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煌々丸

「…行かんのか?」


満天の星空の元、語りかける。

その星々が霞むほどに、眼前は眩く光っていた。

その元凶…奴は、庭先でこつこつと何やら地面をつついていた。

眺めるのは土塊ばかりで、星なんかには見向きもしない。

まるで己が光を、誇るかのように。

…けれど、その輝きも、年々弱まっているように感じる。

初めて出会った時は直視出来ない程であったのに、今はその中心にぼんやりと姿の輪郭が見える。


「…お前の世界は、こんな狭苦しい家の庭じゃなかろう?無限に広がる、あの空だろう?」


少ない語彙を駆使して、何とか説得しようとする。

鳥に語りかける男、と言うのもどうかしていよう。

随分と長く共にいたが、ここまで心を通わせられていなかったと思わなかった。

だがもう、潮時だ。

もう、共には居てやれない。

せめて別れる前には、己の罪を清算して起きたかった。

そして、もう一度この日諸の空に、光の帯を引いてほしかった。


「何故飛ばんのだ。何故翼を広げぬのだ、煌々(こうこうまる)よ──。」


そんな思いから、静かに、けれども叫ぶかのように言葉を発する。

当の本人は、不可解なものでも見るかのように、此方に顔を向け首をかしげていた。









「お父さん、準備は出来ましたか?もうじき、約束の日ですけど。」


登志哉(としや)が、そう尋ねてきた。

登志哉というのは、私の息子だ。

妻を早くに亡くしたために、男手一つで育ててきた息子。

だのに、私には殆ど似ず、性格は母親に似てとても穏和だった。

息子は母親に似るという俗説も、強ち間違いではないのかもしれない。

もう立派に独り立ちをし、近くの街で職を手に持ち、一家の大黒柱として働いている。

そんな息子がここにいるのは、ただ単純に私の身を案じての事だ。


「…ああ、粗方な。尤も、元々大したものも無いがな…。」


「そうですか…。ともかく、みんなお父さんが来ることを心待ちにしてますし、その…。」


そこで登志哉は言葉を濁し、目を伏せる。

とうした?との意味を込めてそちらに視線を向けると、何でもありません、の意味を込めて首を横に振った。


「では、その日にまた伺いますので、今日はこれで失礼します。」


「…?何だ、今日はあっさりと帰るのだな。いつもはあれこれと世話を焼くくせに…。」


思わずそう口にして、内心しまったと悔やむ。

今のは誰がどう聞いても、世話を焼いて欲しい、という意味と取るだろう。

我ながら、余りにも卑しい言葉に感じる。

さて、何と言われるか、と思いながら登志哉を見ると、彼は少し笑った。


「ええ、たまの休みですし、家族サービスをしようと思いまして。何より今夜は流星群が見えるとのことで、子供たちに一緒に見よう、とせがまれまして。」


それだけを言い、私の失言には少しも触れない。

そういうところを突っ込まれるのを極度に嫌う私の性格を考えての事だろう。

人間としても、父親としても、私よりずっと立派に育ってくれたものだ。

反面教師、というものだろうか。


「ではお父さん、また後日、迎えに来ます。」


そんな言葉を残し、親子間においてはやや慇懃な礼をして、登志哉は出ていった。


「…。」


それから、私は一人庭を眺めながら思案する。

最後、別れ際の登志哉の濁した言葉。

恐らくは察しがついてるのだろう。

…私が何かを心配し、そのせいでこんなにも元気がないのだ、と。

勿論、それが何なのかは知るまい。

ただその漠然とした何かが、私を頑なにこのあばら家に縛り付けている、位の想像はついているかもしれない。

…勘の良さも、母親譲りか。

私は大の字になって畳の上に転がる。

何十年、ここで生きてきたか、もうそれを数えるのを止めるほどには過ごしてきた。

それでも、不思議とそこまで愛着は無い。

所詮、私はそういう人間なのだ。

