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歌方姫

この町の山奥に、それなりに大きな滝がある。

寧寧(ねね)大滝という、叶海湖と並び、観光資源の一つとして大いに貢献してきた滝だ。

切り立った高い岩壁から落ちる、多量の水。

その景観の圧巻さから、地味ながらも一定の人気を獲得していた。

それが今、危機に瀕しているとのことらしい。

始まりは、事務所に掛けられてきた一本の電話。

依頼主はこの町の観光センターに勤める男性だった。


「…と言うわけでして、何とかなりませんでしょうか?」


以前叶海湖の件を解決し、依頼主の建設会社から市の観光センターに評判が及んだらしく、酷く困り果てたような声で頼み込まれる。

話はこうだ。

その滝から、夜な夜な歌が聞こえてくるらしい。

人がいるのかと辺りを見て回っても、姿は見えない。

しかしながらやはり歌は聞こえてくるので、不気味に思わない人はいないのだそうだ。

しかも、その歌というものが現代における一般のそれでなく、悲しげな調の詩であるというのが更に不気味さを上乗せしているのだという。

このままでは滝の人気に陰りが出てしまうと危惧し、こうして依頼をした次第とのことらしい。


「わかりました。その依頼引き受けましょう。」


私はあっさりとそう言い放つ。

基本この事務所は来た仕事を断らない。

選り好み出来るほどに舞い込んでくるようなところではないからだ。

嘘か真か、そんなことは二の次。

本当であれば解決を、何もなければそう伝えれば依頼人は安心して、報酬を出してくれるから。

話を終え、受話器を元の鞘に戻し、私は筆を手に取る。

私のここでの専らの役割は、絵を描くことだ。

この地に伝わる怪奇怪異を絵として表し、一冊の本にして後世に残す。

そういう意味では、とてもやりがいのある仕事ではある。

まあ他に絵の描ける人がいない、というのもあるのだが。


「新香…今のは、何の電話だったんだ?」


報告もしないで筆を取った私を咎めるように、尾白さんは口を開いた。

私は今描いている妖怪の大まかな輪郭の線を引きつつ、答える。


「ああ、何かまた観光絡みの話でした。あの…寧寧大滝、あるじゃないですか。あそこに夜な夜な幽霊らしきものが出るから、何とかしてほしいとのことでして。」


「ふむ…?」


尾白さんは新聞に目を通しながら考え込むかのような声を漏らす。

恐らく、寧寧大滝についての記憶を辿っているのだろう。


「彼処、何か曰くありましたっけ?誰か自殺したとか。」


「…いや、そう言ったものは聞いていない。が…。」


「が?」


「…彼処にまつわる話であれば、一つ知っている。」


漸く新聞紙から目を離し、それを机の上に置いて椅子から立ち上がる。

そして、膨大な量の古書の並ぶ本棚から、一冊取り出す。

…和歌集のようだ。


「…どうやら、その尾白さんが知ってる話と今回の件、関係がありそうですね。」


私は“幽霊が出る”と言っただけで“歌が聞こえてくる”という部分は話していない。

それなのに尾白さんが和歌集を手にしたということは、その尾白さんが知っている話も歌…和歌に纏わるものなのだろう。


「新香よ。歌方姫(うたかたひめ)を知ってるか?」


「…いえ。」


少し考える仕草をしてからそう返す。

すると尾白さんはぱらぱらと本を捲り、一首の和歌を指差す。

そこには、こんな短歌が綴られていた。


玉響(たまゆら)に 消ゆるものとぞ 泡沫(うたかた)は 我が身思ひを 君忘らなむ”


「…どういう意味ですか?」


私には古典の知識など、全くない。

この事務所にある古書を読むだけでも一苦労なのだ。

まして、詩などわかるはずもなかった。


「…そうだな。『水面の泡は儚く一瞬で消えるものだと言われる。それと同じように、貴方は私の事もこの思いも、きっと忘れてしまうのだろう。』くらいの意味だと思えば良い。」


