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香々多知

旭日が昇る。

下弦が落ちる。

その瞬間、空は陽と陰の同時に在る空間となる。

朝食の支度をしながら、私は台所の窓からその光景を眺めていた。

すっかり寒くなり、水道から流れ出る水が手に凍みる。

全く、これさえなければ冬場の家事も楽になるのだが。

そんな誰にも届かない愚痴を漏らしつつも手を動かしていると、ある音が鼓膜を揺らした。

水の流れる音じゃない。

鍋の煮える音でもない。

言うなれば、金属の擦れる音、だ。

じゃらじゃら、と鎖を幾束もぶら下げいるかのようなもの。

それに心当たりがあったから、私は窓に顔を近づける。

しかし、その音の主は家の近くにいるのではないらしかった。

見える範囲においては、ただ草木が風に揺れているだけ。

もしや、本土から聞こえてくるのか。

本来この世のものではない故に、そちらに過敏な私には聞こえるのか。


「…また最近、姿を現し始めたってェのは本当だったのか、晨世王(しんせいおう)…。」


その呟きに答えるが如く、じゃらん、と一際大きな音がした。

コンクリートか何かに、大きな金属の塊が叩きつけられた音だった。







朝食を、三人で卓を囲んで食べ進める。

今朝の金属音が耳について、何だかあまり集中ができない。

どうにも私は、あの手の音が苦手だった。

今はもう姿を消したのか、その音は聞こえない。

ふと、空を見ると、まだ太陽と月がそこに同居している。

となれば、まだどこかにいるかもしれない。

夕は夕で、テレビに釘付けとなって食事に集中出来ていないようだった。

番組は、あろうことかニュースだ。

何時もは子供らしく、下らないバラエティだのアニメだのを見ているのだが、どうした事かここ数日は、ニュースにお熱なのだ。

その内容は、とある猟奇殺人事件。

つい先日、この岩手で死体が発見された。

被害者は地元の女子高生らしい。

少し前に姿を消し、それはそれで話題になっていた矢先のことだった。

何が猟奇的かというと、その死体がほぼ白骨化していた、というところだ。

消えたのは、つい数日前。

そして見つかれば、骨となっていた。

犯人によって喰われたとか、解体されたのだとか様々な憶測が飛び交っていた。

で、何故夕がこの事件に興味を持っているのか、というと…。


「これ、何かの怪異の仕業なんですかね?」


はいはい、そうくると思ってました。

どうやらまた、堀野サンに吹き込まれたらしい。

私が何かを答えようとする前に、和男が口を開く。


「解った。“肉吸い”だろう。」


流石、西日本の妖怪にはそれなりに知識はあるらしい。

だが、こいつはここが東北だと何回言えばわかるのだろうか。

肉吸いは三重県、和歌山県で伝わる、人の肉を吸いとる美女の姿の妖怪である。


「おれはまだ、“交通網を利用して妖怪も各地に広まってる”って自説を取り下げてねえからな。」


全く、つくづく強情な男である。

とは言え、今ここでその事について議論するつもりは更々ない。

私は一口白米を食べてから、夕の質問にのみ答える。


「結論からいうと、まだ何とも言えん。そういう話が仲間内で出ているのは事実だが、人間の可能性もまた捨てきれないからな。」


「じゃあよ、仮に怪異の仕業だとして…怪異馬鹿のお前がこれだ、と思う奴はいるのか?」


粗方食事を終えた和男が、そう聞いてきた。

怪異馬鹿は余計だが、こいつではないか、と目星を付けている奴はいる。

だから、私は小さくうなずいた。


「誰だよ?」


「…晨世王、香々多知(かがたち)だ。」


その言葉に、和男は目を見張る。

東の妖怪に疎い彼でも知っている存在なのだ。

一人それを知らない夕は、首を少し傾げる。


「シンセイオーカガタチって、どんななのですか?」


「…香々多知はな、大昔に東北の並み居る怪異の頂点にいた存在だ。カは“蛇”、タチはそのまま“太刀”から来ている。その名の通り蛇妖なんだが…。」


そこまで私が説明すると、夕は『なんだ、蛇か』と言いたげな表情をする。


「…夕、言っとくがな、香々多知は今までの怪異とは次元が違う。その力は神々をして恐れさせた程なんだぞ。」


「…そうなんですか?」


「ああ。この地方で猛威を奮っていた香々多知に対して、神々は戦いを仕掛けたんだ。が、奴は不死身で完全に殺すことは出来ず、力を弱めて己らの監視下に置くに止まったと言われている。」


