リリスのアイロン掛け
「リーザスの攻略はいつ頃になるんでしょうかね?」
オークのジロンは素朴な疑問を投げかけてくる。
俺は正直に答える。
「分からん」
その答えに思わずよろめくジロンだが、分からないものは仕方ない。
「旦那はなんでもお見通しかと思ったのに」
何でも見通せるのならば、お前を参謀には選ばないよ、と皮肉を言ってやろうと思ったが止めた。
頼りにならない参謀であるが、稀に役に立つこともあったし、ジロン以外の参謀が俺の横に立つ姿はあまり想像できない。
冷静沈着で有能なケンタウロスの参謀。
的確で大胆不敵な幽鬼族の参謀。
他の軍団には色々なタイプの参謀がいるが、我が軍団の参謀はこの豚以外考えられないと思っている。
こいつが的外れなことを言ってくれるおかげで、俺は冷静にものごとを見渡すことができるし、ごくごく稀ではあるが物事の核心を突く助言をくれることもある。
ともかく、これ以上出世しようとも、俺はジロン以外の人物を参謀にすげ替えるつもりはなかった。
「王都リーザスへ攻める時期は分からないが、その前に2つほどばかりやっておくことがあるな。リーザス攻略はその後の話だ」
「2つもやることがあるんですかい?」
「ああ、なにごとにも事前準備は必要だからな」
「といいますと?」
「まずは王都リーザス侵攻の大義名分を手に入れること」
「大義名分?」
「まさかその言葉さえ知らない、とか言わないだろうな」
「リリスの姉御じゃないんですから、それくらい知っていますよ。大義名分とは、まあ、相手国にいちゃもんをつけて攻め込む口実です」
「……その通りだが、身も蓋もない言い方だな」
「でも事実でしょう?」
と、ジロンは指摘するが、まあ、その通りなので軽く頷く。
「ですが、旦那、今更大義名分なんているんですかね? 我々は泣く子も黙る魔王軍ですよ。そんな人間みたいな小賢しい口実が必要とも思えませんが……」
「そうだな」
事実、俺たち魔王軍はそんな上品な口実を掲げて戦を始めたわけではない。
人間が攻めてくるから、人間と相容れないから、そんな理由で何百年も同じような戦争を繰り返しているのだ。
今更、『大義名分』などという御旗を掲げなくとも、リーザス攻略に取りかかっても問題ないかと思われたが、そうもいかない事情があった。
「今、ローザリア王国は、前国王のトリスタン派と宰相のアイヒス派で真っ二つに割れていることは知ってるな?」
「勿論知っていますよ。そのトリスタン王を保護しているのが我々じゃないですか」
「ああ、でも法的にはもう国王じゃない。現国王はその弟のランベールだ。……まあ、宰相アイヒスの操り人形だがな」
「では大義名分はあるんじゃないですか?」
「半分だけだな、あるのは」
「と、言いますと?」
「トリスタンはもう正式な国王ではないが、国民や諸侯の中には、アイヒスの強引なやり方に反発するものもいるはずだ。彼がこちら側に付いてくれる意義は大きい」
「要は味方になってくれるローザリア人もいる、と」
「そういうことだ」
「それでは是非、丁重に持てなさないといけませんね」
「ああ、イヴァリースの一等地に館を与えてそれなりに持てなしてるよ」
俺はそう言うと、趣味の詩作に興じている少年王の姿を思い浮かべる。
今まで王都リーザスにある豪奢な宮殿で暮らしていたのだから、それに比べれば質素な館であるが、トリスタンは満足してくれているであろうか。
それがいささか心配であったが、我慢して貰うしかない。
「トリスタン陛下は贅を尽くして持てなさないといけませんね」
「陛下は豚の丸焼きはお好きかな?」
俺の冗談に顔面を蒼白にさせるジロン、可哀想なので冗談だよ、というが、一歩後ずさりした。オーク族にとって豚肉料理は禁忌なのだ。その徹底ぶりは敬虔な回教徒よりも徹底している。理由は述べなくても分かって頂けるだろうが。
「……さて、冗談はさておき、我々にはトリスタン国王という切り札がある。彼がこちらの陣営にいる限り、ローザリア国民の支持もある程度得られるだろう。ただし、トリスタン国王だけではちと弱い」
「り、理由はなんですか?」
どもっているのはまだ怯えているためだろうが、少し悪いことをしたかな、と反省する。
俺は優しく諭すように説明した。
