氷の中にも微かな温もりがあることだってある
「ヤッホー!ソウタ君!迎えに来たよ!」
「る、ルカ姉!?えっと…どうしたんですか?」
俺は全身を震わせながらもそっと拳に力を入れた。その間にもルカ姉は一歩一歩俺の方へ歩みを進めている。
「?…どうしたもなにも…」
「…!」
「お風呂、行こっ!まだまだ聖炎の宿の歓迎は終わってないよー!」
「…へ?おふろ…?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の体にこもっていた力が一瞬にして抜け、俺は布切れのように床に倒れ込んでしまった。
「ええ…!?ソウタ君!?ちょっ、ちょっとー!!」
…いつの間にか気を失っていたようだ。どれくらい経っただろうか、俺は見慣れない天井の下で目を覚ました。いや、正確に言うとその天井は八割ほど隠れているのだが。
「…これはどういう状況だ…何で目の前にルカ姉が…」
「あっ、やっと起きた?急に倒れるものだから、担いで運ばせてもらったよ。君を運ぶの結構大変だったんだからね?」
ルカ姉はため息混じりに俺に微笑みかけた。その吐息が俺にかかったことで、俺はようやく状況を理解した。
「え?…もしかして…うわぁ!」
やっぱりだ…寝返りを打ってみると頭の下が妙に柔らかい。俺は急に恥ずかしくなってルカ姉に目を逸らしながら飛び起きた。
「んえ…?なんかすごい顔が赤いけど…もしかして、そんなに恥ずかしかったの?あははっ」
ルカ姉はそう言って俺をからかうが、女性耐性が無に等しい俺にとっては気が気でない。俺は一呼吸置いてから平然を装うようにしながらルカ姉の方をゆっくりと見た。
「るっ、ルカ姉…何も膝枕なんてしなくても…」
「え?だって、ここのベンチ、結構硬いよ?頭痛いだろうなって…」
ルカ姉はきょとんとした顔をしている。これではまるで俺がおかしいみたいじゃないか。
「ほら、もう大丈夫なら早くお風呂に行こう?みんなもう先に行ってるよ?」
「あ、はい。じゃあ俺は男湯に…」
そう言って俺が脱衣所と思わしき今いる部屋を出て行こうとすると、またもやルカ姉はきょとんとした表情で俺を引き留めた。
「何言ってるの?家族風呂なんだから混浴に決まってるでしょ?」
「え?…はぁー!?」
…それからはまさに地獄だった。ハーレムは好きだがこの状況はあまりにも刺激が強すぎる…それに加えてシラノからは常に警戒心マックスの目で見られていたものだからとても安らげるような気分でもなかった。どうせホド姉さんの一声で決まったことなのだろうが、これはあんまりではなかろうか。独裁者なのか?ホド姉さんは。
(民意を反映しようぜ?民意を…)
そんなこんなでろくに前も見ずに風呂場を歩いていると、誰かが落としていた石鹸に足を滑らせ、そのまま前へ盛大に転んでしまった。
「いたた…」
「ああ、ごめん、それ私の石鹸だ…」
少し離れた洗い場からホド姉さんがヘラヘラとした態度で頭を掻きながら謝ってきた。石鹸を投げつけたくなる感情を抑え、石鹸を返すために起きあがろうとした時、体の下から小さな呻き声が聞こえてきた。
「……今の声って、もしかしなくても…」
「…ソウタさん…覚悟してください…!」
…シラノだ。俺の眼下にシラノの顔がある。普段の物静かな印象からは想像もつかないような怒りの表情を浮かべている。
「シラノ!?ごっ、ごめん!わざとじゃなくて!」
「イラ・フリーズ!」
シラノが魔法を唱えた瞬間、辺りの水という水は凍りつき、一瞬にして浴室は極寒世界に変わってしまった。動こうとしても足が凍り漬けにされており動けない。その後俺はペシペシと何度もシラノの強烈な(?)往復ビンタを喰らい続けたのだった。
「はぁ、はぁ、酷い目にあった…」
「あはは、ソウタ君ほっぺた真っ赤だね」
ホド姉さんが人事かのように笑っている。
「大体、誰のせいだと思ってるんですか…?」
「ごめんごめん…牛乳奢ってあげるからさ…」
そう言ってホド姉さんは受付の方へ駆けて行った。こういうところでも銭湯のような牛乳が売っているものなのだろうか…俺が作り出した世界というだけあって、俺の勝手なイメージが染み付いているのだろう。
しばらくしてから、ホド姉さんは牛乳瓶を両手に一本ずつ持って戻ってきた。
「あれ?自分のもついでに買って来たんですか?」
「いやいや、これはシラノちゃんのだよ。これで仲直りしてきなよ!」
ホド姉さんは優しく微笑みながら俺に牛乳瓶を二本差し出した。正直今はかなり助かる。俺は牛乳を受け取ると、小走りで後ろからシラノに近づいて頬に牛乳瓶をくっつけてみた。
「ひゃっ!?」
「シラノ!一緒に牛乳飲もうぜ!」
「ソウタさん…びっくりさせないでください…」
シラノはムスッとした顔をしながらも、少し強引に俺の手から牛乳瓶を引き剥がすと、前に向き直して牛乳を飲み始めた。それに合わせて俺も栓を開く。
「…なあ、そろそろ機嫌直してくれよ…」
「自業自得ってやつです……その、あんまり詳しくは言いませんけど、結構恥ずかしい体勢だったといいますか…」
「あ…ごめん…」
仲直りどころか逆に気まずい空気になってしまった。俺はひとまず牛乳を一口飲んだ。甘いような、しょっぱいような、そんな味がした。
「…その、ソウタさん…さっきは、私もやりすぎました。ごめんなさい」
シラノは前を向いたままぼそっと謝ってきた。それと同時に彼女の小さな背中が少しだけ丸くなったのを感じた。
(…案外ちゃんと謝れる子なんだな…)
俺はなんとなく微笑ましい気分になって、シラノの前に回り込んだ。シラノの前には小さな一人がけのソファが向かい合うように置いてある。俺は満を持してそのソファに腰掛けた。
「えっと、なんだ…?あの状況でシラノが気まずくなる気持ちは俺も十分わかるよ…だから俺も気にしてない。これからも家族として、仲良くしていこうな」
「私は一度もあなたと仲の良いそぶりをしたことはありませんが…はい、これからもよろしくお願いします。へへ…」
シラノは初めて俺の目を見て話してくれた。笑うとしっかり可愛い。家族としての仲がようやく深まった瞬間だった。
「仲直りできたんだね?」
突然後ろからニヤニヤとした表情のホド姉さんが声をかけてきた。
「なんですかその顔は…」
「えへへ…ソウタくんだって、何だか嬉しそうな顔してるよ?…まあいいや、そろそろ帰ろうか」
ホド姉さんがそんな風に言うので俺は自分の顔を手でそっと触れてみた。すると少しだけ熱を帯びているような気がする。俺は小さく咳払いをしてからほど姉さんの方を振り返った。
「…はい、帰りましょう。シラノも、良いよな」
「…はい…!」
俺は最初の重い気持ちも全て吹き飛び、意気揚々とした面持ちでみんなと帰路についた。しかしこんな幸せも長くは続かないのだということを、俺はまだ知らなかった。
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