他人に比べて、執着心が生まれつき薄い。

それなのに何故あいつには──。


「…!」


そこで、家の戸を叩く音が私を現実に引き戻した。

乱雑かつ無遠慮に家に響き渡るそれは、私の知る誰のものとも異なる叩き方だった。

つまりは、私の知らない人だ。

と言っても、不意の来訪ではない。

私が来てもらうよう、依頼を出したのだ。

そして丁度、今が約束の刻限。

遅くも早くもない予定通りの訪れに、私はまだ顔も知らぬ来訪者に好感を抱いた。

私は畳から体を起こし、立ち上がって、玄関に向かう。


「梶倉さん?いらっしゃいますか?依頼を受けて来た原江宮比と言う者ですが。」


その声に呼応するように、扉を開ける。

すると、そこにいたのは存外若い女だった。

あやかしの類いの専門家だというから、勝手に自分と同じくらいの年増を想像していたのだが…若々しく、顔立ちの整ったその容姿に些か戸惑う。

まさか、自分の息子よりも若いとは。


「…?どうか、しましたか?」


「ああ、いや、何でもない。わざわざこんな辺鄙な所まで呼んですまないな。とにかく、あがってくれ。」


敬語が苦手で、初対面の人物にも常体で話しかける私の癖に何もいわず、その女性…原江は失礼します、と言って家に入る。


「それで…早速ですが、お宅に煌々丸がいるとの話でしたね。」


向かい合って座るなり、原江は言った。

私は頷くと、庭の方におい、と声を掛ける。すると、すぐそこの繁みを分けて一羽の鳥が此方に歩み寄ってきた。

長年共に暮らしてきて、奴に通じる唯一の言葉だった。


「丹頂を思わせる姿に勇ましい鶏冠のような頭部の羽毛…成る程確かに、伝承にある煌々丸の姿通りだが…輝いてはいませんね。」


彼女は、本当にこれが煌々丸なのか?と言いたげな顔を此方に向ける。


「ああ、こやつは常に輝いている訳じゃない。日の光が照ってる内には、他のどの鳥ともかわりないんだ。」


説明をすると、そうですか、とだけ原江は呟く。

今の時刻は午後の五時前。

まだ山間から太陽が顔をのぞかせている。

だから、その羽毛は輝いてはいない。


「それで…あなたと煌々丸はいつから一緒に?」


彼女の次なる質問は、私が一番、聞かれるだろうと思っていたものだった。

人と妖怪。

本来交わることのない、正反対の存在。

それが何故、共に暮らすことになったのか──。


「…そうだな。それは特に話しておかなくてはなるまいて。あれは、今から20年ほど前だったか──。」








当時、私は既にそれなりの場数を踏み、それなりに名の知れた猟師だった。

代々そういう家系であったから、当然のように父の後を継ぎ、仕事をこなしていた。

妻とは早くに死別し、一人息子は大学生として元を離れていた為に、独りで生活をしていた頃だった。

山に入っては動物を狩る毎日。

あの日もそう、何時ものように、狩りに出ていた時だ。

太陽も殆ど山の裏に消えかけた時間帯に、手にした銃を心の拠り所に山中をさ迷う。

如何に手練れの猟師とは言え、自然の中に独りぼっちは恐いものだ。

自然の強さを知り、己の、人間の弱さを知っているからこそ、そう感じる。

つつかれれば飛び上がりそうなほど、私はその時全身の神経を尖らせていた。

そんな時──


「…!!」


物音がした方向に、銃を向ける。

がさがさと、生き物が草を踏みしめ歩く音だ。

しかし、周りには何もいない。

だからこそ、恐かった。

猟師の家系に育った私は、色んな話を聞いてきた。

山に蠢く、異形の話。

些細なものから、命にかかわるものまで。

そのどれもが頭の中に浮かんで、不安を作った。

生まれながらの小心さも、あるのだろうな。

銃を構え、どれくらいそのままにしていただろうか。

汗は体から流れ落ち、呼吸は荒くなる。

極度に緊張状態に置かれていた…その時だった。

太陽が、完全に山に消えた。

闇が、私を覆った。

と同じに、光が、私を包んだのだ。

…訳がわかるまい?

