をどうやって倒せばいいのだろうか」
俺は頭を悩ませる。
その様子を見て、暢気に声をかけてきたのはエルフのアネモネだった。
彼女は控え目に挙手すると、質問してもいいでしょうか?
と尋ねてくる。
「構わない。それにここは軍議の場ではないよ。挙手は不要だ」
アネモネはその言葉を聞くと、「そうですか、それは助かります」と前置きした上で質問をしてきた。
「あの、アイクさんって、魔族なんですよね?」
「一応な」
今は人間の姿に変装しているが、イヴァリースに戻れば泣く子も黙る第8軍団の長、ということになっている。この騒がしい娘たちに囲まれていると時折、忘れそうになるが。
「魔王軍の幹部ならば、シーサーペントなんて仲間のようなものではないのですか? 普通に使役することはできないのでしょうか?」
なるほど、確かにいい質問であった。
魔王軍には多くの魔物が存在しており、彼らの力を借りている。
『魔王軍』の実情を知らない人間や亜人たちから見れば、シーサーペントなど魔族の仲間にしか見えないのだろう。
サティも似たような疑問を口にする。
「サティも同じ疑問を思っていました。魔王軍にはモンスターの方々が一杯いますよね。シーサーペントさんも説得して仲間にすることはできないのでしょうか?」
その質問にリリスは、「馬鹿ね、そんなことできたらこんなに悩むわけないでしょ」的な顔をしたが、俺はそれを制するとサティとアネモネに説明をした。
「確かに魔王軍には魔族だけで無く、魔物と呼ばれる種族も多く参加している。ただし、なにごとにも例外はある」
「例外……ですか?」
アネモネはそう口にする。
「例えばドラゴンだ。知能があるドラゴンは誇り高いがゆえに魔族との共闘を拒み、森や山の奥でひっそり暮らしていることもある。知能の低いワイバーンなどは魔族が使役していることも多い。もっとも、人間の学者にいわせるとワイバーンはドラゴンではないと分類されているらしいが」
「確かに第8軍団にもワイバーンを飼っている部隊がいましたね。エサを上げているオークをみたことがあります」
「そうやって魔物を飼い慣らす例もあるな。多くの場合、魔族は魔物を飼い慣らすのに長けている。だから魔王軍には魔物が一杯いるんだ」
「魔族は魔物を調教するのに長けている、というわけですね」
「まあ、その通り。人間よりも気が合うのかな。それとも魔族から出ているフェロモンと相性がいいのかもしれない」
それは人間である俺には分からなかったし、深く考えたこともないが、ともかく、魔物を飼い慣らすのは魔族の得意分野だった。
人間よりも技術力が劣る分、神様はその辺を優遇してくれたのかもしれない。
「アイクさん、アイクさんは何事にも例外はある、とおっしゃいましたが、シーサーペントがその例外の竜種なのですね?」
「ああ、なぜだかは知らないが、ドラゴンだけは魔族と相性が良くない。むしろ人間の方が相性がいいんじゃないかな?」
「と、いいますと?」
「ローザリアにはいないが、人間の王国の中には、飛竜を飼い慣らしている騎士団もある。いわゆる竜騎士というやつだ」
「……竜騎士ですか」
「ああ、幸いと今まで戦場で会ったことはないが、以前、第4軍団の団長が戦って大敗北を喫したらしい」
「……それは恐ろしいですね。できれば戦いたくありませんね」
「それには俺も同意だよ」
と、さり気なく言うと、本題に戻す。
「というわけで、シーサーペントを使役するのは不可能だ。大海蛇がドラゴンの一種かは知らないが、すべての魔物が魔族のいうことを聞いてくれるわけではない」
俺がそう言い切るとアネモネは納得してくれたようだ。
以後、「シーサーペントを使役する」とは口にしなくなった。
「さて、そうなるとやはり退治するしかないのだが……」
そう俺が口にすると、リリスは待っていました、とばかりに、口を挟んでくる。
「使役するとか、ユリアを生け贄に捧げるとか、まどろっこしいですよ。ここはぱぱっとシーサーペントを倒して、問題を解決しちゃいましょう。そうすればエルトリアも魔王軍に食料を提供してくれますよ」
「相変わらず単純な娘だな」
今度は口に出して明言する。
「そうそう単純にはいかないよ」
「なんでですか? 前回はそれで上手くいったじゃないですか?」
前回とは赤毛の海賊カロッサを討伐したときの話を指しているのだろう。
それに盗賊からユリアを救ったこともある。
しかし、それでも彼女はそれだけでは動いてくれないだろう。
「確かに彼女は、ユリア嬢の母親だ。ただし、それと同時にこのゼノビアの長でもあり、通商連合の盟主でもあるんだ。個人的感情だけでは動いてくれないよ」
「じゃあ、ただ働きってことですか?」
リリスは呆れながら言う。
「そうなる可能性もあるな」
俺がそう言い切ると。リリスは大きく溜息を漏らす。
「相変わらずお優しいというか、甘いというか」
その通りなので反論しようがないが、サティは庇ってくれる。
「でも、そこがご主人さまのいいところなのだと思います!」
アネモネも「同感です」と頷いてくれたが、それは魔王軍の幹部としていいことなのであろうか。
深くは考えないで置こう。
「どのみち、今はユリア嬢の危機なんだ。娘の危機の最中、交渉ごとを持ち出すのは礼節に反するし、向こうも正常な判断はできないだろう。それにシーサーペントが海を荒らし回っているということは、海上ルートで食料を輸入して貰えない」
「つまり、シーサーペントは絶対に倒さなければいけない、というわけですね」
アネモネがそう締めくくると、俺は「ああ」と首を縦に振る。
そう総括すると同時に、客間の扉が開かれる。
席を外していたエルトリアが戻ってきたのだ。
「待たせたね」
と一言いうと、彼女は小脇に抱えた海図をテーブルの上に広げた。
地図には赤い点が描かれている。
恐らくはシーサーペントが商船を襲った地点なのだろう。
その赤い点の数は思ったよりも多かった。




