転校生
―episode 2: 転校生 ―
「どうした、芦原ー、五月蠅いぞー。」
「ひぇっ!?」
入って来た担任を見てようやく、もう朝のホームルームの時間になっていたことに気が付いた。
「はい、皆早く席着いてー。…もう芦原が散々騒いでたみたいだから知ってると思うけど、今日からここに新しいクラスメートが増えます。」
真っ赤になるリリィ。
教室のそこかしこから笑い声が湧く。
「椎名、入っていいぞー。」
「はい。」
期待の眼差しや、好奇の視線が向けられる中、教室の扉が開く。
一歩、足を踏み入れた。
瞬間、ざわめきが嘘のように静まり返った。
180センチは優にあるだろう細身の長身。
左側に緩く三つ編みにしてあるが、解けば腰の辺りまでありそうな艶やかな黒髪。
薄い緑の瞳はどこか憂いを帯びたように色めいていて、抜けるように薄い肌の色とのコントラストが、繊細で美しい顔の造形に浮き世離れした雰囲気を作り出している。
男女問わず、文字通りクラス一同が、一瞬で彼の異様な程の美貌に魂を奪われていた。
「椎名…翡翠、です。よろしくお願いします。」
教卓の前まで辿り着いた椎名が自己紹介と共に軽く頭を下げたことで、金縛りがとけるように皆の緊張が少しだけほぐれた。
ふと、今まで息を止めていたことに気付き、控えめに深呼吸する。
誰か他人を見てここまで緊張するのって初めてじゃないかな。
いや、そんなの皆そうか。
「皆仲良くしてやってくれなー。じゃあ椎名、席あっちの窓際の一番後ろだから。」
小さく頷いたのに合わせて流れる髪にうっかり見とれてしまう。
が、聞き捨てならないことを耳にして、頬杖をついていた腕がうっかり滑った。
「え、と、隣…?」
朝から隣に席が増えてたからそうかもしれないとは思っていた。
が、それとこの動揺とは別の話だ。
僕は基本的にコミュ障なんだ。
隣の席なんてとんでもない。
狼狽える僕にはお構いなしに(当たり前のことだが)彼は優雅にこちらへ歩いてくると、やはり優雅に席に着いた。
目が合うと、薄く微笑んで右手を差し出される。
「これから宜しくお願いします。」
どうも握手を求められているようだ。
他人との接触は余り望むところではないのだが、初対面の相手にそれを伝えるのは感じが悪いだろうと思い、仕方なく応える。
「…あぁ、」
こちらこそ、と言い掛けた瞬間、僕の前の席に座っていたリリィがぐるりと振り返って叫んだ。
「あーっ!?紫杏ズルい、抜け駆けだー!!あたしも椎名くんと話したいのに!」
「芦原ー、そんなに急がなくても椎名は逃げないぞー。」
先生の的確なツッコミに、固まっていたクラスの面々が笑いを零す。
「じゃあこれでホームルーム終わっとくなー。授業始まるまで大人しくしとけよー。」
ひらひらと出席簿を振って先生が教室から出て行くのを見届けてから、リリィが再度こちらを振り返った。
リリィの隣(椎名くんの前)の席のユキが呆れたように溜息を吐く。
「お前…、小学生じゃねぇんだからもうちょっと落ち着けよな。」
「だ…だって、あたしも喋りたかったんだもん…」
「悪いな椎名、転校早々変なのに関わらせて。」
「いや、少しびっくりしただけだから大丈夫だよ。」
凹むリリィはスルーして謝るユキを微笑ましそうに見ながら、椎名くんが緩く首を振る。
「ゆっきーゆっきー、僕にも椎名くん紹介してよぉ。」
「何で俺に言うんだよ…」
前の席からちょいちょい、と制服の背中を引っ張るナキに、ユキが面倒臭そうに溜息を吐いた。
「貴方が無駄に大きい所為で、名月から椎名が見えないからに決まってるじゃない。」
ナキの隣(リリィの前)の席の雅が、すかさず援護射撃に加わる。
「尾上ぇ…お前ほんと何なんだよその口の悪さはよ…」
「結城に対してはこれが通常運転よ。いいから早くしなさいよ。」
舌打ちしつつもユキは改めて椎名くんに向かい合う。
が、彼の方が先に口を開いた。
「ユウキくん、ナツキくん、オノエさん、アシハラさん、シアンさん。…合ってる?」
順々に皆に目線を合わせながら確認していく。
僕の名前が呼ばれたところでぴくり、とユキの眉が動いたが、気付かなかった振りをして頷いた。
「スゴいね椎名くん!一発じゃん!」
「暗記は少し得意だから…。」
控えめに微笑む彼を視界に入れようと、ナキがユキとリリィの間から顔を出した。
「ねー椎名くん、ひーくんって呼んでいい?僕のことは名月でもナキでも何でもいいからさぁ。」
ひーくん?と小さく首を傾げた後、椎名くんは肯いた。
「いいよ、それで。呼ばれたことないからしばらく反応が鈍かったらごめんね、名月くん。」
「じゃああたしは翡翠くんって呼んでいい?あたしのことはリリィって呼んでいいから!」
ずいっ、と迫るリリィに困ったように頷く。
「皆好きなように呼んでくれたらいいよ。ちょっとリリィって呼ぶのはまだハードル高いから許してもらえたら嬉しいけど…。駄目かな、芦原さん。」
「仕方ないな、じゃあ慣れたら呼んでよね!」
「おい璃々、あんまり初日からプレッシャー掛けんなよ。」
テンションの無駄に高いリリィの後頭部に、本日二度目の制裁が下される。
「ほんと悪いな、椎名。コイツに迷惑掛けられたら、すぐ俺に言ってくれたら何とかするから。」
「うん、解った、ありがとう。結城くんは何て呼んだらいいかな?」
「ゆっきーはね、ゆっきーって呼んであげて!」
ユキが口を開くより先に、ナキが元気良く手を挙げた。
「やめっ…その恥ずかしい名前で呼ぶのはお前だけで充分…」
「了解、じゃあゆっきーって呼ぶね。」
すかさず頷いた椎名くんを、ユキがぐるんと振り返る。
彼は意外とSなのだろうか。
「僕は翡翠って呼ばせて貰うね。本当は名字で呼びたい所だけれど、知り合いにもう一人椎名って人がいるから混乱してしまいそうで。」
「うん、大丈夫だよ、紫杏さんは何て呼んだらいい?」
「そのまま紫杏で構わないよ。特にこだわりはないし。」
またユキの眉がぴくりと動いたが、今度も気付かなかった振りをする。
「後は私か…。私もこだわりないから、尾上でも雅でもどっちでもいいわ。」
「あのねひーくん、みーちゃんは超、超美人さんだけどぉ、僕の彼女だからあんまり仲良くしちゃ怒っちゃうからねぇ?」
上目遣いで結構凄いことを言ったナキの柔らかそうな頬を雅が引っ張り、翡翠に向けて軽く肩を竦める。
「気にしないで。いつものことだから。」
ふにふにと頬を引っ張り続ける雅と、若干痛そうに涙目になっているナキを見て、翡翠は必死に笑いを堪えている。
「うん、うん、解ったよ名月くん、尾上さんとは君に怒られない程度に仲良くする。」
その返答に、僕を含め皆が吹き出した。
「あ、そうだ、あともう一つ。あたし達ね、5人でバンドやってるんだ!今度ミニライブやるから、良かったら観に来てよ!」
どこから出してきたのか、リリィがライブハウスの地図とチケットを手渡したところで一限目の担当教師が来て、その場はお開きとなった。
【Continued.】