サティのアップルパイ
ローザリア騎士団との一連の戦いを終えると、俺たち第8軍団はイヴァリースに戻った。
そのままローザリアの王都リーザスに攻め込まなかったのには理由が3つある。
ひとつ、騎士団はほぼ壊滅したとはいえ、歩兵を中心にまだ万に近い兵が駐留していること。
ふたつ、連戦に次ぐ連戦で第8軍団が疲弊していたこと。
みっつ、王都リーザスは難攻不落の要塞都市であること。
つまり、勝ち目がなかった、と俺とセフィーロは判断したのだが、その判断は正しいだろう。
戦後、魔王様より今回の戦働きの感状と褒美が贈られてきたとき、
「よくぞ自重した」
と、達筆な文字で書かれた手紙が添えられていた。
俺はその書状を見詰めながら、サティに紅茶を頼む。
サティは承りました。
と、ぺこりと頭を下げると、銀のワゴンに紅茶とミルク、それにアップルパイを乗せて持ってきた。
「アップルパイか。悪くない」
この異世界の林檎の品種はやや酸味が強く、そのまま囓るには味気ないが、菓子に加工するとその酸味が良いアクセントとなり、上質なデザートとなる。
紅茶にミルクも添えてくる辺り、俺の今日の気分を察してくれているのかもしれない。
流石はプロのメイドさん、抜かりがない。
そもそも彼女は、紅茶の入れ方も弁えている。
まずは沸騰するまで水を沸かし、それをティーポットに注ぐ、注いだお湯を一旦捨てて、ティーポットが暖まったのを確認してから、茶葉をティーポットに入れ、再びお湯を注ぎ、5分ほど中で蒸らせば、茶葉の味を完全に引き出せる。
ミルクを添えたのは、アップルパイとの相性を考えたためだろうか、ミルクティーの甘さとアップルパイの酸味の相性は最高だった。
俺はじっくりとそれらを堪能すると、サティに尋ねた。
「サティは、イヴァリースの街が好きか?」
メイド服姿の少女は即答する。
「はい、大好きです」
と、年頃の少女らしい笑顔で。
「どんなところが好きなんだ?」
「ご主人さまが住んでいるところです!」
なんの恥じらいや衒いもなくそう言い切られるとこちらの方が恥ずかしくなってしまうが、務めて冷静な態度で俺は尋ね返した。
「……それ以外では?」
彼女は少し戸惑うが、数秒後、イヴァリースの美点をあげつらう。
指をひとつひとつ折りながら。
「街の皆さんがとてもいい人です。それに魔族の皆さんも姿は恐ろしいですが、優しい人が多いです」
「他には?」
「あとは街が立派になりました。広場には噴水ができましたし、市場も立派になりました。南国の珍しい果物や北国の美味しいチーズまで出回るようになりましたし」
「それは通商連合の人たちに感謝しないとな」
「それに最近、旅回りの一座の人たちも立ち寄るようになりました。この前も大道芸人の人が短剣でお手玉をしたり、大きな男の人が火を噴いたり、とても楽しかったです」
「イヴァリースまで続く街道の整備と治安維持のおかげかな。今度、劇団が来るとリリスとアネモネがはしゃいでいたぞ」
その言葉を聞いたサティは花のような笑顔を浮かべる。
「本当ですか?」
「ああ、なんでも王都で有名な劇団がやってくるらしい」
「どんな演目をされるのでしょうか?」
「さあ、そこまでは分からん」
俺は特に芝居に興味があるわけではない。
この街の統治者として、招待状は送られてくるだろうが、当日、どう断ろうか、今から言い訳を考えているくらいだった。
「ご主人さまはお芝居に興味はないのですか?」
「ないね」
俺は即答する。
「でも、本は良く読まれますよね?」
「物語は好きだよ」
前世でもよく本を読んでいた。紙の本、web小説、媒体は問わない。
物語は良い。前世でもこの異世界でも、厭なことをすべて忘れさせてくれる。
一方、演劇は苦手だ。
あの芝居がかった大げさな演技がどうも好きになれない。
「そもそも演技とはごく自然体でやるものであって――」
しばしサティに自分の演劇論を語る。
小一時間ほどだろうか、サティは「ふむふむ」と熱心に聞き入ってくれたが、俺は途中でとあることに気が付く。
「そう言えば当初の主旨と話がずれてるな……」
そう気が付いた俺は、演劇論を止め、サティに語りかけた。
「話を戻すが、サティはこのイヴァリースの街が好きなんだよな?」
サティは先ほどと同じくらいの早さで解答する。
「はい」
と――。
その解答を聞いた俺は、少しだけ申し訳なさそうに、「そうか」と漏らすと、こう尋ねた。
「もしも、このイヴァリースの街を離れる、と俺が言ったらサティは悲しむか?」
サティは虚を突かれたのだろうか。
大きな瞳をぱちくりさせ、驚いている。
「お引っ越しされるのですか? もしかして」
執務室の机から離れると、窓に向かってゆっくり歩く。
そこから見慣れたイヴァリースの街を見下ろすと、
「このまま順調にいけばそうなるかもしれない」
と、彼女に告げた。
「つまりそれは、魔王軍がローザリアを完全に征服する、ということでしょうか?」
サティは単刀直入に尋ねてきた。
「…………」
しばし沈黙してしまったのは、サティの推察が完璧だったからである。
俺はしばらく賢い少女を見詰めると、「そうなるかもしれない」と彼女に告げる。
「ローザリア全土を支配すれば、当然、最前線はローザリア西部になるからな」
「ご主人さまも西部に配属される、ということでしょうか?」
「たぶんな」
たぶん、と言ったが、間違いなく、我が第8軍団は最前線の都市へ配属させられるだろう。
俺が魔王様ならばそう命令をする。
なぜならば、目下のところ、魔王軍でもっとも活躍しているのは俺の軍団だからだ。
もっとも勢いがある、と言い換えてもいいかもしれない。
俺はある程度覚悟していたが、さて、サティはどうであろうか?
長年――、とまではいえないが、この街に赴任してかなりの月日が経つ、愛着のようなものが湧いていてもおかしくはないが。
そう思い、一応、尋ねてみる。
「サティ、お前さえよければこの街に残っても――」
そう言い掛けたが、サティは珍しく、
「いやです! ご主人さまと一緒の場所に居たいです!」
と、強硬に否定した。
「………………」
サティがこんなに大声を出すところを初めて見た気がする。
その姿を見てサティをイヴァリースに残すことを諦めることにした。
この少女は、俺が地獄に行くと言えば、一緒に付いてくるような少女だ。
いくら言い聞かせても無駄だと悟った俺は、窓から遠くを見詰める。
青い空を見上げながら、俺はポツリと漏らす。
「新しい赴任先の心配は、王都リーザスを陥落させたあとにするべきだろうな」
依然、王都リーザスは、ローザリア王国宰相アイヒスの手中にある。
赴任先の心配は、アイヒス率いるローザリアの残党を倒し、アイヒスから玉座を奪い返し、ローザリア全土を征服してからするべきだろう。
そう思った俺は、サティの方へ振り向くと、紅茶を一杯所望した。
彼女は笑顔で頷くと、執務室から去り、台所へと向かった。
サティが持ってきた二杯目の紅茶は、一杯目よりも美味しい気がした。
https://14615.mitemin.net/i273902/
魔王軍最強の魔術師は人間だった、書籍版第4巻の表紙です。




