いつか死んでしまうあなたへ
愛という言葉は、非常に陳腐だとは思いませんか。わたしは昔から、愛という言葉が苦手なのです。
人を愛さなければならないという決まりでもあるかのように、人々はのろわれたように人を愛するでしょう。でも考えてもみてください。愛とは朽ちるものです。朽ちぬのであれば、離婚なんて言葉は存在しないでしょう。離婚の八割は愛が潰えたと考えてよいでしょう。あとで愛が潰えるのであれば、人を愛することなんてするべきではないのです。人間は愚かで罪深き人間ですね。
わたしのような人間は、昔から愛されているとは言えなかったでしょう。不幸自慢をするわけではありませんが、わたしは両親の顔も声もなにもかもを知りません。両親なんて人も存在するのかさえわかりません。もしかしたらわたしは自然にどこからか発生したのではないか、とも考えます。それはありえないのですが。
両親から十分な愛もなく、捨てられたわたしに愛を理解することなど不可能に近いことなのでしょう。
わたしを育ててくれた人はとてもよくしてくれました。けれど両親ではありません。所詮は他人なのです。こんな冷めた考えのせいか、育ててくれた人とも今は音信不通状態です。けれどいつか恩は返したいと考えています。仇で返すのは、多少心苦しいところもあるのです。
話しが逸れてしまいましたね。愛の話しをしているのでした。
そう、愛とは便利な言葉なのです。なにかしらに愛と入れれば、その言葉は重みを増し、まるで意味があることのように感じます。それも偽りや幻でしかないのですが。
けれどそんなことを承知でわたしはあなたに手紙を書いているのです。
いつか死んでしまうあなた、そしていつか死んでしまうわたし。
離れる瞬間は何十年先でしょうか。けれどもしよければ、わたしのそばにいてほしいのです。
愛しているなんて陳腐な言葉を使うつもりはありません。けれど、あなたのそばにいたいのです。いつだってあなたに、わたしの手が届く場所にいてほしいのです。
これはわたしのわがままに過ぎません。だからあなた次第なのです。
けれど、もしあなたがわたしと共にいてくれることを望んでくれれば、陳腐な言葉を吐けるほど、僕はこの世界を愛せるかもしれません。愛というものを理解できるかもしれません。
いつか死んでしまうあなたへ。