絶対君主だけど部下が汚職塗れで笑える
「おい、愚図ども。貴様らごときが、この我に意見するか? いつから貴様らは、皇帝たる我に物申せるほど偉くなったのだ?」
静まり返った会議室に、我の冷徹な声が低く響き渡った。
眼前にズラリと並ぶのは、日本皇国の中枢を担う者たち。
内閣総理大臣、財務大臣、内務大臣、国防大臣、国家公安委員長、異能管理庁長官、そして各省庁の事務次官。この国の政治、経済、軍事、司法のすべてを動かす、選りすぐりのエリート集団――というのが、表向きの建前であった。
「我は、この国――日本皇国の絶対君主ぞ?」
誰一人として口を開かない。開けるはずもない。
彼らが目の前にしているのは、わずか二十一歳にして皇国の頂点に君臨する男。天穹院白夜、その人なのだから。
……だが、我とて別に、若いからという理由で威張り散らしたいわけではない。
我は皇帝だ。皇国の最終決定権を持ち、国家の行く末と数千万の民の生に対して全責任を負う立場にある。
だからこそ、腹の底からの憤りを込めて問いたいのだ。
「なぜ、貴様らは我の命じた予算案すらまともに作れんのだ?」
「へ、陛下……! それにつきましては、各省庁との最終調整が難航しておりまして……」
高級仕立てのスーツを汗で濡らした財務大臣が、ハンカチで額を拭いながら消え入るような声で答えた。
「地方復興予算の削減につきましても、現地の複雑な事情を考慮する必要がございます。陛下のご意向をそのまま反映するためには、どうしても一定の『譲歩』が必要かと……」
「ほう」
我は机の上に置かれた分厚い資料の一冊を、静かに手に取った。
「では説明せよ。昨年度、地方復興予算として計上された八千億円。そのうち、実際に被災現地へ届いた金額は三千二百億円。――残る四千八百億円は、いったいどこへ消えた?」
「そ、それは……事務手続き上の過多な諸経費や、現地での円滑な事業推進のための調整費用が……」
「四千八百億円もの事務手続き費用か?」
「復興事業とは実に多多なる調整が必要でして……!」
「なるほど」
我は深く頷いた。そして、極上の笑みを浮かべてみせた。
「では――貴様の自宅の広い庭に新築された、五億円の豪華な別荘も、その『調整費用』とやらで建てたのか?」
財務大臣の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「なっ……!?」
「ついでに訊こう。貴様の妻が代表を務めるダミー会社に支払われた、年間二百億円もの業務委託費もか? 所在地を調べさせたら実体のないペーパーカンパニーで、社員は妻と娘の二人だけだそうだが」
「ち、違います! あれは正当な業務委託契約に基づいたものでありまして――!」
「正当な契約」
我は冷ややかに言い捨て、資料を叩きつけるように机へ放った。パンッ、と乾いた音が会議室に爆発する。
「貴様らの言う正当とは、国民が血汗を流して納めた金を身内に流し、残った甘い汁で自分たちの懐を肥やすことか?」
「陛下! いくら最高権力者であられても、そのような根拠なき発言は、我々の誇りと名誉を著しく傷つけるものでございます!」
「ふざけるな、塵が」
一瞬で、会議室の空気が絶対ゼロ度まで凍りついた。
「それは侮辱だ。我に対する侮辱であると同時に、この国を命懸けで築き上げてきた先祖たちへの不敬である」
我は静かに椅子から立ち上がった。威圧感だけで、並み居る重臣たちの背筋が凍りつく。
「先代が築き、先々代が守り、数多の先人たちが血と命を賭して維持してきたこの国を、貴様らは何だと思っている?」
返答はない。誰も我と目を合わせようとしない。
「国民の血税は、貴様らの小遣いではない。国家予算は、一族に代々受け継がせる私有財産でもない。ましてや、皇国という巨大な組織を私物化するための道具などでは断じてない」
我は一人ひとりの顔を、冷ややかな眼差しで見回した。
「貴様らは口を開けば『我の手足となって働く』と宣う。ならば――その手足が勝手に国民の財布へ手を突っ込み、腐敗を撒き散らしている場合、我はどうすればよい?」
沈黙。
「切り落とすしかあるまい?」
「お、お待ちください、陛下!」
慌てて立ち上がったのは内務大臣だった。汗を滝のように流しながら、必死の様相で手を開いて見せる。
「財務大臣の件につきましては、現在、内閣監察部門による厳正な調査が進められている最中でございます! ここで陛下が独断で厳罰を下されますと、行政機構全体に甚大な混乱を招く恐れが……」
「ほう。監察部門か」
我はそちらへ視線を滑らせた。
「では、その監察部門の長官が貴様の義理の弟であることについて、辻褄の合う説明をしてもらおうか」
「…………は?」
「調査部門の予算は昨年度から三倍に跳ね上がっている。にもかかわらず職員数は一割しか増えておらず、外部委託費だけが二十倍に膨れ上がっているな」
我は脇に控えていた天理から受け取った、別の資料を掲げた。
「その委託先の代表者は貴様の大学時代の親友。登記上の住所は貴様が所有する高級マンションの一室。――資金の流れを追えば、綺麗に貴様の個人口座へ行き着くのだが?」
「な、なぜ……それを……!?」
「なぜ?」
我は心底理解できないといった風に、首を傾げてみせた。
「我が皇帝だからだが?」
……もちろん、実際には違う。
昨夜、優秀すぎる側近の天理が徹夜で裏帳簿と資金フローを徹底調査し、完璧に叩き潰せる資料を揃えてくれたからに過ぎない。
我の異能は万能ではないし、万能である必要もない。帳簿を見比べれば浮き彫りになるような底の浅い不正など、わざわざ超常の力で暴く必要すらないのだから。
もっとも、そんな種明かしをこの豚どもにしてやる義理など微塵もなかった。
「そ、それでも! すべての官僚を疑っていては、国政など成り立ちません!」
内務大臣が開き直ったように声を荒らげた。
「我々がどれほどの血のにじむ苦労をして、この巨大な国家を運営しているとお思いなのですか!」
「苦労?」
我は心底呆れて瞬きをした。
「貴様らの苦労とは、国民の金を横領するための二重帳簿を作ることか?」
「陛下――!」
「黙れ」
低い一言が、ドスりと会議室の床を揺らした。
「これ以上、我を怒らせるな。実に五月蠅く、不愉快だ。それでもなお、その汚い口を閉じぬというのであれば……相応の責任を、今この場で取らせるぞ」
静寂。圧倒的な死の気配に押し潰され、大臣たちは言葉を失って平伏した。
我はフンと鼻を鳴らし、踵を返した。
「我はもう行く。件の英雄――天海颯への褒賞と謁見の段取りは、すべて天理に任せた」
「承知いたしました、陛下」
我の背後に控えていた天理が、極めて恭しく頭を下げた。
「なりませぬ、陛下!」
なおも諦めの悪い官僚の一人が、必死の声で叫んだ。
「どこの馬の骨とも知れぬ市井の能力者を、尊き神の子である陛下と直接会わせるわけには――」
「……まだ喋るのか、貴様」
「ひっ……!」
「我の決定に異を唱えるのであれば、まずは貴様の執務室の引き出しに保管されている『本当の裏帳簿』について説明してからにしろ」
「な、なぜ……それまで……!?」
「知らん。だが、我の目に入った以上は骨の髄まで調べる」
我は重厚な扉の前で立ち止め、天理へ静かに告げた。
「今日中に、ここにいる全員の身辺調査をやり直せ。資産、親族、交友関係、契約履歴、異能の使用履歴。疑わしいものは徹底的に洗え」
「よろしいのですか? 本格的に調査を進めれば、対象が行政機構の大半に及ぶ可能性がございます」
「…………」
我は数秒間、沈黙した。
それから、深々ため息をつきながら天井を見上げる。
「天理」
「はい」
「我はな」
「はい」
「この国を正しく統治するために皇帝になったのであって、ゴミ屋敷の掃除をするために生まれてきたわけではないのだが?」
「存じております」
「ならば、なぜ我の周囲はこれほどゴミだらけなのだ?」
「陛下が即位なさるまで、誰も本気で掃除をしようとしなかったからかと」
「そうか」
我は深く息を吐き出した。
「ならば仕方ない。まずは床が見えるところまで、徹底的に片付けるとしよう」
こうして、日本皇国史上、最も熾烈で大規模な大掃除が始まった。
――そして我は、この時点ではまだ知らなかったのだ。この国の腐敗が、我の予想を遥かに超えて根深いものであることを。
◇
日本皇国。
かつて「日本」と呼ばれていたこの島国は、二十一世紀半ばに起きた第三次世界大戦を経て、その政治形態を劇的に変化させていた。
きっかけは、世界各地で突如として確認され始めた超常の力――『異能』。
身体能力を極限まで高めるものから、炎や雷を自在に操るもの。物質の分子構造を組み替えるもの、果ては時空間に干渉するものまで。
