ウセナサマ(前編)
年末少し前の今、俺は故郷岩手の小さな町に戻っていた。
理由は中学の同窓会。
こんな中途半端な時期に催される理由は、年末は年末で色々用事がある人が多いだろうから、と言うことを考慮していると聴いたことがあるが…どうなのだろう。
まあそんな訳で、実家へ顔見せついでに帰って来た。
とはいえ毎年出ているのでさほどの懐かしさも覚えず、勝手知ったる我が家のようなこの街を、気ままにぶらつきながらに店を目指す。
目当ての店は駅前の、全国チェーンの居酒屋だ。
皆の都合を鑑みてのこの時期とはいえ、参加者は毎年多くない。
精々、未だに地元に暮らしている奴等が集まる程度で、東京から遥々やってくる暇人は俺くらいのものだった。
暖簾を潜り、引き戸を引く。
するとそこは、片田舎には珍しい程の活気に溢れている空間があった。
狭苦しい中に、数十人の人々がひしめき合う。
東京では道を歩くだけで味わえる物だが、此処に来てからは初めて味わう物。
俺は、この雰囲気が好きだった。
俺を見て軽く挨拶をしてくる友人に返事を返しつつ、自分に宛がわれた席に座る。
そこでふと、周りを見渡してみた。
毎回、座ってからやることはそれだった。
友人の近況報告のような話を聞きつつ、一人一人女子連中の顔を見ていく。
と言っても、決しておかしな目的があるわけではなく…俺の探しているのが女子、というだけの話だ。
けれども、どれも一年前に見たことのある顔だった。
目当てらしき人物は見つからず、誰にも気づかれないくらいに小さな溜め息を吐く。
これももう、何回目のものだろうか。
そう、俺が遥々東京から、毎年欠かさずにこの同窓会に参加する理由──。
それは、この命を救ってくれたお礼を、彼女にしたかったからだ。
中学校の卒業式を間近に控えたある日の事だった。
卒業の感慨に耽ったり、高校生活への希望の声が教室を覆う中、俺は一人の女子に話しかけた。
「おい原江。お前今日の放課後、空いてるか?」
名を原江宮比という、小学校からクラスの同じだった生徒だ。
彼女はうちのクラス…いや、下手すると学年で有名だった。
別に頭が良いとか、そう言うわけではない。
寧ろ成績は悪く、中の下か下の上と言ったところだ。
顔立ちは整ってはいるが地味であるため印象にも残り難く、そっちの面で話題になることもあまりなかった。
では何故有名だったかというと…彼女が幽霊の見える体質であると自称していたからだ。
これは確か、小学生の時既にそう言っていたと思う。
まだその頃は皆そういう事に対して否定的でも余り無いため、好意的に受け入れられていた。
けれども中学生にもなると、考えが大人びるというか、幽霊などという曖昧な存在を否定し始めるのだ。
彼女は別に霊感があると吹聴していた訳ではないが、一度広まった評判が収まる筈もなく、日頃の自身の奇行も相俟って、白い目で見られていた時期だった。
原江はそんな身の上のせいか、俺の言葉に直ぐには返答せず、若干警戒しているかの仕草をしていた。
今思うと、その頃の彼女は虐めを受けていたのではないか、とも思う。
「いやさ、一緒に遊びに行く約束してたやつが急用入っちゃってさ。誰でも良いから来て欲しいんだよ。」
これは嘘だった。
そんな約束などしていない。
友人の具体名を挙げなかったのも、そのためだ。
今にしてみればなんとも稚拙だが…これは俺なりのデートのお誘いだった。
彼女は、幽霊だとか変なことを言わない限りは、俺好みの異性だった訳だ。
高校は別々のところに進学することになっていたから、今しかチャンスはない。
そう思い至ってのことだった。
「え…でも、行くって何処へ?」
そんな俺の意図を知ってか知らずか、原江は聞き返す。
俺はそう聞いてくるのを待ってました、と言わんばかりに行き先を告げる。
「ほら、あそこ…あの、廃病院だよ。」
あの廃病院。
この町の南部にある、結構大きめな建物だ。
鬱蒼と繁る草木に囲まれた廃墟。
幽霊が出る、と噂が立つのも当然な位、不気味な佇まいをしていた。
「ほら俺、高校は違う街にあるからさ。なら今の内に真偽を確かめておきたいんだよ。」
また嘘を並べ、それらしいことを口にする。
すると、彼女は明らかに躊躇いの表情をした。
