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偽の国璽

 平原の真ん中にポツリと設置された陣幕、そこにローザリア国王とその側近数名、そして魔王軍の代表である俺と旅団長たちが集う。


 ローザリア国王は、思ったよりも若かった。

 いや、まだ少年といっても良い年頃かもしれない。

 年の頃は13~14だろうか。なかなかの美少年である。

 その側近たちも、思ったよりも若い。

 アリステア曰く、キツネ狩りや詩作仲間らしく、政治や軍事とは無縁な連中らしい。

 つまり、国政を牛耳っている宰相一派とは関係のない趣味仲間ということか。


 ただ、王国宰相であるアイヒスの専横にはうんざりしているようなのは確かなようで、それを理由に今回の和平会議を独断で決めたようだ。


 国王であるトリスタン3世は、開口一番にそう説明してくれた。

 その言葉に嘘はないようだ。

 なんと馬鹿正直というか、外交下手な国王であろうか。

 最初からそんな内情を話すなど、一国の王としてどうかと思う。


 外交とは虚々実々の駆け引きであるが、最初から本当のことをベラベラとしゃべるのは、外交官として三流だと思う。


 ――もっとも、この手は相手によっては有用なのも確かだが。


 例えば通商連合のエルトリアのように嘘の通用しない相手には逆に気に入られたりもする。


 そして俺も腹の中で何を考えているか分からない人物よりもこうして正直に自分の考えを話してくれる人物の方が好きであった。


 ゆえに俺も率直に国王に進言する。


「陛下、陛下がこの戦に飽き飽きしているのは承知していますが、ローザリア王国を牛耳っている宰相閣下はそうではない、と、お気づきでしょうか?」


 トリスタンはゆっくりと首を縦に振る。


「知っている。だから近習の者のみでこの話を進め、アリステアを呼び出し、使者として貴殿の下に送ったのだ」


 というと側に控えているアリステアに視線を送る。


 国王に見詰められたアリステアは緊張のあまりに《凍結(フリーズ)》の魔法を掛けられたかのように固まっていた。


「ならば陛下自体は和平に異存はない、ということで宜しいですね?」


 トリスタンは「無論である」と頷くと、論より証拠とばかりに、用意された和平文書にサインをし、国璽(こくじ)判子(はんこ))を押す。


 その姿を見て、俺は完全にこの国王を信頼することにした。

 その者の言葉よりもその行動を見よ、というのはじいちゃんの教えであった。

 それに国璽を押す、ということは一国の王が正式に条約を結ぶ、ということである。

 それを破ればその国の名声と信頼は地に落ちる。

 そう易々と押せるものではないのだ。


 それを確認した俺も行動によって王の信頼に応えることにした。

 条約の書類の条項に不備がないことを確認すると、さらりとサインをし、魔王様より預かった国璽を押す。


 これにより、魔王軍とローザリアの和平は正式に決定されたことになる。

 その歴史的瞬間を見詰めていた者達の間から、歓声めいた声と拍手が起こる。



「おお、これで長年続いた戦争から解放される」


「これを機に国政を牛耳るアイヒス一派を一掃しましょう」


「ともかく、一刻も早く王都に戻り、この事実を国民に布告し、諸王同盟にも知らせ、戦乱の世が終わったことを伝えましょう」



 とは国王の側近の言葉であった。

 一方、我が陣営の幹部たちの反応は様々だ。

 