異能が軍事利用され始めたことで世界情勢は一変し、戦車を素手で叩き潰す単独兵士や、一個師団を壊滅させる能力者が戦場を支配した。
世界大戦の混乱の中、日本も周辺国からの侵攻と内部からの破壊工作によって国家機能が完全に麻痺。
その絶望的な危機を打開したのが、当時の皇族と、彼らのもとに集結した最強の異能者たちだった。
戦争終結後、崩壊した国を再建するため、日本は従来の議会制民主主義を廃止。強力な権限を皇帝に集中させる「絶対君主制」へと舵を切った。
それが現在の日本皇国である。
法律の制定、行政の任免、軍の統帥権――すべては皇帝に帰属する。
そして、その頂点に立つ現皇帝こそが、二十一歳の若き君主、天穹院白夜であった。
「……で?」
豪華絢爛な皇宮の執務室。
我は机の上に山高く積み上げられた書類の塔を見上げ、呆れ果てた顔で目の前の女性に尋ねた。
「これが、今日中に処理しなければならない書類の『すべて』か?」
「いいえ、陛下」
天理は書類の山を一切気に留める風もなく、涼しい顔で答えた。
「それは午前中に届いた分『だけ』でございます」
「午前中?」
「はい」
「今は何時だ?」
「午後一時でございます」
「……」
我は椅子の背もたれに深く身体を預け、天井を仰いだ。
「天理。我は昨日、何時に寝た?」
「午前四時でございます」
「何時に起きた?」
「午前六時でございます」
「睡眠時間は?」
「二時間でございますね」
「なぜだ?」
「陛下が深夜まで汚職官僚たちの裏資料をお読みになっていたからです」
「そうだったな」
我は頷いた。
「では、なぜ二時間しか寝ていない可哀想な我の前に、こんな量の書類が積み上がっている?」
「国が動いているからでございます」
「国というものは、もう少し皇帝に優しくできないのか?」
「残念ながら、国家とはそのように甘く作られておりません」
「そうか」
我はため息をつき、一番上の書類を手に取った。
表題は『地方異能者育成施設整備事業に関する予算承認申請書』。
未成年の異能者が能力を制御できずに起こす事故を防ぎ、教育環境を整えるための計画で、総額三百億円の予算が要求されていた。
事業そのものの必要性は理解できる。問題は、その中身だ。
「天理。この建設予定地、北海道の予定地がなぜ大臣の所有地なのだ?」
「……」
「東北の予定地が、なぜ内務大臣の親族の会社名義なのだ?」
「……」
「そして建設を請け負う会社が、なぜ財務大臣の妻のペーパーカンパニーなのだ?」
「……陛下」
天理がわずかに眉を寄せた。
「どうやら、午前中の会議で判明した不正は、本当に氷山の一角だったようですね」
「我が本気でこの国を滅ぼそうとでもしているならまだしも、なぜ我が国は我の知らんところで我の金を勝手に喰い潰しているのだ?」
「正確には国民の税金でございます」
「知っている! だからこそ余計に腹が立つのだ!」
病院を建てる金。学校を直す金。災害から復興するための金。
それを自分たちの懐に入れる奴らを、許せるわけがない。
「この申請は却下だ。土地の所有者と契約関係者を全員洗い出せ。それから、現場の教育関係者や当事者の異能者の声を直接反映させた再計画書を作らせろ。官僚の机上の空論で話を進めるな」
「かしこまりました」
我は次々と書類に目を通していったが――三時間後。
「天理」
「はい」
「我はもう、数字を見たくない」
「まだ三分の一も終わっておりません」
「聞こえなかったことにしてくれ」
「陛下。皇帝陛下が職務を放棄されるのであれば、摂政を置く手続きを……」
「貴様、我を脅しているのか?」
「事実を申し上げているだけでございます」
我は天理を睨みつけた。最近、この側近は妙に図々しくなっている気がする。
……まあ、優秀すぎるので不問にしてやるが。
◇
執務をひと段落させた我は、気分転換も兼ねて皇宮の地下にある訓練施設へと足を運んでいた。
天穹院白夜の持つ異能。その名は【天帝】。
皇国最高ランクに位置づけられる特異能力であり、その詳細は国家機密とされている。
世間では「あらゆる異能の無効化」やら「世界の法則の書き換え」やら噂されているが、その実体は単純にして絶対的な概念だ。
【天帝】とは――白夜が支配者として「我の領分である」と認識した空間や対象に対し、絶対的な主権を行使する力。
死者を蘇らせるような万能の神ではない。だが、皇国という「我の領土」において、白夜の支配権はあらゆる物理法則や能力すらをも上書きする。
「……という説明を聞いたところで、結局、具体的に何ができるのか分からんのだが」
訓練場の中央で、我は腕を組んだ。
「陛下ご自身の感覚ゆえ、他者に説明するのが難しくございます」
天理が淡々と答える。
我は目の前に設置された、全高三メートルの特殊合金製・軍用訓練標的へ向けて、静かに右手をかざした。
「伏せろ」
次の瞬間――ドォン!! と重低音が響き渡った。
破壊されたのではない。衝撃波が飛んだのでもない。
三メートルあった鋼鉄の巨体が、まるで『最初からそうあるべきだった』かのように、床にべったりと平伏していた。
空間そのものが、皇帝の威厳に屈したのだ。
「立て」
指先を上げると、標的は素直に立ち上がる。
「座れ」
再び沈む。
「回れ」
くるりと回転する。
「……踊れ」
標的は、ピクリとも動かなかった。
「む」
「陛下。標的に舞踏機能は搭載されておりません」
「融通が利かんな」
「異能の問題ではなく、機械の仕様の問題かと」
「ならば仕様を変更させろ」
「予算がかかりますので、後日検討いたします」
相変わらず冷ややかな側近に一言言い返そうとした時、天理が手元の情報端末へ視線を落とした。
「陛下。異能管理庁の内部調査から、看過できない報告が入りました」
「何だ?」
「現在、管理庁に登録されている国内の能力者数は約八十万人。しかし、実際の推定人口は百二十万人を超えているとのことです」
「四十万人もの開きがあるのか?」
「ええ。単なる制度の不備だけではありません。特定地域で『登録数がゼロ』に近いにもかかわらず、能力者向けの福祉助成金が毎年満額で支給されている形跡がございます」
我は目を細めた。
「存在しない『幽霊異能者』を捏造し、その助成金を誰かが丸懐に入れているわけか」
「現段階では強い疑惑ですが……十中八九、管理庁の幹部が絡んでおります」
「よい」
我は口元に冷たい笑みを浮かべた。
「疑惑ならば調べろ。事実ならば引きずり降ろして処分しろ。それだけの話だ。……我が国で、我の目を盗んで肥え太ろうとする愚か者に、皇帝の真の恐ろしさを教えてやるのも悪くあるまい?」
「陛下」
「何だ?」
「証拠固めより先に、直接殴り込みに行くのはご遠慮くださいね」
「…………」
図星を突かれ、我はフンと息を吐いて背を向けた。
「分かっている。今回は徹底的に証拠から固めてやる。……だが、不正が証明された瞬間、容赦はせんぞ」
「承知いたしました。……それと、陛下」
天理が追伸のように付け加えた。
「例の街の英雄――天海颯ですが。彼もまた、この『幽霊異能者』の件と深い関わりがあるようです」
「ほう?」
我は足を止め、広大な地下訓練場を見渡した。
「くく……面白くなってきたではないか。ゴミ掃除ついでに、骨のある奴に会えるのを楽しみにするとしよう」
こうして、皇国を揺るがす大改革の幕は、静かに切って落とされたのである。
◇
翌日。
我は、一人の青年を皇宮の豪奢な応接室へ招いていた。
天海颯。二十四歳。
その身に宿す異能は【雷神】。
第三次世界大戦の終結から数十年が経過した今、彼は新世代を代表するトップクラスの実力者として、その名を轟かせている。
もっとも、彼が頭角を現したのは軍事演習の場でも、華々しい異能競技会でもない。
半年前に発生した、あの首都圏異能災害だ。
暴走した高位異能者が突如として市街地を急襲し、複数の公共施設が灰燼に帰した凄惨な事件。警察や軍の初期対応が後手に回り、現場が混乱を極めるなか、颯はたった一人、独断で惨状の渦中へと飛び込んだ。
彼は凄絶な稲妻を纏いながら決死の避難誘導と救助活動を行い、最後には暴走異能者をその手で完全に制圧してみせたのだ。
彼の迅速かつ捨て身の行動によって惨劇から救われた人命は、数千人に上ると推定されている。
――だが、硬直化した国家機構にとって、その快挙は素直に喜べるものではなかった。
現場への無断侵入。
警察の指揮系統を完全に無視した独断専行。
交戦によって破壊された建造物の膨大な補償問題。
そして何より、彼の過剰な能力行使が引き起こした周辺インフラへの二次損害。
保身と前例主義に囚われた官僚どもは、それらの瑕疵を盾に取り、颯への褒賞を徹底的に渋っていたのだ。
