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桜華押(Sakura-Monogram)  作者: 枕木悠
第四章 希望コンパス
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第四章⑤

 ヴィヴィアンヌ号は瞬く間に、完全にアヤカに支配されてしまった。乗船客、船内の従業員、警備員など、航海に携わる船員以外全て、出入口が一つしかないカジノに集められた。警備員の中には何人かアヤカたちの仲間がいて、マシンガンで武装した彼らは乗船客を次々に拘束していた。カジノは大勢の人がいるのに、とても静かだった。間違いなく、異常事態。

 ノゾミコは何も出来なかった。ノウラを人質に取られ何かを為す術もないまま、アヤカに白い手錠を掛けられた。白い手錠を掛けられた魔女は魔法を編むことが出来なくなってしまう。つまり、色を失う。ノゾミコの紫色の髪は、十一歳、魔女に開花する以前の黒い髪に戻った。ただの普通の少女になってしまったのだ。

「黒い髪も似合うわよ、ノゾミちゃん」

 アヤカはそう言ってまっずぐに見つめてきて両手が不自由なノゾミコにいきなりキスしてきた。

 不意打ち。

 避けることは出来なかった。

 頭が真っ白になる。

 涙目になる。

 涙がこぼれそう。

 私の唇はママだけのものなのに。

 それなのにアヤカにキスされた。

「あ、アヤカってば、」マサムネが声を上げる。「ずるいよーっ」

 ノゾミコはアヤカから離れ、目元を拭って睨み付けた。「な、何するのっ!」

「キスしたのよ、」アヤカは自分の唇に指を当て群青色の髪を煌めかせうっとりと微笑む。「三年ぶり、三度目のキスだね」

 ノゾミコはアヤカに生涯二回、キスされたことがあった。一度目は二人とも何かを企むということを知らない小さな時だからいいとして、二度目は恋のマジック・ポーション、つまり媚薬を飲まされてキスすることになったのだ。媚薬のことがあってからノゾミコはアヤカのことが大嫌いになったのだ。薬で心を操作するなんて、最低だ。

「あ、アヤカ様、次は僕の番だよっ、僕もノゾミとキスしたいよーっ」

「むぅ!」マサムネが無邪気に言うのをノゾミコは睨みつけてやる。「むぅ!」

「じょ、冗談だよぉ、」マサムネはアヤカの後ろに身を隠して言う。「両手が不自由で、雷を編めないノゾミのことを襲っちゃおうなんて思ってないよぉ、そんな怖い顔しないでよぉ」

「誰のせいだっ!」ノゾミコは叫んだ。短い時間に叫び過ぎたせいで、声が濁って来ていた。僅かに痛む。でも今は叫ばずにはいられない状況、というものだった。「誰のせいだよぉ!」

「それじゃあ、マサムネ、カジノはあなたたちに任せたわ、」アヤカはマサムネに言って、そしてノゾミコと腕を組んだ。「ノゾミちゃん、行きましょうか」

「どこに?」ノゾミコは体重を後ろに掛けて動かないように踏ん張った。

「私の部屋に、」アヤカは大人っぽい声を出す。「決まってんだろ」

「やだ、」ノゾミコはアヤカに襲われると思って叫んだ。「犯されるぅ、犯されるぅ、犯されるぅ!」

「もぉ、ノゾミちゃんってば、変なこと言うんじゃないわよぉ、」アヤカは顔を近づけて、声にヒステリックを僅かに混ぜて言う。「犯すだなんてそんな、そんな、そんな酷いことはしない、ただちょっと、ちょっとだけ二人きりで同じ部屋にいようっていう、そういう素敵な話、んふふっ」

「いやぁ、いやぁ、いーやぁ」

 ノゾミコのささやかな抵抗空しく、結局アヤカに部屋まで連れて行かれてしまった。

「座ってて」アヤカは部屋の半分を占めるベッドの方を指差し言う。

 ノゾミコは言われたようにそこに腰掛けた。そしてそのままごろんと横になってから、仰向けに姿勢を変えてノゾミコは五指を組んで目をぎゅっと瞑った。

 ああ、神様、仏様、エリコ様。

 どうか。

 どうか。

 私をお救い下さい。

「何か飲む?」アヤカは兜を脱ぎ、眼帯をはずして聞く。

「いらない」ノゾミコは即答する。

「……ノゾミちゃん、何してるの?」アヤカが訝しげに聞く。

「お祈り、」ノゾミコは目を瞑ったまま応える。「最低最悪でろくでなしのアヤカに犯されないように、お祈りしてるんだ」

「……だから犯したりなんてしないって言ってるじゃん、」アヤカは声にヒステリックを混ぜて言って、そして窓に近いソファに座りシガレロを咥えて火を付けた。「嫌がっている女の子を、無理矢理犯したりなんてしないよ、そんなの、魔女として最低なことだし」