聞いてもそうなのだから、当事者の私の混乱ぶりは更に酷かった。

目眩滅法に銃を乱射した。

銃声、私の叫びがこだまする。

それに混じって、人間のものではない悲鳴も聞こえた気がした。

…後の事は、よく覚えていない。

多分、半狂乱のまま家に帰ったのだろう。

気づくともう翌朝で、布団を被っていたからな。

そのあと何時ものように直ぐ様朝食をとり、緑茶を一杯飲んでから考えた。

昨日のあれは夢か現か、と。

思案して、思案を重ねて、結局確かめに行くことにした。

もしかしたら、何かあの場所に痕跡があるかもしれないと。

無ければ夢、有れば現と考えることにしたんだ。

銃を取り、いつもの格好で山に挑む。

幾度と通った山だから、場所も大体、覚えていた。

真っ直ぐ、迅速に向かった。

そして、辿り着くと同時に現だったのだと悟った。

木の幹に残る弾痕に、地面に落ちた薬莢、点々と続く血痕。

それらが生々しく、朝日に照らされていたからだ。

私は直ぐ、その血痕を辿った。

それは案外、長くはなかった。

その先にいたのは一羽の丹頂…に似た鳥。

右の羽から血を流し、その傷を庇うようにして丸くなっていた。

出血は酷いが、瞳を此方に向けたから生きているのだと分かった。

恐る恐る近づくと、その鳥は一声弱々しく鳴くと、頭を此方に預けてきた。

…猟師とは言え、無闇に殺生をするわけではない。

狩るときは狩り、助けるときは助ける。

私はそいつを自分の家に運んで、怪我の治療をすることにした──。










「…それが、煌々丸だったと?」


話が終わると、直ぐに原江は言った


「ああ、連れ帰ったその日の夜、体が輝きだしたからな。それで知ったよ。こいつがあの光輝く鳥なのだと。」


それもまた、猟師の間に伝わる話だった。

空を、輝く鳥が羽ばたくという話。

夜中に山の中で迷ってしまった猟師が、その鳥を見つけ、ついていったら無事に出れた、という筋書きだ。

故に、猟師の間では守護神のような扱いだった。

私はそんな存在を撃ってしまったのだ。


「だが、どうしたことかこうして怪我が直っても自然に帰らなくてな。野鳥は下手に飼育すると野生に帰れなくなるから、世話なんかはしなかったというのに、だ。」


餌もやらず、自分で採らせてきた。

段々と採取する範囲こそ広がってはいったが、また戻ってくる。

理由は未だに解らない。

そのまま惰性で20年…というわけだ。


「何故、今別れる決心を?」


「こんな他に人家もないところで住んでる事を心配した息子が、一緒に暮らさないかと言ってきてな。こいつのことと、家族に水を差すのも何だから断ってたんだが、つい先日押し負けてな…。」


頑ななところだけは、私に似たらしい。

いや、こうしてみると私を上回っている、か。


「はは、良い息子さんじゃないですか、孝行者で。」


「全く、こんな老いぼれを一家の団欒の中に加えてどうするのやら…親ながら、理解できんよ。」


私が出来た孝行は、恐らく猟師を継いだというその一点に尽きる。

思い付く限り、大体親に反発していた。

そんな父を見てよくそこまで孝行者になれたものだ。

猟師を継がなかった、という意味では不孝者だが。


「…でだ。その息子の家に行く期日も、すぐそこに迫っている。」


「だから、今夜にも煌々丸を空に帰して欲しい…でしょう?今日を撰んだのも、その為…。」


彼女の言葉に、私は頷く。

そう、今日が最後の好機。

何故なら、伝承には煌々丸は特に流星群の降る日に飛ぶと有るからだ。


「しかしですねぇ…今回のこの依頼、恐らく一番働かなきゃならないのは梶倉さんの方ですよ?私は精々、補助役ってところですかね。」


頭を掻きむしりながら原江は言う。

何だか口調が砕け始めているような気がする。

私に釣られてきたのか、それとも地金が見えてきたのか。


「どういう意味だ?」


「そういう意味ですよ。要するに貴方はここを去る前に自分の罪を償っておきたい訳でしょう?20年、煌々丸から空を奪った罪を。となると自分の言葉で説得して、帰してあげるのが筋ってもんでしょう。」