曰く、規則違反を冒した者を称えれば組織の規律が崩壊する。
曰く、前例を作れば追従する愚者が出かねない。
曰く、一個人の英雄的行為を国家が過度に称賛することは、民主的な法治国家として望ましくない。
……反吐が出るほど馬鹿馬鹿しい。現場で命を張った者を評価できぬ組織に、一体何の価値があるというのだ。
「陛下。天海颯、ただいま参上いたしました」
応接室の重厚な扉が開き、室内へ足を踏み入れた青年は、極度の緊張を窺わせながらもまっすぐに頭を下げた。
「面を上げよ」
「はっ」
颯がゆるやかに顔を上げた。
若々しい精悍な顔立ちに、無駄なく鍛え上げられた肉体。だが、何よりも我の目を惹いたのは、その双眸の輝きだった。
皇帝たる我を前にして適度な緊張は宿している。……しかし、その瞳の奥底には、揺らぐことのない強靭な意志の炎が灯っていた。
己の信じる正義を、周囲の圧力ごときで決して曲げない男の目だ。
「天海颯。此度の働き、見事であった」
「……あ、ありがとうございます」
「貴様の迷いなき行動によって、我が国の無数の民が命を繋いだ。国家の長として、その不滅の功績を正当に認める」
我は重厚な執務机の上に置かれた決裁書類を手に取った。
「褒賞金三千万円。皇国功労章の授与。さらに――異能災害対策特別顧問としての任用を正式に提案する」
颯の瞳が大きく見開かれた。
「さ、三千万円……ですか!?」
「不服か?」
「い、いえ! 滅相もございません! ただ、その……」
颯は戸惑いを隠せぬ様子で視線を泳がせた後、意を決したように言葉を紡いだ。
「俺は、目の前で悲鳴を上げている人がいたから、助けたくて動いただけです。金銭や名誉などの褒賞をいただくためにやったことではありません」
「だからこそ、与えるのだ」
「……陛下?」
「貴様は、報酬という引き換えがなければ人を助けぬような汚い人間か?」
「そんなことは、断じてありません!」
「ならば、国家が与える正当な対価を拒む理由もなかろう」
我は書類を静かに机へと戻し、颯を力強く見つめた。
「国家とは、民のために血を流した者を絶対に踏みにじってはならんのだ。功ある者を評価せぬ国など、いずれ誰も見向きもしなくなる。貴様が受け取らねば、後に続く正義漢たちが報われなくなるのだぞ」
颯は言葉を失い、固直した。
「もちろん、特別顧問の打診については貴様の自由意志を尊重しよう。だが、褒賞金と功労章だけは受け取れ。これは懇願ではない。皇帝としての『決定』だ」
「……畏まりました。そのお言葉、ありがたく頂戴いたします」
颯は深く、深く頭を下げた。
やはり、我の見込みに狂いはなかった。
己の権力を誇示したいわけでもなく、膨大な富を欲しているわけでもない。ただ目の前の正しさを信じ、己の持つ力を振るった。
そんな当たり前の高潔さが、腐敗の進む今の皇国では眩しいほどに珍しい。
「ところで、天海颯」
「はい」
「貴様は『国家』というものを、どう捉えている?」
颯は少し眉をひそめ、己の記憶と価値観を反芻するように熟考した。
「……とても、難しい問いですね」
「構わん。貴様の言葉で答えよ」
「――国家とは、人を守るために存在する『器』だと思っています」
「ほう」
「生きる上で法律や制度が必要なのは理解できます。秩序が破綻すれば、真っ先に弱者が苦しむことも。……ですが、制度を守ること自体が目的化してしまい、目の前の人間を見殺しにするなら、そんなものは本末転倒です」
颯は一切の退縮を見せず、皇帝たる我の目をまっすぐに見据え返した。
「誰かを救うための手が、単なる『規則違反』という理由だけで跳ね除けられるような国なら……正すべきは人間ではなく、その規則のほうであるはずです」
我はしばらくの間、無言で彼を見つめ続けた。
そして――腹の底から、けたたましく笑い声を上げた。
「くはは! よい、実によい答えだ、天海颯!」
我は豪快に立ち上がった。
「だが、一つだけ肝に銘じておけ」
「……はい」
「青臭い善意だけでは、この巨大な国家という怪物は動かん。真に正しさを貫きたいと望むなら、それを押し通すだけの知恵と、泥を被る覚悟を持て。権力や力を握る者が無知であることは、どれほど美しい善意であっても罪悪となるのだからな」
颯はその言葉の重みを噛み締め、真剣な表情で深く頷いた。
「胸に刻みます」
「うむ。……遠からず、貴様には少々骨の折れる仕事を頼むことになるかもしれん」
「骨の折れる仕事、ですか?」
「ああ」
我は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「この腐りきった国の『掃除』だ」
◇
――それから、僅か三日間。
我は我が国の深部にまで蔓延る腐敗という毒液を、これでもかというほどに味わい尽くすこととなった。
最初に発覚したのは、異能者向け福祉予算の凄絶な不正流出であった。
存在もしない架空の異能者を名簿に捏造し、一人あたり月額三万円の生活支援金を不当に請求・受給していたのだ。
発覚した架空の登録者数、実に約八万人。
年間における不正請求額――驚愕の二百八十八億円。
「……八万人だと?」
提出された報告書を読み進めた我は、思わず苦笑混じりに聞き返した。
「正確には、登録データベースの大半が架空の人物と断定できる状態でございました」
側近の天理が、極めて淡々と、しかし抑えきれない怒りを込めて答える。
「申請された住所の一部を照会しましたところ、山林や廃屋、あるいは存在しない番地ばかり。本人確認書類の画像データに至っては、全く同一の書式と偽造印鑑が使い回されておりました」
「組織的な詐欺構造か。……実にあっぱれな手口だな」
「上層部の黙認、あるいは関与が濃厚です」
「よろしい。関与した全職員および天下り先を徹底的に洗え。……ただし、実際に支援を必要としている本物の異能者への給付は絶対に止めるなよ。上が腐っているからといって、困窮している末端の国民まで巻き添えにすることは絶対に許さん」
「畏まりました」
福祉の次は、国防省だ。
あろうことか、軍用装備品の調達費用が異常なまでに高騰していた。
最前線で戦う異能兵士用の防護服。
市販されている同等のスペックの市場価格は、一着あたり約二十万円。
ところが、国防省が長年結んでいた特注契約では、一着あたり驚愕の百八十万円。
実に九倍近い跳ね上がり方だ。にもかかわらず、納入された製品の品質を検査したところ、市販の安物と大差ない欠陥品が混ざっていた。
「……九倍の水増しか。兵士の命を何だと思っている」
「はい」
「製造元はどこだ?」
「国内の防衛関連企業『帝国重工ソリューションズ』でございます」
「代表者の経歴は?」
「……国防大臣の元第一秘書官でございます」
「…………」
我は激怒のあまり、力任せにデスクを叩きつけた。
重厚なオーク材の机がけたたましい音を立て、書類が宙に舞う。
「ふざけるなよ、貴様ら……!」
腹の底から湧き上がる怒りで視界が赤く染まる。
「防護服とは何だ!? 泥をすすり、命を賭して国を守る兵士たちの最後の砦だろうが! それを利権の貪り合いに使った挙句、粗悪品を現場に押し付けるだと!? 貴様らは国防という言葉の意味どころか、人の人の道すら捨て去ったのか!」
「陛下、お静まりください! 現在、即座に当該契約の全面破棄と、全装備品の緊急全数検査を進めております!」
「当然だ! 直ちに不良品を回収し、良品と交換させろ! 不正に関与した企業には万死に値する損害賠償を請求し、現場の兵士たちからも直接聞き取りを行え! 甘い汁を吸ってきた上層部の妄言など一切信用するな!」
「はっ!」
だが、惨状はそれにとどまらなかった。
次に捲れ上がったのは教育省。
全国の小中学校における耐震補強工事で、架空の工事費計上と巨額の水増し請求が判明。
次は交通省。
過疎地域の道路整備費用と称する巨額の国費が、特定政治家の後援会が経営する建設会社へ流出。
次は厚生省。
医療機関向けの特別補助金が、実態の存在しない幽霊医療法人へと延々と振り込まれていた。
次は警察庁。
押収された違法異能薬物の厳重管理記録から、大量の不自然な「紛失」とデータの欠落が発覚。
次は地方自治体。
大規模災害に備えて備蓄されていたはずの膨大な食料と医療物資が、なぜか闇ルートを経由して民間市場へ流出していた。
――どの事件を紐解いても、見事なまでに同じ構図が浮かび上がる。
甘い汁を吸う関係者の親族。
実体のない架空の委託先ペーパーカンパニー。
不透明極まりない随意契約。
責任の所在を意図的に曖昧にした決裁文書。
そして――誰も責任を取らない。
「…………」
