幸運の女神
「各個撃破する理由は分かったのですが、どうしてこちらから行軍するのでしょう?」
素朴な疑問を発したのはいまだに俺の作戦を理解していないサキュバスの娘、リリスだった。
行軍中、わざわざ馬を俺の横に並べて尋ねてきた。
「こちらからリーザスへ向かえば、敵軍と遭遇時間が早まるだろう」
俺が答えると、「ああ、なるほど!」と納得したようだ。
次いで尋ねてきたのは見事な白馬に跨がった女性、白薔薇騎士団のアリステアだった。
「つまり、迅速にリーザスからやってくる騎士団を叩き、その後、戦場を移動する、というわけですね」
俺は、「ああ」と答えた後に補足する。
「何も馬鹿正直にその場に留まって敵軍を待つ必要はない。敵軍から戦闘力を奪ったら次の戦場に行く。要は敵に集結される前に叩けばいいのさ」
「まるでハイキングにでも行くかのような気軽さですね」
リリスも呼応するように「アイク様と一緒ならばどこでもハイキングと一緒ですよ」と笑うが、俺は二人を戒める。
「実際はそんなに楽じゃない。こっちは2000兵だ。一騎当千の猛者が揃ってるが、向こうも正規の騎士団だしな。特に初回の相手となるリーザス方面の騎士団は二倍以上の戦力差だ。容易には行くまい」
「ですが、それを可能にしてしまうのが、アイク様なのです」
「いつも勝てるとは限らないぞ。特に油断をしている軍隊は常に敗北と隣り合わせだ」
「わたしは油断なんてしてませんよ」
リリスは重ねて強調するが、その表情は弛緩しきっている。
勝って強兵を戒めよ、という格言はこの娘のためにあるのかもしれない。
「しかし、歴史上、連戦に連勝を重ねたが、最後の瞬間に負け、歴史の舞台から退場した将は多いぞ」
「アイク様がそうなると?」
「そうなりたくはないな」
「じゃあ、大丈夫ですよ、きっと」
リリスは暢気にそう言うと、自主的に自分の旅団の方に戻っていった。
そろそろ叱られる、とタイミングを見計らったのだろう。脳天気なようでいて抜け目のない娘である。
その姿を見て、アリステアは、口元を抑え「くすくす」と笑う。
「何が可笑しいのでしょうか?」
思わず尋ねてしまうが、アリステアは表情を戻さず言う。
「魔王軍とは本当に面白い組織ですね。ある意味人間よりも人間らしいです」
曰く、戦の前に部下にこんな軽口を開かせる将軍などそうはいないらしい。
「それは魔王軍ではなく、我が軍団だけじゃないかな。あとは第7軍団とか、ごく一部の軍団だけですよ。他の軍団長が戦の前にあんな軽口を叩いてきたら、即牢獄行きか、その場で首を刎ねられます」
「それは恐ろしいですね」
アリステアはちっとも恐ろしくなさげにそういうと、こう続ける。
「でも、アイク殿はそれを許される。その寛容さが魔族だけでなく、ドワーフやエルフ、それに人間を惹き付ける要因なのでしょうか?」
「元上司の魔女には甘ちゃんと叱られますがね」
「優しさ、と言い換えることもできますが」
「その言葉はいいですね。機会があれば是非、元上司の辞書に書き加えておきますよ」
しかし――
と、俺は話題を転じる。
「アリステア殿こそ、大丈夫なのですか?」
「大丈夫とは?」
「いえ、今回は奇しくも魔王軍の味方となり、かつての同胞たちと戦うことになるのです。その辺の覚悟はあるのでしょうか?」
彼女はその言葉を聞くと、武人の顔を取り戻す。
「勿論あります! 奴らは国父であらせられる陛下を裏切った逆賊です。我が家に伝わる名刀ベラドンナによって斬り捨てて見せましょう」
と、ミスリル製の剣を鞘から抜こうとするが、その手は覚束ない。
「あれ? あれ?」
と不思議そうに腰元を見詰める。
「………………」
どうやらこの娘の武力にあまり期待はしない方がいいらしい。
せめて指揮官として優秀ならばいいのだが。
その辺はどうなのだろうか。
確か、初めて俺が彼女と戦場でまみえたときの評価は、勇気と無謀をはき違えている将という印象だった。自ら前線に立ち、剣を振るい部下を逃がしていたのだ。
一見、良将に思えるが、指揮官としてはあまり印象が宜しくない。
まあ、前線に立ちまくる俺が説教をするのもなんだが、彼女の将としての器はどの程度なのだろうか。
良い機会なので尋ねてみる。
「失礼ですが、アリステア殿。貴殿はリーザスにある王都の王立士官学校を首席で卒業されたと聞き及びましたが」
その質問にアリステアは答える。
「はい、その年に卒業した武官は84名、名誉なことに私めが卒業式に陛下よりお言葉を賜る栄誉を得ました」
「その中の頂点に立った、ということですか」
「一応、そういうことになります」
ですが、と続ける。
「座学の成績には自信がありましたが、ことが実戦に及ぶと及第点を取れていたのかも怪しいくらいです。恐らくですが、父上が上層部に献金をし、主席にしてくださったのでしょう」
