奇術師アイク
「流石はアイク殿です」
王都リーザス郊外で張られた陣幕で、アリステアは開口一番に俺を褒め称える。
リリスが「その台詞は私が言うつもりだったのに」と、悔しがっているが、無視をすると、俺は集まった将達に感謝の念を述べた。
「取りあえず諸君らのおかげで緒戦は勝つことはできた」
と――。
「緒戦だけじゃないですよ。このままメジエールからやってくる援軍もこてんぱんにしてやりましょう!」
リリスは鼻息荒くそう言うが、ドワーフの王ギュンターは否定する。
「ここまでの強行軍、それに騎士団との二連戦で兵は疲れている。兵は拙速を尊ぶ、というが、安らぎの時も必要だ。まだ時間的な余裕もある。一晩くらい休むべきだろう」
ギュンターは静かに主張したが、無論、俺もそのつもりだった。
兵達に一晩じっくり休み、疲れを取るように命令する。
「今日だけだが、飲酒も可能だ。ラム酒の飲酒を許可する。一人一杯までだが」
俺がそう伝達すると、兵達は歓声の声を上げる。
「アイク様は話の分かるお方だ!」
と賞賛の声が多かったが、不満の声も上がった。
特にエルフは酒を好まないのでなんの御褒美にもならない、とむくれている。
ドワーフはドワーフで、一杯、それもラム酒では酔うこともできない、とおかんむりだ。
その姿を見て、魔族と人間、それに亜人達を束ねる苦労を改めて確認したが、ともかく、今の俺はその混成部隊を率いて、ローザリアの軍隊と戦うしかない立場であった。
「しかし、まあ、思ったよりも上手く連携が取れてますね」
とは、オークの参謀ジロンの言葉だったが、確かにその通りだった。
白薔薇騎士団と聖盾騎士団は、急遽味方になったいわば非正規軍だ。
連携を取るのは困難かと思われたが、思った以上に上手く協力できている。
「これも旦那の統率力のおかげですね」
「持ち上げても給料はあがらんよ」
俺はそう言い切ると、ジロンだけを陣幕に残し、地図を広げた。
「さて、明日、南西に進軍すれば、3日後にはメジエールからの援軍は叩きつぶせるだろう」
「そうですね、相手は2000~3000です。前回と同じくらいですから、余裕でしょうな」
ジロンは豚のように、「ふふん」と鼻を鳴らす。
「その後、部隊を転進させ、ワイヤック、シーオンからの増援を倒せば、今回の作戦は大成功です」
ジロンはまるで自分が考えたかのように誇らしげに言うが、確かに今のところ上手くいっている。
このまま進軍し、順番に増援を各個撃破できれば、ローザリアの騎士団はほぼ壊滅できる。
残りは騎馬を持たない歩兵のみで、そのまま王都を占領できるかもしれない。
「ただ――」
と俺は漏らすと、続ける。
「敵軍もそこまで間抜けでないだろうな。リーザスの増援を撃破、3日後、メジエールの増援を撃破、更にその数日後にワイヤックの騎士団を打ち倒せば、流石に気が付くはずだ」
「なににですか?」
「兵力を分散させる愚策にだよ」
「気が付きますかね?」
「気が付くさ」
王国宰相アイヒスという男は、姦計を用いてローザリアから王権を奪った切れ者だ。
強欲で冷酷な男だが、逆にいえば賢い男でもある。
そのうち自分の作戦に誤りがあったことに気が付くだろう。
さて、そのときはどう対処すべきだろうか。
悩ましい限りである。
「しかし、旦那は考えすぎじゃないですか? このまま各個撃破し、敵を殲滅できると思いますがね」
ジロンはあくまで楽観論を主張するが、それでも、いや、それだからこそ心配になってしまう。
なにせ、この男の言うことは必ず外れることで定評があるからだ。
俺は暢気な顔をしているジロンの顔を見て吐息を漏らすと、陣幕に置かれた簡易ベッドで眠ることにした。
敵がこちらの意図に気が付くにしてもそれまでにはまだ時間がある。
敵が気が付くまでになるべく多くの騎士団を各個撃破しておかねばならない。
俺は少し興奮した気分を収めるため、酒の力を借りることにした。
コップ3杯ほど、ラム酒を胃に注ぎ込む。
胃の中が、カアっと熱くなる。
普段は酒などあまり飲まないが、酒を飲んだおかげだろうか、その日はよく眠ることができた。
――数日後
俺の予想通り、敵軍は兵力分散の愚かしさに気が付いたようだ。
