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日不見の穴

「ねえ、夕子ちゃん。明日の放課後とか、空いてる?」


授業と授業の間にある休み時間。

美琴ちゃんが私の方を向いてそう聞いてきた。

流石にもうなれたもので、私は心中また部活か、と思った。


「空いてるよ。寧ろ基本、空いてない時はないから…。」


習い事もなにもしてないから、学校が終われば自由なものだった。

そもそも宮比さんが放任主義すぎて、身を縛るものは何もない。


「で、今回は何処に行くんだ?」


少し離れた所から、隆斗君が言った。

彼も私以上に美琴ちゃんとの付き合いが長いから、部活だということを察しているらしい。


「今日は、駒酔山の洞穴探検です。そこは夜な夜な、変な呻き声とかが聞こえるらしいんだよ。その原因を探ろう。」


こまよいやま…?

何処に在る山だろうか。

いつもの如く、初耳だった。


「ああ、あの白骨が出てきた…。」


隆斗君はそれだけで解ったようだった。

白骨…。

当然だが、やはり今回もかなり曰く付きの場所らしい。


「五木場さん、白川は知ってるか?そこの近くにある山なんだけど…。」


「あ、白川は知ってる。電車に乗って行ったところにある駅でしょ?」


この前宮比さんの仕事に付き添ったときに通った駅だ。

山や川があって、自然に囲まれた場所だったと記憶している。


「所で、そこは何があったところなの?」


「駒酔山の麓にはね、昔小さな集落があったんだけど、そこが土石流で埋まっちゃってね。昔の話だから重機何かもないし、救助は不可能。それでそのまま放置されてきたらしいんだけど…近年になって工事してたら、骨がごろごろと出てきたんだって。」


「そこの集落、人口は34人くらいのもんだったらしくてさ。その周辺を掘ってみたら、全部で33人分の骨が見つかったんだと。」


一人分、足りない。

その一人は結局見つからなかった、ということだろうか。


「それでね、一番多く骨が見つかったところがあって、そこは土石流の音を聞いた人達が避難した場所なんじゃないかって言われてるんだけど…そこに、不自然な洞穴が有ったんだよ。」


「不自然な洞穴?」


「その場所の建物は完全に潰れなくて、それなりの空間が出来てたんだと。んでそこから伸びてた穴だから、救助が来ないことに耐えられなくなった生存者が自力で掘った穴なんじゃないか、って言われてたんだけど…出たいなら上に向かって掘れば良いものを、寧ろ下に向かって掘ってあったり、手で掘ったわりにはすげー穴らしくてさ。まあ兎に角色々とおかしいところがあるらしいぜ。」


じゃあ、今日の究明部の活動は、その洞穴の謎を調べる、ということになるのだろう。

今回も足を使った調査になりそう、と言うことだけが懸念材料だ。


「でも彼処、鍵かかってたよな?鉄格子みたいな扉があって…。どうやって入るんだ?」

「ふふん、そこで夕子ちゃんですよ。」


不適な笑みを浮かべながら、私の肩に美琴ちゃんが手を置く。


「…え?私?」


「この前の虚身の森の時さ、夕子ちゃんの…そう、原江さんが鍵持ってたじゃん?もしかしたら、駒酔山の洞穴の鍵も持ってんじゃないかな、と思ってさ。」


確かに、あの時取り出した鍵束には沢山鍵が付いていた。

その洞穴の鍵があったとしても、不思議ではない。


「でも…持ってたとして、貸してくれるとは思えないけど。」


「そこでお願いなんだけど…こっそり拝借してきてくれないかな?」


両手を合わせ、拝むようにして美琴ちゃんが言う。


「お前普通そんなこと友人に頼むか?正直に話せば良いじゃねえか。虚身の森ん時は付き添いまでしてくれたんだろ?」


流石に隆斗君は慌てたようだった。

確かにそうすれば、宮比さんは承諾してくれるかもしれない。

意外にそういうところ、面倒見が良いから。


「そ、そうなんだけどさ…。連れられて幽霊とか見せられて、これこれこういう理由でこうなりました、なんて説明されるだけじゃ味気ないじゃん。自分達で調べてこそ、部活なんだよ。」


