家門戸
「なあ、五木場さん、ちょっといいか?」
授業と授業の合間の休み時間に、隆斗くんがそっと私に耳打ちをしてくる。
まるで人目を憚っているかのように。
「えっと、何かな?」
「その…原江さんに仕事の依頼を出したいんだけどさ、話つけてくれないかな。」
「仕事…?何か困ってるの?」
宮比さんに用があるということは、怪異が起こっていると言うことだ。
椎名さんや美琴ちゃんに続き、今度は隆斗くんの周りで何か起こったのだろうか?
「いや、そうじゃないんだけど…その、うちのじいちゃんにさ、原江さんのこと話したら、どうも聞きたいことあるらしくて。」
「ああ、そういう事なんだ。良いよ。今日帰ったら、話してみる。」
「ありがと、助かるよ。」
さてさて、安請け合いをしてしまったが、果してどうなることやら。
急な仕事に宮比さんの機嫌が悪くならなければ良いけれど。
…でも、友達の頼みだから仕方ないよね。
私はそう、一人覚悟を決めた。
宮比さんがその仕事を受けてくれたのは、それから五日後のことだった。
理由は先約があったためで、話をした時、案外すんなりと受け入れてくれた。
約束の日、校門で宮比さんと待ち合わせ、隆斗くんを加えた三人でそのお祖父さんの家へと向かう。
どうやら同市内に別個で住んでいるらしく、ちょっと遠いらしい。
「堀野サンや長束サンは同行せんのか?」
「じいちゃんから話聞くだけだから、堀野は別に興味ないかなと思ったから誘わなかったんです。んで、長束は塾あるから無理だって。」
それから、電車に乗って私たちの住むところから少し離れた町に入り、目的の駅で降りる。
海に面した、言うなれば漁村だろうか。
保乃江という私の見知らぬその町に、隆斗くんのお祖父さんの家があるらしい。
「保乃江、か…。」
「?どうかしたんですか?」
「いやな、此処にゃ有名な怪談があるからさ。ちょっと思い出しただけだ。」
その話を聞こうとすると、その前にお祖父さんの家に着いたらしく、隆斗くんがこちらに声を掛ける。
「あ、此処です。これがじいちゃんの家です。」
それは昔ながらの平屋といった風の家だった。
鍵は掛かっていないらしく、軽くノックをしてから隆斗くんは扉を開ける。
「じいちゃん、俺だけどさ、原江さん連れてきたよ。」
すると奥の方から返事がしたと思うと、一人の男性が姿を現す。
存外、若い。
恐らく70を越えていないのではないか。
背筋も真っ直ぐだし、顔立ちも整ってるし、何となくよぼよぼのおじいさんを想像していた私は面食らう。
「おお、貴女が原江さんですか。何時も隆斗から話を伺っております。話に違わず、お綺麗な方ですな。」
溌剌とした声で、そんなことを言う。
海の男というのはこういうものなのだろうか。
「そして、そちらが五木場夕子ちゃんだね。はじめまして。成程確かに、日本人形みたいな子だ。」
その言葉に私は何と返せば良いのか解らず、取り合えず頭を下げるに止まる。
誉め言葉…だと思っていいのだろうか。
というか隆斗くん、私をそんな風に思ってたんだ。
彼の方に目を向けると、隆斗くんは恥ずかしそうに目をそらした。
「どうぞ、上がってください。狭くて何にもありませんが。」
通された一室で、隆斗くんとそのお祖父さん、宮比さんと私という二組に別れて座る。
そしておもむろに出された飲み物を口に含むと、先ず宮比さんが問い掛ける。
「それで、私に聞きたい事があるとの事ですが…一体どういうものです?」
すると、快活だったお祖父さんの表情が少し曇った。
「そう、ですね…。少し長くなるのですが、一つ話を聞いて頂きたいのです。それでも宜しいでしょうか?」
「元よりそのつもりでしたし、構いませんよ。」
「有難うございます。これは、私がまだ10代の頃の話なのですが──」
それは、私が高校を卒業して直ぐのことだった。
家業の漁師を継ぐために、日々研鑽を重ねていた私の家に一人の女が入ってきた。
名を、乙部葭と言った。
「なあ、リュージ。面白い話仕入れてきたんだけど、聞かないか?」
彼女は近所でも無類の怪談好きとして有名で、よくその類いの話を持ってきていた
だからその時も、またそういう話かと思った。
私は多少辟易していたが、聞かなければ聞かないで面倒なことになるので、取り合えず聞くことにした。
「何だよ、また怪談話か?お前も懲りないなあ。」