「……なるほど」
どこまでも正直な娘だ。
「ただ、先ほども申し上げましたが、座学や部隊を指揮する模擬戦では負けたことがありません」
「それは心強い」
俺がそう言い切ると、彼女はそれも否定する。
「いえ、それは大きな間違いです。実戦と模擬戦とでは、竜と蛇くらいの差がある。戦場に立つようになってそれを痛感しました」
彼女はそこで一呼吸置くと更に続ける。
「戦場に必要なのは冷静な判断力、それに大胆な決断力、それと運です。それを実感しました」
「運ですか?」
「はい」とアリステアは言い切る。
「正直、自分の指揮官としての技量は劣っています。圧倒的に。しかし、今日まで無事、生きながらえることができました。まさしく運だと思っています」
「そのようなことはないでしょう。運だけで生き残れる世界ではない。華々しい武勲を立てられたとも聞きましたが」
「ですが、私と同じ年に卒業した同期の半分はすでに墓の中です。皆、私よりも剣の腕が立ち、統率力の高かった人間もいます。だのに私はこうして生き、そのもの達は死んだ。私はたまに考えるのです。彼らと私の違いはなんだったのだろう? と――」
「哲学者のようですな」
「はい、それで行き着いた答えが運です。アイク殿、私がイヴァリースの街を攻めた日のことは覚えていますよね?」
「無論です」
「あの日、私は家名に恥じぬ働きをしようと最後まで戦場に残りました。ゆえに生き延びることができたのです」
「…………」
確かに、と、その時の光景を思い浮かべる。
彼女は自らが戦場に残ることにより、俺の罠から免れ、命を失わずに済んだのだ。
「その後、塔に幽閉された際も、アイク殿と出逢うことにより、自決をしようという気持ちを捨て去りました」
「…………」
「その際も、アイク殿はおっしゃられました。戦いは実力だけでなく、運も関係するのだと」
「確かに言いました」
実際、どんな名将だろうが、負けるときは負ける。
アレクサンダー大王、織田信長、徳川家康、チンギス・ハーン、ナポレオン、ハンニバル、ティムール、カエサル、朱元璋、光武帝、ロンメル、バイバルス、ネルソン。名将の名前を挙げれば切りがないが、生涯無敗で終えた将など一人もいない。
問題なのは負けた後、どう立ち回るかなのだが、この娘は前回の敗戦でその極意の一端を会得したのかもしれない。
要は、負けても死ななければいいのだ。
生きている限り、復讐戦を挑むチャンスは何度もある。
幸いと俺はまだ一度も負けていないが、この先、常に勝ち続けられるとも思っていなかった。
それほど戦争は甘くないと思っている。
ゆえに、俺は彼女のいう『運』というものに頼ることにした。
この娘は自分が運がいいと言い張るのだ。
きっとこの娘ならば、最適解の戦術を選んでくれるに違いない。
そう思った俺は、彼女に尋ねる。
「この行軍速度ですと、明日、敵軍と相まみえることになるでしょう。敵軍の数はほぼ倍です。アリステア殿ならば、どのような戦術を選択されますか?」
「戦術? ……ですか?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は不思議そうな顔で尋ねてくる。
「はい、中央を厚くし、中央突破し敵陣を切り裂くか、それとも部隊を二つにわけ、挟撃するか。迷っているのです」
「そのような重大な決断を私がしてもいいのでしょうか?」
アリステアは戸惑う。
「…………」
少し時間を置くと、「貴方にして欲しいのです」と言い切った。
時間を置いたのは少し気恥ずかしかったからだ。
俺は気障な台詞が苦手なのである。
彼女が解答した後に俺はとある台詞を言わなければならない。
それを思うと仮面越しに赤面してしまう。
しかし、それでも彼女から意見を聞き出すと、その戦術を採用することにした。
「私は小細工なしの中央突破がいいと思います」
彼女がそう言い切ると、俺はあらかじめ用意しておいた台詞を口にした。
「承知しました。それを採用しましょう」
「い、いいのですか? 特に深く考えずに選択したのですが?」
俺は「いえ」と首をひねると、
「アリステア殿がそうおっしゃるならば幸運の女神がこちらについてくれたも同然ですから」
と言い切った。
「なッ……!」
案の定、アリステアもその言葉に顔を赤く染め上げる。
俺はそれを意図的に無視すると、
「ともかく、明日は中央突破で参ります」
そう言い切ると、アリステアにも自分の部隊に戻るように命じた。
その後ろ姿を見送ると、翻って前方を見詰める。
まだ敵軍の姿は見えなかったが、その先には大量の騎士たちが控えているのだ。
気を引き締めておかねばならなかった。