美琴ちゃんにも美琴ちゃんなりの理由が有ったらしい。

それも、一理あるものだ。

二人が、私を見る。

どうやら、私の一存で決まることになるようだ。

私は暫く考えた後、決心する。


「…解った。今夜頃合いをはかって、鍵を拝借してくるよ。」


私の言葉に美琴ちゃんは喜び、隆斗君は呆れたようにして頭を振った。

バレなければ問題ない。

終わった後、またこっそりと返しておけば良いんだ。

私はそう思うことで、自身の行いを正当化することにした。





鍵を拝借するのは、さほど難しいことではなかった。

夜中、宮比さんが寝静まった後に事を済ませれば良いだけだったから。

鍵束の場所も、以前と同じであったので、あっさりと見つかった。

一番の問題点はどれがその洞穴の鍵であるか、ということだった。

あまりに多すぎて、どれがどの鍵なのか解らない。

幸いにも、鍵のタグに場所らしきものが書いてあるので、それを頼りに探した。

その一つに、こんな鍵が有ったのだった。


“日不見の穴”


そうとだけタグに書かれた鍵。

他に穴関連のものは無かったから、持ってきてしまったけど…あっているのだろうか。

放課後、美琴ちゃんにその鍵を渡す。


「ヒフミの穴…?彼処ってそんな名前だったんだ。」


美琴ちゃんはその名前に聞き覚えは無いらしい。

隆斗君も同様のようだ。


「まあ、他に穴系の鍵が無かったんなら、良いんじゃない?有り難う、夕子ちゃん!」


「なあ…マジで行くのか?二人だけでってのは流石に…。」


今回も私と美琴ちゃんの二人だけ。

隆斗君は何時ものように部活。

椎名さんは昨日から病欠だった。


「いつになく心配してくれるじゃん。どしたの?」


「いや、だって鍵までして管理してるんだぜ?危なくない訳ないだろ。」


そう言われると、そうだ。

虚身の森も入ると危険だからこそ、フェンスで囲んで管理していた。

私の心に、少なからず恐怖が生まれる。


「危険上等!だよ。昔からそうだったでしょ?大丈夫だって、今までも大丈夫だったんだから。」


美琴ちゃんには恐怖心がないのだろうか。

全く怖じ気づく様子も見せずに言い切る。

そうなると、対抗心というか見栄というか、生まれた恐怖を吐露することに戸惑いが生じる。

そんな下らない理由だけで、 私もつい大丈夫だよ、と言ってしまう。

二人ともがそう言ってしまえば、もう何も謂うことは出来ない。

隆斗君は、心配そうな表情をしながら、私達を見送っていた。





日諸市白川。

私たちの住む町から少し離れたこの場所は、自然に囲まれた綺麗な町だ。

そこにそんな曰く付きの場所が有るなんて、俄には信じがたい。


「駒酔山はあの山だよ。何でも、馬が酔ったかのように疲れきるほど険しい山だから、その名前になったんだってさ。」


成る程、確かに外観からしてその険しさが解る。

切り立った崖。岩肌の剥き出しになった山容。

見ているだけで命の危険を感じるほどだ。



「で、件の洞穴は何処に在るの?」


「ここからは見えないから…ちょっと回り込まないと駄目だね。日も沈みかけて来てるし、急ごう夕子ちゃん。」


見知った町であるかのように、美琴ちゃんは私を先導してくれた。

山の名前の由来も知っているとか、本当に日諸市が好きなんだ、と思う。

10分程あるいて山の麓に近づくと、崖の直ぐ下に洞穴が見えた。

隆斗君が言ったように、鉄格子のような扉で塞がれたそれは、さながら牢獄の様に思える。


「後の問題は、鍵が合ってるかだけど…。」

美琴ちゃんは鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと回す。

かちゃり、という音がして呆気なく扉は開いた。


「やった、やっぱりこれで良かったんだ。」


私は喜びのあまり、つい口にする。