「あ、あそこは、その…。」
幽霊好きなら乗ってくるだろう、と踏んでの廃病院選択だったが、逆効果だったのか。
中々原江は首を縦に振らない。
しつこく尋ね、理由を聞き出すと、
「あそこは、祖父ちゃんが行くなって言うところなんだ。」
とのことだった。
「お前のお祖父さんが?」
「うん…。」
そこで再び彼女は口を噤む。
原江が祖父のことを随分と慕っていたらしいことは、これまでの付き合いの中で知っていた。
その祖父の言い付けということは、簡単には承諾してくれないか…。
かといって、今さら場所を変える、というのも避けたかった。
この街で他に知っている曰く付きの所はない。
幽霊の真偽を確かめたいと言っておいて、いきなりそれに関係無いところに誘うとさっきまでの建前が建前であることがばれる可能性もある…。
進退極まった俺は、そっぽを向いて拗ねた振りをする。
「じゃあ、いいや。俺一人で行くことにするから。」
するとこれは思いの外効果があったらしく、慌てたようにして俺の服の裾を引っ張る。
「ま、待て外谷。」
「…何だよ。」
わざと素っ気なく返事をする。
原江は裾を掴んだまま次の言葉を言うべきかどうか迷っているらしく、俯いていた。
その様子を見ている内に、罪悪感が俺を包み込む。
原江を自分が酷く虐めているような、そんな感覚だった。
所詮こんなのは、自分本意の行動。
誰かを困らせて良いものではない。
そう思い、謝ってしまおうと思った。
けれども、それより僅かに早く原江は口を開いた。
「…解った。私も行く。」
じっと此方を見据え、覚悟を決めたかの様にしたその目に、俺は何も言えなかった。
気圧され、ただ了承の意を込めた頷きしか出来なかった。
──もしもこの時、もっと早く俺の方が折れていたなら、あんなことにはならなかっただろう。
少なくとも、長い間後悔するようなことには…
放課後、俺と原江は二人で廃病院の前に立っていた。
やはりここは、実際に目にするとえもいわれぬ威圧感がある気がする。
田舎町に似つかわしくない巨大建築物だからだろうか。
それとも、それさえ飲み込んでしまう植物群に畏怖しているのか。
「……。」
原江はもう、何も言わなかった。
ちらちらと周りに目を配り、なにやら警戒しているようだ。
「何だ、恐いのか?日頃から幽霊の類い見て慣れてるんじゃないのか。」
自分を強く見せるために、俺はそうからかう。
すると、原江は横を向いてばつが悪そうに言った。
「…ふん。そういうのを感じるからこそ、恐いんだ。全く感じないやつが羨ましいよ。」
自分が恐がっている、ということを隠さない言葉だった。
そんな彼女を俺は笑い、見栄をはって先陣を切る。
玄関のガラス張りの扉は開かなかったが、以前に入った奴の仕業だろう割られた跡を潜り抜けると、随分と埃っぽい空気が出迎える。
まだ日が出ているというのに、かなりの暗さだ。
懐中電灯など持ってきていなかった俺は、携帯電話をライトがわりにして辺りを照らす。
そこは受付だったのだろうか、椅子が並べて配置されていた。
「うわ、すげえな。こりゃあ雰囲気あるわ。」
幽霊なんて毛頭信じちゃいなかったが、廃墟というものは好きだった。
人の作った空間でありながら、人のいない空間。
そういうものが、俺の心を刺激するのだ。
原江はそんな俺の背後を、同じように携帯を手にしながら付いてきていた。
「…おかしい。」
一言短く、小声でそう呟く。
普段なら聞き落としそうなそれも、異様な静寂のせいでよく聞こえた。
「何がおかしいんだよ?」
「…何も、いない。」
「は?」
原江が一体何を言っているのか、俺には解らなかった。
何もいない?それはどういう意味なのか。
そう、問い質してみる。
「普通、病院の廃墟とかなら、幽霊の一人や二人いても当たり前なんだ。でも、ここには何にもいない。何も見えないんだよ。」
珍しく青ざめ、焦っているかのように原江は言った。
それは不自然で、尚更危ない気がする、と言いたげに。
けれどもその時の俺は、それを怪奇現象が起きなかった時の為の保険の言葉、くらいにしか思わなかった。
「ふーん。良いじゃん、いないなら。要するに安全ってことだろ?なら見て回ろうぜ。な?」