我は一人、執務室の巨大な窓から皇都の景色を見下ろした。
眩い日差しを浴びる皇都の街並みは、皮肉なほど穏やかで美しかった。
人々は今日も笑顔で働き、行き交い、買い物を楽しみ、家族と暖かな食卓を囲んでいる。
彼らは何も知らないのだ。
自分たちが血汗を流して納めた貴重な税金が、どれほど醜悪な形でドブに捨てられ、肥え太った豚どもに貪られているのかを。
国家の舵取りを任された者たちが、どれほど無責任かつ悪質な背信行為を重ねているのかを。
「陛下」
背後から、天理が静かな声をかけてきた。
「……何だ?」
「あまりに顔色が優れません。……少し、お休みになられてはいかがでしょうか」
「休むだと?」
我は冷ややかに振り返った。
「国家の根幹がここまで腐敗している惨状を目の当たりにして、休めというのか?」
「はい。陛下が怒りのあまり倒れられてしまっては、元も子もございません」
「……」
ぐうの音も出ない正論だ。
我という絶対的な軸がブレれば、この腐敗の浄化作戦そのものが頓挫する。
だが。
「天理。我は今、生きてきた中で最も腹が立っている」
「……お察しいたします」
「怒りで血が沸騰し、到底眠れる気がせん」
「それでも、横になることくらいは可能でございます」
「……ならば三十分だけ横になる。その間に新たな不正が発覚したら即座に起こせ」
「できれば、何も見つからないことを切に祈っております」
「我とて同じ気持ちだ」
我はソファに体を横たえ、瞼を閉じた。
――そして、正確に三十分後。
天理は、この世の終わり irony を絵に描いたような申し訳なさそうな顔で、我の肩を揺らした。
「……陛下」
「……何だ?」
「大変申し上げにくいのですが……新たな不正が見つかりました」
「…………」
「しかも……これまでのものとは桁が違う、極めて大規模なものです」
我はゆっくりと体を起こし、力なく天井を見上げた。
「天理」
「はい」
「この国の官僚と政治家どもを全員、どこか異世界へ追放したい気分なのだが?」
「恐れながら日本皇国には、異世界追放に関する法制も技術もございません」
「今すぐ立法して開発しろ」
「憲法上および物理的に、きわめて困難かと」
「ならざるを得まい。では異世界を創世しろ」
「……陛下」
「冗談だ」
「とても冗談には聞こえませんでした」
「すまんな。あまりの呆れ果てさに頭がどうにかなりそうなのだ」
我は重い腰を上げ、立ち上がった。
「で……今度はどのドブネズミが何を仕でかした?」
天理は震える手で、一冊の極厚なバインダーを差し出した。
表題には『皇国統合危機管理システム更新事業に関する内部監査緊急報告書』と記されている。
危機管理システム。
異能災害、他国からの軍事攻撃、大規模テロ、巨大地震など――国家の存亡に直結するあらゆる緊急事態を一元的に監視・制御するための、まさに国家最重要の基幹システムだ。
その更新事業には、国家予算から総額二千億円を超える巨額が投じられていたはずだった。
「……まさか、この事業にまで手を付けているのか?」
「……はい」
「…………」
「契約金額のうち、実に約六百億円について使途が完全に不明となっております。さらに深刻なことに……システムの中核をなす緊急早期警戒機能が『未完成』であるにもかかわらず、検査をすり抜け、納入完了として全額支払いが処理されておりました」
「……未完成?」
「はい。ハリボテの状態で運用中と偽られておりました」
「国家の命運を握る危機管理システムが……か?」
「はい」
我は言葉を失い、静まり返った室内に重い沈黙が落ちた。
「天理。この件は……単なる汚職や金銭の横領では済まんぞ」
「……承知しております」
「有事の際、このシステムが機能しなければ失われるのは税金ではない。何百万、何千万人という国民の『命』だ。国そのものが一夜にして崩壊する」
我はバインダーを激しく叩きつけた。
「今すぐ関係者を全員、ここへ引きずり出せ! 国防省、内務省、異能管理庁の最高責任者を含め、関わった担当者を一人残らずだ!」
「かしこまりました!」
――その三日後。
我は、皇国の中枢が抱えていた『本当の闇』を知ることになる。
◇
深夜。
月光も届かぬ深閑とした執務室で、我は積み上がった資料を繰っていた。
紙をめくる規則的な音だけが響く空間へ、静寂を切り裂くように天理が駆け込んできた。
「陛下。緊急事態でございます」
普段は一切の感情を表に出さぬ彼女の額に、微かな汗が滲んでいる。明らかに焦っていた。
「何だ?」
「皇宮の防衛警備システムに、不正アクセスが検知されました。国防省の最高級認証情報が使用され、陛下の執務室周辺に配備された監視装置の一部が、遠隔操作で順次停止させられております」
我は手にしていた書類をゆっくりと机へ置いた。
「いつからだ?」
「午後十一時四十分からです。現在、午前零時十二分でございます」
「……三十二分か」
我は立ち上がり、巨大な硝子窓から外を見下ろした。
眼下に広がる皇宮は、薄闇の中で静まり返っている。何一つ変わらない日常の光景。だがその裏で、悪意の糸が密やかに手繰り寄せられていた。
「内部の人間か?」
「可能性は極めて高いかと」
「誰が、何のために?」
「現段階での特定には至っておりません」
「……そうか」
我は小さく鼻で笑うと、静かに向き直った。
「ならば、直接本人どもに聞くとしよう」
「陛下! ただちに近衛警備部隊を招集いたします!」
「いや。内部の人間が関与している以上、大規模に動けば鼠どもに勘づかれ、証拠を隠滅される」
我は右手を軽く掲げた。
「【天帝】(てんてい)」
──その瞬間、世界からあらゆるノイズが消え去り、視界の輪郭が鮮明に書き換えられた。
視界に映るすべての物質が、意味を持つ構造体として我の脳内に直接展開される。
分厚い石造りの壁、床下に張り巡らされた電子配線、警備システムの通信プロトコル、皇宮全体の空間構造。そして──その領域内に存在する、すべての生命の鼓動と配置。
我の異能が、皇宮というひとつの絶対領域を完全に掌握する。
本来ならば、高度なサイバー攻撃の痕跡を追跡するには専門の解析チームによる数時間の作業を要するだろう。
だが、この皇宮における全管理権限は、皇帝たる我の存在そのものに帰属している。
この領域において、我は単なるシステム利用者ではない。世界を記述する支配者だ。
「……見つけたぞ」
視界のレイヤーに、いくつもの“異物”が浮かび上がる。
不自然に落とされた監視カメラの死角。改変されたセキュリティログ。暗号化通信の微弱な残滓。
そして──地底深くの暗がりを這うように移動する、複数の生体反応。
「四人か」
息を呑む天理の気配を感じながら、我は冷ややかに告げた。
「地下三階。旧通信設備の保守通路だ。そこに鼠どもが潜り込んでいる」
「ただちに信頼できる精鋭のみを抽出し、向かわせます!」
「人数は最小限でいい。それと、侵入者が外部と交わした通信記録を一切逃さず保存しろ」
「承知いたしました」
我は執務室の重厚な扉を開け放ち、闇の降り積もる廊下へ足を踏み出した。
「さて」
口元に薄い笑みを浮かべる。
「我が寝床に泥棒が入るとは、ずいぶんと死に急ぎたい輩がいたものだ」
◇
地下三階。冷たく湿った空気が満ちる旧通信設備の保守通路。
我が目的地へ到着したとき、四人の男たちが重厚な鋼鉄製の設備室扉を解錠しようと焦燥を露わにしていた。
全員、皇宮警備員の制服に身を包んでいる。だが、その裁断と縫製は、正式な近衛のそれとは微妙に異なっていた。
「そこまでだ」
暗闇に響いた我の声に、男たちが弾かれたように跳ね上がり、勢いよく振り返った。
「……へ、陛下!?」
「我が皇宮において、我がいつどこに現れようと、貴様らにとやかく言われる筋合いはない」
男の一人が動転しながらも懐へ手を突っ込み、小型の金属装置を取り出した。
先端が怪しく発光する──異能抑制装置。高出力の波動によって異能者の脳波とエネルギー経路を攪乱し、能力の発動を強制キャンセルする軍用の特許品だ。
「陛下、お下がりください! これは……国家の安寧を守るための緊急措置です!」
「……」
あまりの滑稽さに、我は思わず溜息を漏らした。
「貴様らは、一体何を寝ぼけたことを言っているのだ?」
「陛下の身柄を拘束させていただきます! 大人しく従われるならば、危害は加えません!」
「ほう。それは誰の命令だ?」
男たちは途端に口を噤み、互いに視線を交錯させた。
我は嘲笑を深める。
「国防大臣か? 内務大臣か? それとも、先ほどまで我の前で揉み手しながら頭を下げていた、どこぞの肥え太った官僚どもか?」
男たちの顔から一瞬で血の気が引いた。それだけで、答えとしては十二分だった。