ここまで来て違いました、では美琴ちゃんに申し訳ない。

一番の心配事はそこだったのだ。

洞穴の中を覗くとそこは想像以上に暗く、そして深く続いていた。

何だか不穏な雰囲気を醸し出している。

嫌な汗が、背中を伝う。


「…じゃあ、入ろうか。私が先行するから、夕子ちゃんは離れないよう付いてきてね。」

持ってきた懐中電灯を点け、美琴ちゃんが先に洞穴へ入っていく。

私も遅れないよう、後へ続いた。

穴は意外と広く、高さは私が余裕で立てるほど、幅は私と美琴ちゃんが横にぎりぎり並べるほどだ。

それでも、閉塞感はかなりのものであるが。

道は多少の曲折はあるものの、基本直線的であり、段々下に下がっていっていた。

私は隆斗君が言っていたことを思い出す。

確かに外に出たいのなら、何故下がっているのだろうか。

ふと、洞穴の壁に目をやる。

至るところに、指で引っ掻いたかのような跡がついていた。

この穴が手で掘ったものであるのも、確からしい。


「…いくらなんでも、手だけでこれ程の穴は掘れないよね。」


ぽつりと、そうこぼす。

一体、どれ程の年月を費やせばここまで掘れるのだろう。

その前に手がボロボロになってしまいそうだ。


「だから、いるんだって。人ならざるものがさ。」


緊張によるものか、流石に異様な気配を察したのか。

美琴ちゃんのその声は、少し震えていた。

更に進むと、一層下る傾斜がきつくなっていく。

それを見て、一抹の不安が頭をよぎる。

もしかしていきなり垂直に落ちてたりはしないよね…。

そこまで極端ではなくとも、帰りに登れない位の坂になっていたりは…?

嫌な想像だけが浮かんでくる。

いや、でも隆斗君は私たちが此処にいることを知っている。

最悪そうなっても、助けが来る可能性が高いだろう…。

そんな事を考えていると、突然美琴ちゃんが口を開いた。


「ねえ、夕子ちゃん…何か聞こえない?」


「え?何かって…、何が?」


「何かこう…砂をこ擦り合わせるような。」

その言葉に、私は耳を済ませる。

先ず聞こえるのは、二人の呼吸音。

そして、自身の心音。

その二つに混じって、確かに奇妙な音が聞こえていた。


じゃり…じゃり…


といった具合の、余り気持ちの良くない音だ。

例えるなら、砂を噛んだときのような音だった。

いや、音だけではない。

何か、腐ったかのような不快な臭いも立ち込めている。

それに思わず私は顔をしかめる。


「…この先だ。」


美琴ちゃんが懐中電灯で道を照らす。

そこは丁度右に折れ曲がっていて、先は見えない。

この曲がり角の先に、何かいる。

そう思うと、心音が更に大きくなる。

遂に、この穴に住まうものとの対面か。


「…どうする?」


「…角から、覗いてみようよ。」


私達二人は、壁に沿って足音を極力たてないようにして歩く。

そして角からそっと、懐中電灯だけを覗かせた。


“ギャアアアアアアァァァッ!!”


形容するなら、そんなところだろうか。

それとほぼ同時に、 鼓膜を突き破りそうな程の悲鳴が洞穴中に響き渡った。

苦痛に満ちた声。

ただでさえ閉ざされた空間に、それだけの音。

卒倒しなかっただけ、ましなのかもしれない。

気付くと私は両手で耳を塞ぐようにして、その場にうずくまっていた。

きぃん、と言うような耳鳴り。

そして軽い吐き気のようなものがする。

足元がふらつくような気もするが、何より回りが真っ暗で何も見えない。

懐中電灯はどうしたのだろう。

声に驚いた美琴ちゃんが落とし、壊れてしまったのか。

そうだ、美琴ちゃんは?

美琴ちゃん、何処にいるの?

そう、口にしたつもりであったが、その自分の声が妙に遠い。

さっきの声で耳を少しやられてしまったらしい。

五感のうち二つが使えず、私は途徹もない不安に襲われる。

どうする?

どうすればいい?

