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万退き

それは、学校から帰る途中の事だった。

見慣れた通学路の両脇に、見慣れない光景がある。

それは、獣道と言うものだろうか、不自然に草が掻き分けられ、地面の剥き出しとなった道のようなものができていた。

道幅は、私が余裕で収まるくらいのもので、そこまで広くはない。

よく見ると、アスファルトも少し凹んでいる。

要するに、丁度道路を横切るような感じで道ができていたのだ。

…何だろう、これは。

そう思った瞬間から、好奇心が湧いてくる。

この道を辿った先に答えがあるのだと思うと、私の足は迷い無くその道の中へと進んでいく。

どんどんと進んでいくと、先に町が見えてきたところで、それは直角に曲がっていた。

私はその先へ目をやる。

…このままいくと、山の方だ。

その山自体は小さなものだが、好奇心が少し抑えられる程度には戸惑う。

ええい、ここまで来たなら、行ってみよう。

毒食わば皿までとも言うじゃないか。

再び私は、その道の先へと進んでいく。

山が目前に迫ったとき、日は傾きかけ、空は赤く染まり始めていた。

帰りのことを考えると、遅くなるかもしれない。

取り合えず、宮比さんに電話をいれておこう。

私は携帯をとりだし、番号を入力する。


『もしもし、原江ですが。』


「あ、宮比さん?夕子ですけど。」


『あ?なんだ夕。どうした?』


「今日ちょっと遅くなりそうです。その事を知らせとこうと思いまして。」


電話の向こう側から、溜め息の音が聞こえた。


『今日は部活の日か?どこへいくんだ。』


「いえ、部活じゃないんです。帰り道に、変なもの見つけたから気になって…。」


『ああ?変なものぉ?なんだそりゃ。』


その変なものの説明をしようとしたとき、山の中からすごい音が聞こえた。

何か硬いものが割れたかのような音。

それは電話越しに宮比さんにも聞こえたらしく、驚いたような声がした。


『何だ、今の音は。お前今どこにいるんだ?』


「いえ、その…急に山の方から聞こえて…。」


言いながら、音のした山の方へ目を向ける。

そこに、何か動くものを見つけた。

それほどに遠い距離でもないのに、妙に小さな影。

それなのに見えたのは、それがいるところだけ、何故か木が生えていなかったからだ。

いや、違う。木が分けられている…?

その影が動く度に、それを避けるようにして木も動いている。

信じられないその光景に、私は暫く呆然としていた。


『おい、夕!どうした、何かあったのか!?』


その宮比さんの呼び掛けに、漸く私は我に返る。

そうだ、こんなところで呆然としている場合じゃない。


「ごめん、宮比さん。電話切るね!」


『はあ!?ちょっと待て、ゆ…!』


ぷつん、とそこで音声が途切れる。

目の前にある未知に、私は夢中になっていた。

見失いたくない一心で、私は山の中へ進む。

その途中、巨岩が道を塞いでいるのを見つけた。

…いや、塞いでいたのだろう。

それはそこを通ったものを避けるように、縦に真っ二つに割れていた。

恐らく、先程の音はこれが原因なんだろう。

そして、その開かれた道の先に、未知がいた。

歩みは遅い。

体は小さい。

そしてそれは、薄汚れた布地に身を包んでいる。

そのせいで、丸まった布がもそもそと動いているだけのように見える。

しかし、そんな小さなものを、石が、草が、木が避けていく。

…言葉にし難い程、異様な光景だ。

私は足音を立てないよう、極力ゆっくりと歩く。

それでも何とか追い付けるほどにそれの歩みは遅い。

気付かないのか、それとも気付かない振りをしているのか、それは此方を見ようともしなかった。

目の前に、それが迫る。

私は、勇気を振り絞って布に手をかけた。

何故そこまでしたのか、自分でも分からない。

もしかしたら、危険なものかも知れないのに。

そこで漸く、その動きが止まった。

私の次の動作を、待っているかのように。

私は思いきって、布を引き剥がした。

その身にまとわりついていたそれは、意外にもあっさりと剥がれる。

そして、その下に有ったものは──





ぱちり、と目を開く。

その先に広がっていたのは、見慣れた光景だった。

板張りの天井、その中心に付けられた電灯。

ここは、家…?


「よお、目が覚めたか。」


聞きなれた声が聞こえた。

その方向に目を向けると、宮比さんが胡座をかいて座っていた。


「あれ…私、どうしたんでしたっけ…?」


「…山の中で倒れてたんだよ、お前は。」


倒れていた…?

