何かを得ると何かを失うのだと気付かされた…
精神世界で眩い光に包まれた後、俺はベッドの上に戻った。そこには鬼のような形相でナイフを振り下ろしているホド姉さんの姿があった。
「おわっ!?」
俺はベッドの上で横に転がり、間一髪でホド姉さんのナイフをかわした。しかし耳元をナイフがかすめていた。少しでも反応が遅かったら命は無かっただろう。
「へぇ…この体勢からかわせるんだ…君って運動神経良い方?それとも火事場の馬鹿力ってやつ?」
ホド姉さんは驚きつつもすぐにナイフを持ち直して俺の方に刃を向けたが、俺はベッドから飛び起き、ホド姉さんの懐に飛び込んで押し倒した。そして手に握られていたナイフを奪い、今度は逆に俺がホド姉さんに刃を向けた。イシのおかげだろうか、驚くほど身が軽い。
「これでとどめだ…」
「…!?まっ、待って!?ソウタ君っ!一旦落ち着こう!?私が悪かったよっ!ほら、もう襲ったりしないからさっ…ね!?」
そう言ってホド姉さんはひどく怯えた目をして両手を上げる。…一見本当に殺意が消えたように見える…もう殺す必要は無いのでは無いか…俺はナイフを握った手を少しだけ緩め、そのまま下ろそうとした。しかしその瞬間、突然頭に激痛が走った。脳内を激しく掻き回すように、さっき精神世界で聞いたばかりの声がうるさく響く。
『何を考えてるの?騙されちゃダメだ。君の能力は、相手を殺さないと解除出来ない…わかるよ、君はまだ人を殺すことに抵抗があるんだろう?でもやるしか無いの。そうしないと誰も救えないの。さあ、ナイフを握って。腑を抉り取って…さあ、さあ、さあ!』
(…殺さなきゃ…誰も救えない…)
俺はナイフを握り直し、冷たい目でホド姉さんの腹部を見た。顔には目をやらないように…そう、これはただの肉の塊なのだと自分を洗脳しながら、真っ直ぐにナイフを突き刺した。
「アアアアアーーーーー!!!!!」
吹き出す血とともに、部屋中にホド姉さんの苦しむ声が響く。しかし俺はそんなものはお構い無しにそのまま下腹部に向かってナイフを下ろし、腹を縦に引き裂いた。そのあと俺は何度も何度も、声が聞こえなくなるまでホド姉さんの腹を突き刺し続けた。無表情で何度も、何度も……気づけば俺の身体を含め周囲は血でベトベトになり、生臭い匂いに包まれていた。俺はこの日、異世界で魔法も使わずに妙に生々しい殺人を犯した。
(俺は…今、人を…殺したのか…)
それを自覚した瞬間、途端に罪悪感が湧いてきた。体に染みついた血の匂い、無惨に横たわるホド姉さんの姿…全て自分のせいなのだと、槍のようになって俺の心を突き刺す。
「あっ…あ…ああ!…ああああーーー!!」
あまりの罪悪感に胸が押しつぶされそうになり、思わず嗚咽が漏れてしまう。俺は目に精気が宿っていないホド姉さんのもとに駆け寄り、そっと抱き抱えて必死に謝り続けた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…俺のせいで…あなたは本当は死ななくてよかったのに…俺のせいで…!」
その時、俺の脳内に再びイシの声が鳴り響いた。今度は頭痛がない。
『おめでとう。これでスタートラインだ。これからの君の生活が順調にいくことを祈ってるよ』
「…順調にだと?ふざけんじゃねえ!例えホド姉さんが生き返るんだとしても、俺は彼女を殺した!その事実は一生消えないんだ!それにこれからも、何人も、何度も、俺は殺し続けなきゃならねえんだ!順調になんかいくわけねえだろ!バカ野郎!」
『……』
イシが何か言うことは無かった。しばらく沈黙した後、彼女は今まで通りの冷え切った声で、時間を戻す呪文を唱えた。
『プリンケプス』
その瞬間、周囲の空間は世界が反転したように掻き乱れ、全てが吹き飛ぶような感覚と共に俺の意識は途絶えた。次に意識が戻った時、俺は聖炎の宿の玄関の前に立っていた。
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