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後追沼

「尾井ヶ沼に行こう。」


それは、放課後のことだった。

私と椎名さん、隆斗くんでとりとめもない話をしていると、突然美琴ちゃんが言った。


「は?藪から棒に何言ってんの?」


椎名さんの反応は至極当然である。

隆斗くんはやれやれ、といった感じの格好でまた始まったか、と呟いた。


「だーかーらー、究明部の活動をしようって言ってるの。」


まあ、そんなところだろうとは思ったけれど…。

いつもこの部活は、唐突に始まる。


「尾井ヶ沼って、どこにあるの?」


前回の虚身の森と同様、また聞いたことのないところだった


「芝留町の方…っていっても分かんないよね。山沿いの所にあるんだけど、ちょっと大きな沼でね。」


椎名さんが机の上に地図を書くようにして手を動かす。

そこまでしてもらっても、まだイメージがわかない。


「ここいらじゃ、底無し沼だってんで有名なんだ。勿論、悪い意味で。小さい頃は尾井ヶ沼にいかないように注意を散々されたもんだ。」


「あ、解った。その沼には死体が沈んでて、夜な夜な幽霊が出る、とか言う話なんでしょ。」


その程度なら、有りがちな話だ。

本筋を聞くまえにしてやったり、と私は得意気になる。

すると、それを聞いた美琴ちゃんが指を振り、違うんだなぁこれが、と言った。


「確かに死体が埋まってるって噂は有るけどね。ただ、幽霊が出るんじゃなくて、その沼に行くと付いてくるんだって…。」


「幽霊に憑かれるのなら、それもそれでよくある話じゃない?」


「違うよ、付いてくるのは幽霊じゃなくて沼だよ。それで付いてこられた人は沼に引きずり込まれるんだってさ。」


……は?

全く話が飲み込めない。

沼が付いてくるってどういう…。


「沼が後から追ってくる。だから“後追沼(あとおいぬま)”だなんて名前が付けられてるんだ。でも本当に噂レベルの話で、前の“虚身の森”みたいに伝承があるって訳でもないんだな。」