「なるほど。図星というわけだ」
「動くなッ!」
男が叫び、装置の起動スイッチを押し込む。
不気味な青白い波動が狭い通路を走り、空間を激しく歪ませた。通常の異能者であれば、激しい頭痛とともに膝をつき、能力を完全に封じ込められる局面だ。
しかし──。
「……それで?」
我は何事もなかったかのように、悠然とそこに立っていた。
「な、なぜ……!? 異能が、効いていない……!?」
「貴様らは大きな勘違いをしている。玩具のような装置で、この我を抑え込めるなどと本気で思っていたのか?」
我は静かに一歩、前へ踏み出した。
「──【跪け】(ひざまずけ)」
絶対的な言語の圧迫が、重力そのものを何十倍にも増幅させて四人の肩へと叩きつけられた。
「ぐはっ……!?」
「あがッ……!」
悲鳴とともに、四人の身体が床のコンクリートへ激しく叩きつけられる。逃走はおろか、指一本動かすことすら叶わない。我はそのうちの一人の頭元へと歩み寄った。
「安心しろ。今すぐ息の根を止めるつもりはない。まずは存分に聞かせてもらおう。貴様らは何者だ?」
顔を床に擦り付けた男が、歯を食いしばりながら呻く。
「……な、何も……知りません……」
「そうか。ならば、知っている者に直接吐かせるまで」
「ま、待ってください!」
隣に倒れていた別の男が、死の恐怖に耐えかねて悲鳴を上げた。
「俺たちはただの金で雇われた実行犯です! 国防省のパイプを通じて莫大な報酬を提示され、ここへ潜入しろと指示されただけで……!」
「ほう」
「皇帝陛下を拘束しろと! そうすれば、歪んだ国を正しく立て直せると言われたんです!」
「国を立て直す、か」
我は低く笑った。その響きには殺気すら混じっていた。
「皇帝を縛り上げ、無力化して、どうやって国を立て直すというのだ?」
男は恐怖に全身を震わせながら、途切れ途切れに口を開いた。
「……へ、陛下が……行政に干渉しすぎるからです……!」
「…………」
「大臣たちは、陛下の気まぐれな命によって次々と裏金の監査を受け、追い詰められている! これまでのやり方が通用しなくなっているんだ! だから……!」
「だから、邪魔な我を排除しようとしたと?」
「……ひっ!」
我はしばらく無言で男たちを見下ろしていたが、やがて心底呆れ果てたように吐き捨てた。
「愚か者の極みだな、貴様らは」
「……」
「我が介入しなければ、貴様らは国家の危機管理システムすら未完成のまま放置し、腐敗の底で共倒れになっていたのだぞ?」
我はゆっくりと通路を歩き、彼らの背後に佇んだ。
「国民が納めた血税を貪り、軍の防具や装備を粗悪品へすり替えて差額を懐に入れ、異能者に支払われるはずの支援金を横領する。そのうえ、事態が露呈しそうになれば国家の中枢たる皇帝を拘束して傀儡に仕立て上げるか」
我は冷ややかに振り向いた。
「それで、我が『悪』だと?」
男たちは誰も反論できなかった。
「貴様らは、国の将来や仕組みが変わることを恐れたのではない。ただ己の不正が暴かれ、築き上げた蜜月と利権を失うことを恐れただけだ」
その時、暗闇の奥から急ぎ足の靴音が響き渡った。
「陛下!」
松明の如き明かりを携え、天理と選り抜きの近衛警備隊員たちが駆け込んできた。
「ご無事ですか!?」
「見ての通りだ。小鼠が四匹、罠にかかった」
我は淡々と命じた。
「この四名の身柄を拘束しろ。尋問はすべて記録を残し、法の手続きに則って厳格に行え。背後にあるルートを根こそぎ洗い出すのだ」
「はっ!」
警備隊員たちが手際よく男たちを捕縛していく。我は天理へと向き直った。
「国防省の最高級認証情報を流用した者をただちに特定しろ。大臣本人であろうと、その腹心であろうと関係ない。誰一人として例外は認めん」
「承知いたしました」
我は引き立てられていく四人の男たちへ、最後に冷ややかな視線を向けた。
「一つだけ、教えてやろう」
四人が恐る恐る顔を上げる。
「我は、この国を真に護るためであるならば、自らの絶対権力を制限することすら躊躇わん。必要ならば制度を改め、独立した監査機関を設け、権力を分散させることすら厭わん」
背を向けながら、我は氷のように澄んだ声で告げた。
「だがな──貴様らのような私利私欲で国を食い物にする害虫どもに渡す権限など、爪の先ほども存在しない」
踏み出した一歩とともに、冷徹な宣言を暗闇に響かせる。
「勘違いするな。我は聖人君子ではない。貴様らを救うために皇帝の座に就いたわけでもない」
「我が守るのは、この国家そのものだ」
◇
翌朝。
朝陽が斜めに差し込む皇宮の謁見会議室。
国防大臣、内務大臣、異能管理庁長官、そして危機管理システム更新事業の総責任者が、再び重苦しい空気の中で集められていた。
ただし──前回の会議とは、流れる雰囲気が根本から異なっている。
長円形の会議卓の上には、整然と並べられた膨大な証拠書類の山。
不正な裏契約書。
海外ダミー会社を経由した不透明な資金移動の記録。
改ざんされた監査報告書の原典。
昨夜の侵入者たちが残した暗号通信ログ。
そして──皇帝拘束計画に関する生々しい供述調書。
「……へ、陛下」
国防大臣が、蒼白な顔からダラダラと冷や汗を流しながら口を開いた。
「昨夜の件につきましては……大きな誤解がございます!」
「ほう?」
「確かに、我が省の一部の不心得者が暴走し、不適切な行動を取ったことは事実でございます。しかし、私自身は一切関与しておらず、蜥蜴の尾切りに遭った被害者で……!」
「そうか。では、この音声を聴け」
天理が手元の端末を静かに操作する。
スピーカーから、紛れもない国防大臣の低い声が響き渡った。
『──皇帝の身柄さえ押さえてしまえば、あとはどうとでも料理できる』
『しかし閣下、陛下の【天帝】の異能は……』
『恐れる必要はない。裏から手を回して入手した軍用の抑制装置を使えば、一瞬で動きを封じられる。その隙に拘束しろ』
『その後はどのような手順で?』
『国家緊急評議会を立ち上げる。皇帝は精神的なご病状により公務執行が不可能な状態にお陥りになられたと発表し、摂政へ全権を委譲する』
『摂政には、どなたを?』
『言うまでもあるまい。我々の息がかかった人間だ』
カチリ、と音声が途切れた。
会議室を死のような静寂が包み込む。国防大臣の顔は土気色に変わり、唇が痙攣していた。
「……こ、これは……何者かが私の声を偽造した合成音声で……!」
「貴様の声であり、貴様の執務室で録音されたものだが?」
「そ、それは……!」
「違うと言い張るつもりか?」
国防大臣はがくがくと言い訳を探すように口を動かしたが、やがて絶望に打ちひしがれて項垂れた。
我は机の上の別の書類を細い指で突いた。
「こちらは、不正に流用された軍事予算の送金ルートだ。最終的な還流先には、貴様の親族が所有するペーパーカンパニーが含まれている。昨夜使われた異能抑制装置を購入したルートも、すべてこの資金に繋がっていた」
「…………」
「説明してみせよ。貴様が皇帝を排除しようとした真の理由は、国家の安寧のためか? それとも、己の貪欲な不正を隠蔽するためか?」
「陛下! 私は……私はただ、皇国の未来を思って……!」
「皇国の未来?」
我は静かに笑った。
「ならば、なぜ国民が汗水垂らして納めた金を盗んだ?」
「それは……」
「なぜ、前線の兵が使う装備を安物の不良品へとすり替えた?」
「……」
「なぜ、防衛の要たる危機管理システムを未完成のまま納入させ、差額を貪った?」
「…………」
「なぜ、我を拘束しようとした?」
責め立てる我の声に、国防大臣はついに完全に沈黙した。
我は傍らの天理へ視線を送る。
「処分を言い渡す」
「はっ」
「国防大臣は本日付で即刻罷免。関与したすべての契約を即時凍結し、不正支出については損害額を徹底的に算出したうえで全額回収を命じる。刑事罰に相当する行為については、一切の容赦なく検察へ送致せよ」
「承知いたしました」
「内務大臣、異能管理庁長官についても同様とする。証拠隠滅を防ぐため、ただちに自宅および執務室のガサ入れを行え。ただし──血縁や親族であるというだけの理由で不当に処罰することは厳禁とする。法に基づき、真に犯罪に関与した者のみを裁け」
「かしこまりました」
「そして、危機管理システム更新事業については、省庁から完全に独立した第三者監査委員会を設置し、ゼロから再調査を行わせる。調査機関を、調査対象となる省庁の傘下に置くような愚行は二度と許さん」
天理は深く一礼した。
「承知いたしました」
我は部屋に集まった者たちを冷徹に見渡した。
「何か反論はあるか?」
誰も顔を上げようとしない。
「そうか。ならば、これで終わりだ」
