16 教皇の息子チェザーレ
それから十年後。私は十五歳になった。
父と母は相変わらず仲が良く日々愛を深めているし、レナルドは二十五歳になり帝国の騎士団長となった現在でも日に日に剣の腕を上げている。そして何とテオは暗部の副総司令官候補として日々任務に明け暮れており、ノアはその高い頭脳から将来大公となる器だとされて大公家の一人娘との縁談が進んでいるとか。
なんか私だけ特に何もせずにだらだら生きてるな…と若干の後ろめたさはあるものの、今の落ち着いた日常こそがまさに私の望んだものなのである。
そんな私が今いる此処は神殿だ。あの日テオとノアと一緒にイヴォンヌを神殿に送り出してから、私はほとんど毎日のように神殿に通っている。
「あっ、ベアトリス様!ごきげんよう。」
「ごきげんよう、イヴ。…あら、また神聖力が増したわね!少し頑張りすぎてない?」
「いえ、まだまだベアトリス様には遠く及びませんので。それに鍛錬は楽しいので全然苦ではないのです。」
「そう?努力を惜しまないのは貴女の美徳だけど、やりすぎないのよ?私をご覧なさいよ、こんなにだらだら過ごしているんだから。」
「ふふ、ベアトリス様ったら小さい頃からそればかり。」
「お節介かしら?」
「いいえ、嬉しいです。」
「なら良かったわ。ところでこの後お茶でもどう?」
「ぜひ喜んで…と言いたいところなのですが、すみません、今日はテオ様と皇都に出かける約束をしていまして…。」
「あら、またテオお兄様と?なるほど…ふふ、私のことは気にせずにぜひ行ってきてちょうだい。楽しんでくるのよ!」
テオとイヴォンヌは今も相変わらず親しくしている。テオはよく私と一緒に神殿に行くこともしょっちゅう、一人で行くこともノアを引っ張って行くこともあった訳だし。
若干頬を桃色に染めて言うイヴォンヌを見て何とも形容しがたい微笑ましい気持ちになっていると、恥ずかしくなったらしいイヴォンヌが慌てたように話を変えてきた。
「べ、ベアトリス様こそこれからチェザーレ様とお会いになるのでしょ?先程皇女宮の馬車にお気づきになっていたようなので、すぐに此処にいらっしゃると思いますよ?」
「えっ?!」
イヴォンヌが予想した通り、ここ十年ですっかり見慣れた淡い色の金髪が噴水の裏の方辺りから見えてきた。イヴォンヌはさっきのやり返しと言わんばかりに「では私はお邪魔でしょうから、後はお二人で!」と彼が来る前に笑顔で去っていった。
「ベアトリス。」
「あ、チェザーレ…」
「皇女宮の馬車があったから、お前が来てると思って。…顔が赤いけどどうしたんだ?」
「な、何でもないわ。ただイヴが変なこと言うから…」
彼はチェザーレ・ラ・エセルレッド。神殿の悪事を告発した十年前のあの日見た、金髪に蜂蜜色の瞳の“天使のような少年”だ。
二回目にチェザーレを見たのはイヴォンヌに会いに神殿に訪れて三回目の時だ。
「あっ、天使様だ!」
相変わらず枢機卿の前以外では天真爛漫でバカなお姫様を演じていたため、そのままのノリでうっかり男の子に対してかなり失礼なことを叫んでしまい、チェザーレにとって私の第一印象はかなり最悪なものだったと思う。
実際「…は?」って人でも射殺してそうな目で言われたし。その時は私と同い年の五歳だったらしいけど、絶対五歳児が出せる迫力じゃなかったよ。
私は当然ビビったしそれ以上話しかけようとはしなかったけど、その次の日にチェザーレの部屋で三回目に彼を見た時は死ぬほどびっくりしたよね。
「え?皇女様、いつの間にチェザーレ様とお知り合いになったのですか?」
「あ、はは…知り合いというか何と言うか…」
「俺は別に知らない、こんなブス。」
「ブッ…?!」
チェザーレの部屋に私を連れてきたのは枢機卿だ。
曰く、教皇には息子がいるが、その息子は魔力と神聖力の両方を持っているために体内で二つの力が暴走し衝突を繰り返してしまう難病にかかっている。その症状を緩和させるには体内で二つの力の均衡をとることが鍵なのだそうで、魔力の方が多い彼に私の神聖力を注いで欲しいのだとか。
神聖力を注ぐだけなら教皇や枢機卿にも可能だが、如何せん教皇の息子の魔力の量が膨大なのでその分大量の神聖力が必要となるらしい。そこで私が必要なのだと言う。その“教皇の息子”が彼、チェザーレという訳だ。
「ご希望通り猊下には皇女様の神聖力について一切を話していません。しかし猊下がご子息の病をどうにか緩和させようと膨大な神聖力の使い手を探しているのも事実でして、いずれは皇女様の神聖力に気づく可能性もあります。それを予防するつもりでチェザーレ様の緩和治療に協力してくださらないでしょうか?きっとチェザーレ様の容態が良くなればそんな心配もなくなると思いますし。」
以前枢機卿からそう説明を受けた。そんな難病にかかっているなんて気の毒だと思うし、確かに教皇が強い神聖力を求めて皇宮に訪れ私を見つける可能性も無くはない。