随分と痛いところを突いてくる。

正論も正論。ド正論だ。


「…そうしたいのも山々だが、私の言葉は奴には通じないんだ。今までも幾度と説得を試みたが、全然でな…。」


そもそも妖怪とはいえ鳥に言葉が通じるわけが無いのだが。

だからこそ、依頼を出した。

こういう異形のものたちと、心通わせることの出来る人間がいると聞いたから。


「ま、そりゃあ確かに出来ますけどね…。」


そこで原江は黙ってしまった。

どうすれば良いのやら、と考えているのだろう。

そしてそれは直ぐに答えが出たらしく、ものの一分程度でまた口を開く。


「じゃあ、こんなでどうでしょう?梶倉さんが説得の言葉を考える。私がそれを煌々丸に伝える。」


要するに、彼女が通訳をする、と言うことか。

確かにそれなら…いや、それが最良か。

私は大きく頷いた。

段取りも決まり、それから暫くは何をするでもなく夜を待った。

流星群が降るまで待った。

幸いにして雲ひとつなく、見張らしは抜群。

日が沈み、辺りが暗くなって、星々が顔を出す頃に、二人して庭に立つ。


「ほお、これが煌々丸の輝き、ですか。」


感心したかのように原江は呟く。

所々の羽毛が、目映い光を放ち始めている。

その姿は、まさしく聖なる鳥と言えるだろう。


「…煌々丸の光を見たことは無いのか。あんたは幾つなんだ?」


「今年25です。物心ついた時にはもう煌々丸が出なくなったって騒ぎになってましたからね。本や祖父から話で聞いた程度でして。しかし、こりゃあ…。」


「ん?どうした?」


「…いえ、なんでも。」


光り始めた煌々丸の側まで歩むと、彼女はその体をさわり始める。

その様子を、煌々丸は首をかしげつつ不思議そうな顔で眺めている。


「じゃ、始めますか。ちゃんと台詞、考えてますか?」


「…ああ。」


そう答えつつ、その実なにも考えていなかった。

どうしたものか。生来、口下手なのだ。

全力で謝るか、あえて突き放してみるか。

全く思い付かないが、原江は通訳する体勢に入ってしまったし、そのまま長時間待たせるのも気が引ける。

ええいままよと私はただ思った言葉を喋ることにした。


「なあ煌々丸。お前とこうして星空の下で話すのも、何回目になるかな。」


「…?」


私の言葉を、原江がぼそぼそと口を動かして煌々丸に伝える。

そのせいか、いつもよりも大きく首をかしげてこちらを見ている。


「…20年。20年だ。長かった。いや、思い返せば短いかな…。一緒に暮らして、様々なことがあったな。」


羽毛の輝きがいっそう強まり、体全体が光った。

そろそろ目をそらさないと、目が眩む。

でも、これが間近で見る最後の姿だと思うと、名残惜しくてそれも出来ない。

せめて、全身が光に包まれるまでは、と奴を見つめた。


「お前に飯を盗み食われたり、畑の作物を荒らされたり…ああ、夜に猟に出た私の後をついてきて、その光に動物が怯えたお陰で仕事にならなかったこともあったな。…思えば、ろくな事がなかった。」