「監視下?」


「香々多知は、月と太陽が同時に空にある朝にのみ、この世に現れることを許されているらしいんだ。太陽神と月神に見られてちゃあ、さしもの香々多知も大それた事は出来ないからな。」


私に代わり和男がそう言うと、夕はちら、と外を見る。

相も変わらず、そこには月と太陽が並んでいた。


「だが、力を弱められて尚、強さは歴然でな。晨(朝の意)の世の王と呼ばれる事から、それが解るだろう。」


「でもよ、宮比。香々多知はそれ以降千年間、今に至るまで現れて無いんじゃなかったか?」


「ああ、そうだったんだが…つい先週辺りか、奴の鎖の音を聞いたって話が出てきてな。んで、今朝私もその音を確かに聞いたんだ。」


そして、この事件。

この二つが起こった時期が近いのは、果たして偶然だろうか?


「んー、まあ出てきたのが本当だとして…それでもちょっと、その考えには同調できねえな。」


「何故だ?」


「だって、香々多知程の存在が監視されてるとは言え…こう言うのも悪いが、人一人殺すだけってのもなぁ。町一つ消したとかなら、まだしも…。」


その和男の言葉に、夕は震え上がる。

だが決してそれは誇張表現などではない。

そう言われると確かに、香々多知にしては大人しいと思わざるを得ない。

その後、食事を終え、夕を学校に送ってから、私は外出の準備をする。

すると、それを見咎めた和男が尋ねる。


「あ?何だ、どこか行くのか?」


「まあな。仕事が有るんでな。お前も自分の仕事、やったらどうだ?」


「それがよ、最近寒すぎて虫があんまり見つからないんだよ。しょうがねえから、大人しく蠱毒の養殖でもしてるわ。」


いや、そっちの話ではないのだが…。

というか、養殖なんてやっているのか。

蠱毒なんて怪しいものを家で増やさないで欲しいが、今はそんな話をしている暇はない。

家から出ると、太陽は更に昇り、月は山の向こうへと消えようとしていた。

…早いとこ、奴を探さないと。

月と太陽が同時に出る朝なんて、今日を逃せば暫くは来ない。

犯人が香々多知かどうかを聞くなら、今だろう。

危険なことは重々承知。

かといって、放っておく訳にも行くまい。

そう思った私は、全速力で本土に向かった。






思ったより、奴の居場所を探るのは簡単だった。

何せ、その存在感は尋常じゃない。

意識を集中させれば、感じ取れない訳がないのだ。

場所は、私のお気に入りの展望台。

この町を一望することの出来る所だ。

そんなところで何をしているのかは知らないが、そこに奴がいるのは解った。

長く緩い坂道を、とにかくかけ上がっていく。

息を切らして高台に出ると、そこは何時も通りの平穏な光景が広がっていた。

平日の朝ゆえに、人っ子一人いない。

無論、香々多知の姿さえ、見当たらなかった。


(…間違えたか?)


まさか、そんな筈は。

今もって尚、私の霊感は奴が近くにいると警告している。

彼方此方に視線を送り、辺りを見回す。

と、その時


──人か。


声が、心の中に響いた。

音に頼らないこの声は、間違いなく人のものではない。


──此方だ、後ろだ。


更に聞こえてきたその声に応え、私は素早く振り向く。

高台に食い込むようにそびえる、小高い崖。

その上に、異様な影があった。

酷く長く、寸胴の胴体。

それを隠すように覆う布。

そして、その力を封じるための物であろう、黒光りした大きく重そうな鎖が、ぐるぐると巻かれている。

その姿、鞘に納められし太刀の如しと形容されたのも頷ける。


「し、晨世王…香々多知…。」


掠れ、途切れ途切れに声が出る。

太陽と月を背負い立つその威容に、自分が気圧されていることを知った。

私の声が届いたのか、ぺろりとそれは細長く二股に別れた舌を出す。


──ほう。この世を離れて一千年…今尚、我が名は知られているのか。結構々々、愉快々々。


くっくっ、という笑い声に合わせ、太く長い体を大きく揺らす。

しかし、此方は少しも笑えない。

今まで感じたことが無いほどの威圧感に、嫌な汗が伝う。

彼我の力量の差を感じ取っての事なのだろう。

やがて笑いを収めた香々多知は、崖から飛び降り、じゃらんと大きな金属音をたてて着地した。


──して、女よ。何をしに此処へ来た?


