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雨惑い(前編)

雨が降っている。

いや、雨なんて生易しいものじゃない。

最早滝と言える位の勢いで、水が空から落ちてきている。

バケツをひっくり返したかのような、という形容は、この事を言うのだろう。

教室の窓に雨粒が叩き付けられる音も凄まじく、授業中先生の声も祿に聞こえない程だった。

そんな無意味な授業が終わった放課後、何時もの四人で昇降口まで来た時


「うわ、見てよあれ。傘も殆んど意味なしだよ。」


出ていく生徒を見ながら、美琴ちゃんが言った。

確かに皆、傘を差しているにもかかわらず、外に出るや否やずぶ濡れになっている。


「別に良いじゃん、濡れても。家までの辛抱だろ?そんなに離れてる訳でも無いしさ。」


その隆斗くんの言葉に、美琴ちゃんは溜め息を吐く。

そしてやれやれ、という感じに首を振る。


「あーあ、これだからデリカシーの無い人はヤダヤダ。」


「あ?」


「さ、こんな奴はほっといて帰ろ、夕子ちゃん、椎名。」


一人不思議そうな顔をしている隆斗くんを置いて、私と椎名さんを連れて外に出ようとする。

すると、椎名さんは


「あ、ゴメン。私、親が来るから。」


と言った。

その言葉に、美琴ちゃんは目をぱちくりとさせる。


「は?」


「いやだから、親が車で迎えに来るんだって。」


どうやら親から携帯に、迎えに来るとのメールがあったらしい。

うちはそもそも宮比さんが車の運転できないし、できたとしてもそう言ってくれるか疑わしい。

つくづく、羨ましい限りである。


「椎名、貴女の親は些か過保護過ぎやしませんかね?」


「いやいや、結構迎えに来て貰ってる人多いから。ほら、数年前にあったじゃん?」


「………ああ、あれね。確かに、そうだけど。」


話が分からない私に、美琴ちゃんが説明をしてくれた。

どうやら数年前…美琴ちゃん達が小学生の時、学校の低学年の子が一人、用水路に流されて亡くなった事があったそうだ。


「その時も確か、こんな凄い雨が降ってたのよ。それ以来、親達は雨の日に敏感になってるの。」


成る程。

そんな事もあれば、警戒するのも無理はない。

ましてこんな、視界の酷く悪い大雨の日ならば、心配するのも当然だ。


「あ、そう言うわけだから、じゃあね。」


携帯が鳴ると、椎名さんは手を振りながら外へ出ていく。

そして昇降口には、私と美琴ちゃんだけが残された。


「…あれ?隆斗くんは?」


「さっき別の友達と一緒に帰ったよ。雨の中を走って。男の子は良いよね、気にしなくて済むから。」


まあ、私も正直、そこまで気にはしないけど…。

ただ、宮比さんに怒られるかも、という点では躊躇するかな?

それから二人で、無駄だろうと思いながらも少し待ってみたものの、雨は全く衰える様子を見せなかった。

仕方なく意を決して、傘を差して飛び出してみたが、やはり直ぐに服が濡れ始める。

跳ね上がる水、時折の風に横殴りになる雨、それらが私たちを襲うのだ。

雨に濡れ、風に吹かれる私たちは忽ち体が冷えていくのを感じる。


「だああ、こんなんじゃ明日は風邪引いちゃうよ!」


「…あ、傘の一つを普通に差して、もう一つを横向きに差せばどうかな?」


私の軽い思い付きに、美琴ちゃんが便乗する。

美琴ちゃんの傘は大人用の大きいのだから、二人なら余裕で入れる。

そして私ので側面をガードすると、足以外は多少ましになった。


「でも凄い雨だよね。少し先だって殆んど見えないよ?何だか、ボンヤリとしててさ…。」


見慣れた町、いつもの道であるはずなのに、まるで別世界のような印象を受ける。

視界が大粒の雨水で絶え間なく遮られるせいだろうか。

人気が全く無いのも、それに拍車を掛けている。

まあ、こんな大雨の日にワザワザ外に出る人もいないだろうが…。

何だか、私たちしか人がいないかのような感じがする。


「…あれ?」


「ん?どうしたの夕子ちゃん?」


ふと、その酷く悪い視界の片隅で、何かが動いたような気がした。

直ぐにそちらに意識を向けると、確かに影が動いている。


「あれ、あそこに誰かいる?」


その方向を指差すと、美琴ちゃんもそちらを向く。

そして短く、ホントだ、と呟いた。


「でも別に人がいるくらい当然じゃん?」


「うん、まあ…確かにそうなんだけとさ。」


何でだろう。違和感を覚えた。

さっきまで、この世界には自分達しかいないかも、なんて考えてたからかな。


「でも…あれ子供かな?背が低いけど。」


言うなら、私たちも子供ですけどね。

でも、確かにそれは四人の中で一番背の低い私よりも小さい影だった。

小学生…低学年位の子なのかな?