廃墟をもっと見て回りたかった俺は、さらに奥に進もうとする。
「ま、待てって外谷!おい!」
瓦礫や硝子片を踏みしめて進んでいくと、沢山の扉の面する廊下に辿り着いた。
診察室や病室などであったろう部屋を、二人で固まりながら一つ一つ覗いていく。
原江は怖いのか、一人になりたくないのか、妙に俺に体を寄せていた。
…まあ、雰囲気も何もあったものでは無いが、デートと言えなくもない状況だった。
本懐を遂げられたのと、廃墟の探索という未知のことに調子に乗った俺は
「なあ、他の階も見てみようぜ。」
と言った。
大きな病院であるから、1つの階を回るだけでもそれなりの時間が掛かる。
他の階も探索となると、もう日も完璧に暮れてしまうだろう。
因みに三月であるから、暗くなるのも早い時期だ。
「駄目だ。もう帰ろう。暗くなれば、何が起こるか解らないぞ!?」
凄い剣幕で原江は詰め寄る。
そのあまりの必死さに、俺はたじろいだ。
「…じゃあ、暗くなけりゃ良いのか?」
「…まだマシっていう話だ。」
その言葉を聞いて、俺は昼間にくるのはどうだ、と持ちかける。
原江の話し振りからして、暗いのは嫌なのだろう。
なら、休日にでも早めに来るのなら良いのではないか、と思ったのだ。
「…今日の探索を切り上げるなら、それでもいい。」
やむを得ない、といったふうな顔をする原江。
俺は、じゃあ今日は帰ると踵を返す。
それとなく休日に、好きな子と会う約束が出来たのだ。
廃墟の探索もまたその時に出来るのだから、文句はなかった。
すると、原江は酷く安堵した表情を見せ、ため息を1つ吐くと、今度は彼女が先導をするような並びで玄関を目指す。
──けれども、そのまますんなりと帰れるような事にはならなかった。
全く、行きはよいよい帰りは怖い、とは良く言ったものだ。
異変は、先を歩く原江の足がぴたりと止まったところから始まる。
「…どうしたんだ?」
危うくその背中にぶつかりそうになり、寸でのところで踏みとどまる。
けれども俺が声をかけても、原江は返事をしない。
ただ廊下の隅の暗がりを凝視している。
「おい?」
「……。」
気になった俺は、その場所を携帯で照らしてみた。
…が、特になにもあるわけでもない。
ただ、そこに闇が佇んでいるだけだ。
「…ん?」
俺はその時、自分がおかしな思考をしたことに気づいた。
闇が、佇んでいる…?
灯りで照らしているのに…?
原江同様、俺もそこを見つめたまま動けなくなる。
すると、その代わりに、とでも言う風に闇が動いた。
ただぼんやりとした円状から、人のような形になった。
屈んだ状態から、立ち上がったのだ──そう思うような変化だった。
そして次に、ゆっくりと一歩踏み出す。
ゆらゆらと揺めきながら、此方に近づいてくる。
酷く緩慢な動きだが──俺達は所謂金縛りにあったかのように動けないのだ。
彼我の距離は、確実に縮まっていく。
「…逃げろ、外谷。」
原江が、口だけを動かして声を発する。
けれども俺の足は震えるだけで少しも動かない。
未知なる者に直面して、足がすくんでいるのか。
…いや、それだけじゃない。
目の前の闇のような漆黒の人影が、尋常でないほどの威圧感を放っているのだ。
「っ…!逃げろ!外谷!」
静寂の空間に、突如として怒声のような原江の声が響いた。
それに驚いたのか、体が跳ね上がる。
そしてそのお陰かは知らないが、ある程度体が動くようになった。
「あ…ああ…。」
よろめく様に二、三歩後退り、影から離れようと足掻く。
けれども体はまだ思うようには動かない。
恐らく、端から見れば酷く滑稽な動きをしていただろう。
…俺はその時、自分の事で頭の中が一杯だったのだ。
ただ影から逃げたい一心で、足を動かしていた。
──原江の事に頭が回るようになったのは、もう十数歩は歩いたときだっただろうか。
「…は、原江…?」
名前を呟いて振り向いた時だった。
目の前を人間大の固まりが凄い速さで横切っていき、がしゃん、と硝子の割れる音がした。
「え…。」
視線の先に、原江は居なかった。
ただ先程の影が気怠そうな動きをしながら揺れているだけ。
…原江は何処に行ったのだろう。
まさか、さっきの塊が──?