まだ、悲鳴の主は近くにいるだろう。

兎に角直ぐに逃げなければ。

だが出口はどっちだったか。

どっちに向かえば良いのか──。

その時、自分の背後にえもいわれぬ気配を感じた。

それは、禍々しいと言えば良いのか。

近寄りたくない。近寄ってはいけない。

そう、頭が警鐘を鳴らす。

つまり、そちらと逆に逃げれば良い。

突然湧いた不思議な感覚を、私は信じた。

信じるしかなかったのだ。

そうこうしているうちに聴覚も多少回復し、耳鳴りが聞こえなくなる。


「夕子ちゃん!大丈夫!?」


「あ、美琴ちゃん!」


「良かった…何度も呼んだのに返事がないから、心配したよ…。」


心底安堵したかのような声をだす。

しかし、まだここは危険なのだ。

それは、私が感じる禍々しい気配が示していた。


「美琴ちゃん、早くここからでよう」


「で、でも…懐中電灯落としちゃって何も見えないし、どっちに行けば良いか解んないよ?」


「大丈夫、私に付いてきて。此方だから。」

私は自信を持って、気配とは逆の方向に美琴ちゃんの手を引く。

美琴ちゃんは小さくうん、と言い、私に従うように歩き始める。

出口の方角は解ったとはいえ、完全なる暗闇の中なので、手探りで進むしかない。

そのため来るときよりも速度は遅く、気配に追い付かれてしまうのではないか、という思いが強まる。

気配の主と私達との距離は、さほど変わっていないように思えた。

依然として嫌な感覚は私の身を刺すように襲う。

近づいてはいない。けれども遠ざかってもいない。

つまり、ほぼ同速で付いてきているのだ。

私たちの存在に気付き、狙っている。

もしも捕まったら…

来るときに比べ、酷く長く思われる距離を進むと、先に小さな穴がみえた。

出口だ。

日はすっかり暮れているようだが、妙に明るく見える。

ここで漸く、私の頭の中に安堵の二文字が浮かんだ。

…それがいけなかった。

突如聞こえる美琴ちゃんの悲鳴。

そして強い力で私は引っ張られる。


「わっ!?」


完全に油断していた私は危うく引き倒されそうになった。

暗闇に馴れた目と、多少入り込んできた光で、美琴ちゃんは完全に倒れてしまっている様子が見える。

そしてその左足を、白い手のようなものが掴んでいた。


「い、痛ッ…痛い痛いッ!」


美琴ちゃんの悲痛な声。

私とその手に両方向から引っ張られるような形になっていた。

しかし私は非力であり、かつ相手の方が下にいることもあって、徐々に引き込まれてしまう。

此のままでは二人とも捕まってしまう。

でも、手を離す訳にはいかない。

どうすれば…どうすればいいの?

