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駅伝

作者: 雉白書屋

 わざわざ現地に駆け付けてまで、駅伝の選手を応援する連中の気が知れない。僅か数秒で目の前を通り過ぎていく選手たちに向かって声援を送るために、寒い中待ち続けるその気持ちが理解できないのだ。旗まで振って何が楽しいのだろうか。

 それが近所ならまだしも、車や電車を使って遠くからくるとなると完全に理解不能だ。勝手に寒い格好をして走っているナナフシのような連中のうち、どのチームが優勝しようと知ったことではない。しかし、テレビ局側はこれまたどういうつもりで呼んだのか優勝チームは監督とともにバラエティ番組に出演してチヤホヤされる。だが、彼らは素人同然でタレント性を感じず、面白いことも言わないので、見ている側はちっとも面白くない。

 そもそも、テレビで駅伝を見るにしても、連中ときたらただ走っているだけでパッとせず、これを面白がっているのは寒い格好で苦しそうに走っている若い連中を暖かい部屋で見ることで愉悦に浸る年寄りの若者に対する倒錯した嫉妬心およびサディズムであり、また他の正月番組がつまらない上に騒々しいから消去法で選ばれているだけだ。駅伝そのものはまったく面白くない……というのは、人前で口に出すのも恥ずかしい偏見も偏見である。しかし、おれだけでなく多くの人々が少なからずそういった考えを持っていたようで、さらに時代の流れもあり駅伝の人気は衰え、今では沿道で応援する人の姿は皆無となった。

 正月にただぼんやりと見るだけの一般的な視聴者と熱狂的なファンによって支えられていた駅伝というコンテンツは、その熱が冷めるとある種の洗脳が解けたような状態になり、視聴者は騙されていたと感じたのか、交通規制が迷惑だとか、わざわざ道路を走って何を見せびらかしているんだ、調子に乗るな、などと駅伝とは関係のない日頃の不満も込めた理不尽な怒りを向け、スポンサーもそっと手を引いた。

 もっとも、そうなったのは様々な理由があり、その大きなものとしては駅伝の日本人選手がゼロになったからである。と、言うと少し語弊がある。元々、そのフィジカルの強さから留学生選手が目覚ましい活躍を見せていた駅伝だが、その強さゆえに各大学で出場できるのは一人までという規定があった。しかし各大学は、より貪欲に勝利を求め始め、海外で選手をスカウトしては帰化させ、日本人選手として参加させて、果ては各チーム出場選手全員が外国人という形になったのだ。

 当然、そのやり方に対して各方面から批判が飛んだが、彼ら選手を批判するというのはヘイトスピーチにあたるとか差別主義者だの、選手を盾にして強行し、素知らぬ顔で続けたために、駅伝ブランドはみるみるうちに崩壊していったのだ。

 それでも伝統を掲げ、存続してきたが、かつては一チーム十人で、一人およそニ十キロ、計二百キロの距離を走っていたのが、今では一チーム三人で距離も約五十キロとなっている。

 また、伝統ということで一応、道路を走ることはできるのだが、交通規制などはされていない。先導車はあるが、一台だ。この規模の小ささから誰も我々に興味を抱いていないことが窺える。まあ、憎まれるよりはマシなのかもしれな―― 


「うあっ!」

 

「チッ、どこ見て走ってんだよ! 馬鹿がよぉ!」


「す、すみません……」


 先導車が中継を兼ねているテレビ局の車一台しかないため、今のように横道から飛び出してきた車とぶつかりそうになる事態がしばしば起こる。実際、ぶつかったこともあるし、時にテレビ局側から、わざとぶつかれと指示が飛ぶこともある。番組を盛り上げるためだそうだ。効果があるかは知らない。おかげでゴールに到着する頃には全員ボロボロである。

 選手に対して、まったくひどい扱いだが、それもこれも一転して外国人選手を排除し、人気を取り戻そうとしたものの失敗に終わり、起死回生の一手として選手にサイボーグ化手術を施し始めたからだ。

 その手術は当初、足にバネを仕込む程度のものだったが、例のごとく各校エスカレートしていき、肺を人工のものと取り替え、足を切って機械に換え、今では車に轢かれてもものともしない体となった。痛がるのは演技である。こんな話、昔の人が聞いたら『何を馬鹿なことを、そんなことがあるわけがない』と思うだろうが、ファンが離れて残ったのは関係者含む狂信者だけとなれば、存続のためになんでもするという姿勢になるのは不思議なことではない。また、これも時代の波もあった。


「クソサイボーグがよぉ。ゴホッ、調子乗ってんじゃねえぞ!」


 だから、今のようにたまに沿道から物を投げつけられようと突き飛ばされようと肉体的な痛みは感じない。しかし、心は違う。だが、それを汲み取ってはもらえない。強い感染力を持ったウイルスが蔓延し、おれのような、体のほとんどが人工物で感染の恐れがないサイボーグ以外の人間は、心に余裕がないのだ。

 それでも駅伝は開催される。そして、オリンピックも。

 正直、そんなことをしている場合ではないと思うのだが、一度やると決まったことなので、今さら中止するという選択肢はないそうだ。

 かくいうおれもオリンピック代表を目指し、こうして走っているのだ。

 ちなみにオリンピックの長距離走は妨害行為ありのデスレース。おれたちサイボーグは血も涙もないとよく言われるが、血に飢えているのは視聴者だと、おれは考えている。

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