「…?」


「そうだな、お前と暮らすようになって、得したことと言えば…。精々、照明の燃料費が浮いたこと。それと──」


そうだ。

思い返せば、やつが来てから…一度も、あれを感じたことが無かったと、今気づく。

妻を失って。

息子が独り立ちして。

そんな時に来たお前は私に──。


「…孤独じゃあ、なくなったことくらい、だな。」


自然に帰れなくなると餌を極力やらず、突き放して暮らしてきたつもりだった。

だが、20年。

そんな長い月日、情を移さずに生きていくなんて、出来るわけがなかった。

無意識のうちに奴を家族と認め、奴がいることが当たり前となり、どこかで私のもとを離れる訳がないと高を括りながら、説得しているつもりになっていたのかもしれない。

そうだ、今までの説得なんて、自分は罪を償おうとしている、と自己満足していただけなのだ。

それが今、真の別れと言うときになってやっと気付いた。


「…なあ、煌々丸よ。私はお前から空を奪った男だ。卑屈で器の小さい、どうしようもない人間だ。」


もう、煌々丸の顔も光り始めている。

流石に眩しくて、私は目をそらした。


「…そうだ、人間なんだ。そしてお前は妖怪だ。人間と鳥ならまだ同じ生き物と言う共通点もあろうが…お前と私では、それすらもないんだ。第一、この世に在れる時間も違う。私にはもう、お前にとっての一瞬しか残されていないだろう。」


「…。」


「人間と妖怪はな、昼と夜みたいなものなんだって、私は父親から聞いてきた。…各々が各々、住む場所があると。」


「…。」


「だから…お前は、星々の中に帰れ。私も、人々の中に帰るから──。」


その言葉を発した瞬間。

煌々丸は、翼を広げた。

すぐに原江は手をその体から離して 、此方に引き下がる。

初めて見たその飛ぼうとする姿は、とても神々しく見えた。

刹那。凄まじい風圧が通り抜け、舞い上がった土塊が体に当たる。

そして、ゆっくりと目を開くと、そこにはもう光は無かった。

飛んだ──そう気づいた私は、空を見上げながら奴の姿を探す。


「梶倉さん、あっちだ。」


先に見つけたらしい彼女の指すその先に視線を向ける。

──そこには、空に降り注ぐ流星を背後に、長く帯をひく虹色の光があった。

少し見ただけでは流星とあまり変わらないが、速度が遅い。

そう、まさしく鳥の飛ぶ速さと言ったところだ。

それが、町へ向かって飛んでいる。


「あれが煌々丸なのか?光の色が違うが…。」


やつが放つのは白っぽい…普通の光だったはずだ。


「いや、あれが煌々丸に違いありません。祖父の話では、煌々丸は七色の光を纏う、とのことでしたから。虹は光の屈折で起きますから、近くで見るとただの光にしか見えないのでしょう。」