「……一つ、聞きたいことが有る。つい先日、人が一人殺された。それがは貴方の仕業なのか?」


香々多知の顔は、布で覆われている為にあまり見えない。

けれども、私の言葉を聞いた奴が目を細めてにやりと笑ったのを感じた。


──………。そうだ、と言ったらどうする?


「…へっ、どうもこうも。だが良いのか?神々の監視下にありながら、そんなことをして…。オオオヌだって、黙っちゃあいねえだろうよ?」


──大隠。嗚呼、懐かしい名だ。奴は未だ、人と我らの境を守っているのか。その真面目さには頭が下がる。だがな、奴など赤子同然。我を止める事など出来まいて。


再び体をくねらし大きく笑う。

虚勢を張り、辛うじて出したオオオヌの名前も、一笑に付されてしまった。


──しかし、美味そうな程に美しい女だ。一千年の長きに渡り大人しくしていた我は今、空腹でな。それを満たそうと出てきたのだが……二人目は、お前にするとしようか?


その言葉に、鼓動が速くなる。

びりびり、と布の裂けるような音がして、香々多知の、蛇らしく大きな口が現れた。

それを見て、逃げろ、逃げろと頭が足に命令を何度も伝える。

しかし、蛇に睨まれた蛙よろしく、微動だにしない。

甘く見ていた。

神が監視しているから。

オオオヌがいるから。

自分は、幾度も修羅場を潜ってきているから。

それらの要素が、私にここまで軽率な行動をさせてしまった。

奴の口がゆっくりと開き、真っ赤な内部がありありと見える。

私は自身を覆い尽くそうとする香々多知に対し、固く目を瞑るしか出来なかった──。






………。

…………?

暫くそのままでいても、何も起こらない。

想像していた圧迫感も、息苦しさも、何も…。

不思議に思った私は、少しずつ瞼を上げ、目を開く。


「…………!う、うぉわっ!?」


するとすぐそこに香々多知の大きな顔があったものだから、ついそんな悲鳴を上げてしまう。

その様子を見た香々多知は、今までで一番大きく体を揺らして笑った。


──くくっ、中々良い驚き方をするな、女よ。安心せい、今のは戯れだ。嘘だ。


予想外の言葉に、私はただ茫然と奴を見詰める。


──ふむ?我がそんな事をするのが意外か?


…意外も意外、大意外さ。

晨世王といえば、その力と残虐性で恐れられた大妖じゃあないか。

それがこんな嘘を吐くなどと、想像できよう筈もない。


──まあ過去の我なら、そうであろう。人一人、二人と言わず、何百人と喰らったやも知れぬな。だが、それと今の我を等しく見るな。


ぷい、と私から顔をそらすと、巨体を揺らして展望台の方へと進む。

そして、町を一望できる地点で立ち止まった。


──何故今出てきたか、と言うとな。この世の変貌ぶりに驚いたからよ。


「ああ?」


香々多知は舌を出し、ある一点を指し示した。

そこは、この町の動脈。

道路の上を、せわしなく自動車が走り回っている。


──見てみよ、あの道を。あれを縦横無尽に駆け回る奇怪な生き物は、我が此方にいたときはいなかったぞ。それに…。


体を真っ直ぐにして、今度は視線を上に向けた。

丁度、飛行機が空を横切って行くのが見えた。


──あの巨大な鳥は何ぞや?羽ばたきもせず、どうやって飛んでいるというのだ?


………。

いや、なんと言えばいいのか。

想像以上に香々多知は、好奇心が旺盛なのか。

取り合えず問われたから、私は簡単に自動車と飛行機の説明をする。


──何と、あれ全て人の創りし物か。人は大地を素早く移動し、空を飛ぶ術さえ得たと言うのか。


「ああ、まぁ…空どころか最近はこの星飛び出してるけどな…。」


何気なくそう溢すと、吃驚するほどの勢いで此方を振り向く。


──人は其処までの境地に至りしか。我に出来ぬことをし、どうすると言うのだ?高天原を目指すのか?隠れし天之御中主神に会いに行くのか?