 ジロンなどは「やれやれ、無事調印できてほっとしましたよ」と安堵の溜息を漏らしている。ジロンは国王自体もグルで調印式自体も罠だと考えていたようだ。


 しかし、それでも和平が成功したことが嬉しいようで、これで子作りと子育てに専念できます、と喜んでいた。


「あと、12匹くらい子供が欲しいところですね」


 と破顔していた。



 リリスの反応は「っちぇ」と分かりやすいものだった。

 この娘は戦自体は特別好きではないが、場が荒れることが大好きなのだ。

 密かにこの調印が失敗し、乱戦にでもなれば良かったのに、的な顔をしている。



 竜人であるシガンは相変わらず無口で無表情だ。

 この戦争が終わっても平和な時代になってもそれは変わらないだろう。

 ただ、生まれついての武人ゆえ、その槍を手放すとは思えない。

 恐らく、その槍術を高めるため、と宣言し、修行の旅に出てしまうかもしれない。

 そんな気がした。



 最近、配下に加わったばかりのエルフの戦士長アネモネは逆にきょとんとしている。

 彼女は人間との戦いの最前線に飛込む気概で故郷である世界樹の森から飛び出てきたのだ。

 平和な森の生活を捨てるのには相当の覚悟が必要だったはずだが、その覚悟も僅か数ヶ月で無駄になってしまった。


 哀れといえば哀れだが、森の民エルフは元々平和を愛する種族だ。

 きっとすぐにその戸惑いは喜びに変わり、森へと戻り、いつもの生活を取り戻すだろう。

 正反対の性格の姉と仲睦まじく暮す姿が想像できる。



 さて、問題なのは、ドワーフの王であった。

 俺は彼ととある約束をしてある。

 その約束とは、ドワーフの王国の再建である。

 彼と盟約を結ぶとき、俺は確かにドワーフの王国を再建すると約束した。

 ローザリアと和平を結ぶ、ということはその盟約を果たせない、ということでもあった。

 ドワーフのあった王国は遙か西にある。


 約束を果たすには、ローザリアを征服し、更にその隣にあるイスマスという国を攻略し、ドワーフの故地を奪い返さねばならない。


 或いは俺は目の前にぶら下がった平和のために、これまで尽力してくれた盟友を裏切ってしまったのかもしれない。


 そう思いギュンターを見詰めていたのだが、それを察してくれたのだろうか。

 ギュンターはこちらの方まで歩み寄ってくると、俺の耳元で囁いてくれた。


「気にすることはない。確かに当初の約束は果たしてくれなかったが、アイク殿は違う形でワシとの約束を果たしてくれた」


「違う形? ですか?」


「そうだ」


 と寡黙な王は重圧な顎を僅かに縦に振る。


 立派な顎髭が僅かばかり揺れる。


「アイク殿は違う形で我らドワーフ族に居場所を与えてくれた。イヴァリースという素晴らしい街を与えてくれたのだ。確かにドワーフの王国ウィルヘイムの復興は叶わなくなるが、それでも構わない。元々、国などどうでもいいのだ……。ドワーフたちが活き活きと働き、好きなときに好きなだけ酒が飲める。その場所がウィルヘイムかそうでないかの違いにしか過ぎない」


 ドワーフの王ギュンターはそう言い切ると、以後、口を真一文字に結んだ。

 その言葉を聞き、俺はほっとしたが、申し訳なくも思った。

 ただ、ギュンター殿がそういうのならば、これ以上、議論してもしょうがなかった。


 この上は条約を結び、イヴァリースをより発展させて、ドワーフたちの住み良い街作りをすることでしか彼に対する恩義は返せないだろう。


 