「…一応、近づいてみようか。なんか心配だし。」


多分美琴ちゃんの脳裏には、その雨の日に亡くなった子の事があるのだろう。

同じ学校の子だったから、他人事にも思えないのかもしれない。

私は頷いて同意を示し、二人して影に歩み寄る。

そして、美琴ちゃんがその子に声を掛けた。


「ねえ、そこの…」


「っ…!」


びくん、とその子かなり驚いたのか、小さな身体を飛び上がらせた。

震えながらゆっくりと振り向き、私と目が合うと溜め息を吐いた。

恐らく、安堵によるものだろう。

影の通りに小さい子で、女の子だった。

赤のランドセルを背負い、黄色い帽子を被っている所から小学生の低学年なのは

間違いない。


「あの、その…何か用ですか?」


もじもじとしながら、その子は言う。


「あ、いや、用ってもんでもないんだけど…小さい子が一人、こんな大雨の中歩いてるの見てたら心配になっちゃってさ。つい…。」


「あ、心配してくれたんですか。ありがとうございます。」


ぱあっと表情を明るくして、彼女は頭を下げた。

何だか見かけより、大人びた子だなあ。

自分が時たま小学生に間違えられる事を考えると、少し気後れしてしまう。


「実は私、心細かったんです。歩いても歩いても誰もいないですし、何か変な気配もありますし…。」


「変な気配?」


「はい。後ろから何かが、付いてきてるような…雨が降ってるから、不確かなのですが…。」



だから声を掛けられて、あんなに驚いてたのか。

後ろから得体の知れないものに付け回される怖さは、私もよく分かる。

今まで、何度も異形に後を追われたから…。

もしその気配というのが気のせいではなく、本当だとしたら放っては置けない。


「何ぃ~?それは変質者に違いない。遂にこの日諸にもロリコンが現れたか。」


目を鋭くしながら、美琴ちゃんは辺りを見回す。

私も同様に見回してみるも、そのような影は何処にもない。


「でも安心できないよ。私たちがいるから一時身を引いただけかも知れないし…。」


「…私、どうすればいいのでしょう?もう怖くて怖くて、そんな事も解らなくて…。」


涙目で、私たちを見つめながら彼女は聞いてきた。

年下の子にそんな頼られ方をしたら、無下に断ることもできない。

美琴ちゃんもどんと胸を叩いて言った。


「よし、ここはお姉ちゃん達に任せなさい。家につくまでの道中、貴方を守ってあげる!そしてあわよくば、その変態を警察に突き出しちゃる!」


「…まあ、最後のはちょっと約束できないけど…あなたさえ良ければ、どうかな? 」


私もそう尋ねると、少女はまた表情を明るくし、よろしくお願いしますと返す。


「あ、そういえば名前を言ってませんでしたね。私、西楽早優(にしがき さゆ)って言います。小学二年生です。」


こうして、幼いお姫様を家まで送り届ける任務が始まった。

聞くと早優ちゃんの家は、どちらかと言えば美琴ちゃんの家の近くにあるらしい。

そのため当面は美琴ちゃんの家の方面に向かう形になったのだが…。


「あれ、おかしいな?」


「え?どうしたの?」


早優ちゃんを同道して歩くこと十数分。

美琴ちゃんが、不思議そうに呟く。


「この辺り…あそこの角を曲がったんだから、今いるのは…。じゃあ、ここにあるはずなんだけど…。」


どうやら、歩いても歩いても、目印となる建物が見えてこないらしい。


「どういう建物?」


「いや、普通のコンビニだけどさ…。今までの道に無かったよね?」


確かにコンビニなんて見当たらないし、見た覚えもない。

光る看板とか…視界が悪くても、いや視界が悪いからこそ目立つだろうそれが何処にもないのだ。


「どこかで道を間違えたのかな?」


雨天は暗く、雨霧に視界はぼやけ、道の両脇に家々が立ち並ぶ代わり映えのない景色だったから、迷ったのかもしれない。

……。

………………。

……立ち並ぶ、家々?