「今度は本当の話だって!家の父ちゃんがさ、昨日の夜に門字の道で見たんだってさ!」
門字というのはこの町の地名の一つであり、となり町に通ずる道の有るところだ。
人家は殆んど無く、夜は真っ暗で兎に角不気味。
元々そういう話には事欠かない土地だった。
「お前の親父が?そりゃあ尚更嘘っぽいなあ。」
「なっ…リュージ、お前、家の父ちゃんが嘘つきだってのか!?」
激昂する彼女を宥めながら、私はその理由を言った。
彼女の父は父で無類の酒好きだった。
どうせ酔っぱらってたんだろう、と言うと反論できなくなったらしく、ぐっと黙りこんだ。
うっすらと涙さえ見えそうだったから、私は慌てて取り繕う。
「待て、俺が悪かった。話も聞かずに決めつけるべきじゃ無かったな。謝るから、話してくれないか?」
すると少し機嫌を直したのか、こくりと頷いて概要を話始めた。
彼女の父親が隣町の友人宅で飲み会をした帰りに、門字の道を通った。
すると、目の前に人影のようなものがあったという。
暗闇なのに妙に目につくと思ったら、それは白くうすぼんやりと光っているように見えた。
すわ幽霊かと驚き逃げようとすると、それは追いかけてくる訳でもなく、すうと横の茂みの中へ入っていく。
不思議に思い、恐る恐る近づいてみるとそこには大きな門があった。
どれだけ大きいかというと、その門のせいで家そのものが見えないほどだったらしい。
さっきのは幽霊でもなく、灯りでも持ったこの家の住民なのだろうと一人納得してその前を通りすぎた。
「まあ、ここまでならなんの変哲もない話だけどさ。場所が問題なんだよ。」
そう、先程言ったように、門字には人家は殆んど無い。
隣町に通ずる道に面した家など、有りはしないのだ。
まして、そんな立派な門を構える邸宅もこの町にはない。
「父ちゃんが酔っぱらってたのは確かだけどさあ…でも幾ら酔ってたからって、そんなもん見るかね?」
「…そこまで酒を飲んだことはないから何とも言えんけど。」
「きっとさあ、父ちゃんが見た家は“マヨヒガ”だったんだよ!」
彼女の口から出た言葉に、私は聞き覚えがあった。
マヨヒガ。
迷い家と書く、東北に伝わる怪異だ。
訪れたものに富と成功をもたらすと言われる、座敷わらしに似た話。
「んで、何が言いたいんだ?」
「二人で探しに行かんか?見つけられれば、こんな寒村で細々と暮らさなくても良くなるかも知れないし。」
彼女はこの町をあまり好いてはいなかった。
急速な経済発展により、戦後から立ち直りつつある日本。
それを象徴する大都会東京に、異常な憧れを持っていた。
それに比べて東北各県は未だ立ち直りきれておらず、取り残されている感が私にもあった。
「でもなあ、俺はここ好きだし、漁師として生きてくことになんも不満はないからなあ。」
「出ていく出ていかないは置いといてもさ、富が得られるかもしれんのよ?」
「そんなよくわからんもので得た金なんて使う気になるか?自分の手で得てこそ、じゃねーかな?」
私がそう言うと、彼女は露骨に頬を膨らませた。
そして、少し駆け出したところで此方に振り向き、舌を出す。
「もう良いよ。私が富を得ても、リュージには分けてやらんからね!」
私はそのまま去っていく彼女の後ろ姿を、ただ笑って見ていた。
…その時、追いかけなかったことをずっと後悔するとも知らずに。
その夜、今度は彼女の母親が私の家を訪ねてきた。
そして私を見るなり、言った。
「なあ、隆司くん、家の葭、来てない?」
「え?いや、来てないですけど…。」
「じゃあどこ行ったか知らない?こんな夜更けになっても、いっこうに戻らないのよ。」
すぐに私は門字を思い浮かべた。
恐らく、いや間違いなく彼女は彼処へ向かったのだと。
そのことを彼女の母親に告げ、私はそこへ向かった。
なんだか妙な胸騒ぎを覚えつつも、できる限り速く走った。
そして、門字の道に到着したとき、前に人影を見た。
「!…葭か!?」
しかし、その呼び掛けに答えず、それはふらふらとしていたかと思うと、急にふっと脇に逸れていった。
そこで私はあの話を思い出す。
(そう言えば、暗闇なのに妙にはっきりと見えたな…。)
話の中の彼女の父親と同じように、恐る恐るそこへ近づく。
すると、話の通りに巨大な門がそこで口を開けていた。
板張りで、酷く荒れている。
中は暗闇で、何も見えない。
家があるなら、灯りがあるはずだが…と覗き込んでみる。