我は椅子から立ち上がり、扉へ向かって歩き出した。だが、ふと思い出したように足を止める。
「そうそう。貴様らが私物化していた公用車、高級宿舎、不透明な交際費、その他の福利厚生についても、すべて規定を洗い直せ」
大臣たちの肩が露骨に跳ねた。
「不正に取得したものはすべて国庫へ返還させる。だが安心しろ、正当な手続きに基づく権利まで、感情任せに取り上げるつもりはない」
我は振り返り、冷たく言い放った。
「我は貴様らを鬱憤晴らしで罰したいわけではない。ただ、歪んだ国家を正常な姿へ戻したいだけだ」
そして、僅かに毒を込めて付け加えた。
「もっとも──どうしても自責の念から罰せられたいというのなら、話は別だがな」
◇
一週間後。
陽光が心地よく降り注ぐ皇宮の庭園。
我は珍しく執務室を離れ、風の抜ける小径を歩いていた。
青空の下、美しく剪定された植え込みの間を歩いていると、すれ違う侍従や衛兵たちが一様に怯えた様子で深く頭を下げる。
無理もない。我は絶対的な権力を握る君主であり、一言で彼らの首を飛ばすこともできれば、命を救うこともできる。
ましてや、我の保持する異能は一人で軍隊を壊滅させ得るほどに圧倒的だ。
我が本気で怒りを露わにすれば、この国で抗える者など存在しない。
それは国家を統治し、迅速に改革を断行する上では無上の武器だ。
しかし──人間関係という繊細な営みにおいて、必ずしも良いことばかりではないのもまた事実だった。
「……陛下」
静かな足音とともに、背後から声がかけられた。
振り返ると、手帳を抱えた天理が立っていた。
「何だ?」
「先日の腐敗事件について、最終報告がございます」
「まだ何か後始末が残っていたか?」
「いえ。関係者の処分完了と、新たな行政機構の再編についてです」
天理の報告によれば、各省庁で大規模な幹部職員の刷新が行われたという。
新たな責任者には、これまで不正を内部告発しようとして干されていた優秀な中堅職員や、現場で愚直に実務を支えてきた者たちが抜擢されていた。
また、国民からの情報提供窓口を設置したところ、これまで握り潰されていた不正に関する告発や調査依頼が殺到しているらしい。
「……そうか」
我は足を止め、澄み切った池の水面を見つめた。
「国民は……今の我をどう評価している?」
天理は手帳を閉じ、少し考える仕草を見せた。
「きわめて苛烈で、容赦のない皇帝だと捉えている者が多いようです。特に汚職や特権階級の不正に対して一切の情けをかけない点においては、恐怖と同時に強い支持も受けております」
「ふむ」
「ただし──陛下の権力が一箇所に集中しすぎているのではないか、と危惧する慎重派の声も上がり始めております」
我は思わず笑みを漏らした。
「実に健全な反応だな」
絶対君主制。
たった一人の人間に、国家の全権力が集約されるシステム。
その頂点に立つ人間が清廉潔白で絶大な能力を有しているならば、国家はどの民主制よりも迅速かつ理想的に機能するだろう。
だが──もしそのトップが愚者へ成り下がったら?
国家はたった一人の過ちと狂気によって、一夜にして破滅の淵へと転がり落ちる。
だからこそ、人類は歴史の中で権力を分散させ、互いを監視し合う複雑な制度を生み出してきたのだ。
我はその理屈を誰よりも理解している。
理解した上で、あえてこの国の絶対的な皇帝という役割を演じているのだ。
「天理」
「はい」
「お前は……我のやり方が間違っていると思うか?」
天理は即答せず、少しだけ視線を泳がせた後、まっすぐに我の目を見つめ返した。
「……陛下。私は、陛下が常に絶対の正解を選び続けているとは思っておりません」
「ほう?」
「陛下もまた、一人の人間でございます。怒りに目を曇らせることもあれば、判断を誤ることもございましょう。すべての現場の事情を把握できるわけでもありません」
「……言いたい放題だな」
「ですが」
天理は言葉を重ねた。
「自らの間違いを素直に認め、即座に軌道修正できる柔軟さをお持ちであるならば──それこそが、一国の統治者として最も価値ある資質だと信じております」
我はしばらく無言で天理の顔を見つめていたが、やがて噴き出すように笑った。
「貴様は本当に……相変わらず口が減らんな」
「恐れ入ります」
「褒めてはおらん」
「重々存じております」
我は小さく息を吐き、青空を見上げた。
「……だが、まあ、そうだな。我は万能の神ではない」
どれほど強大無比な異能を宿していようとも、世界のすべてを見通すことなどできはしない。
人の心のすべてを理解することも、膨大な国家の営みをただ一人で回し続けることも不可能だ。
だからこそ、他者が必要なのだ。
阿諛追従を並べるイエスマンではなく、信頼に足る者。
正しいことを正しいと主張し、皇帝たる我が間違っている時には「それは間違いだ」と面と向かって指摘できる骨のある人間が。
我の欲しいものは、命令通りに動く精巧な人形ではない。
我の双翼となり、共にこの重骨な国家を支えてくれる人間なのだから。
「天理」
「はい」
「これからも、我が道を見誤っていると感じた時は、遠慮なく言え」
天理は驚いたように、微かに目を見開いた。
「……本当によろしいのですか?」
「何だ? 我が間違いを認めることが、そこまで天変地異に見えるか?」
「いえ……少々意外だったもので」
「ならばよい。ただし、意見するならば相応の論理と客観的な根拠を示せ。感情論だけで我に抗うことは許さんぞ」
「承知いたしました」
「それと──我に回してくる決済書類の量を減らせ」
「……前向きに検討いたします」
「検討ではなく、今すぐ実行しろ」
「善処いたします」
つれない返答に呆れつつも、我は密かに満足していた。
やはり天理は優秀だ。少なくとも、この皇宮にひしめく人間の中では、最も背中を預けるに値する。
……もっとも。
「陛下」
「……何だ?」
「先ほど、各省庁からの追加の緊急報告書が届きました。本日中に陛下のご裁可をいただきたい案件が……三十七件ほど」
「…………」
我は首を極めてゆっくりと回転させ、天理へと視線を向けた。
「天理。貴様……過労で我を殺す気か?」
「滅相もございません。陛下の強固な健康状態を考慮し、優先度の高いものから厳選した結果でございます」
「そう件数の問題ではないと言っているのだ」
「お戯れを。陛下ならお見通しでございましょう?」
我は静かに天を仰いだ。
圧倒的な異能を持ち、国家の頂点に立つ絶対君主──その実体とは、一体何なのだろうか。
◇
それから一か月。
日本皇国の行政機構は、かつてないほどの激震に見舞われていた。
複数の閣僚が罷免され、各省庁の幹部クラスが次々と更迭。長年放置されてきた不透明な契約の数々が容赦なく見直された。不正に流用された国家資金の一部は力ずくで回収され、検察へ送致される刑事事件の件数は連日跳ね上がっていく。
当然、すべてが解決したわけではない。
むしろ、調査のメスを深々と入れれば入れるほど、膿は底なしに湧き出てきた。
汚職の根は想像以上に深く、暗い。数十年にわたって病巣のように積み重なった癒着は、一朝一夕に削ぎ落とせるものではなかった。
それでも、塞がれていた血流が通うように、変化の兆しは確かに芽生え始めていた。
地方の異能者育成施設では、不正な建設予定地と癒着企業の契約が白紙撤回された。軍の装備品は厳しく再検査され、規格外の粗悪品が次々と交換されていく。複雑怪奇だった福祉予算の給付手続きも簡素化が進み、真に支援を必要としている異能者たちへ、着実に給付が届く仕組みが構築されつつあった。
そして、最大の懸案であった危機管理システムの更新事業。
この大規模プロジェクトに対し、天海颯が特別顧問として調査に加わることが決定した。
「……というわけでな」
重厚な調度品が並ぶ皇宮の応接室。
我は、木目の美しい机を挟んで着席する颯へ、静かに告げた。
「貴様には、しばらく皇国の各地を回ってもらう」
「各地、ですか?」
「そうだ。地方の異能者育成施設、軍の最前線基地、福祉施設、さらには地方自治体の危機管理部門に至るまでな。自分の足で現地へ赴き、己の目で真実を見極めてこい」
颯は一瞬だけ目を見張り、すぐさま真摯な眼差しで力強く頷いた。
「分かりました」
「官僚が綺麗に仕立て上げた報告書など端から信用するな。現場の泥をかぶっている人間に直接話を聞け。必要とあらば、一般の国民の声にも耳を傾けよ」
「はい」
「そして、歪みや不正を見つけたら躊躇うな。相手が省庁の頂点に立つ大臣であろうと、血の繋がった皇族であろうと関係ない。例外なく我へ報告しろ」
颯は参ったなというように、苦笑いを浮かべた。
「本当に……俺でいいんでしょうか?」
「何がだ?」