そこで私は、少しおかしな点に気付いた。

寧ろ、何故気づかなかったかと自身に問いたくなる。


「ねえ、美琴ちゃん…なんでこんなに暗いのかな?」


「え?そりゃあ、空が雲に覆われてるからじゃない?」


「そうじゃなくてさ。…明かり、無くない?」


そう。

街灯、信号、家の窓から漏れる光。

人の営みによる明かりが全く見当たらないのだ。

まるで、街が眠っているかのような感じで…。

人気もなく、雨音以外がしない世界。

果たしてここは本当に、慣れ親しんだ日諸の街なのだろうか?


「ちょ、ちょっとまってよ。じゃあ何?此処は裏・日諸の街とか言うワケ?私、怪談でも異次元・異世界系は信じてないんですけど!」


「いや、そうじゃなくって…。」


私の頭の中では、最悪のシナリオが描き出されていた。

早優ちゃんの話にあった、追いかけてくる者の存在。

そして、この明らかに何時もと違う、迷路のような世界。

もし、その得体の知れない者に害意があるのなら…。

簡単にここから出られる

とはおもえないのだ思えないのだ。


「そ、そうだ!原江さんに連絡しよう!異世界に飛ばされましたって!」


そんな連絡受けたら如何に宮比さんと言えど困惑するだろう。

しかし、私も連絡をと思っていたところだったので、反射的に携帯を取り出す。

でも…。


「あれ?け、圏外?」


無慈悲に画面に映し出される、その二文字。

いくら田舎とは言え、電波が悪くなる所はあっても圏外なんて無かったのに。

絶望感が、また濃くなる。

美琴ちゃんは頭を抱えそうな勢いで叫んだ。


「で、出たぁホラーお決まりの携帯が圏外!私たち完全に異世界に飛ばされてますがな!」


「ちょ、ちょっと落ち着いて!まだそうと決まった訳じゃ…!」


軽くパニックになっている美琴ちゃんを宥めようとする私。

その服の裾を、誰かが引っ張る。

誰か、なんて一人しかいない。

早優ちゃんだ。


「い、五木場さん…!」


何故か震える声で私の名前だけを口にする。


「え?な、何?どうしたの?」


「あ…あれ…!」


震える指が、私たちの来た道を指す。

無意識にそれに従い、私の視線もそちらに動く。

そして、私は見てしまった。

雨に霞んだ後方に、何者かの影が揺れているのを。


「…ひっ!」


息を呑むのと同時に出てしまったせいか、そんな変な声になってしまった。

待って、まだ話にあった変質者とか、怪異であるとは決まってない。

もしかしたら、やっと出会えた人かもしれない。

そんな事を考えている内に、影は一歩踏み出す。

自然と、それに合わせて私は一歩後退る。

…いや、これは普通の人じゃない。

恐らくこの中で一番強いであろう私の霊感が、そう警告する。

日不見に追いかけられた時、若しくは虚身の森で狼の霊に後ろを憑かれた時と同じ感覚がするのだ。

要するに、あれは明確な害意を持って、此方に近づいてきている!