嫌な予感を抱きながら、また振り返る。
そこには、さっきまでとは違う光景が広がっていた。
さっきまではそうではなかったのに、いつのまにか割れている窓。
そしてその硝子の欠片が床一面に広がり──その中に、彼女が倒れていたのだ。
「原…。」
少しも動かず、声も出さない。
身体中の至るところから血が出ていて、床に染みを作っている。
あの影に弾き飛ばされ、窓に叩きつけられたのだろうか。
その時──恐怖で張り詰めていた理性が、遂に切れた。
彼女は死んだ。
独りになった。
そんな、自然に湧いて出てきた考えが、俺の意識を支配した。
足が、今までの硬直が嘘であるかのように動き出す。
恐らく、その時俺は一種の錯乱状態に陥ったのだろう。
動かない原江を助け起こそうともせずに上を飛び越す。
そして、まるで無限に続くかに思えるような廊下を、声にならない悲鳴を上げながら只々走り続けた。
…それから、どれくらいの時だったのだろうか。
ふと我に返ると、俺はどこかの部屋の片隅で、縮こまるようにして座り込んでいた。
ベッドがいくつか並んでいるところを見ると、恐らくは病室なのだろうか。
何となく見覚えがあるから、先程見回った部屋の中の一室だろう。
さっきの場所より入り口から離れてしまったことは、そのことから悟った。
…自分はどうするべきだろうか。
その事を考えはじめて途方に暮れる。
今の俺は一人なのだ。
自分で考え自分で決め、自分で行動しなければならない。
言うまでもなく、目的は脱出。
口に出すのは簡単だが、実行するとなるとそうはいかない。
さっきのあの影が今何処にいるのかは知らないが、もし入り口に陣取られていたら会わずに出るのは難しいだろう。
窓などには板が貼り付けられ、破れないことも無いだろうが時間はかかる。
何より派手に音を立てるから、自分の居場所を知らせるだけだ。
他の出入り口を探すのは?
これだけの大きな病院だ。
外へと通じる扉が他に幾つかはある筈。
…だが、そこには当然鍵が掛かっているだろうし、玄関みたいに穴が開いてるとは限らない。
そこの鍵が病院内に放置されてるとも思えないから、探すのも得策ではないだろう。
携帯で助けを呼ぶのは?
…それも無理だった。
どうやらさっき走って逃げたとき、何処かへ落としてしまったらしいのだ。
時間が立てば不審がった親が探してくれはするだろうが…それまで逃げ切れる確証もない。
色々な考えが出ては、直ぐに消える。
…けれどもどの考えにも付いて回る最悪の結果に、どの行動をとれば良いのか躊躇ってしまう。
「原江…。」
せめて他に人が…原江がいてくれたなら。
いやその前に、彼女の言葉に従うべきだったと今更ながらに悔やむ。
俺は、自分の軽率かつ我が儘な行動で彼女を──。
(…いや、まだ死んだとは決まってないんじゃないか。)
あのときは恐怖のあまり、血を流していた原江をそう見てしまったが、実際は気絶していただけかも知れない。
だったら当面の目標を脱出から原江との合流に切り替えた方がいいだろう。
より実現できそうな目途を見つけた俺は、漸く腰を浮かせる。
部屋の扉からそっと顔だけを覗かせると、廊下も暗く、しいんとしていた。
この足場の悪い廃墟の中、この暗さは致命的かもしれない。
けれども、留まるもまた致命的だ。
俺は足を大袈裟に上げながら、ゆっくりと一歩一歩床を踏みしめていく。
まっすぐ廊下を進み、突き当たりを右に曲がって、更に直進。
丁字路になっている所をまた右に曲がれば、さっきの場所に戻れる。
意外と鮮明に残っていた記憶を頼りに影に出会った所に着くと、やはりガラス片が散らばっているらしく、踏まれて割れた音がした。
その辺りを、目を凝らして探してみたが、原江はいなかった。
やっぱり生きていたのだと、見付からなかった事を置いてそっちに喜ぶ。
けれども一つ、嫌な考えも浮かんだ。
(…まさかあいつが運んだんじゃないだろうな。)
あの影。
原江を弾き飛ばしたあの影が、彼女を運んだとしたのなら──。
まだ一概に喜ぶことも出来ない…か。
どちらにせよ移動したことに変わりはないので、俺は引き続き床を見回してみる。
原江は出血していたから、血の跡でもないかと思ったのだ。
けれども、血の黒にちかしい赤い色は闇に溶け、容易く見つからない。
(…仕方ない。)
俺は原江の捜索を一旦諦め、出口の確保に動いた。
とりあえず丁字路まで戻り、来た方とは逆の道を選ぶ。
このまま入ってきた玄関の穴に向かっても良かったのだが、敢えてそれは無視した。
近くに影がいるかもしれないし、あそこを通るのは最終手段だ。
それにどうせ、原江の安否を確認しない限り、出ないつもりだった。
一人でも抜け出て、近くの人に助けを求めた方が良かったのではないか…と今は思う。
けれどもその時の俺は、そんな考えなど毛頭無かった。
若さゆえの過ちと言うのか…自分が何とかしないといけない、という一種の使命感のようなものを抱いていたのだ。
ともあれ、そんな感情の赴くまま、外の世界から遠ざかり、俺は一人更なる暗闇の中へと足を踏み入れていった。