「国王の証明とも言うべき国璽が向こうの手中にあるからだよ。それに退位宣言書もな」
「要は正当な国王はトリスタン殿下の弟ランベールということですね」
「その通り。法的にはな。――しかも、軍事権も握りしめている」
「それって完璧に王様ってことですよね?」
「まあな。ではここで問題だ。法的には向こう側が正当な王。証拠も実行力も伴ってる。さて、前国王のトリスタンを駒として持っている魔王軍の取るべき道は?」
突然の問いに戸惑うジロン。
俺は間違っても構わないから、1分以内に答えろ、とジロンに言う。
ジロンは慌てふためきながら、考え始めると、
「大義名分なんて考えずに、トリスタン陛下を担ぎ出して王都リーザスを攻略する!」
と、答えた。
「正解!」
と言ったのは俺ではなく、淫魔族のサキュバス、リリスであった。
いつの間にか執務室に忍び込んでいたらしい。
恐らくだが、サティに強引に頼み込み、執務室の扉を開けさせたのだろう。
困り顔のサティの様子が目に浮かぶ。
「アイク様、今こそ、王都攻略のときですよ。さっさと攻略してしまいましょう」
相変わらずリリスらしかったが、彼女のその自信の根拠はどこにあるのだろうか。
尋ねてみる。
「やけに自信満々だな」
「だって、アイク様は常日頃から、戦には三つのものが必要だって言っていたじゃないですか」
「三つのもの?」
「アイク様はいつもおっしゃっています。戦に勝つのは天の時、地の利、人の和が必要だと」
「確かに言っているな」
「今回、その三つが揃っているのではありませんか?」
というのがリリスの意見だったが、確かにその通りだった。
珍しく的を射た答えだと思う。リリスの成長を喜ばしく思ったが、どうやら自分で発想したものではないらしく、「ギュンター殿がそう言っていました」と偉そうに続けた。
俺は彼女の評価を元に戻すと、説明をしてやる。
「……確かに、今は天の時はあるだろうな。ローザリア王国が真っ二つに割れている。その一方がこちらに付いているんだ。更に言えば今ならば諸王同盟も静観してくれる公算が高い」
「なるほど」
と、ジロンとリリスは同時に頷く。
「地の利は正直ないな。戦場は王都リーザスになる。まあ、これは攻め込む側がどうしても不利になるから仕方ないが」
ただ、それでも王都リーザスの弱点を調べ上げ、事前策は練っておくべきだろうな、とは思った。
「人の和に関しても少なくともローザリア側にはないな」
「ですよね、ですよね、今、真っ二つに割れてますもんね。超攻め時だと思うんです」
リリスは興奮気味に言うが、ジロンも同意見のようだ。鼻息が荒い。
「ただ、それを決めるのは俺の役目ではないな」
「それでは誰の役目なのです?」
リリスは尋ねてくるが、この娘は自分の組織の頂点に立つ人物を忘れているのだろうか。
俺は吐息を漏らすと、彼女の空っぽの脳みそを刺激するため、可憐な少女の名前を口にした。
「第六天魔王様だよ」
その言葉を聞き、リリスは反論する。
「でも、戦争は軍団長レベルで勝手にやって良いきまりですよね。確か」
「その通り。だけど、王都リーザスを攻略するなんて、たったの一軍団でできるわけないだろう。魔王軍が一丸となって行わなければ」
俺はそう締めくくると、ジロンにサティを呼んでくるように命じた。
リリスは抗議する。
「戦争のお話をするのに、あの娘を呼ぶ必要はないと思いますが」
相変わらずの嫉妬だろうが、俺はこう答える。
「これから魔王城に向かおうと思ってな。身支度をして貰おうと思っている」
「それならわたしがします!」
リリスはその役目を買って出てくれるが、丁重に断る。
この娘に、シャツやズボンのアイロン掛けを任せる気には到底ならない。
リリスに剣以外の物を持たせてろくな目に合ったことがないのだ。
陽気にアイロン掛けをしながら、シャツを焦がす光景は見たくない。
俺はジロンと同時にリリスを下がらせると、サティを呼び、身支度をさせることにした。
サティは即座に現れると、あっという間に外出用のズボンとシャツを用意し、不死のローブにもアイロン掛けをしてくれた。
彼女に感謝を述べ、皺一つないローブに満足すると、イヴァリースにある転移の間へと向かった。