「み、美琴ちゃん、早く逃げよう!?」


「え?どうしたの?何かあったの?」


霊感ほぼ0の美琴ちゃんは気付いてないのだろう。

私はお構いなしにその手を掴み、二人を引きずるようにして走り出す。

雨に体が濡れることを構いもせず、ただその影から離れる為だけに──。


「ちょ、ちょっと何処にいくの!?ねえ、夕子ちゃん!」


私はその問いには答えなかった。

どうせ元々、道に迷っていたのだ。

今さら何処へどう向かおうが同じ事。

ただ、ここから離れられれば良い。

そのまま数分走り続け、偶々目に留まった少し大きめの建物の屋根の下に転がり込む。

そこもやはり光は無く、しいんとしていて人気がない。

念のためその扉に手を掛けてみるも、やはり開かなかった。


「もう!夕子ちゃんのせいでびしょ濡れになっちゃったじゃん!」


美琴ちゃんはすこぶるお冠だ。

確かに何の説明もなしに来た私の非なのだが…。


「ご、ごめん。でも、仕方なかったんだよ。何か変なのが近づいてきてたから…。」


「……それって早優ちゃんが言ってた変質者のこと?」


そこまでは解らないけど…。

と、私が答えに窮していると、当の早優ちゃんが口を開く。


「…多分、そうです。私が一人でいたときも、あんな感じで雨中に影を写したまま、ゆっくりと近付いてきていたので…。」


「今いるここが異世界だとすると…私たちを追うその影ってその住人なのかな?やっぱり、お化けや妖怪の類い…?」


「…私は、そう思うよ。あの時感じた気配、人とはとても思えないし…。」


でも、なぜ私たちを追い回すのだろう。

害意があるのは恐らく間違いないが…。

ただ単に、仲間にでも引きずり込もうとしているのか。

それとも、私たちが何か禁忌を犯したのか。


「でもそうなると此所でこうしてるのは危険なんじゃん?この世界はその影のテリトリーみたいなもんだし、ゆっくりと近付いてくるってところに“何処に逃げても追い付ける”って考えを感じるよ。」


