忍ぶれど
いつも優しく穏やかに笑っている。
私の兄はそんな人だ。
年が近い割に一度も喧嘩したことはない。
そのことを人にいうと、大抵驚かれるのだが、本当のことなのだから仕方がない。
穏やかで物事に執着しない、それが私の兄に対する印象だった。
その視線に気づいたのはいつの頃だっただろうか。
ふとしたときに感じる視線のその先にはいつも兄がいた。
その視線は普段の兄からは想像もつかないような熱を帯びていて、らしくない熱量にとまどった。
何度かその視線の意味を尋ねようとしたこともあったけれど、
私が気づいたとわかると必ず逸らされることに、なんだか触れてはいけないことのような気がして、
私はそれ以上考えることをやめた。
だからソレがなんなのか、私はまだ知らなかった。
*** *** *** ***
16才の夏、初めて彼氏ができた。
相手はクラスメイトで、そこそこ仲がいい男子だった。
嫌いな相手ではなかったこと、「付き合う」ということがどういうことなのかに興味があったので、
私は彼の告白を受け入れた。
兄に付き合うことになった、と告げると、ひどく傷ついたような顔をしたが、
それも一瞬のことで、すぐにいつもの穏やかな顔になる。
「おめでとう、よかったな。彼氏に大事にしてもらえよ」
そういうと、兄は静かに笑った。
それ以来、兄の視線は、よりいっそう密やかに感じられるようになった。
本当に、ともすれば気づかないくらいさりげなく、私に気づかれないようにと願いを込めて、
ひっそりと。
だけど一度気づいていてしまえば、もうなかったことにはできなかった。
確かな密度と熱量を伴ったその狂おしいまでの甘い視線。
私はソレがなんなのか、まだ、知らないふりをしている。
ソレをみとめたら、もう戻ってこられない。
*** *** ***
彼は私のことが好きだという。
私も彼に好きだよ、という。
すると彼はうれしそうに笑う。
彼といる時間はおだやかで楽しい。……だけどそれだけだ。
ああ、「恋をしている」相手にはこんな表情をするものなのか、と観察できるくらいには、
自分でも不思議なくらい冷静だった。
これが恋だというのだろうか。
私は、彼に同じだけのものを返せているだろうか。
恋が、できているのだろうか。
答えは否、だった。
それは確かに美しい感情なのだろう。
だけど、わたしのほしいものは、ソレじゃない。
何かが違う。何かが足りない。
彼に見つめられるたび、好きだと告げられるたびに、どうしてか、
あのときの兄の傷ついた顔がちらついた。
そしてそのたび、私を見つめる兄の視線の熱さが思い出されて、胸が苦しい。
ドロドロとした熱い何かが私の中をかき乱す。
だけど、その熱さがもっともっとほしいと思う。
その熱を与える、兄のすべてがほしいと思う。
ああ、もう認めなくてはならない。
その視線の熱の、意味を。
兄は、私に恋をしている。
私も、兄に恋をしている。
*** *** ***
「お兄ちゃん、私、彼と別れたよ」
「……そうか、残念だったな」
リビングで二人でテレビを見ているとき、ポツリと言った。
兄は視線はテレビに向けたままこちらをみない。
私もあえて兄を見ない。
「別れた理由、しりたい?」
「しりたくないよ」
「お兄ちゃんが、好きだからだよ」
びくり、今度こそ本当に兄が動揺したのがわかった。
呆気にとられたかのように、呆然と私を見ている。
「なに、いって・・・・・・」
「お兄ちゃんが、すき」
じっとみつめる。
私の熱は、兄につたわるだろうか。
その場を動かない。
ただ、兄を見つめている。
手を伸ばせば届く距離、兄は手を伸ばしかけ、ためらい、止めた。
「いいのか」
いまなら、まだ間に合う、そういっている気がした。
「もう、遅いよ」
その瞬間、抱きしめられた。
すきだ、と溢れ出るなにかをむりやり押さえ込むかのように苦しげな声、
でも確かに幸福に満ちた熱い吐息が私に触れた。
ああ、これこそ私の求めていた熱だ。
この気持ちはもはや恋ではないのかもしれない。
ただの執着心なのかもしれない。
それでも、いい。きめたのだ。
私は、もうこの熱なしには生きられない。
だから、この気持ちを私は恋とよぼう。
もっともっと、熱をちょうだい。
そうしたら私もあなたがのぞむものすべてをあげる。
そうして、私なしでは生きられないほどおぼれてしまえばいい。
私はもうとっくにあなたにとらわれてしまっているのだから。
もっと、もっと、あなたをちょうだい。
終