私はその時当然その申し出を了承した。別に今だって急に「やっぱりやめます」なんて言うつもりもない。けれど。
私はずいっとチェザーレに近づいて自分の顔を指さした。
「私はブスじゃないわ!ちゃんと見なさいよ、このお母様にそっくりな美貌を!」
「うわっ何なんだよお前?!」
「さっきの言葉取り消して!」
「はぁ?!」
「取 り 消 し て !」
「…っわ、分かったよ!分かったから離れろ!!」
ベアトリスの顔をブスだなんて言ったら前世の私はどうなる訳?人間ですら無くなるじゃないか、そんなの辛すぎる。
チェザーレにしっかりと私の顔の良さを認めさせたとしても、私の彼への印象は最悪だ。私はチェザーレの緩和治療のためにわざわざ来てるって言うのにこんな扱いはあんまりだと思う。
早くこの場を立ち去りたいのでむんずとチェザーレの手を掴みさっさと神聖力を流し込む。
「はい、これで終わりです!さようなら!」
思ったより楽になった体に驚いたのか目を見開いて何か言いかけていたチェザーレに背を向けた。
初めてした会話はこんな感じだし、今後もう二度と会うことはないだろうと思っていたのだが。
「…」
「…」
「…何とか言ってよ、二人きりなんだし気まずいじゃない。」
「お前がずっと不機嫌だからだろ。」
「だって初対面女の子に向かってアレはないでしょ?!」
「そのことならちゃんと取り消したじゃないか。」
チェザーレの緩和治療は一回で終了という訳ではなかった。体内の神聖力が減ったらすぐに足さないと、また力同士の衝突が始まり発作が起こってしまう。だから私は二日に一度のペースでチェザーレに会いに彼の部屋を訪れていた。
「…まぁ確かにそうね、じゃあもう仲直り!気を取り直して自己紹介でもしましょう!私はベアトリス・デル・フィニアン。第七皇女よ。」
「…チェザーレ。」
「珍しい、別に知ってるからいいけどセカンドネームとファミリーネームは名乗らないの?」
「どっちも好きじゃないんだ。名前だけ分かれば十分だろ。」
「ふーん。」
チェザーレは無愛想な子だった。私が笑いかけてもそっぽを向くし、好きな食べ物を聞いても嫌いな食べ物を聞いても特にないとか言うし。基本的に好き嫌いがはっきりしないチェザーレは、唯一好きな色を聞いた時には珍しく答えた。
「…黒。」
何だか意外だった。この世で一番白が似合うであろう外見をしている彼が一番好きなのは黒色だというのが少し変な感じだ。
それでもチェザーレにもはっきり好きと言えるものがあるのは何だか嬉しいことな気がしたし、ようやく彼からまともな返答が聞けたので言葉のキャッチボールをする良い機会だ。
「黒が好きなのね!知ってる?黒って三百以上も種類があるんですって、カーボンとかナイトスカイとか。」
「…へぇ。」
「私はまだそれくらいしか知らないけど、調べて明後日教えてあげるわ!あ、それとももう知ってたりする?」
「いや、知らない。」
「そう!そういえば黒といえばシャルル枢機卿の瞳がそうよね、黒曜石みたいですごく素敵だと思わない?」
「…あぁ。」
会う数を重ねるにつれて段々彼の口数は増えていき、私もチェザーレという少年の人間性が分かってきた。やや乱暴な口調とは違い根はとても優しい子。それでいてとても愛に飢えた子だ。少しだけ前世の私に似ていると思った。
一度だけ、そんなチェザーレに彼の父であるエセルレッド教皇について聞いたことがある。
「教皇猊下とチェザーレはいつ会ってるの?貴方のお母様は?」
「…父上はお忙しいから。後母上はもういない。俺が生まれた時に死んだらしい。」
教皇は滅多にチェザーレに会いに来ないようだ。前に枢機卿は「教皇は息子の病を緩和させようと奔走している」と話していたが、チェザーレを全く気にかけないような教皇の態度を聞いていると少し違和感を覚えてしまう。
「そっか…ごめんなさい。私ったら無神経なことを。」
「別に。お前は最初っから無神経だし。」
「天使様って言ったこと?それなら立派な褒め言葉じゃない!」
「どうせ見た目のことだろ。」
「そりゃ見た目もそうだけど、それだけなら私だって天使じゃない。なんていうか…雰囲気かしら、神々しいっていうか。きっと中身の繊細さが溢れ出てるんだわ、傷つきやすいんだろうけど些細なことばっかり気にしてちゃダメよ。私みたいにもっと図太くならなくちゃ。」
「お前みたいに図太く…」
確かに、と言ってチェザーレは吹き出した。それが初めて見た彼の笑顔だ。本人に言ったらやっぱり怒るだろうが、その美しさはまるで天使の微笑みのようだとしか私の拙い語彙力では表現できない。
とまぁ、私とチェザーレの慣れ始めはこんなものだ。
この通り初対面の印象は最悪だったし、あの時はまさかイヴォンヌにチェザーレとの関係を変に勘繰られるようになるとは夢にも思わなかった。私がこの十年でこんなにチェザーレに心を惹かれることになるとも。