椎名さんがそう締めくくった。

じゃあこれは、信憑性の低い話と言う事か。


「よく解らないからこそ、知りたいんじゃん。嘘かホントか、ホントならその謎を解いてこそ究明部だよ。」


美琴ちゃんは相変わらずのやる気だ。

…それにしても、今回は後ろから沼が付いてくるのか。

沼がついてくる、なんて全く想像のつかないことだけれど…。

とにかく前回といい、後ろから付いてくる話の多いことだ、と私は思った。





電車に乗って10分、駅から歩いて5分程の場所に、その沼はあった。

意外にも回りは住宅街であり、比較的明るめな雰囲気の場所だ。


「なんかそんな噂が有るとは思えない場所だね。」


「ん。ここに来たら沼に追いかけられる、なんて言ったら、どれだけの人がそうなるか解ったもんじゃなさそうだ。」


今回は、椎名さんも同行していた。

前回のことを美琴ちゃんが自慢げに話したら、悔しそうにしていたからだろうか。

自分が正規に所属している部活をサボって、付いてきたのだ。


「ところで、椎名さん部活に行かなくても大丈夫だったの?」


「んー?あー、私はもう自分の絵は描けてるから良いのよ。そもそも出る出ないは個人の自由って決まってんだから。」


…どうやら、美術部も中々にいい加減な部活らしい。

美琴ちゃんの誘いを断る口実を作るには絶好の部活と言えるかもしれない。

因みに隆斗くんは今回も同行出来なかった。

試合が近いからどうしても無理とのことだった。

運動部はそこら辺、誤魔化しがきかないのだろう。

取り合えず、3人で沼の周りを歩いてみる。

外周には舗装された歩道があり、容易に入れないよう、柵も設けられている。

新しめの物で、最近作られたのだろうか。

溺れている子供の絵が書かれた看板が真新しい。

美琴ちゃんは柵に手をのせて、沼のなかを覗き込むような仕草をして言う。


「うーん、死体もなにもないねえ。水も濁ってて中見えないし。本当にこの沼付いてくるのかな?」


「水が綺麗で死体が見えてたら私たちの前に誰か気付くって。付いてくるかどうかは、このまま帰れば解るんじゃないの。」


半ば嘘の噂だと思い始めたのだろうか、なげやりな風に椎名さんが言った。

美琴ちゃんはそれもそうだね、とうなずく。

そして懐からなにやらメモ帳を取りだし、何事かを書き込む。

そして


「じゃあ、今日は活動をこれくらいにしよう。沼が付いてきた人は、連絡頂戴ね。それじゃあ解散〜。」


高らかに、そう宣言する美琴ちゃん。

何もなかった事を、喜ぶべきかどうか。

結局、たった30分程度でこの日の究明部の活動は終わったのだった。


「ただいま帰りました…。」


なんだか、電車賃を損した気分。

私が貰えるお小遣いは、決して多くない。

…養ってもらっている上で貰えるのだから、文句はないのだけれど。


「おう、お帰り夕…ん?」


私を見るなり、宮比さんは怪訝そうな顔をした。


「…どうかしたんですか?」


「いや、何でもない。さっさと手を洗って着替えてこい。晩飯の仕度、出来てっから。」


何だったのだろう。

一瞬の宮比さんの表情の変化が気にかかる。

けれど、聞いたところで話してくれる性格でもない。

まだ少ししか一緒にいないが、その事がわかるくらい、そういう人なのだ。

結局私はその事について聞かず、尾井ヶ沼という所に行った話もせずに、静かに夕食をとる。


「あ、そういえば数学の宿題、出てたっけ…。」


居間から部屋に戻った時、その事に気付いた。

私はどうにも、数学が苦手だった。

どれくらい苦手かというと、式を見ているだけで気が滅入りそうになる程だ。

だからこそというか、テストの点が悪かったせいで先生に目を付けられ、特別に宿題を出されてしまった。

私は嫌々ながら鞄を開け、中から教科書やノートを取り出そうと手を入れる。その時


ちゃぽん


と、水音がした。

同時に手首から先に、まるで水中に入ったかのような感覚を覚える。


「…え?」


水は温く、異臭が漂ってくる。

つい最近、というか今日嗅いだ覚えのある匂い。

これは──…沼?

唐突な、余りに唐突なことに、私は一切の身動きが出来なくなる。

その時だった。


「う、うわっ!?」


がっしりと何者かに腕を捕まれ、一気に肩までが鞄の中へと引きずり込まれる。

それはとても強い力だった。

腕が引き千切れるのではないか、と思うほどのもので、捕まれている部分と腕の付け根に激痛が走る。


「痛ッ…!ちょ、嘘…!?」


半狂乱になって引き抜こうとするが、とても敵いそうにない。

ああ、このまま私は噂通り、沼のなかに引きずり込まれてしまうのだろうか?

そんな考えが頭をよぎったときだった。

これまた唐突に、手が話される。

必死になって逃れようとしていた為に、そのままの勢いで後頭部を床に強打した。


「──~~ッッ!!」


言葉が出ない。

目がちかちかと明滅するかのような感覚。

後頭部から全身を突き抜けるような痛みに悶絶しそうになる。


「おい、なんだ今の音は。」


転倒の音を聞きつけたのか、宮比さんが顔を出した。

そして床に倒れながら悶える私を見て、呆れたような表情をする。


「…なにやってんだ?夕…。」


「い、いえ…。ちょっと、こ、転んで…。」


頭を押さえながら立ち上がると、鞄の中は普通に戻っていた。

ノートや筆箱、数学の教科書が顔を覗かせている。

宿題がなければ、こんなことには…。

より、数学が嫌いになりそうだった。




翌日、私は事の次第を3人に話した。

鞄の中が沼になっていたこと。

そこから手が出てきて、腕を掴まれたこと。

あやうく引きずり込まれそうになったが、何とか助かったことを。


「なにその秘密道具。鞄が異次元空間にでも繋がったってこと?」


流石に現実味が無さすぎる話のせいか、美琴ちゃんですら反応が薄い。

けれど、腕に残った手形の青痣を見せると、皆の表情が一変した。


「うわ、痛そう…。大丈夫?」


まあ、どちらかと言えば後頭部に出来たたんこぶの方が痛いんですけどね。

ともかくそれは、後追沼の噂が本当であると言うことを皆に知らしめるには十分なものだった。


「うーん、でも私には何もなかったけどな…。」


椎名さんのその言葉に続いて、美琴ちゃんが私も、と言う。

どうやらそれは、私の身にだけ起こったらしかった。

何故、私だけに…?