…確かに。

その影の足が弱いとか、そういう理由でもない限り、その遅鈍さにはそんな意思が見てとれる。

私が向こうの気配を感じ取れるように、向こうも此方の気配を感じられる可能性も否めない。


「…でも、闇雲に逃げ回るのも危ないんじゃないかな?酷い雨だし、ただでさえ体力を削られちゃうのに…。」


そもそも私は体力に自信がないし、早優ちゃんもいる。

結局、どうすればいいのか踏ん切りが付かない。

進退窮まった私たちの現状に、美琴ちゃんは再び頭を抱えた。


「ああー、せめて原江さんに連絡が出来ればなあ…。」


「…先程も言ってましたが…原江さんって、誰ですか?」


「ああ、そういえば言ってなかったね。原江さんは夕子ちゃんの親代わりの人で、幽霊とかに詳しいの。」


「今まで幾度となく助けられて来たから、連絡さえ取れれば今回も何とかなるかなーって思って…。」


こういう時、現代科学の頼りなさが恨めしい…。

とはいえ、そんな恨み言を今此所で溢しても仕方ないことだ。

とりあえず私たちは、雨に濡れないよう、慎重に歩き始める。

やはり、一つ所にいるのは危険だと判断したためだ。

別段影が近くにいる感覚はしないが、かといって油断は出来ない。


「…あー、体が冷えてきた。明日、風邪引くかも。」


季節は冬始め。風も冷たい。

先程雨に晒されたせいで美琴ちゃんの体温が奪われてきたらしい。

そしてそれは、私も早優ちゃんも同じだった。

今更ながら、自分の後先考えない行動を悔やむ。

暖をとれそうな場所もないし、本当どうすれば良いのだろう…。


「五木場さん…。」


私の名を呼ぶ声に我に帰り、視線を落とすと、そこには早優ちゃんの不安そうな顔があった。

そしてそこでやっと私は気付く。

そうだ。私がこんなんじゃ駄目なんだ。

私がしっかりしないといけない状況なのだ──。


「大丈夫、大丈夫だよ。私たちが早優ちゃんを家まで送り届けてあげるからさ。」


私だって、宮比さんの元で暫く暮らしてきた。

その仕事ぶりも、それなりに見てきた。

そんな中で、宮比さんは私に一回として弱気な所は見せ無かった筈だ。

こういうのは、気持ちが大事なのだ。

無理矢理にでも笑顔を作り、自身に言い聞かせるようにしてそう言うと、早優ちゃんも笑ってくれた。

それに元気を貰ったのかは解らないけれど、さっきよりはやる気が出るようになり、私は率先して二人の前に立ち進んでいく。


「どうしたの?夕子ちゃん。何だか勇ましいね。」


そう美琴ちゃんが問うほどに、違って見えるらしい。


「いや、何でもないけど…早優ちゃんの手前、情けない所は見せられないでしょ?」


「…成る程ねえ。夕子ちゃんにお姉さん気質があったとはね。まあ、確かに年長者の私たちが迷ってちゃ仕方ないもんね。」


それから二人で早優ちゃんを励まし、何とか道を選んで進んでいく。

けれども、それは言いかえるなら、手探り状態である、ということだ。

向こうに有利な事には変わりなく、遂に私たちは、それと邂逅を果たしてしまう。


「……っ!」


不意に襲い来る悪寒。

勿論それは、雨による寒さからのものではない。


「…来た。」


思わずそう漏らすと、二人の表情はすっと不安を含んだものへと変わった。

美琴ちゃんが辺りを見回す中、私はただ一点を凝視する。

相変わらず、厚い雨にぼやかされる視界。

その向こう側──初めて見た時と同じように、それは左右に揺れながら歩いていた。

早優ちゃんも見たのだろう、小さな声が隣から溢れる。


「い、五木場さん…!」


震える声で、私の名前を呼ばれた。

それに出来ることなんて、一つしかない。


「…大丈夫。動きは鈍いから、横路に逃げれば…。」


丁度そこは十字路の様になっていて、その中心に私たちが、正面の道に影がいる。

左右若しくは来た道。

逃げ場には、困らない。


「二人とも、こっち!」


また手を引いて、右側の道へ逃げ込む。

そこを選んだ理由は特にない。

迷うくらいなら、直感で駆け抜けた方が良いと思っただけだ。

走って、走って、息が切れ始めるくらいに走る。

雨の中を長時間彷徨ったせいで体力は余り無いが、出し惜しみもしていられない。

ここで一気に引き離さない限りは、また直ぐに出会っ…!