「……本当?」ノゾミコは片目を開けて、アヤカの様子を窺いながら聞く。「ホントに、犯さない?」

「だから犯さないって言ってるでしょ、」アヤカは煙を吐き、群青色の髪に指を入れて早口で言う。「っていうか、犯すって言葉止めてくれる? なんか汚らわしい、男を連想させるワードだわよ、それともなぁに、ノゾミちゃん、ノゾミちゃんは実は私に犯して欲しいわけ?」

 ノゾミコはふるふると首を横に振った。「犯さないで下さい」

「だから犯さないって言ってるでしょうっ、」アヤカは大きく口を開けて怒鳴る。「っていうか、ノゾミちゃん、そのふるふるって首振るの可愛すぎるんだけど、それ止めてくれる? 犯したくなってくるでしょうに」

「やっぱり犯すんだ、」ノゾミコは涙目になる。「やっぱり私、犯されちゃうんだぁ」

「だから違うって、今のなし!」アヤカは額に手を当て首を横に振る。「今のなし、私はノゾミちゃんのことを犯したりなんてしませんっ」

「アヤカは私に、」ノゾミコは涙目で訴える。「いきなりキスした、そんな酷いことをしたアヤカのことなんて信じられない、信じられると思う?」

「え、別にキスくらいいいじゃん、挨拶じゃん、久しぶりにノゾミちゃんと会えたんだもの、キスくらいいいじゃん」

「よくないよ、」ノゾミコは涙目で睨む。「私の唇はママだけのものなんだから、私はママだけのものなんだからよくないよ!」

「はあ、」アヤカは大きく溜息を吐き、ソファに深くもたれた。そして溜息を繰り返す。「はあ、もお、はあ」

「……な、なんなのよぉ、溜息ばっかり吐いて、なんなの?」

「私、ノゾミちゃんみたいな人のことをなんていうか知ってる」

「ん?」ノゾミコは首を傾げる。「なんていうの?」

「マザコン」

「まざこん?」

「そう、マザコン、マザー・コンプレックス、」アヤカはノゾミコを指さして言う。「ママのことが大好きで大好きでだーい好きでしょうがなくて、何をするにも、ママ、ママ、ママ言って乳離れが出来ないろくでなしのこと」

「べ、別にママのことが大好きで何がいけないのっ?」ノゾミコは頬を膨らませて言う。「誰にも迷惑かけてないし、確かに変わっているとは思うけど、でも他人がとやかく言う問題じゃないんじゃないのっ」

「迷惑なら、かけてるじゃん」

「誰に?」

「この船に乗ってる人たちに、だよ」

「はあ?」

「ノゾミちゃんが私のことを愛してくれないから私は、この船をジャックしたんだ」

「そ、そんなことで船をジャックしたって言うのっ!?」

「そう、」アヤカは灰皿にシガレロを押しつけ、ベッドの縁に座った。「ノゾミちゃんが私のことを愛してくれるなら私は、カジノの人々を解放して上げてもいいわ、どうする?」

「どうするって」

 ノゾミコは悩んだ。

 アヤカを愛することでこの船に乗っている人たちが助かるなら。

 だったら。

「んふっ、」アヤカは小さく笑った。「冗談よ」

「ふえ?」ノゾミコは間抜けな顔になった。「じょ、冗談?」

「真剣に考えちゃって、」アヤカはそして再び、溜息を吐いた。「本当に、可愛いんだから」

「もぉ、おちょくったなぁ!」

「いくら私がノゾミちゃんのことを好き過ぎたとしても、それだけでこんな大がかりなことはしないわよ、愛のせいでこんなことはしない、まあ、私の異常な愛情はノゾミちゃんがいるこの船を舞台と選んだ、というだけの話」

 そしてアヤカはノゾミコの隣で横になった。

 体を寄せてきて群青色の髪の毛をノゾミコの髪に絡め始めた。

「何してるの?」

「別に何も」

「アヤカは何を企んでいるの?」ノゾミコは聞く。アヤカに対する危機感は不思議となかった。アヤカの瞳は、別のことを考えているって分かったからだ。

「革命よ」

「え?」聞き返したのは、アヤカの言葉に重みがなかったから。軽く言ったから。

「革命よ、私はもう一度日本を回転させる、」アヤカは言って、ノゾミコに顔を近づけた。「いや、思えば日本は一度だって回転仕切ったことなんてないんだ、明治維新なんて服を着替えただけ、着物を捨てて似合わないドレスを着た、それだけのこと、日本の本質は何も変わってない、変わってないのに似合わないドレスをずっと着たままでいるから、だから日本はおかしくなった、ノゾミちゃんだって感じているでしょ? 今の日本がおかしいって、そんな風に、感じるでしょ、感じるよね?」

 その時だ。

「た、大変ですっ、」扉が開く音とともに、群青色の髪の魔女が部屋に入って来た。年はノゾミコと同じくらいだろうか。幼い顔立ちで、眉は少し濃い。左右で結んだ髪の色は、少し悪いように見えた。「大変です、アヤカ様! って、あわわっ、」群青色の魔女が慌てているのは、アヤカがノゾミコを襲っているように見えたからだろう。それくらい体は密着していた。「すいません、失礼しました、出直してきますっ、ではっ!」

