心底投げ出したい逆ハー人生の壊し方
「……足音怖い風音怖い物音怖いとにかく怖い!!っでも、」
(安心、する)
己の心がふっと開放された感覚に涙が浮かんだ。
森の片隅に見つけた誰のものとも知れぬ粗末な小屋の片隅で使い古された毛布を被って震えているのには勿論でもって訳がある。
世の中には理不尽というものが溢れんばかりに転がっているものだけど、よもや自分にこんな形で降りかかるようなことがあるとは思わなんだ。
ここは日本ではない。
話を聞いたところによると、地球でもない、らしい。
言葉は通じるものの外見にまるで共通点がない彼らの真面目な顔を見ながら、正直どんな電波だと思ったものだが、少なくとも自分のいる場所が日本の海沿いにある自分の家の中でないことはわかった。
私がいたのは、シンデレラ城を彷彿とさせる建物がより集まった建物の中だったし、周りを囲む人間にも知った顔はひとつもなかった。
迷子だとか誘拐だとかいっそ夢だとか色々可能性も検証したが、目を閉じて開いた先に見える景色に変わりはなかった。
右から左へ流れてしまう世界の名前。
まるで頭に入らない国の名前も、覚えられない人の名前も、まるで現実感がない、自分だけが異端である世界。
青い空も白い雲もあふれる光ひとつとっても、知ってるようで知らないものだというのに、それらすべてが自分のおかげなのだと人は言う。
神子のおかげだと、聖女様だと崇められる眼差しに体が強張る。
そう、この世界の住人は、私のことを神子と呼ぶ。
しかしそう言われる神子がなんなのか、私は知らない。
おそらくその存在の意味を正確に知る者はこの世界にもいないのだろう。
ある日世界に予言が降りたのだと言う。
とある年のとある日神殿に、世界の調整者が現れる。その存在があることで世界は再び蘇る、と。世界中あらゆる場所に降りた奇跡に疑う術はなかった。
かくしてその日各国の神殿という神殿に注目が集まった。そして高まる緊張の中、とある国の神殿が光輝き、1人の少女が現れた。
そして少女の出現とともに、空が、晴れたという。
というのも、それまで世界は厚い雲に覆われていたらしい。年月を経るに連れ段々と厚みを増していく雲のおかげで、1年に数回しか光が差さないような薄暗い景色が当たり前だった。
それが神子が現れたことにより、世界が生まれ変わったのだと言う。
雲が晴れ、空が覗いて、光が差した。
昼間の灯りが必要でなくなり、温もりが生まれ、生命が息を吹き返した。
とんだファンタジーがあったものだと思うけれど、奇跡の少女であるという私にその自覚はまったくない。
いつもの通り自室で目を閉じ、カーテン越しの朝日で目覚めるだけだったはずの朝だ。見知らぬ場所で目覚めたその日から文字通り世界が一変したのだと言われても想像するのも難しい。見上げる空はいつだって晴れている。時に雨は降っても、周囲が言う光ささない雲など見たことがないから実感が沸かない。
とはいえ、私自身の世界が一変したのは事実だ。
何故自分がそこにいるのか、何故自分を神子だと皆がいうのか、私には何ひとつわからない。
だというのに、会う人会う人に感謝され、涙目ですがられたりする。人に傅かれ、手厚い待遇を受けて、これ以上ない贅沢に囲まれる生活を与えられる。日本では単なる学生だったというのに、勉強する必要も働く必要もないといわれる。会った覚えもない神への祈りを空に捧げて、国の重鎮と話して、時に民を労ってくれればそれで良いと。ここにいてくれるだけで良いのだと。
そう言われて、はいそうですかと人生楽しむことが、私には出来なかった。
感じるのは、家族と会えない寂寥感。
生まれた世界と切り離された空虚感。
覚えのない功績への戸惑い。
そして、恐怖心。
神様に会ったことなど一度もない。
何故こうなったのかもわからない。
自分にそんな力はないと知っている、自分がただの女子高生であることを誰よりも私が知っていたから。
(…私は山岡美海だし。神子なんて名前じゃない。1人っ子で、お母さんとお父さんと足の悪いお婆ちゃんと暮らしてる。普通の女子高生で、世界なんて知らなくて…っ)
まるで酷い詐欺師にでもなった気分だ。
己の力でないもので、いらない役を押し付けられて、世界中を騙している。
人々の感謝も尊敬も崇拝も自分が受け取るべきものではない。
本来ならば巻き込まれた被害者であるはずの立場で、いつの間にか加害者に仕立て上げられた大根役者だ。
周囲の思惑に振り回されて進むだけの出来の悪い人形劇の主人公に祭り上げられる滑稽さに吐き気がする。
何より恐ろしいと感じてしまうのは周囲の反応だった。