メジエールの増援を撃破し、ワイヤックの敵軍が目前に迫ったとき、ワイヤックの増援部隊は、すぐに交戦を止め、引き上げていった。
恐らくであるが、アイヒスからの命令で、撤退の命令が出たのだろう。
ジロンは驚愕の声を上げる。
「だ、旦那の予言通りですね」
「当たって欲しくない予言ほど当たるというのは本当だな」
出来ればその予言が外れて、ローザリアの騎士団を一挙に壊滅させたかったのだが、それは高望みしすぎのようだ。
「希望的観測は常に現実と言う名の悪魔によって打ち破られる、か――」
「なんか格好いい名言ですね。誰が最初に言ったんですか? ロンベルク様ですか?」
俺が即興で作ったんだよ、と言ってやりたいところだが、そんな暇などなかった。
包囲殲滅作戦を諦め、集結し始めた敵軍に対処するため、作戦を考えなければいけないのだ。ジロンと無駄話をしている暇などなかった。
俺の陣幕に集まる旅団長、皆、一様に緊張した面持ちだ。
これまで完璧に事が上手く運んでいたのが、軌道修正を強いられたのだ。
その気持ちは分かるが、俺まで緊張してしまったのでは、敵の思う壺だ。
ここは総大将らしく、どっしりと構えることにした。
「敵軍は今更ながらに戦力を分散する愚挙に気が付いたようだ」
「もっとアホのままでいてくれれば良かったのに」
とはリリスの弁だが、彼女がそう主張しても敵軍がまた愚かな行動に出てくれるわけではない。
次ぎにドワーフの王ギュンターが発言をする。
「戦と女心を完璧に理解できるのは神だけだ。戦況はその都度変わる。その度にこちらも対応を変えればいいだけ」
竜人シガンも同意する。
「その通り、アイク様は今までそうして勝利を積み上げてきたのだ」
「それではアイク殿にはアイヒスの策謀を打ち破る秘策があるのですか?」
アリステアは目を輝かせて尋ねてきた。
「ある」と断言したいところだが、まだ思案のしどころであった。
情報がすべて出揃っていないからである。
俺は、
「まあ、なんとかしてみせるさ」
と言うと、情報が出揃うのを待った。
数刻後、まず物見に行かせていたガーゴイルから報告が入る。敵軍は、調印式が行われた平原のやや北寄りの場所に集結しつつあるらしい。
その報告を聞いたジロンは俺の方を向く。
解説を求めているようだ。
まったく、なんの為の参謀なのだか、そう思ってしまうが、俺は説明することにした。
「平原に集結した、ということは敵軍の戦意はまだ旺盛、ということだ」
「あれだけしこたまやられたのにですか?」
ジロンは言う。
「しこたまやられたからさ。このままオメオメと王都に逃げ帰れば、アイヒスの声望は地に落ちるだろう。トリスタン陛下の弟君、ランベールを担ぎ出したはいいが、ここで失地挽回しておかないとせっかく味方に付いてくれた諸侯が寝返るかもしれない、と考えるだろうな」
「なるほど」
ジロンは相づちを打つ。
「それに、諸王連合の対応も変わってくるだろうしな」
「諸王連合ですか?」
「ああ、今、ローザリアで行われているのは内戦だ。だから他国の兵を一回も見ていないだろう」
「確かにそうですね。いつもなら色んな国の紋章が見られるのに」
リリスも不思議そうに尋ねてくる。
「理由は明白だ。諸王同盟は、『対魔族』に対して結ばれている条約だからな。内戦に干渉することはできない」
「そういう理由があったんですね」
リリスは妙に納得する。まったく、相変わらず何も考えていない娘である。
一方、物事の道理を弁えているドワーフの王は鋭い指摘を入れてくる。
「しかし、それは名目上ではないか?あの強欲な王達が、沈黙している理由は他にあるような気がする」
「流石はギュンター殿ですね」
と、俺は彼に賛辞を送ると、理解していない連中にかみ砕いて話すことにした。
「つまり、諸王同盟は日和っているんだよ。一応、正式な退位宣言書と新国王はアイヒスの手中に有り、権力と軍事権もアイヒスが握っている」
俺はそこで言葉を句切ると、従者に用意させた水を口に含む。
「ただし、前国王は健在、現在、白薔薇騎士団と聖盾騎士団の保護を受けている上に、俺たち第8軍団の協力を得ている」
「――つまり、どちらが勝つか様子見をしている、と?」