「俺は政治の専門家でもありませんし、行政の複雑な仕組みだって勉強中の身です。もっと高潔で、適任の人物がいるのでは……」
我は思わず鼻で笑った。
「貴様は、根本的なことを分かっていないようだな」
「……?」
「我が貴様を選んだのは、政治の権謀術数に長けているからではない」
颯は何も言わず、ただ我の言葉を待つ。
「貴様は、目の前で打ち捨てられそうな愚者や弱者を、理屈抜きで助けようとした。規則がどうであれ、後でどんな責任を問われようと、己の信念に従って行動を起こした」
我はトントンと指先で象嵌細工のデスクを叩いた。
「その判断が常に正解とは限らん。だからこそ知識を蓄え、責任の重さを学ぶ必要がある。……だがな」
一拍置き、颯の目を真っ直ぐに見据える。
「ハナから自分の保身と利益しか頭にない過古の官僚どもに、どれほど高度な知識を与えたところで国など良くはならんのだ」
颯の瞳に覚悟の光が宿り、深々と頭を下げた。
「分かりました。全力を尽くします」
「うむ。必要な予算と権限は躊躇わずに申請しろ。正当な理由があるならば、我がすべて承認する」
「ありがとうございます」
「ただし、感情だけで誰かを弾劾することは許さん。不正を討つなら、必ずぐうの音も出ない証拠を押さえろ」
「はい!」
颯が礼を尽くして退室したのち、影のように控えていた天理が静かに口を開いた。
「陛下は、天海颯をずいぶんと高く評価しておられるのですね」
「当然だ。磨けば光る原石を評価して何が悪い」
「彼はまだ二十四歳。行政の現場においては青二才も同然です」
「百も承知だ」
「それでも、これほどの大任を任せるのですか?」
「任せる」
迷いなく即答した。
「優秀な人材が、最初から相応しい役職に就いているとは限らん。機会を与えられぬまま埋もれていく才能などごまんとある。座を与えねば、能力の真価など発揮できまい」
「……なるほど」
「それに、我がたった一人でこの広大な国を改革できると思うほど、我は自惚れておらん」
天理は目元を緩め、静かに微笑んだ。
「陛下らしい、お言葉です」
「何だ、その含みのある言い方は」
「いえ。少しだけ、安心いたしましたので」
我はフンと鼻を鳴らし、窓外へ視線を逸らした。
まったく。最近の天理は妙になれなれしく、生意気になってきた。
……まあ、悪くはないが。
◇
さらに三か月後。
皇宮の広大な大広間には、新体制のもとで選抜された各省庁の新たな責任者たちが勢揃いしていた。
彼らの前に立つのは、絶対君主――天穹院白夜。
我のすぐ隣には、式典服に身を包んだ天理が控えている。
「本日は、今後の皇国運営の根幹について、我から直接言い渡す」
我の一声で、広間の静寂が一段と深く張り詰めた。
「先の一連の事件により、皇国の行政機構にどれほど深刻な病巣が巣食っていたかが白日のもとに晒された。不正な契約、予算の不当流用、保身のための責任転嫁。さらには、あろうことか皇帝である我の身柄を拘束せんとする叛逆計画まで発覚した」
息をのむ音すら聞こえない。圧倒的な緊張が支配する。
「我は、これらの背信行為を断じて許さん」
我は一歩、壇上の前へと踏み出した。
「だが同時に、すべての官僚が腐敗に染まっているわけではないことも知っている。泥を舐めながら誠実に職務を果たしてきた者がいる。現場で泥臭く国民を支え続けてきた者がいる。我は、彼らの積み重ねてきた努力と誇りを踏みにじるつもりはない」
我の合図を受け、天理が羊皮紙の巻物を高く掲げた。
「本日ただいまをもって、皇国行政監察院を新設する」
広間にどよめきが走った。
「監察院は、各省庁の予算執行、事業評価、ならびに職員の不正行為に対し、完全に独立した立場から強力な査察を行う。監察院長官は、調査対象となるいかなる省庁の指揮命令も受けない」
我は威圧感を込めて言葉を重ねる。
「監察院には、全省庁に対する強制的な資料提出命令権を与える。ただし、その権力とて無聖域ではない。すべての調査記録の保存を義務付け、権限の行使が正当であったかを外部から厳重に検証する二重の監査機構を設ける」
「……!」
「さらに、内部告発者を徹底的に保護する法制度を即座に整備する。正当な手続きに従って内部の闇を告発した者が、不当な不利益や報復を受けることは我が許さん」
官僚たちの顔つきが、明確に変わり始めていた。
「また、機密情報や個人情報を除く国家予算の全執行状況を、国民が閲覧・監視できる情報公開システムを構築する。隠す必要のないものを隠す姿勢こそが、腐敗の温床となるのだ」
我は一度言葉を切り、広間を見渡した。
「国家とは、国民のために存在する。国家機関が国民からの信を失えば、その権力などただの暴力であり、権威は形骸化する」
静寂の中、誰も動くことすらできない。
「我は絶対君主だ。ゆえに、この国家におけるすべての最終責任は、我が背負う」
それは飾り気のない事実であった。
大臣が不正に手を染めれば、その者を据えた我に任命責任がある。官僚が怠惰に流れるなら、それを抑止する仕組みを作れなかった我の落ち度だ。国家が舵取りを誤り破滅へ向かうなら、その果実を甘受するのも皇帝たる我の宿命。
「だからこそ、我は貴様らに強く求める」
我は静かに、だが肚に響く声で言い放った。
「我への従順な忠誠など不要だ」
再び、ざわめきが広がった。
「我の言葉に盲目的に従うイエスマンなど求めておらん。我が示す方針が間違っていると判断したならば、しかるべき根拠を提示し、正々堂々と異論を唱えよ。ただし、異論を唱えるならば相応の覚悟と責任を持て。己の権力欲や利益のために国家を利用することなど、絶対に許さん」
我は参列する一人ひとりの目を射抜くように見つめた。
「仕事をしろ」
たった四文字に、すべての意志を込めた。
「国民のために汗をかけ。己の保身のためでも、誰かに評価されるためでもなく、この皇国をより良くするために全力を尽くせ」
そして、静かに結んだ。
「我は、言葉ではなく『結果』を見る」
静寂。
緊迫した時が流れた後、最前線にいた一人の若き官僚が、感極まったように声を絞り出した。
「……謹んで、拝承いたします! 陛下!」
彼が深く頭を下げると、それに引きずられるように隣の官僚も膝を折った。
やがて波紋のように広がり、大広間に集った数百名の幹部全員が、我に向かって深々と頭を垂れた。
「我ら一同、皇国と国民のため、全身全霊をもって職務を全ういたします!」
「うむ」
だが、これで終わりなどではない。
むしろ、ここからが本当の地獄の始まりだ。
箱モノとしての制度を作っただけで腐敗が消えてなくなるわけがない。監察機関を置いただけで、すべての悪徳を防げるほど人間は甘くないのだ。
必要なのは、その制度を血の通ったものとして動かす人間。そして、その人間すらも疑い、正し続ける仕組み。何より、国家という巨大な船を動かしているという重圧と責任を、誰もが自覚し続けることだ。
我は広間を見渡し、ボソリと呟いた。
「……期待しているぞ」
その言葉が、眼前の官僚たちに向けられたものなのか、あるいは我自身に向けたものなのかは、我にも分からなかった。
◇
それから半年。
日本皇国という巨大な国家は、亀の歩みではあるが、確実に変わり始めていた。
新設された行政監察院は鋭い牙を剥き、長年隠蔽されてきた複数の大型汚職事件を白日のもとに晒した。地方の異能者支援制度は大幅に刷新され、真に必要な者たちへの支援金支給率は格段に向上。軍の装備品調達においては入札プロセスの透明化が進み、価格の適正化と品質の劇的な改善が報告されている。
迷走していた危機管理システムも、現場の声を反映した段階的改修を経て、ようやく本来の機能を回復しつつあった。
特別顧問となった天海颯は、泥にまみれて全国を巡り、泥臭い現場のリアルを収集し続けていた。
彼の上が達してくる報告書は、官僚たちの洗練された書類に比べれば、誤字もあり文章も粗削りだ。
しかし、そこには生々しい現場の悲鳴が詰まっていた。
――現場の予算が根本的に足りない。
――人員の配置が実状と剥離している。
――書類の手続きが複雑すぎて現場が疲弊している。
――本当に必要な物資が、途中の流通過程で滞留している。
これらは、デスクの上で綺麗な数字だけを弄くってきた官僚どもの報告書には、絶対に上がってこない生きた情報だった。
我は、その不器用な報告書を読むたびに痛感する。
やはり、現場へ足を運ばねば見えてこない真実がある。そして、国を真に動かすためには、現場の痛みがわかる人間が必要なのだと。
……もっとも。
「陛下」
執務室で積み上がった書類の山と格闘していた我のもとへ、天理が足音もなく歩み寄ってきた。
「何だ?」
「行政監察院より、定期監査の最終報告書が提出されました」
