アイクの実験農場
イヴァリースの領主の館、執務室にて――
イヴァリースという都市は、人口はさほど多くないが、城外に肥沃な農地を擁する農業都市である。
主に小麦などを生産しており、余剰分はすべて自由都市アーセナムに出荷され、それが街の財源の過半を占めていた。
つまり、税収を倍にするには、農作物の出荷量を倍にする、というのが手っ取り早いかもしれない。
そう確信した俺は、メイド服姿の少女、サティに尋ねる。
「ここの紅茶の味はどうだ?」
サティと呼ばれた白い髪の少女は、慌てふためきながら許しを請う。
「も、申し訳ありません。入れ方を間違えてしまったでしょうか?」
アーセナムの領主の家で奴隷として働かされていたためだろうか、この娘はすぐに曲解する。
主人の気分を損ねることを極度に恐れているのだ。
無論、俺は彼女のことを虐待するどころか、叱りつけたことさえないのだが……。
「違う。そういう意味ではない。旨いか不味いか、と聞いているのだ」
「はあ……」
彼女はきょとんとした顔をすると、申し訳なさそうに頭を垂れ、
「申し訳ありません、存じ上げません」
と、謝った。
「別に専門家としての意見を求めているわけではない。単に感想を聞いているだけだ。なんでもいいアドバイスが欲しい」
「しかし、わたしは紅茶なる飲み物を飲んだことがありません……、ですので味を語ることなどできません……」
「まじか」
なんとまあ、馬鹿正直な娘なのだろう。
普通、女中という奴は、主人の留守中に、家の中にある嗜好品をくすねるのが当たり前だ。
主人がいない間に茶葉をくすね、大量の砂糖を注ぎ、香りとスリルを楽しむ。
ベーコンやソーセージをくすね、それを肴にブランデーを飲み、主人よりも肌艶の良い女中もいる、と笑い話になることもあるくらいだ。
だが、彼女の中ではそれは禁忌なのだろう。
前の主人がよほど厳しく躾けたのか、それとも生来のものなのだろうか。
どちらかといえば後者のような気がしたが、考察しても意味はないので、俺は紅茶を飲むように勧めた。
「飲みかけだが、これを飲め」
ティーカップを差し出す。
彼女はカップは受け取ったが、口を付けるのを躊躇う。
頬を少し染めながら、
「……間接キスですね」
と、小声で言った。
そしてしばし逡巡すると、カップに口を付ける。
二口三口、紅茶に口を付けると、
「美味しいです」
と、花のような笑顔を見せた。
思わずその笑顔に見とれてしまうが、俺が聞きたかった答えを彼女は持っていないようだ。
彼女の感想は、
「甘いです」
の一言だけだった。
おそらく、砂糖菓子など食べたことがないのだろう。
たったスプーン2杯の砂糖を入れた飲料でもこの世のものとは思えない味に思えるのだろう。
もしも砂糖を抜いたものを与えれば、ただ「苦い」と感想を言うはずだ。
つまり比べる対象がないので、彼女に味を問うても無駄だ、ということだ。
今後は、彼女の食生活の改善も考慮すべきだろう。
しかし、紅茶の善し悪しが分からないのは俺も一緒だった。
一応、知識としては、イヴァリース地方でも紅茶が産出される、程度のことは知っていたが、それくらいである。
魔族や各国の間で、名のある銘柄として珍重されていないところを見ると、これを量産しても税収の大幅アップは見込めそうになかった。
そうなると、残りは、四輪作農法か……。
近代ヨーロッパで発祥した効率の良い農業技術の一つだ。
この世界では、いまだ二圃式農業が主流だ。
ちなみに二圃式農業とは、植える作物の種類を交互に変えて、畑の栄養分を枯れさせないようにする農法だ。
この異世界は下手に魔法が発達して、農業技術が発達してこなかったのだろう。
そんな世界に一気に四輪作農法を持ち込めば、税収を2倍にできるかもしれない。
「四輪作法農法?」
サティは不思議そうな顔で問い返してきた。
「ああ、思わず口に出てしまったか。この世界での新しい農法について考えていたんだ。この世界の農業は、麦の収穫後、農地を休ませ、牧草地にし、その牧草を家畜に与え、家畜から肉を取っているのだろう」
「はい、そうです」
「だが、それだと農地を休ませている時間が長くなる。だから、その順番をやめ、大麦→クローバー→小麦→カブ、と順番に育てれば、畑を休ませる期間が少なくて済む。ちなみにクローバーは人間が食べるんじゃないぞ、家畜用だ」
「え? そんなことが可能なんですか?」
「理論上はな」
この世界の土壌と作物の特性が前世と一緒、という前提だが。
だが、試す価値はあるだろう。
俺は早速、一部地域でそれを導入するように布告を出した。
通常、この方式の効果が確認できるのは最低でも数年は掛かるが、ここは魔法の世界。実験用の農園だけならば、魔法で成長を促進させれば、効果の確認はできるだろう。
その実験の話を聞くと、サティは「楽しみです」と顔をほころばせた。
ちなみに楽しみなのは、それで毎日カブのスープが食べられるようになるかもしれない。
という理由だそうだ。
やれやれ、単純な発想だ。
だが、そういう発想は嫌いではなかった。
俺がこの都市の新しい領主となったからには、部下はもちろん、住民すべてに満足行く量のパンと肉を行き渡らせたかった。