最初は、この世界に1人放り出された恐怖心が勝っていた。ある日、ゲームのようなものだと思い込むことで自分を保つ術を覚えた。裏どころか裏の裏もありそうな大人たちともつきあう中で、そうして自分を騙してしまう方が現実を見ないで済むと思えた。意図か偶然か、恐らく前者に違いないだろう理由により、周囲には所謂美形に分類される男性が多かった。隠された思惑に目を瞑ることができるなら、単に過ぎ行く日々を楽しむことは難しいことではなかった。
第一から第三王子を筆頭に、切れ者の宰相補佐、次期近衛隊長、神子筆頭警備隊員、専任執事に若き神官長。生真面目、朗らか、忠犬系、ワイルド、ツンデレ、腹黒、癒し系と、あらゆる立場あらゆる性格の身目麗しい男達に囲まれて、まるでどこぞのゲームのような逆ハー気分を味わえた。
たいした顔立ちも体も持ってない平凡極まりない自分を内心で笑いながら、魅力的な神子の仮面を装った。
私はそんなに強くない。
誰も寄せ付けずにいることにも、ずっと1人で恐怖を抱えこんでいることも出来なかった。
帰る方法がわからないことも、誰一人として私を帰してくれる術を知らないという事実も、その全てに蓋をした。
誘惑に負け、楽しんでいるフリをして、安易に流されてしまうことで見ないふりをした。
けれどある日気がついたのだ。
笑顔の裏で酷い嫌悪感を持っていたはずの逆ハー要員の1人が、私を本気で心配していたことに。私のせいで婚約者と引き離されて、憎んでいるといっても過言でなかったはずの相手まで、本気で私の傍にいたいと願い始めていることに。
気づけば周囲に、私がどれほど愚かしい真似をしても、酷い我侭を通そうとしても、本気で諌めようとする人間がいなくなっていたことに愕然とした。
排除しようと命を狙ってくる輩がいなくなり、私を疑う者がいなくなり、世界が本気で私という人間を愛し、共有しようとし始めていることに戦慄を覚える。
(何だこれ)
ただそこにあればいいとうなら、城の奥深くに閉じ込めてしまえばいいと、囁かれていたはずの声をねじ伏せてしまったかのような状況に眩暈がする。
(どうして)
まるでそれこそが世界の意思だとでもいうかのような変化に寒気が走る。
(気持ち悪い)
世界の救いを放り投げ、何度体に刃物をつきたてても、死ぬことが出来ない体に絶望する。
(怖い)
赴く先々で晴れていく空に心が病む。
(怖い)
覚めない夢に追い詰められる。
(怖い)
まるで終わりがない。
目を閉じても、贅沢に埋もれても、美酒に酔っても、人の心を弄ぶ真似をしてさえ、終息が訪れる気配がない。
(もう、耐えられない)
息をする音さえも憚られる静音の日。
あまりの気持ち悪さにこみ上げる嗚咽が抑えられずに、私は城から抜け出した。
□
(もう歩けない)
そうして私は、王子をたらしこんで(?)教えてもらった城の抜け道を使って辿りついた森で見つけた小屋に潜りこんだ。
甘やかし続けた体は驚くほど体力がなくて凹んでしまう。
それでも、物置小屋兼ちょっとした休憩場所という雰囲気の隙間風が寒く粗末な小屋の片隅に腰を落とすと、この世界に来て殆ど始めてほっとした気持ちになった。
誰の目もないということがこれほど落ち着くことだとは思わなかった。
小さな風音ひとつにびくりと体は反応するけど、少なくとも城にいた時のような閉塞感は感じない。
堪えきれずに逃げ出してしまったものの、雲を晴らす力がある神子が逃亡生活を続けるのは難しい。この国だけはあらゆる場所に顔を出していたため問題の雲はないものの、外遊予定のあった他の国ではまだ雲が厚いというから、下手に国を渡ることは出来ない。そのまま国境を越えるのは神子がここにいると宣伝して歩くようなものだ。
かといってこの国に留まるのは恐ろしい。
とはいえ日本に帰る術もない。
そして死ぬことも出来ない。
あちらをむいてもこちらを向いても行き場がなくて、びっくりするほど八方塞りだと思う。
問題は山積みだし、方法もわからないし、どうしたらいいのかもわからない。
何の力もないというのに、隠れることもできない理不尽さに頭痛がする。
(…だけど今だけ)
今この瞬間だけは、呼吸ができているから。
どこか饐えた匂いに包まれながら目を閉じる。
この時、本当の意味で目を閉じた私は知らなかった。
この先、他国の人間との新しい出会いがあることを。その他国には人間以外の種族がいることを。
また心配した国のハーレム要員が私を本気で探し回っていることや、変化した彼らの想いの全てが神の意思が介入した結果ではないということ。
そしてこの出来事によりこれまでとは違った方法で神子を保護していくよう世界が動いていくことを。
何より、この先も続いていく時間の中に、私という人間が幸せを感じることのできる瞬間が生まれるのだということを。
この時の私は、未だ知らないでいた。