 そう思った俺は、握りしめた条約書に思わず力を入れてしまうが、それに気が付くとその手を緩める。

 いけないいけない。


 この条約書はある意味この世で一番貴重な紙切れである。

 魔王様のもとに届けるまでは、皺一つ付けるわけにはいかなかった。

 俺はジロンに命じて条約書を木箱に保管するように命じる。

 ジロンも緊張した面持ちで条約書を木箱に収める。

 この男もその紙の重みを理解しているようだ。

 ジロンが転んだりクシャミをせずに条約書を木箱に収めたのを確認すると、俺は文字通り一息ついた。


「あとはこれを魔王様のところに持ち帰るだけですね」


「ああ、そうし――」


 と俺はそう言おうとしたが、その言葉が最後まで続くことはなかった。

 突如、陣幕の中に兵が乱入してきたからである。

 一瞬で俺は戦闘態勢に入った。

 ここでローザリア国王を暗殺されればすべてが水泡に帰すからである。

 条約が締結した以上、この国王には生きて王都へ戻って貰わねば困る。


 先日までは敵軍の王として対峙していたのだが、状況が変わった今、トリスタンは俺にとって味方の一人となっていた。


 俺は、トリスタンの前に割って入ると、右手に握りしめていた円環蛇の杖に力を込める。

 ただ、その力もすぐに弱まる。

 乱入してきた男が暗殺者の類いでないことが分かったからだ。

 陣幕に入ってきた男は、トリスタンの親衛隊の騎士だった。

 彼は息を切らせながら重大な報告をしてくる。


「た、大変です。王都で政変が発生しました!」


「政変!?」


 少年王は眉をしかめる。


「どういうことだ? なにが起こったというのだ?」


「それが伝令の報告によりますと、宰相閣下が陛下を退位させ、トリスタン殿下の弟君ランベール殿下を擁立し、新政権を樹立したとのこと!」


「なんだと!?」


 トリスタンは大声で叫ぶ。


「そのような暴挙が許されるわけがない!」


 少年王はそう続けるが、伝令は冷静に続ける。


「しかし、すでにローザリア全土に布告を出し、諸王同盟に参加している王たちも同意している、とのこと」


「な、なんだとッ……」


 トリスタンは言葉を失う。

 俺は彼の代わりに言葉を口にする。


「すでにそこまで根回しされている、ということか」


 しかし、そこで反論してきたのは白薔薇騎士団の団長アリステアだった。


「陛下、お気を確かに! アイヒスは謀反を企てましたが、国璽はこちらにあるのです。退位宣言書など無効でしょう。白薔薇騎士団、それに陛下の親衛隊は陛下のお味方になります。それに正当な王位はいまだ陛下にあるのです。諸侯もお味方についてくださるはず」