「ほう。あれほど威勢よく発足したのだ、今度こそ完璧な報告書なのだろうな?」
「……」
天理はすっと目を逸らし、気まずそうに沈黙した。
「天理。なぜ黙る?」
「いえ。その……」
「……まさか、またか?」
「……はい」
「…………」
我は深くため息をつき、頭を抱えるように椅子へ深く座り直した。
「……聞こう」
「行政監察院の地方支部におきまして、調査対象である民間企業との不適切な接待・密会が確認されました。また、監査機材の購入費用として計上された予算の一部が、幹部職員たちの私的な高級料亭での飲食費に流用されていた模様です」
「…………」
「さらに、監察院の最高幹部が、実体のない知人のダミー会社へ外部調査業務を不正発注していた疑いも浮上しております」
我は両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「天理。我は……一体どこでボタンを掛け違えた?」
「制度設計そのものに欠陥がある可能性も否定できませんが、現段階では個々の職員の倫理観の欠如による不正と見られます」
「……」
「なお、監察院の全職員が腐敗しているわけではありません。今回の不正も、監察院内部の若手職員による内部告発によって発覚いたしました」
「そうか」
我は顔から手を外し、ゆっくりと視線を戻した。
「つまり……我の作った『内部告発制度』は、正しく機能しているわけだな?」
「はい。まさしく」
「よろしい。ならば容赦は不要だ。監察院そのものを徹底的に査察しろ」
「承知いたしました」
「例外など一切認めん。取り締まる側の人間が不正を働いたのだ、通常より十倍厳しく裁け。強大な権限を与えられた者ほど、その背負う罪は重い」
「かしこまりました」
我は立ち上がり、大きな窓から外を眺めた。
眼下に広がる美しい皇都の街並み。その遥か彼方には、無数の人々が暮らす広大な皇国が広がっている。
この国には、実に様々な人間が生きている。
不器用ながら真面目に汗を流す者。家族を守るために懸命に働く者。未来を夢見て学ぶ者。見返りを求めず困っている者に手を差し伸べる者。
そして――他人の努力や流した血汗を、当然のように掠め取る寄生虫どものような連中。
我は口元に、乾いた苦笑を浮かべた。
「……まったく。ようやく一つ、真理を理解したぞ」
「何でございましょう?」
「汚職という病は、人が権力を握る構造が存在する限り、永久に完全撲滅など不可能なのだな」
天理は何も言わず、静かに耳を傾けている。
「どれほど完璧な制度を組み上げようと、どれほど監視の目を張り巡らせようと、奴らは必ず法の隙間を探し出して抜け道を作る。新しい規則で縛れば、今度はその規則自体を悪用する者が現れる」
我は肩をすくめてみせた。
「ならば、我らのやるべきことは一つだ。蠢く害虫を見つけ次第、叩き潰す。そして二度と起きぬよう穴を塞ぎ、また別の害虫が現れれば再び叩き潰す。泥縄だろうと、永遠にこのイタチごっこを繰り返すしかないのだ」
天理は目元を和ませ、くすりと微笑んだ。
「実に、陛下らしい前向きなお考えです」
「褒めておらんぞ。……まあいい」
我は溜息をつきながら執務机へと戻った。
「ところで天理。この監察院の不正報告書、全部で何ページあるのだ?」
「添付資料を含めまして、二千四百ページに及びます」
「…………」
我はフリーズし、手に取っていた書類を静かに机へと置いた。
「……天理」
「はい」
「我は皇帝だぞ?」
「重々承知しております」
「この国の頂点に立つ、絶対君主だぞ?」
「ええ、左様でございます」
「国家のあらゆる決定権を握る、超常の存在なのだぞ?」
「仰る通りでございます」
「ならば」
我は重々しく、皇帝の威厳を込めて命じた。
「この鈍器のような報告書を、今すぐ三十ページ以内に要約して提出しろ」
「すでに用意してございます」
「……は?」
天理はすまし顔で、あらかじめ脇に準備していた薄いファイルを差し出した。
「こちらが要約版でございます」
表紙には『行政監察院地方支部における不正事案について――概要報告』と印字されている。
ページ数をめくると、ぴったり三十ページ。
「……」
我はゆっくりと顔を上げた。
「天理。貴様……最初からそれを差し出せば済む話ではなかったか?」
「陛下が万が一にも、二千四百ページの原本を隅々まで熟読されたいとお考えになる可能性もございましたので」
「我がそんな嫌がらせのようなページ数を読みたいと思うか戯け!」
「……大変失礼いたしました」
「もうよい! 今後は真っ先に要約版を出せ! 原本は資料庫の奥深くに封印しておけ!」
「承知いたしました」
我はドカリと革張りの椅子に腰を下ろした。
やれやれ、ようやくこれで溜まった執務に戻れる。
そう思い、ペンを走らせようとした――まさにその瞬間であった。
バァンッ!と重厚な執務室の扉が、壊れんばかりの勢いで弾け開いた。
「へ、陛下ぁッ!!」
飛び込んできたのは、青ざめた若手官僚であった。
髪は乱れ、呼吸は激しく荒れ、その手には震える一枚の緊急打電が握られている。
「無礼者、皇帝の御前だぞ! 何事だ!」
天理が一歩前へ出ようとするが、官僚は構わず叫んだ。
「き、緊急報告です! 皇国中央銀行の巨大関連事業におきまして、前代未聞の巨額不正送金が発覚いたしました!」
「……何?」
「ひ、被害推定総額……現時点で、およそ『一千億円』に上ります!!」
「…………」
「しかも……関係者の中に複数の現職省庁幹部、および元内閣閣僚の名が上がっており……!」
「………………」
我はペンを置き、ゆっくりと天井を仰いだ。
沈黙。
そして――
「は……はははっ!」
思わず、お腹の底から笑いが込み上げてきた。
官僚が恐怖で氷のように固まる。天理もまた、静かに我を見つめていた。
「……へ、陛下?」
「いや、すまん。あまりの出来過ぎた展開に、笑うしかなかっただけだ」
我はゆっくりと立ち上がった。
絶対君主。国家の頂点。異能の力を持ち、この国で最も強大な権力を誇る存在。
その我が、なぜ毎日毎日、途切れることなく汚職と不正の報告を受け続けねばならんのか。
なぜ国家の中枢を担うほどの頭脳を持った連中が、揃いも揃って目先の金に目が眩むのか。
国民のために働くという、ごく当たり前の倫理観を持つことが、なぜこれほどまでに難しいのか。
答えなど分からん。
だが――分からんが、一つだけ決定的な事実がある。
我は、この愛おしくも愚かな国を捨て去るつもりなど、毛頭ないということだ。
「天理」
「はい」
「中央銀行の件、裏で糸を引いている芋虫どもを泥の底から全員引きずり出せ。資金の流れを即座に凍結し、逃走の芽を摘め。必要とあらば、異能犯罪対策部門の武力を投入することを許可する」
「承知いたしました」
「それから、地方を回っている天海颯にも緊急連絡を入れろ。銀行の地方資金の流れを現場から洗わせろ」
「かしこまりました」
我は歩み寄り、窓の外を遠く見つめた。
どこまでも澄み渡る青空。
今日も皇国は、表向きには穏やかな平穏に包まれている。
人々は働き、子どもたちは笑い、家族は温かな食卓を囲む。
その小さくも尊い平穏を守り抜くためにこそ、我は皇帝としてこの血塗られた御座に君臨しているのだ。
ならば――やるべきことは、最初から決まっている。
「……フフ」
我の唇に、自然と獰猛な笑みが浮かび上がった。
「さて。次はどこの愚か者が、我の愛する国を食い物にしているのやら」
天理がその背中に向かい、深く深く頭を垂れた。
「直ちに、全力を挙げて調査を開始いたします」
「うむ」
我は机の上に散らばる書類を力強く掴み取った。
「まったく、我が国の官僚どもはどこまでも優秀だな」
「……と、仰いますと?」
「我が不正を一つ潰すたびに、親切にも次の不正を次々と提供してくれる。おかげで、退屈で死にそうになる暇すらない」
「…………」
「ハッ、笑わせてくれるではないか」
パンッ!と手中の書類を机に叩きつける。
部屋中に響き渡る不穏な音。
「だがな」
その声に、絶対君主としての圧倒的な威圧感と、異能【天帝】の奔流が宿る。
「……笑っていられるのも、今のうちだぞ」
天穹院白夜。二十一歳。
日本皇国の絶対君主にして、超常の支配者。
我は静かに、そして苛烈に宣言した。
「我が国を食い物にする害虫どもは――誰であろうと、地の果てまで追い詰めて破滅させてやる」
それこそが、皇帝としての我の絶対の誓い。
そして今日もまた。
我の執務机には、三十七件の未処理案件と、二千四百ページの報告書が山となってみごと積まれている。
……ふん。絶対君主とは、存外、反吐が出るほど面倒な仕事である。