考えれば考える程、絶望は大きくなっていく。

その時だった。


「夕ッ!絶対にその手を離すなよ!」


聞き慣れた声が、聞こえた。


「宮…!?」


条件反射的にその名前を呼ぼうとした瞬間、全身を眩しい光に包まれる。

そして絶叫が聞こえ、引っ張られる力が無くなる。


「こっちだ!急げ!」


その、一瞬の隙。

私の手をつかみ、二人ごと一気に出口まで引っ張り出す。

そしてスペアキーなのか、ポケットから鍵を取り出すと、素早く鍵を閉めた。

それとほぼ同時。

がしゃん、と大きな音がして、鉄格子のような扉に大きな影がぶつかる。

月明かりに照らされたその姿に、私は息を呑む。

鋭い爪、真白の肌、大きな口、頑丈そうな歯。

そしてそれに似合わず、目は小さなもので、体に毛の類いは一切ない。

その化け物は奇声をあげながら鉄格子を何度も揺さぶる。

今にも壊して出てきそうだ。

すかさず宮比さんは懐中電灯の光を浴びせかける。

化け物は3度目の悲鳴をあげると、暫くその場にうずくまっていたが、やがて立ち上がると、ゆっくりと穴の中に帰っていった。

私たちはただ呆然と、一部始終を見ていることしか出来なかった。

ふと我に帰り美琴ちゃんの足首を見ると、そこからは血が流れていた。


「だ、大丈夫?美琴ちゃん…。」


「う、うん…平気平気。」


美琴ちゃんは笑って言って見せるが、それも直ぐに苦痛に歪む。

早く手当てしないと…。

と、そこへ宮比さんは無言で歩みより、持っていたハンカチで患部を縛る。


「今は取り合えず、此れくらいしか出来ないが…帰ったら手当てしてやる。一旦、私の家に来てもらうからな。」


「は、はい…ありがとう、ございます…。」

気圧されたかのようにして、美琴ちゃんは言った。

宮比さんは今度は私の方へ向き直り、立ち上がる。


「…。」


何も、言わない。

ただ私を見つめている。


「み、宮比さん…その、あの…」


助けてくれてありがとうございます。

そう言おうとしたときだった。

ぱん、と何かを叩くような音。

頬に響く衝撃。

叩かれたんだと気付くのに、暫しの時を要した。


「…お前はもっと、分別ある子だと思ってたんだがな。まさか鍵を無断で持ち出して、こんなことするなんてな…。」


少し、悲しそうな声だった。

私は打たれた頬を押さえながら俯く。


「は、原江さん、違うんです!此処に来ることも、鍵を持ってくるように頼んだのも私が…!」


「…堀野さん、こいつはその提案に反対したのか?」


その言葉に美琴ちゃんは何も言い返せなかった。

私は、反対していない。

美琴ちゃんの提案に、同調したのだ。


「わざわざ鍵かけてあるとこに入って死にかける、他人に迷惑をかける。恥ずかしくないのか?こんなことをして…。」


つつ、と頬を涙が伝う。

自分のした愚かな行動、分別あると信じてくれていた宮比さんを裏切ってしまったこと。

それらが合わさり、悲しみとして溢れでた。


「…はぁ。まあ、こんなところで説教垂れても仕方ない。兎に角帰るぞ。ここは居心地が悪い。続きは私の家で、だ。」


宮比さんは美琴ちゃんをおぶさり、私の手を引いて駅へと向かう。

その道中、誰も何も言わなかった。

駅に付き、帰りの電車を待っているとき、宮比さんがある話をしてくれた。


「…あの穴の奴は、まあもう察してるだろうが、土石流に巻き込まれた被害者の一人だ。偶々建物が完全には潰れず、その空間に閉じ込められ…長い年月を経て、ああなってしまったんだ。私達は便宜上“ヒミズ”と呼んでいる。」


「…なんであんな風になって、しまったんですか?」


私は漸く止まった涙を拭いながら聞く。

幾ら長い年月を経ても、普通はああは為らないだろう。


「偶々建物が完全には潰れず、生き残った彼は飢えに苦しんだ。そこで仕方なく別の被害者の遺体を食べることで、何とか凌いでいたんだ。しかし待てども助けは来ず、遺体を食べ尽くしてしまった彼は、ただ腹を満たすことだけ考えるようになった。…そうやって食への執着が強まった結果、あの姿になったのさ。つまりは餓鬼の一種だ。」


餓鬼。

私もどこかで名を聞いたことがある。

餓鬼憑きという妖怪がいて、とり憑いた人を飢えさせるのだと。


「長く暗闇に生きたせいか、己を棄てた光の世界を憎んでいるのか、極端に光を嫌う。そのため地上に出ることもなく、ただああやって穴の中で土を喰らって、生きているんだよ。」


丁度その時、喧しいブレーキ音をたてながら、電車が到着した。

暫く光の少ないところにいたせいか、車内が酷く眩しく感じる。

私達は立ち上がり、電車に乗り込む。


「…あとで磯竹って子にお礼言っておけよ。あの子が来なかったら、私は気付かなかったんだからな。」


そこで初めて、私と美琴ちゃんは何故宮比さんが此処に来れたのかを悟った。

最初から、隆斗君のいうことを聞いていたらこんな目に会わなかっただろうに。

自分達の浅はかさを、改めて悔やむ。

不意に発射音が鳴り響き、ゆっくりと電車が動き始める。

車窓の外は真っ暗で、何も見えない。

日の元に生まれながら、暗闇に生きる彼。

そして此れからも、あの穴で生きていくのだろう。

…満たされることの無い、空腹を満たすためだけに、ずっと──。



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