寡黙な竜人シガンが一言で纏めてくれた。
「その通り。恐らくだが、アイヒスが勝てば王位の簒奪をそのまま追認するはず。何食わぬ顔でな。戦線がこのまま膠着して、王権が定まらなければ、諸王同盟はそれを口実にローザリアを分割統治すると言い出すんじゃないかな」
その言葉を聞いたアリステアは驚きの声を上げる。
「そ、そんな、それではこのままでは、我々の国土は奪われてしまうということですか!?」
彼女の叫びは絶叫に近かったが、それも仕方ない。
どちらに転んでもトリスタンにとって最悪の道だからである。
しかし、トリスタンは子供ながら取り乱すことはなかった。
「慌てるのではない、アリステアよ」
少年王は年上のアリステアをなだめるように言う。
「どのみち、我々の運命はすでに決まっているのだ。この上はすべてアイク殿に任せるしかない」
「し、しかし、陛下!」
「まだ顔を合わせて間もないが、余はアイク殿の中に信義を見たような気がする。国璽は偽物で、あの和平文書にはなんの効力もないが、アイク殿は我々との約束は果たしてくれるだろう」
トリスタンはそう言い切ると、こちらの方へ振り向いた。
真摯な眼差しだった。
その瞳を見て「やれやれ」と思う。
魔族をそこまで信頼しきるとは、人が良すぎるにもほどがある。
ただ、この少年王には人を見る目だけはあるようだ。
確かに俺は、この少年との約束を果たすつもりだった。
狼狽するアリステアに言う。
「口約束になってしまいますが、俺と魔王様の最終的な目標は人間との共和にあります。トリスタン陛下には是非、国王に返り咲いて頂き、魔王軍に協力して頂きたい」
その言葉を聞き、アリステアはなんとか平常心を取り戻す。
少年王は相変わらず落ち着き払っている。
思わず吐息が漏れる。
アリステアは20代の女性だと聞いているが、どちらが子供でどちらが大人か分かったものではない。
ただ、彼女を責めるのは酷というものだろう。
この不安定な状況下で平静を保っていられる方が少数派なのだ。
俺はその少数派であるリリスに命令を下した。
「取りあえず、我が軍も敵が集結している平原へと向かおう」
その言葉を聞いたリリスは「やった!」と小躍りをする。
大軍と相まみえるのが楽しみらしい。
戦に赴く将の態度とは思えないが、いつものことなので無視を決め込むが、リリスは珍しく建設的な発言をしてきた。
「でも、アイク様、平原に集結している敵軍は、6000近いんですよね? 正面から当たって大丈夫でしょうか?」
伝令からの報告によると、平原に集結している敵軍は約6000。先ほど撤退していったワイヤックの部隊を中心にシーオンの増援も合流、敗残兵も掻き集め、それなりの規模の軍団を形成しているようだった。
6000という規模は、軍団としてみれば脅威となる。
「……確かに、正面から戦うのは得策ではないな」
珍しくリリスの意見に賛同すると、俺は3倍の敵軍を葬り去る作戦を考え始めた。
その姿をニヤニヤと見詰めるリリス。
気持ち悪いのでなにを考えているのか尋ねるが、彼女は白い牙を見せるとその答えを教えてくれた。
「いや、アイク様がどのような奇術を用いられるか、今から楽しみでして」
その言葉で一同の視線が俺に集まる。
皆、奇術師を見るかのような目だ。
危険な目である。
何度も重ねるが、少数の兵で多数の兵を破るのは、兵法の基本に反する。
それを何度も求めるのはよくない傾向だった。
改めて皆にそのことを注意するが、暖簾に腕押しだった。
「でも、アイク殿は何度も奇跡を起こしてきたではないですか」
とは、エルフの戦士長アネモネの言葉である。
「やれやれ」としか言いようがなかったが、事実なので反論しようがない。
俺は冗談半分で、
「たまには負けるのもこいつらのためかな」
と、漏らしたが、慌ててその言葉を飲み込む。
こちらの世界ではどうだか知らないが、日本には『言霊』という言葉がある。
言葉というやつは口にした瞬間、現実を引き寄せる力を持つのだ。
奇跡だろうが、運だろうが、奇術だろうが、勝つ方が良いに決まっていた。
ここで負ければ大事な部下を失う羽目になるかもしれないのだ。
それだけはなんとしても避けたかった。