すると、外からその中に向かって、微かな空気の流れが生じていることに気がついた。
足元の木の葉が、吸い込まれるかのように入っていく。
まさかこの門が呼吸しているわけでもあるまいに、と思いつつ、一歩足を踏み入れる。
「……うっ!?」
そう思わず声に出してしまうほどの、強烈な吐き気が私を襲った。
飛び退き道に戻ると、それは直ぐに治まる。
この門の中に、入ってはいけない。
頭の中でそんな警鐘が鳴り響く。
こんな不快な空間が、人に富と成功をもたらしてくれる筈がない。
「葭…、いるか?いたら返事をしてくれ。」
そう語りかけてみたが、返事はない。
流石の葭もあれでは入る気にはならなかったのかもしれない。
もしかしたら、入れ違いになって町に戻っているのかも。
そう思った私はその場を離れることにした──。
「しかし、葭は帰っていなかった。それから帰ってくることもなかった。もしかしたら、本当にあの家の中に入り、そのまま閉じ込められているのかもしれないと思って、その後も何度か門字の道にいってみたりはしたのですが…それ以降、その家を見ることもなく…。」
目を伏せ、最初の頃の威勢の良さも見る影もなく、隆斗くんのお祖父さん…隆司さんは語った。
恐らく、葭さんがいなくなってしまったことを自分のせいだと責めているのだろう。
語り終えると、宮比さんに詰め寄らんばかりに身を乗り出す。
「あの家のことが知りたいのです。そして、葭はどこへ行ってしまったのかも…!」
黙って聞いていた宮比さんは、じっと隆司さんを見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いて
「“保乃江門字のえのもんこ”。」
とだけ言った。
それを聞いた私を含めた三人は、なんのことか解らずに固まる。
すると、続けて宮比さんは言う。
「その怪異の名前です。えもんこ、ともいう。特にこの保乃江で見られることから、そう呼ばれる。えもんこは“家門戸”と書く。まあ、当て字ですがね。」
「当て字…ですか?」
「貴方なら解るのでは?ここ岩手の方言では、幽霊のことをもんこと言う事を。」
宮比さんの言葉に、隆司さんははっとしたような顔をする。
どうやら、それを知っているらしい。
「つまり、えのもんこを標準語に言い換えれば、“家の幽霊”ということになります。その名の通り、えのもんこは九十九神と化した家の魂の複合体だと言われていましてね。 」
「家が九十九神になるんですか?」
私がそう問うと、宮比さんは目だけを此方に向ける。
「むしろ、家は比較的九十九神になりやすい。長年使うし、皆住まいは大切に扱うからな。しかし、ある程度ガタがくると取り壊されるのも事実。そうやって魂だけになった家が集まって出来たのが、家門戸だよ。」
確かに、そう言われればそうかもしれない。
築百年の建物とか、この町にだってざらにあるだろう。
「この家門戸ですが…我々の間では中々有名でしてね。よく言われるでしょ?幽霊なんかいたら、この世は幽霊だらけだって意見。それを防ぐ役割の一端を担っているのがこの家門戸だという説があるのですよ。」
「…どういう事です?」
「九十九神ってのは、その道具本来の使い方をされることに至福を感じる。そして、家は人を住まわせてこそ、家たり得る。家門戸はとにかく己の中に人を住まわせたがっていて、手当たり次第近くの幽霊を吸い込んでるんです。」
さっきの話の中にあった空気の流れは、そのために生じていたのだろうか。
幽霊が風に流されるのかどうかは知らないが。
「んで、ここからは推測なのですが…家門戸は家の複合体であるが故、内部構造は非常に複雑となっていると言われています。その入りくんだ迷路のような、そして刻一刻と変化する間取の為に、一度入った魂は出てこれない。まあ幽霊にとっての監獄みたいなもんですかね。」
「じゃあ、葭はそこに迷いこんで…!?」
「まあ…恐らくは。」
場所さえ確かなら、直ぐにでも飛び出していきそうな程の勢いだった。
すると、そこで今度口を開いたのは、隆斗くんだ。
「でも、じいちゃんが少し入っただけで気分悪くなったんだろ?そんなところに入るのかな?」
「…その葭さんが霊感の弱い人だったら、少し入っただけでは気づかないかもしれないな。ある程度奥まで進み、気分が悪くなった頃には出口が解らなくなっていた、ってところか。」