「でも良かったよー。夕子ちゃんが沼に引き込まれなくて。」


「…うん、その事なんだけどさ。」


一つ、その点で引っ掛かっていた事がある。

噂では、付いてこられた人は沼に引きずり込まれてしまうらしい。

けれど私は今こうして生きている。

それは、引き込まれる直前にあの手が私の腕を話したからに他ならない。


「もしかして、あの手は人を引き込もうとしてるんじゃなくて、引っぱり出して欲しいんじゃないかな…?」


一晩考えて出した考え。

いや、直感だった。

引きずり込もうとするなら、何故手を離す必要があったのか。

そこの理由が、それしか考えられなかった。

私には引っ張り出せる力がなく、逆に引き込まれそうになったから、あの手は消えたのではないか、と。

それに何となく、あの手には悪意が感じられなかったように思う。

…上手くは、言えないけれど。


「つまり、沼に沈んでる人の霊が助けてほしくてやってる、てこと?」


美琴ちゃんが私の考えを纏める。

私はその言葉に頷いた。


「それで、ちょっと提案があるんだけど──。」






放課後、私たちは図書館へ足を運ぶ。

理由は、過去の新聞紙を見るためだ。


「新聞紙はあそこにあるんだよ。私もよく利用してるんだ。部長としてね!」


胸を張りながら美琴ちゃんが言った。

たしかに、新聞紙がファイルにまとめられ、本棚のなかに置かれていた。

実に、数年分に及ぶ量。

取り合えず、手分けをして目的の記事を探すことにした。

その目的の記事とは、すばり行方不明者の記事。

数年分の新聞からとなると、探すのも骨だ。


「ここ最近で騒がれたような子供の失踪事件てなかった?」


私の腕に残っていた手の跡は、小さなものだった。

恐らくは小学生位だろう、と思われる。


「んー、あー、2年くらい前に小学生の男子がいなくなったことがあったかな。誘拐されたとか神隠しだとか色々言われてたっけ。」

あんまり自信はないけどね、と椎名さんが付け加える。

それでも今はその朧気な記憶を頼りにするしかなかった。

そのあたりの新聞紙を中心に、調べを進める。


「“工事現場から大量の人骨。過去の土石流の被害者か?”」


「あ、懐かしーな。それもかなり騒がれたよね。」


「うん、記録に残ってた被害者の人数と比べて一人居なかったんだよね。その消えた一人を巡ってまた怪談が…。」


「…おい、そこの二人。今探してるのと関係ない話をすんじゃねえ。つーか館内では静かにしろって。」


隆斗くんが美琴ちゃん達に注意をする。

私が彼と部活をするのはこれが初めてか。

このあとにはどうしても必要になるだろうから、無理を言って来てもらった。

渋々ではあるが、真面目に手伝ってくれている。

少なくとも、別の事件の話をしている2人よりは。

何枚目かの新聞紙を広げたとき、ふと一つの記事に目が止まった。

それは椎名さんの言った通りの、小学生男子の失踪事件の記事だった。

思わずあった、と声に出す。


「芝留町に住む小学生…、芝留町って、沼の近くだ。」


「ああ、そういえばそうだったね。たしかそれ、結局見つからなかったんだよね。沼に落ちたんじゃないか、って言う人もいたらしいよ。よく川や池で魚とか水性昆虫を捕ってたんだって。」