「うわっ!?ちょ、ちょっと夕子ちゃん?いきなり止まらないでよ!」


「ど、どうかしたんですか?五木場さん…?」


私が唐突に足を止めた為に、二人の訝る声が聞こえてくる。

私はそれに対して、短く答えた。


「…いる。」


「え?」


「前に、いる…。」


「前に、って…まさか?」


その、まさかだ。

遥か後方に引き離した筈のその気配が、前から強く感じられる。

そしてそれを裏付けるかのように、先程と同じく揺れながら影が現れる。

それだけで、私はもうパニックになりそうだった。

甘かった。

歩みが遅いからと、油断していた。

いや、これが歩みの遅い理由なのかも知れない。

瞬間移動、ないし空間をねじ曲げでもして、道の向きを変えたのか。

ふと、その影が揺れた。

今までとは違う、身を屈めるかのような動きだった。

私には、それが笑いを堪えたときのものに似ていたような気がした。


「何やってるの!戻るよ、夕子ちゃん!」


今度は美琴ちゃんに引っ張られる形で来た道を戻る。

私はそれに任せるまま、足を動かした。

けれども、頭の中ではもう分かってしまったのだ。

何処へどう逃げようと、無意味なのだと。

…やはり私たちが今いる空間は、影のテリトリーであるのだと。

そして、結果は案の定だった。

戻った先にも影がいて、そこから更に道を変えた先にも影。

いたずらに走らされ、無駄に体力を削られた私たちは、仕方なく目に留まった小屋に駆け込んだ。

今度は鍵も掛かってなく、すんなりと戸は開く。

その埃っぽい室内には、スコップやらツルハシやらクワやらが並んでいた。

農作業用の道具をしまう倉庫なのだろうか。

近くに置いてあったスコップを一つ手に取ってみると、ずしりとした金物の重量感が私を少し安心させる。


「…これ、武器になるかな?」


美琴ちゃんに、呟くようにそう尋ねる。

すると、少し意外そうな表情を浮かべた。


「珍しく過激じゃん?何かいつもと違うね、夕子ちゃん。」


それは私の発言を責めるものではなく、“同じ事を考えていた”という事を喜んでいるかのような口振りだった。

見ると、美琴ちゃんもスコップを一つ、手にしている。


「そ、そうかな?」


「うん、そういうのは私か隆斗が考え付くタイプの事だよ。」


確かに、出来るならそんなことはしたくない。

…でも、今はそうも言っていられない状況だ。

ちら、と早優ちゃんの方を見る。

暗い部屋の隅っこで、うずくまるようにして震えていた。

…約束したもん。守るって。

ぎゅっ、とスコップの柄を握りしめ、軽く素振りをしてみる。

少し重いが、振れない程ではない。


「…でも、効くのかな?これ。相手は正体不明の影な訳だし…。」


「…私にも、解らないけど…相手が妖怪の類いなら、或いは…。」


いつしか、宮比さんが言っていた幽霊と妖怪の違いの話を思い出す。

とても簡単に言うなら、それは“触れられるかどうか”にあるらしい。

この世において、実体のある怪異を妖怪、そうでないのを幽霊と思えば良いのだという。

ただし、全てがそう言える訳ではなく、例外的なものもいるらしい。

私の知るものでは、“夜之坊”がそうだ。

あれは妖怪とされるが、実体の無い、闇そのもののような存在だった。


「…そっか。ま、100%効かないってよりは希望はあるわけね。」


美琴ちゃんも同じようにスコップを構えながらそう言った。

…出来ればこれに頼るような事にならないでほしい。

そうなったとき、つまりは私たちは影に見つかり、この狭い小屋の中で追い詰められている、ということに他ならないのだ。

それから、更に何本かスコップやツルハシを取り、スペアとして近くに積む。

そして、私たちは見張り役を立てて少し休むことにした。

勿論、早優ちゃんにそんな役は任せられないので、私と美琴ちゃんが代わる代わる担当する。

じゃんけんの結果、最初に私、一時間後に美琴ちゃん、という感じになった。


「じゃあ、私たちは先に少し寝かせて貰うね…。」


少し申し訳なさそうに美琴ちゃんはそう言うと、早優ちゃんと一緒に横になった。

そして、小屋の中を静寂が包み込む。

正確には雨の降りしきる音があるけれど…心細いことには変わりはない。

一つだけ備え付けられた窓から外を見てみるが、雨と闇で何も見えない。

…何だか、さっきより暗さが増している気がする。

自分の携帯を開いてディスプレイを見ると、表示された時計は18時を示していた。


(何時もなら家に帰ってる時間だから、宮比さんたちも異変に気付いてるとは思うけど…。)


けれども、携帯は相変わらず圏外だし、連絡が取れなければどうしようもない。

やはり、自分達の力でこの状況を打破しない事には…。


「五木場さん…。」


突然に聞こえた私の名前を呼ぶ声に驚き、携帯を落としそうになる。

寸での所で踏みとどまり、声のした方を向くと、早優ちゃんが此方をじっと見つめていた。


「あ、起きちゃったの?もしかして、携帯明るかった?」


「いえ、そういう訳ではなくて、何だか目が冴えて眠れなくて…。」


「そうなの?まあ、無理に寝なくてもいいよ。横になってるだけでも、幾分マシだって話もあるし。」


そう言いながら、私は美琴ちゃんを見る。

すやすやと寝息を立て、ちょっとの事でも起きそうにない。

もしかしたら状況が状況だから眠れないのかもしれないが…美琴ちゃんは随分と図太いようだ。


「…すみません、五木場さん。」


「え?」


目を伏せ、早優ちゃんは謝罪の言葉を口にした。

思いもよらなかったそれに、私は戸惑う。


「どうして早優ちゃんが謝るの?」


「…だって、私が五木場さんと堀野さんに助けを求めなければ、お二人を巻き込まずに済んだのに…。」


ああ、そういうことか。

自分のせいで私たちの身を危険に晒してしまったと、悔やんでいるのだ。

やっぱりこの子は、年の割に大人過ぎるのだ。


「そんな事、気にしなくて良いんだよ。」


「でも…。」


「私は寧ろ、こんな状況に早優ちゃんひとり、ってならなくて良かったと思うよ。美琴ちゃんだってそう思ってる筈だよ。」


彼女の心の負担を減らすように、努めて落ち着いて、優しく諭す。


「あの時、早優ちゃんに会う前から、私たち二人も既にこの世界に迷い混んでいたのかもしれないし…。私たちも早優ちゃんに助けられてる面もあるしね。」


そう言うと、早優ちゃんはそうなんですか?と潤んだ目で首を傾げる。

そう、これは嘘なんかじゃない。

早優ちゃんの存在が、私たちにやる気を出させているのは確かなのだ。


「だから、もう泣かないで。その涙はお母さんとお父さんに会ったときの為に取っておきなさい、ね?」


──なんて映画か何かの受け売りの台詞を投げ掛ける。

すると、早優ちゃんはその“お父さんお母さん”という言葉に反応したのか、一瞬酷く恋しそうな顔をして、直ぐに涙を拭った。

それは思えば、彼女が初めて見せた、年相応の表情だったかもしれない。


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