…なるほど、聞く限りそれは失恋歌なのだろうか。

でもそれが、果たしてどういう話で寧々大滝と繋がれているのだろう。

そう問うと、尾白さんは一つ大きな咳払いをする。


「…昔何処からか、この地にある一行がやって来たそうだ。身形はみすぼらしく、どのものも苦難の道を歩いてきたかのような…そんな顔をしていたらしい。」


そんな何処から流れてきたかも解らない一行を、この地に住む人々は手厚く保護した。

蓄えも多くないのに食糧を分け与え、衣服も提供した。

…そんな中に、彼女はいたのだと言う。

容姿端麗にして博学。

歌を善く詠み、名前も知れぬ彼女を人々は歌方姫と呼んだ。

──そして、その地で暮らしている内に、彼女は一人の男性と恋をする。

歌を詠む彼女は風流を好み、寧寧大滝を特に好んだ。

そのため、二人でよくそこへ行き、愛を深めあったという。

…けれども、彼女のその歌の才能が、彼女とその一族を破滅へと追いやった。

ある日突然、一行は一人残らず捕まってしまったのだ。

そして連れ去られる直前、彼女が残したのが先述の短歌なのだという。


「…なんで連れていかれたんです?罪から逃れてきた一行だったんですか?」


「…いや、そういうわけではない。これはな、この地に伝わる、平家の落人狩り伝説の一つなのだ。」


その尾白さんの言葉で、私は話の大筋を理解する。

要するに平家の落人狩りから逃れてきたのだが、歌が評判になり、噂が広まってしまった結果、足がついてしまったのだ。

そして二人の恋仲は引き裂かれてしまい、あの歌を残したと…。


「それで、その後彼女は…?」


「そこまでは解らん。連れていかれてからの事は残されていないからな。だが…死罪になったのではないか、とは言われている。」


「…その無念から、彼女が迷い出てきたと?」


「まあ、その辺りが妥当だろう。」


再び本の(ページ)を捲り見ていた尾白さんは、あるところで手を止める。

しばしそこに目を留め、何事かを読んでいるようだ。


「…成る程。」


何か合点がいったのか、本を閉じると自身の椅子に深く腰かける。


「今夜にも、この件は解決出来そうだ。新香よ、支度をしておけ。」


「え、私も行くんですか?」


嫌な風向きに、ぴたと筆を止める。

理由は知らないが、尾白さんはほぼ必ず供を連れて仕事に出る。

いつもは宮比さんがその役だったのだが、今回宮比さんはこの前長雨に打たれたお陰か風邪でダウン中である。

そのためか、私に白羽の矢が立ってしまった。


「当たり前だ。お前はまだまだ未熟。後学の為にも、現場に出ておくべきだ。」


…そんなこと言って。

車で送って貰いたいだけじゃないのか。

…まあ、その言葉は一理あることではあるから、反論も出来ないが…。


「…分かりました。怠りなく、準備しておきます。」


まあたまには、絵描き以外の仕事をするのも悪くない。

そう思い直すことにしよう。

私は筆を置き、椅子から立ち上がって外出の準備を始めた。




そして夜。

この町の夜は、酷く暗い。

過疎の進み行く町であるからか。

それとも、異形の多く跋扈する地であるからか。

…恐らくは、その両方なのだろう。

車のヘッドライトを頼りに山道を進み、途中からは降りて徒歩で進む。

そうして幾らかの時間を経ると、滝の音が響いてきた。


「…折角の名勝なのに、見えないのは残念ですね。」


景観を壊さないためか、経費削減のためか、ライトのようなものは一切無い。

懐中電灯の光も、焼け石に水と言ったところだ。


「…勘違いするな。観光に来た訳ではないんだぞ。」


「解ってますよ。」


しかし、暗闇の中滝の音だけがしていると言うのは、妙に不気味なものだ。

そんな事を感じた時だった。


「…新香。来たぞ。」


「え?」


尾白さんが滝音に紛れない程度の声でそう呟いた瞬間、それとは別の女性の声が聞こえてきた。

それがこの世のものでは無いことは、直ぐに解った。

耳ではなく、心そのものに響いてくるような…そんな声だったからだ。

話に聞いた通りに悲しげな…そんな気持ちを含んだ声。

これがあの、歌方姫の声音なのだろうか。


「で、どうするんですか?」


「彼女は要は、悲しんでいるのだ。うたかたと呼ばれた己など、意中の相手にもすぐ忘れ去られてしまうだろうと…。なら、その相手の意思を教えてやれば良いのさ。」


どうやって?と聞く前に、尾白さんは一歩前に進み出る。

そして、愛用の杖の先で地面を二回強く叩いたかと思うと、声高らかに歌い始めた。


“泡とても 水中(みなか)にあらば 常盤(ときわ)なる ()といふ水に 君を留めん”


何回も何回も、その歌を繰り返しながら辺りを歩き回る。

嗄れた、けれども良く通る声で。

暫くその空間に、滝と、女性と、尾白さんの歌声が同居する。

けれども、その内に女性の声はどんどん小さくなっていって──。

最後には、聞こえなくなってしまった。

そこで漸く尾白さんは歌を止める。


「…帰ったか。」


「今の歌、どういう意味だったんですか?」


「…そうだな。『泡と言えど、水中にあればそれは、永久不変になるだろう。ならば私という水の中に、貴女と言う泡を留めよう。』そんなところだろうな。」


その意味を聞いただけで解った。

それは、あの歌方姫の詠んだ短歌に対する反歌(かえしうた)なのだ。

相手のその意を知り、安堵した彼女は帰るべき場所へと、帰ったのだろう。


「その歌、詠んだのは…?」


不知詠人(よみびとしらず)──古書は黙してその名を語らない。」


そう言い放つやいなや、かつん、と杖を力強く地面に突き立て、尾白さんは来た道を歩み始めた。

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