私の聞いた話では、ただ光を放つ鳥としか表現されていなかった。

まさかあんなにも幻想的かつ綺麗なものを、独り占めしていたとは。


「その姿から祖父は“こうこう丸”という名前は“煌々”ではなく、虹の光…“虹光丸”が元々なのではないか、と言ってました。」


「…成る程、確かにこうして見ると、その名の方が的を射ているな。」


近くにありすぎて気付けなかった奴の姿。

距離をとることで、初めて分かる良さもある。

…老いぼれて漸く、そのことを悟った。

そこでふと、登志哉のことを思い出す。

そういえば、彼奴の存在の大きさを知ったのも、彼奴が家を離れた時だった、と。

長年の重責から解放された為か、体に力が入らなくなって縁側に崩れるように座り込む。

「結局、奴には謝罪の言葉を言えんかったな…。」


それだけが、後悔の念として心の中に残っている。

怪我をさせ、自由を奪ったことに対する謝罪。

項垂れ、地面に目を向ける。

煌々丸がつついて出来た穴が、ちょうどそこに空いていた。


「くよくよしなさんな。そもそもだがね、謝って済むことだと思いますか?梶倉さん。」


叱責に似たそんな言葉を、原江は私に投げ掛けた。

顔をあげると、腰に手を当てながら、真ん前に彼女は立っている。


「いや、別に思ってはいないが…。」


「じゃあ良いじゃないですか。謝ったところで無駄なんなら、してもしなくても同じですよ。」


いや、そこはけじめというかな…と言おうとすると、原江は家の中に入り、少ない荷物をまとめ始める。


「おい、もう帰るのか?」


「ええ、仕事は済みましたからね。」


「じゃあ、少し待ってろ。直ぐに金を持ってくるから…。」


「要りませんよ。私なにもしてませんもん。」


顔の前で掌を振りながら、原江はそう言ってのけた。

あまりの予想外の台詞に、私は面喰らう。


「でも、通訳をしてくれただろう?」


「ああ、あれですか。あれ振りですよ振り。手を当てて適当に唇動かしてただけです。」


更なる予想外な台詞に、私は混乱する。


「は!?じゃあ何故、煌々丸は空を飛んだんだ?」


「梶倉さんの気持ちが伝わったんでしょ。多分今まで貴方は煌々丸を自分の罪の象徴としてしか見てなかった。でも、最後のあの時は、ちゃんと長年連れ添った仲間、家族として見た。言葉を発した。真心込めりゃあ、鳥だろうが妖怪だろうが、伝わるもんは伝わるもんです。」


どうやら、彼女には敵わないらしい。

今日初めて出会ったのに、そこまで見抜かれているのだから。


「ああ、後腐れないように言っておきますけど、貴方の行為を、そもそも罪だと思うことも無いんですよ。──煌々丸の気持ち、知りたいですか?」


どきり、とその言葉を聞くと同時に鼓動が大きくなる。


「…お前は、解ったのか?」


「触れたものの気持ちを理解できる。そういう質だって知ってますでしょう?」


無邪気な子供のような笑顔を創って彼女は言った。

…確かに、知りたい。

是非とも知りたい。

長年連れ添ったくせに少しも理解できなかった奴の気持ちが、どうしようもなく知りたくなった。

年甲斐もなく少し興奮しながら大きく頷くと、彼女は語り始める。


「彼奴ね、孤独だったんですって。他のどの生物とも違って光るから、みんなは自分を避ける。だから、その寂しさを紛らせる為に、夜空を飛ぶようになった。そこには、自分と同じように輝く存在がいるから。たまに流れるように落ちてくるのもいる。それは自分に会いに来てくれたのだと思って、空を飛んだ。…でもそんなの誤魔化しにすぎない。寂しさは紛らせても、代わりに虚しさが募っていく。」


「……。」


「そんなとき、貴方に撃たれて怪我をした。それを治してくれたのも、貴方だった。そして毎夜のように話しかけてくれた。意味は解らなかったけど、それがとても嬉しかったんですって。話しかけるというのは、自分を仲間と見ている証だから。いや、そこまでではなくても、自分を嫌っているわけではないって、感じたから。」


原江の言葉に、奴と過ごした毎日が鮮明に甦る。

確かに、迷惑を被ったことも多かったが、今振り替えると、楽しかった毎日だった。

ぽろぽろと頬を涙が伝う。

それは地面に落ち、染みを作った。


「梶倉さん、あれ。」


その様子を見た原江が、今度は地面を指差す。

そこを見ると、同じような濡れた痕があった。

そこは丁度、煌々丸がいた場所だ。


「飛び立つ直前、貴方の言葉が分かって嬉しくて、そして悲しんでました。初めて理解できたそれが、別れの言葉だったから。でも、言ってましたよ、“ありがとう”って。悠久に思える時間を生きてきて、一番楽しかった20年だったって。」


その言葉を聞いた途端、さらなる涙が溢れ出す。


“ありがとう”


短く、簡素な一言。

でも、感謝の気持ちの詰まった、この上ない一言だ。

自分には、勿体無いほどに。


「私もだ、煌々丸…。一番、とまでは言えないが、妻や子と過ごした時と同じ位、充実した時間だったよ…。」


呟き、夜空を見る。

煌々丸の引く虹色の光が、降り注ぐ流れ星とともに、何時までも彩っていた。



挿絵(By みてみん)

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