瓦解
―episode 9: 瓦解 ―
目を閉じれば、すぐにあの時の光景を思い出す。
――――……
「おい李杏、お前その声…!」
「りあちゃん、それいつからなの!?」
「やっちー、喋らなくて良いから、とりあえずこれに書いて。」
ナキが差し出した楽譜の裏に、李杏が震える手で返事を書く。
『昨日』
「でも李杏、昼間は普通に歌えてたでしょう?」
『昼間の練習の後声が出辛くなったから、夜トレーニングして調子を戻そうとしていた』
『そうしたら、朝にはこうなっていた』
「馬鹿じゃねぇの!少しでも調子悪いなって感じたら無理に声出さずに休めっつってたよな!?」
「ユキ!言い方に気を付けろ!」
声を荒げた僕を威圧するように、ユキが譜面台を蹴飛ばした。
ガシャン、と音を立てて倒れ、床に楽譜が散乱する。
「…っ!」
「ちょっとユキ!あんたいい加減にしなさいよ!紫杏に八つ当たりするのも、りあちゃんに怒鳴るのも間違ってるでしょ!りあちゃんは本番に最高のコンディションで歌いたかったから練習してたんだよ!?」
「手前ぇは黙ってろ!これは俺と李杏の話なんだよ!」
「はぁ!?」
掴み掛かろうとしたリリィを止めるように、李杏がユキの前に出た。
「止めて…!」
「やっちー、喋っちゃ駄目だって!」
「もう良い、これだけ枯れてたら、本番までに治る訳ないわ…!」
「だからって、りあちゃんが歌えなきゃもうライブなんて出来ないじゃん!今から代わりの人なんて捜せっこないし、いたって曲も覚えられない!誰もりあちゃんの代わりには歌えないよ!」
「……いいえ、あの人なら歌えるわ。」
そう苦々しげに言って、挑むような、睨むような目で僕を射抜いた。
「紫杏?でも…」
「他に選択肢がない以上、紫杏が歌えそうなら紫杏にやってもらうしかないわね。私達は演奏で精一杯だし。それか、もうライブ自体を諦めるか。」
今まで静観していた雅がそう言ったことで、皆の視線が僕に集まった。
「…僕が?しかし僕は…」
「歌えないとは言わせないわよ。貴女が歌えない訳がないんだから。」
歌えるよ。
確かに、僕は歌える。
君の練習をいつも見ていたから。
でも、
「僕は李杏のようには歌えない。」
「当たり前でしょう。それでも、喉を壊したあたしよりはマシよ。」
「喉壊したのは自己責任で、そのせいでしーちゃんに代わりを押し付けようとしてる立場の人間がその言い方ってないんじゃないかなぁ。」
聴いたこともないようなナキの低い声が、部屋の空気を凍らせる。
全員、体温が下がるような錯覚に陥る。
「『自分がちゃんと自己管理出来なかった所為で、迷惑掛けることになってごめんなさい。どうかお願いします』くらい言ったって当然じゃない?そんなことにも思い至らないくらい馬鹿なの?」
畳み掛けるように淡々と、いつも真ん丸の瞳を射殺すように細めて言うナキの様子に気圧された李杏は、唇まで白くして数歩後ずさる。
「そんな最低限の礼儀すら弁えないような低俗な人間はRe:INには必要ない。………出て行け。早く、出て行け!!」
バタン、と荒々しく扉の閉まる音。
廊下を走る靴音が聞こえなくなった頃、
ユキが静かに、
一筋、涙を流した。
【Continued.】