所詮は中学生の推測でしかない。

予想だらけの、とるに足らない推測。

けれど、私はこの小学生があの手の霊と同一人物だと思えて仕方がない。

とりあえず目的を達成できた私たちは図書館を出、今度は私の家へと向かう。

この怪異を終わらせるための作戦は、ただ4人がかりで手を引っ張る、というものだ。

まず私が鞄を開き、手をさしのべる。

そこで掴んできた手を皆が掴み、一気に引き上げる。

気がかりは、ちゃんと出てきてくれるだろうか?ということ。

学校では、鞄に異変は無かった。

もしかしたら私一人でないと無理なのかも、という心配はある。

玄関を開けると、奥から宮比さんが顔を出す。

そして他の3人を見て一言


「…今日はまた、随分と大所帯だな、オイ。」


「そろそろテストが近いから、皆で勉強会を…と思って。」


テストが近いのは本当だ。

自分で言って、なんだか気が重くなるな…。

ともあれ皆を部屋にいれ、私の鞄を中心に、周りを囲むようにして座る。


「じゃあ、始めるよ。」


私の言葉に、3人が頷く。

どの顔も、緊張の色が浮かんでいた。

ゆっくりと留め金を外し、鞄を開く。

右手は青痣が痛むから、今回は左手を鞄にいれる。

こつん、と鞄の底に手が当たった。


「…どうしたの、夕子ちゃん?」


「…。」


心配そうにしている美琴ちゃん達に、私は黙って首を振る。

恐れが、現実になったのか。

彼は現れてくれない。

いつもと同じ、普通の鞄だ。


「やっぱりあたしらがいるから駄目なのかな?一旦外に出ておこうか?」


「いや、待って。もう一度、やらせて。」


もしかしたら、私の気持ちが伝わらなかったのかもしれない。

今ここにいる皆は、貴方を助けに来てくれた人達。

私たちは、貴方を助けたいの。

そう強く念じながら、もう一度手を鞄の中にゆっくりといれた。


ちゃぽん


と部屋のなかに水音が響く。

そして沼の匂いが漂う。

彼に、私たちの気持ちが伝わった。

そう思った。


「…来た!」


その私の声と同時に、がっしりと腕を掴まれた。

昨夜と同様、一気に肩まで引き込まれてしまう。


「夕子ちゃん!」


美琴ちゃんが、椎名さんが、隆斗くんが一斉に鞄の中に手を入れる。

そして各々が、中の腕を掴んだ。

…誰か一人は、私の腕を掴んでいるが。


「うわ、重っ…。」


椎名さんが呟く。

4人がかりでも、あまり状況は変わらなかった。

底無し沼に沈み、泥土にまとわりつかれているだろうその体は、一向に上がる気配はない。


「ちょっと、隆斗!あんたが頼りなんだからしっかりしてよ!なんのためにサッカーしてんの!」


「うるせぇ、こんなことのためにサッカー何かするか!それにこれでも全力なんだよ!」

…4人とは言え、中学生の力では、彼を助けることは出来ないのだろうか。

私の頭の中に諦めの二文字が浮かび上がる。──その時だった。

5人目の手が、鞄の中に入れられたのは。


「何か騒がしいと思って見てみれば…全く、お前が家に友達連れてくると禄な事がない…!」


「…っ!宮比さん!」


宮比さんが思い切り力を入れると、少しずつ中の腕が上がってくるのがわかった。

そして上がれば上がるほど、その速さも上がっていく。


「うわあっ!!!」


有るところで、私の腕を掴んでいた手が消えた。

勢い余って、宮比さん以外の4人は尻餅をつく。

鞄の中は元に戻り、部屋に漂っていた沼の匂いも無くなっている。

宮比さんは鞄の中から部屋の天井へと視線を移動させる。


「…成仏、したか。」


それだけ言って、部屋から出ていった。









翌日、新聞に尾井ヶ沼に死体が浮かんでいたという記事が載っていた。

それが2年前の彼であったかどうかまでは書いてなかったけれど、昨日の彼であったことは解った。

私たちは、泥土の中から彼を引っ張り出すことに成功したのだ。


「あの時、お前に何か憑いてきてんのは何となく解ったんだがな…。悪意は感じられなかったから、大丈夫だろうって思ったんだ。浮遊霊が付いてくるのは、よくあるからな。」


何時ものように縁側で紫煙を燻らしながら、宮比さんは言った。


「それがまさか、あんな事になってたとは…こりゃ尾白の爺さんにどやされるな…。」


「…なんであの子は私についてきたんでしょうか?」


ずっと気になっていたことを聞いてみる。

3人の中で彼が私を選んだ理由が、今もわからない。


「…それはな、お前が3人…いや4人の中で、一番霊感が強いからだ。」


「霊感が強い…?」


自覚は全くなかった。

霊なんて、記憶のあるかぎりでは見てなかったからだ。

それこそ、虚身の森が初めての体験だった。


「ま、こればっかりは体質だからな。霊感が強ければ強いほど、霊にとっては干渉がしやすいんだ。だからこそ、あんな大それた事が起こったとも言えるが…。」


彼が助けを求めても、霊感が無い人は気付かない。

いくら救いを求めても、誰も答えてはくれないのだ。

それを、2年も続けていた。

どれほど辛い2年間だっただろう。


「ねえ、宮比さん、あの子は救われたのかな…?」


「…あぁ。」


宮比さんは短く答えた。

それだけで、十分だった。






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