「待ちなさい、リョウコ!」アヤカはヒステリックが大量に混じった大声でリョウコを呼び止める。「いいわよ、なぁに、大変なことって何なのっ!?」

「は、はい!」リョウコは立ち止まり、くるりと振り返った。「はい、大変なこと、というのはですね、そのぉ、あのぉ、実は例のものが、見当たらなくてぇ」

「見当たらない?」アヤカは目を色を変えた。「なかったの?」

「はい、ないんです」

「ないって、どういうことっ!?」

「分かりません、」リョウコは首を目一杯横に振って言う。それに連動して左右のお下げが揺れる。「分かりませんけど、展示室にないんです」

「どういうことよっ!」アヤカはヒステリックを爆発させた。「なんでないのよっ!」

「だから分かりませんってばぁ!」リョウコもヒステリックを爆発させた。彼女も群青色だからヒステリックになりやすい。「ないものはないんですよぉ!」

「シンロクは!? あいつは何してんのっ!?」

「展示室の周りを探してます」

「探すって心当たりがあるわけ!?」

「だから分かりませんってばぁ!」

「アヤカ、えっと、何の話を、」してるの?

 聞きかけた時だった。

 バキュン。

 ピストルの音が響いた。

 ピストルの音に二人の群青色の魔女は口論を止めた。

 しばらく三人は黙って耳を澄ませていた。

 余韻は耳に残っている。

「……何、今の音、」アヤカが言って立ち上がる。「銃声よね?」

「はい、凄く近くで聞こえました、」リョウコはアヤカの腕に自分の腕を絡ませて身を寄せた。「何があったんでしょう?」

 そしてもう一度。

 銃声。

 アヤカとリョウコは顔を見合わせている。

「……嫌な感じがする」

 ノゾミコは立ち上がり部屋を出た。両手が塞がっていてもドアノブを回せた。扉を押し開ける。

「あ、こら、」アヤカが声を上げる。「ノゾミちゃん、勝手に駄目だわよ」

 部屋を出ると左右に通路が伸びている。右手の方の通路を進むと突き当たりでまた左右に通路が分かれている。突き当たりまでは部屋が五つある。このフロアの部屋は全てスイートルームなので扉同士の間隔は広い。その五つある内の一番奥の扉が開いた。ノゾミコが扉を開けてから、二秒後だ。

 その扉から出て来たのは女性はなぜか。

 桜華を纏っていた。

 どういうこと?

 そしてその女性のことをどこかで見た覚えがあった。

 すぐに思い出せない。

「あああああああっ!」声を上げたのはアヤカだった。

「ああああああああああああああああっ!」そしてリョウコも声を上げた。

 ノゾミコの耳は左右で叫ばれたせいでキーンってなった。

 そしてその二人の叫びに桜華を纏った女性はこっちを向いた。正面から顔を見てノゾミコは思い出した。

 彼女はカフェテリアのウェイトレス。

 ハンバーガとポテトとコーラのセットをバレリーナみたいにくるくると回りながら運ぶウェイトレスだ。

 そのウェイトレスがどうして桜華を纏っているの?

「アヤカ様っ!」リョウコはウェイトレスを指差し言う。「あいつです、あいつが盗んだんですっ! だから展示室になかったんですよっ!」

「待て、」アヤカは言うが早いか、そのウェイトレスに向かって走り出していた。「こらぁ!」

「待てぇ!」リョウコもアヤカに僅かに遅れて走り出す。「待て待て待て待てぇ!」

 二人の魔女に追いかけられてウェイトレスは表情を変えて逃げた。

 ノゾミコは桜華が彼女に盗まれてしまったことはどうでもよかった。

 展示室にあった桜華は……。

 っていうか、アヤカは桜華のことも狙っていたの?

 いや今は。

 銃声の理由。

 ノゾミコはとりあえずウェイトレスが現れた部屋の扉に足音を立てないようにそーっと近づいた。

 扉は開いたままだがしかし、こっちの方向からは部屋の様子は分からない。

 ノゾミコは部屋の前まで来た。

 そして部屋の中を覗き込もうとした。

 そのときだ。

 サクラが部屋から顔を出した。

「あ」

 ノゾミコと目が合う。

 二人は見つめ合う。

 サクラは黒いリボンでピンク色の髪を結んでいた。

 その黒いリボンは見覚えがあったけれど、思い出せない。

 そして見つめ合って二秒後。

 パタン。

 サクラは扉を閉めた。

「あ、ちょっと、サクラぁ!」

 ノゾミコは不自由な手でノブを回そうとするけれど、すでに施錠されていて開かない。「サクラってばぁ!」

「ごめんなさい、ノゾミコ様、」サクラの声が室内から聞こえる。「ごめんなさいっ」



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