…流石にそれは、無いだろう。

ただ、全ては人の好奇心の成せる業なのだ。

そう考えれば、好奇心で此方に出てきた香々多知に似ているのかもしれない。


──嗚呼、今はただ、一千年間隠れ続けた我が身の浅はかさを悔やむのみよ。さもなくば、人の飛躍の歩みを目にしていたものを。


「そう言えば、何故一千年隠れていたんだ?監視下とはいえ、朝の太陽と月のある間なら、行動は許されているのだろう?」


──あえて理由を言うならば、ただ飽いていたのだ。殺すに飽いた。壊すに飽いた。そして戦うに飽いて、気付いたときにはこの地は荒廃していた。こんな土地、最早見るべき価値も無かろうと、ずっと隠れていたのだ。


なるほど、晨世王ならぬ厭世王になっていた、と。

…などという冗談はさておき。

やや興奮気味の香々多知は、更に言葉を続ける。


──しかしどうだ。ふと戯れに覗いてみれば、見たこともない形状の巨大な住居が並び、奇怪な物が動き回り…しかもそれが全て人の創りし物とは更に驚嘆ものよ。人の創造性は、神に次ぐのは疑いようもあるまいて。いや、その多岐に渡るを鑑みれば、ある種超えているやも知れぬ。


それは買い被りすぎであろう。

と言いたかったが、かつての妖魔の王にそう水を差すのもアレなので、適当に相槌を打っておく。


(しかし…香々多知で無いのなら犯人は誰なんだ?)


香々多知ほどの存在が、さっきのは置いといて、そんな嘘を吐くなどとも思えない。

故に、この香々多知の言うことは真実なのだろう。

個人的に最有力候補だったが、見事に外れてしまった。

香々多知の出現と事件の発生がほぼ同時期なのは偶然だったのか…?


──何だ、先程言っていた人一人殺された事について考えているのか?


向こうもそれを感じ取ったのか、そんな声が響いた。


「…ああ、失礼ながら私は貴方を疑っていたのでね。アテが外れて、困っているのさ。」


──昔の我を知るものなら、そう疑うのも無理はないと言うもの。それに恐らく、我に責任があるのは外れてはいまい。


「…どういうことだ?」


──気付かぬか?我が此方に現れてから、常に大隠めはその後を付いてきている。本来人と我らの境を守る大隠が彼誰時(かはたれどき)に我に付きまとうと言うことは、その間、魑魅魍魎どもは自由に動き回れると言うことだ。


…全く、気付かなかった。

さすがは隠を極めたる者。

確かに香々多知は神に見張られているとはいえ、行動を起こした時、神が直ぐ様止めに入るわけではあるまい。

オオオヌが現場で対応する役割を担っているというわけだ。


──恐らく、大隠の気配が消えたのを良いことに、人を襲ったものが居るのだろう。我の出現と事が重なる故、疑いはどうしても我に向けられる。成る程考えるに、中々狡猾な輩よ。


それなら全てに頷ける。

確かに真犯人は、知恵者らしい。


──まあ、その話はさておき。月の隠るるまで残り僅か。それまで、我に今の人の世の物事を教えてはくれぬか?


「…本当、古書での記述が嘘に思えるほど丸くなったものだな、香々多知よ。」


──我は蛇ぞ。ねじ曲がりもすれば真っ直ぐにもなる。当然円くなることも出来ようぞ。

そう言って体を伸ばしたり輪を作ったりして見せる。

その様子が滑稽で、私はつい笑みを溢す。


──人が変わり続け、我を飽きさせぬのであれば、それまで我は一傍観者として人に危害を加えたりせぬことを約束しよう。


人は、変わる。

けれどもそれは、人だけの特徴ではない。

妖怪もまた、時を経れば変わるのだろう。

今隣にいる、かつて暴虐を極めたと言われた香々多知が、それを証明している。


──女よ。あの線に沿いつつ進み行く、連なった箱は何ぞや?


「…ありゃあ、電車っていう乗り物だよ。自動車よりも、一度に多くの人を運べるのさ。」


──何と、ジドウシャ以外にも陸を走る乗り物があると言うか。やはり人間は、面白き事を考え、かつ実行するものよな。


私の生きている間は無理だろうが…。

光と闇と形容される人と怪異の関係も、変わり行けば共に手を取り合える時が来るのだろうか。

──そんな事を、思わなくも無い。





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