 アリステアの主張は半分正しく、半分間違っている。

 それを証明するために、テーブルに戻るとそこに置かれていた国璽を手に取った。

 一同の視線は俺に集まるが、気にせず手のひらに魔力を込める。

 そしてそれを握りつぶす。



 ぐしゃり、という音と共に、国璽は潰れる。



 その光景を見たアリステアは悲鳴にも似た声を上げる。


「ア、アイク殿、なにをなさるれる!? それはこの世にたったひとつしかない国璽。それを持つ物が国王の証となるというのに!!」


 俺は冷静な声でアリステアを制する。


「ローザリア王国の国璽は、オリハルコンよりも堅いとされる伝説の金属アビシニオンで作られているという。その国璽がこうも容易く変形しますかな?」


 俺の主張に一同はごくり、と唾を飲む。


「つまり、その国璽は偽物、ということでしょうか?」


「それ以外に可能性はないな。どうやら本物は向こうにあるようだ」


 いつの間にかすり替えられたのでしょう。

 俺は断言すると、ひしゃげた国璽をトリスタンに渡した。

 それを見たトリスタンは落胆の声を漏らす。


「……つまり、余はもう国王ではない、ということか?」


「書類上はそうなりますな」


 俺はそう言うと、ですが、と続ける。


「後の歴史書がどう書かれるか分かりませんよ。トリスタン陛下は謀反を起こした弟を返り討ちにした、と後の歴史家が著述することも可能です」


「つまり?」


 と、アリステアは尋ねてくる。

 俺は答える。


「これからやってくるであろう。宰相アイヒスの軍勢を打ち破り、王都に凱旋をすれば、無事、トリスタン陛下が復位できる、ということですよ」


 その言葉に驚きの声を上げたのは、トリスタンだった。


「つまり、これからアイヒスめの軍勢が攻めてくる、ということか?」


「そうなるでしょうね、弟君を即位させた今、この地上で最も邪魔なのは陛下なのですから」


 その言葉を聞いたトリスタンは頭を抱える。


「そ、そんな、アイヒスと戦うことになるのか……、王都には万に近い軍勢が控えている、というのに――」


 トリスタン曰く、今、ローザリアには万に近い騎士団がひしめいているらしい。

 その騎士団が襲い掛かってくれば、勝ち目はない、と怯える。


「余は戦の指揮など一度もしたことがないのだ。勝てるわけがない」それがトリスタンの主張だった。


 正直というか、無能を絵に描いた君主だったが、不快には思わなかった。

 自分の力量を弁えている。


 下手に戦下手な王が指揮をとるよりも優秀な人材を見抜き、その人物にフリーハンドを与える王の方が優れている、ということも多々ある。


 例えば前世では、項羽と劉邦という武将がいた。

 項羽は有能で、自我が強く、また自身も無類の強さを誇ったため、他者の意見を聞かなかった。


 一方、逆に劉邦という武将は、自分が無能であると自覚し、有能な部下の意見を聞き入れ、部下に自由な采配を振るわせた。


 圧倒的な才能があったにもかかわらず、最後に勝ったのは、劉邦という凡庸な男だった。

 要は部下を信頼し、すべてを委ねるのも王に必要な器のひとつだった。


 ただ、それが度を過ぎると、部下の権力が極限まで肥大化し、アイヒスのような男を生み出すのも事実だったが――。


 項羽になることも難しいが、劉邦のような男になることもまた難しいのだ。

 さて、この少年には王としての器があるだろうか。

 俺は率直に尋ねた。


「陛下、失礼を承知で具申しますが、陛下の親衛隊、それに白薔薇騎士団の指揮権を私に委ねては貰えないでしょうか?」


 その言葉に反応したのは、トリスタン本人ではなく、親衛隊の団長と思わしき貴族だった。


「な、なんだと無礼な! 我々を愚弄する気かッ!?」


 そう取られても仕方ない発言だが、そうです、と言うわけにも行かない。

 俺は相手の自尊心を傷つけないよう、穏やかな口調で言った。


「無礼は百も承知。しかし、この危機を脱出するには、人間と魔族の協力が必要でしょう」


「協力が必要だと? 貴様ならば2000の兵で万の軍隊を打ち破れるというのか」


「打ち破れます」


 俺は自信たっぷりに言う。


 無論、寡兵(かへい)で大軍に相対するのは無能の証拠だと思っているが、ここで謙遜をする必要はない。これから説き伏せようとしている相手に弱気を見せる必要などなかった。



「なんとか勝てるかもしれません」



 では、相手も信用してくれるわけがない。


 それに言葉は言霊だ。例え戦略的に圧倒的に不利だとしても、「勝てない」などと口にする気にはならない。じいちゃんが良く言っていた。部隊を指揮する将が「勝てない」と呟いたとき、その軍はすでに負けていると。


 その言葉を聞いたとき、迷信染みた説教に聞こえたが、戦場を往来するようになった今、その言葉の意味が分かる。


 始めから負ける気で戦いを挑んで勝てるほど戦は甘くない、と。

 それゆえに、俺は一見無謀とも思える大見得を切ったのだが、その効果はあったようだ。

 王の近習たちの大反対の中、トリスタンは熟考すると、こう宣言をした。


「……うむ、いいだろう。親衛隊と白薔薇騎士団の指揮権を、アイク殿に委ねよう」


 その言葉を聞いた近習たちは絶句する。悲鳴に近い声を上げるものもいたが、王は冷静に彼らに語りかけた。


「そもそも、お前らが言ったのではないか。アイク殿は名将中の名将だ。その人柄も仁義を尊び、平和を愛する人物だと。だから余はこの者に和平の仲介を頼んだのだ」


 トリスタンはそう言うと、アリステアを見詰める。

 その噂は事実であるか? と尋ねるような視線であった。

 アリステアは少し戸惑うが、僅かに頷くと「御意でございます」と言い切った。


「それにアイク殿の実力はよく知っているだろう。この中にも戦場で苦汁を舐めさせられたものも多いのではないか?」


 その言葉を聞くと無言になるもの、顔を陰らせるものもいる。

 実際、何人かは戦場で相まみえたのかもしれない。

 王の言葉がきっかけとなったのだろう。

 以後、王の話を否定するものはいなくなった。

 つまり、王の手勢の指揮権も俺に委ねてくれるのだろう。

 そう解釈した俺は、改めてトリスタンに尋ねる。


「それでは此度の戦、すべてわたくしめに任せて頂けるということでいいですね?」


 トリスタンはこちらの方へ振り向くと、



「うむ」



 と力強く頷いた。

 その姿を見て確信する。

 この少年は無能な君主ではないのかもしれない、と。


 まだ年若い少年であるが、或いは国政を牛耳るアイヒスからその身を守るために、脳天気な君主を演じているのかもしれない。


 彼が国王に即位したのは10歳のときだという。


 そのときにはすでにアイヒスの専横は始まっていた、というのだから、もしかしたら、アイヒスの毒牙から身を守るため、道楽者を演じ、国政に興味を示さなかったのかもしれない。


 そう解釈することもできるが、その解釈が正しいか、確認するときは今ではないだろう。

 今はともかく、指揮権を完全に掌握し、眼前に迫る敵を駆逐することに集中すべきだった。

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[気になる点] 魔族は自分たちの事を匹単位で数えるのでしょうか。
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