どんてん
「おう、夕か。奇遇だなこんなところで。」
「?…あ、宮比さん。」
学校が終わってからの事だった。
今日は部活もなく、美琴ちゃん達とも別れて一人帰路を歩いていると、ばったり宮比さんと出会す。
その両手には、いくつかの買い物袋がぶら下がっている。
「買い出し、ですか?」
「ああ、まったくうちの島にもスーパーくらい欲しいもんだ。一々本土に渡らなきゃ、買い物すらままならん。…ほれ。」
愚痴りながら、私の前に一方の買い物袋を差し出した。
片方もて、との意だと解釈し、私は黙ってそれを受けとる。
…重い。
両手で持って漸く浮くほどの重さだ。
中を見ると、果物や野菜がぎっしりと詰まっていた。
「また随分と買い込みましたね。」
「ん、まあ育ち盛りの子供がいるからな。消費が激しいんだよ。」
…そんなに私は食べているのだろうか。
そうだとしたら、少し考えた方が良いかもしれない。
余り運動もしてないし、もしも太ってたらどうしよう…。
自分の腹部に手をやりながらそんなことを考えていると、突然強風が私たちの上空を吹き抜ける。
「ッ…!」
煽られて転びそうなくらい、強い風だった。
路端に生えた木が大きくしなり、何枚かの葉が空を舞う。
私も転びそうになったが、買い物袋が重石になってくれたお陰で何とか持ちこたえた。
「っと、凄い風でしたね…。宮比さん、大丈夫ですか?」
そちらに目を向けると、宮比さんは空を見ていた。
何だか少し残念そうな顔をしながら、空に向かって呟く。
「…どんてんか。今年は随分と早いもんだな。」
どんてん?
なんの事だろう。
そんな疑問を抱きつつ、私も空を見る。
すると先程まで青かった空が、いつのまにか暗雲に覆われている。
「あ、ほんとだ。曇天ですね。でもさっきまで雲一つ無かったのに…。」
「いや、そうじゃなくてな…。まあ今は早く帰ることが先決だな。走るぞ、夕。ぼやぼやとしてると、雨に降られるからな。」
素早く先程私に渡したばかりの買い物袋を引っ手繰る様にしてとると、そのまま駆けていく宮比さん。
「み、宮比さん?待ってくださいよ!」
2つの重い荷物というハンデを背負いながら、その足は私より速い。
私は見失わない様に全力で走ったが、直ぐにその背は見えなくなってしまう。
更に元々の体力のなさもあってばててしまい、走り続ける事が出来なくなった。
...こういうとき、普段から運動するべきなのかなあ、とつくづく思う。
まあ、直ぐにその思いは消えてしまうのだけれど。
そして一人、とぼとぼと島に掛かる橋を歩いていると、宮比さんの言った通りに雨がぱらぱらと降ってきた。
流石に濡れてしまっては敵わないと、私は残った体力を振り絞り、家までの道を一気に走る。
玄関に辿り着くや勢いよく中に飛び込むと、直ぐそこに宮比さんが立っていた。
どうやら私が濡れてしまうことを見越して、タオルなどを用意してくれたらしい。
私を見ると、笑いながらそれを差し出してくれた。
「先にシャワーでも浴びてこい。風邪でも引かれたらたまらんしな。」
言われた通りに軽くシャワーを浴びていると、風呂場の曇りガラスに、大粒の雨が当たる音がし始める。
どうやら本格的に降り始めたらしい。
「でも天気予報は一日中晴れだったはずだけどな…。」
濡れた髪をタオルで拭いているとき、その事を思い出す。
所謂通り雨というものだろうか。
新しい服に着替えて居間にいくと、縁側で宮比さんが雨を眺めながら煙管を吸っていた。宮比さんは雨が好きで、それを肴に喫煙するのが何よりの楽しみであるらしかった。
「夕、今年の東北は水不足になるかもしれんぞ。」
こちらに振り返るでもなく、宮比さんが言う。
「いきなりなんですか?」
「5月半ばにどんてんが起きちまったからな。梅雨にも期待出来ないんだよ。」