ふと、その言葉を聞いて美琴ちゃんのことを思い出す。
怪談好きで、でも霊感が無くて。
そう思うと、何だか他人事では無いような気がしてくる。
「…原江さん、その…葭が家の中に閉じ込められていたとして…今でも彼女は、無事なのでしょうか…?」
絞り出すように、隆司さんは声を出した。
多分、それが一番聞きたかったことなのだろう。
宮比さんは直ぐには答えず、私の方に話を振る。
「なあ、夕。お前にも解るだろ?幽霊の負の感情が私たちに及ぼす悪影響が。そう…夜之坊の時だ。」
夜之坊。
幽霊の残留思念だかを喰らう、動く闇。
すぐ後ろをそれが付いてきたとき、吐き気が酷くて大変だった。
「夜之坊はあれでもマシな方だ。奴は幽霊の残り滓を喰らい、消化するからな。でも家門戸は違う。奴は自身の中に留まらせるんだ。何百年にも渡って、何万にも及ぶかもしれない幽霊の怨念を蓄えたその空間は、夜之坊の比ではない。」
「じゃ、じゃあ葭は…。」
「…残念ですが、もう生きてはいないでしょう。一日ともたなかったと私は思います。」
はっきりと、宮比さんは言い切る。
その途端、隆司さんは支えが外されたかのように卓上に崩れ落ち、突っ伏す。
「じ、じいちゃん、大丈夫か?」
心底心配そうに、隆斗くんは祖父の顔を見る。
此方からでは見えないが、彼は泣いているのだろう。
声が、酷く震えていた。
「…恥ずかしい話ですが、少し…ほんの少しだけ、期待していたんです。まだ、彼女は生きているのではないか、と。昔話によくある、本人にとっては僅かな時間でも、現実では何年も経っていた、というあれです。いつか、ひょっこりあの頃の姿のままの葭が帰ってきて、老いた私の姿を見て驚くなんて夢物語をね…。そのくらいの救いが、あったっていいのではないかって…。」
けれども、現実は残酷だった。
その僅かばかりの希望すら打ち砕かれた隆司さんは、そのまま葭さんへの謝罪の言葉を続ける。
今はもう届くはずのない人に向けられた言葉を、私たち三人はただ黙って聞いていることしか出来なかった。
「今日はお忙しい中わざわざ来て頂いて、本当に有難うございました。」
帰り際、隆司さんは私たちを見送りながらそう言った。
未だ赤く腫らした目のままで、無理矢理に作った笑顔をしながら。
「なあ、じいちゃん…その、一つ聞いて良いかな?」
隆斗くんが、遠慮がちにそう言った。
「おお、良いぞ。なんでも聞け。」
「その葭さんって女の人…その、じいちゃんにとって…。」
そこで、言葉を濁してしまう。
彼も本当に聞いていいのか、迷っているのだろう。
すると、隆司さんは微笑んで、けれども少し、寂しそうな顔をしながらぽん、と隆斗くんの頭に手を置く。
「…そうだな。幼馴染みで、そして初恋の人だった。婆さんには、死んでも言えんがな。」
「……。」
予想通りの言葉に、隆斗くんはただ無言で俯く。
「お前も女の子達と一緒になって色々やんちゃしているらしいがな、それならお前がその子達を守らにゃいかんぞ。男が女より強いのは、その為なんだからな。」
それが出来なかった奴がそんなこと言っても説得力はないかな、と口の端を上げて、隆司さんは言葉を切った。
彼と別れ、私たちは来た道を戻る。。
そして、駅付近に着いたとき、隆斗くんはある方向を指差した。
「…この先が門字なんだ。線路が引かれた今、殆んど使われなくなった道だけど。」
見ると、葉を落とした木々があるだけで、話の通りに不気味な土地に見えた。
「…俺、何で原江さんが堀野たちの行動に一々釘刺すのか、やっと、本当にわかった気がする。」
隆斗くんも私と同じように、隆司さんを自分に置き換えて考えていたのだろう。
強く握ったその手が、微かに震えている。
「…まあな。単純に、難しいんだ。人と異形が付き合うってのはさ。互いが互いに、ただそこにいるだけで害となりうる。さっきの話だって、そうさ。葭さんは言わずもがな、家門戸だって悪意はなかった筈だ。奴は生者は狙わないからな。運悪く、交わってはいけない二つが交わってしまった。…たったそれだけのことで、あれほどの悲劇になったのさ。」
いつだったか、前にも宮比さんは同じような話をしていた。
私たち人間と異形は、まさに、光と闇の関係なのだ。
駅に入ろうと歩を進めると、一陣の木枯らしが吹き荒ぶ。
妙に甲高く響いたその風の音が、何となく家門戸に囚われた魂の泣き声の様に思えた。