なんで私はそんなことに?

確か、変な道を見つけて、それを辿って…その先にいた何かに追い付いて、それで──。

そこで私はやっと思い出す。


「宮比さん、あの小さなやつ…!」


「…“万退(よろずの)き”のことか。」


万退き。

あれはそんな名前だったのか。

確かに万物がそれを避けるように退いていたけれど。


「全く、目を覚ましていきなりそれか。此方の身にもなれっての。山道で頭から血ィ流して倒れてるお前を見つけたとき、気が気じゃ無かったんだぜ?」


「え?頭から血を…?」


その言葉に、反射的に手を頭にやる。

額の所に、大きなガーゼが貼られていた。

意識がはっきりとするにつれて、鈍い痛みも出てくる。


「ま、医者の見立じゃ大した怪我じゃ無いみたいだが…意識を失って倒れた際、道端の石ころにでもぶつけたんだろ。」


「…私、何で意識を失ったんでしょう。」


自分でもその理由がわからない。

はっきりと、あの布を引っ張ったことは覚えている。

でもその後のことが全く覚えていないのだ。

何だか頭がこんがらがりそうで…。


「そりゃお前、至近距離で万退きを見ればそうならァな。」


「その万退きって何なんですか?宮比さん、知ってるんでしょう?」


まあな、と生返事をする宮比さん。

直ぐに私の問いに答えるでもなく、何処からか煙管を取り出して火を着けた。

そして一息吸ってから、語り始める。


「夕は日本の創世神話における、“蛭子”や“淡島”の事は知ってるか?万退きはそれらに生い立ちが似ているんだ。」


「ヒルコは聞いたこと有る気はしますけど…アハシマは知りません。」


「“蛭子”も“淡島”も、不具故に親に捨てられた神の名前だ。万退はこの地方に伝わる神の子供だと言われ、その余りの容姿の醜さに捨てられてしまったんだ。その醜さたるや万物が退く程、とまで言われる。ま、これが名前の由来なんだが。」


醜さ故、あんなにも木や岩が露骨に避けるようにしていたと言うのか。

そう望んで産まれたわけでもないのに…。


「大きさから、成長せずに未だ赤子の姿のままなんだろう。臆病で、人の多く住む町なんかには近寄らない。ただ自分を受け入れてくれる場所を求めて、この世を彷徨っている。今の所退かないでいてくれるのは、母親がその姿を見たくない一心でくるんだ布切れ一枚のみなんだと。」


「なんだか、可哀想…ですね。」


その私の言葉に、宮比さんは何も答えなかった。

立ち上がり、窓を開けて縁側へ腰かける。


「所で夕、お前万退きの姿を見たんだろ?覚えてるか?」


「え?あっ……いえ、何も…。」


言われて初めて、その事に気が付く。

布を剥いで、確かにみたはずのその姿。

それも、完全に記憶から抹消されていた。


「まあ、だろうな。布の下を見ようとしたと言う話は数あれど、姿は一切伝わっていない。醜すぎて、脳が記憶に留めるのを嫌がるんだってさ。だから絵図において万退は、布でくるまれた姿でしか描かれてないんだな。」

私は布団から起き上がる。

結局、未知を自力で知ることは出来なかった。

その事が少し、残念に思えた。


「…もう起きるのか。大丈夫なのか?」


「大丈夫ですよ。すこしふらつきますけど…。」


よろよろと歩き、居間の扉に手を掛ける。

なんだか酷く酔っているかのような感じだ。

軽い吐き気もあり、床が揺れているような気がする。

立ってみて、案外受けたダメージが大きいことを知った。


「ま、お前がそう言うんなら止めはせんけど。何せ万退は、この世で一番の醜悪。その姿を見たことが原因で死んだなんて話も数多くあるからな。」


「…。」


私は黙って布団の中に戻る。

万が一、と言うこともあるし、大事をとるに越したことはない、うん。

その様子を見て、宮比さんはくす、と笑う。

「それでいい。今日は勿論、明日も絶対安静だな。連絡しといてやるから、学校は休んどけ。酷いようなら、ちゃんと言え。また病院に連れていってやる。それと──。」


「まだ、あるんですか?」


「…もう心配は掛けてくれるなよ?」


その時、宮比さんの表情が一瞬悲しげなものへと変わった。

今までに見たことのない、弱気な顔。

普段からは想像もできないそれは、記憶に残った分、より衝撃的なものだった。


「…はい。」


ただ、それだけを答える。

居た堪れなくなって、私は布団の中に顔を埋めた。



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