「さっきからどんてんどんてんって…どんてんって何の事です?」
曇天のことじゃないみたいだし、まるで話が飲み込めない。
まあ、言い種からして、何らかの怪異であることは先ず間違いないだろうが…。
宮比さんは一息煙を吐くと、話し始める。
「“どんてん”はな、奥羽山脈に住む龍だ。大体冬から梅雨明けまでは眠っていて、起きると食事をしに山を降りてくるのさ。」
龍とはこれまた大きく出たものだ。
幾度か不思議な体験はしてきたが、流石にそこまでいくと現実味がない。
「食事をって、何を食べに来るんです?まさか人間じゃないですよね?」
「そこまで狂暴なやつじゃあない。どんてんの主食は雲さ。それに含まれる微粒子や水を食って生きてるんだよ。」
雲を食べる龍、か。
微生物を食べる鮫みたいなものだろうか。
実際、そんな鮫がいた気がする。
「どんてんは目覚めると山を凄い速さで下りていく。その時に起こる気流を利用して雲を作り出すんだな。そうすると、下の平野とかに丁度雲が溜まり始める。一方のどんてんはというと、そのまま太平洋の彼方にいってしまう。そしてそこでUターンして戻り、そのままの勢いで溜まった雲を呑み込んで、また奥羽山脈をかけ上がるのさ。」
「じゃあこの雨はそれで出来た雲によって降っているんですか?」
私の問に、ああそうだ、と宮比さんが頷く。
「昔から、どんてんは通り雨を起こす存在だと信じられてきた。けれども分類上、やつは日照り神になってるんだな。」
日照り神。
たしか、干魃を起こす神様だったように思う。
雨を降らすが日照り神…。
一体どういうことだろうか。
「…雲を食べるどんてんにとって、梅雨前線はこの上ない御馳走なんだよ。梅雨明け前に起きた場合、東北地方に掛かる梅雨前線を食っちまうのさ。」
その結果、東北には梅雨が来ず、水不足に陥ると言うことか。
干魃を起こすのなら、かなり厄介な存在に違いない。
「…そろそろ、太平洋上にすっ飛んで行ったどんてんが帰ってくる頃か。」
そう呟くと宮比さんは灰皿を片手に立ち上がり、居間に入って窓を締める。
そのすぐあと、外を凄まじい風が襲った。
がたがたと窓が揺れ、一層激しく雨粒が打ち付けられる。
…開けたままだったら部屋の中が悲惨なことになっていただろう。
「全く、迷惑この上ないやつだ。今年も梅雨を眺めながら煙管を吸うの楽しみにしてたんだがな…。」
心底がっかりした様子で再び窓を開ける。
見るとすっかり雲は無くなっており、空にある雨の名残は、虹くらいのものだった。
「私もシャワーを浴びてくるわ。どんてんのこともっと知りたかったら、これでも読んどけ。」
そう言って一冊の古い本を渡すと、居間から出ていく。
装丁はすっかり擦りきれ、題すらも読めない。
別にそこまでどんてんに興味はないけれど、折角なので読んでみることにした。
先程の宮比さんのように縁側に腰掛ける。
雨自体は好きではないが、雨上がりの空気の匂いは嫌いじゃない。
それを楽しみつつ、私は本を開く。
どうやらこれは、妖怪などを纏めた本であるらしい。
目次から、有名な妖怪の名前も散見出来る。
宮比さん、これで妖怪の勉強してたのかな。
そんなことを想像しながら目的の頁を開くと、一つの挿し絵に説明文が添えられていた。
それは丁度、深海魚のフクロウナギのような格好で、龍と言うにはちょっと滑稽に感じる。
事細かに説明が書かれているが、殆どは宮比さんが教えてくれたことと同じことを言っているようだった。
もうこれ以上、知れることはないのではないか。
そう思いながら、一応最後まで目を通す。
“体に比して頭部は大きく、入道雲のような大きな雲でさえ一口にする。その様、さながら天を呑み込むが如し。故にその名を呑天と言う。”
この妖怪の頁は、その文でもって締め括られていた。




