9,青天の霹靂
「我々は星名ちゃんのファン・クラブ、その名も〈スター・ネームズ〉の一団だ」そして五人で特撮ヒーローよろしく渾身の決めポーズをとった。彼らの背後には爆発の演出でも起こりそうな勢いだった。
近頃妙に誰かからの視線を感じる。しかもねっとりとねめるような視線を。もしやまた軽音楽部の連中が逆恨みでもして、やり返す機会を窺っているのかもしれない。それならこっちだって黙っちゃおれない。急に振り向いて、驚かせてやる。さあ、慌てふためくがいい。
ぼくは校舎の側にある歩道をまっすぐに歩いてから、開けた場所で、唐突にうしろを振り返った。でも行き交う学生がいるだけで、とくにこれといっておかしな点は見当たらない。何だ、ただの思い過ごしか。そう思っていると、樹木の幹の影に潜んで、星名がものすごい形相でぼくを睨んでいた。
「きゃあ」ぼくは気圧されて、可憐な少女のような悲鳴をあげながら、一目散にその場から逃げ出した。
「あー、びっくりした」──まだ心臓がばくばくする。
「どうしたの、クロっち? 顔色悪いよ?」綾瀬が訊いてきた。
ぼくは中庭のベンチで持参した弁当をリュック・サックから取り出した。
「ちょっと、怖い目にあって──」
「どんな?」隣で綾瀬もごそごそと鞄から弁当を取り出す。
「恨みを買った覚えはないんだけれど──」ぼくは答えた。「もしかするとおれは命を狙われてるかもしれん」
「何それ?」綾瀬はくっくと可笑しそうに笑った。「誰に?」
「笑いごとじゃないよ。誰にって、それは──」
ふと視界にさっと影がかかった。顔を上げると星名が瞳孔を開いて目の前に立っている。ぼくは言葉を失った。星名が口もとを震わせながら言った。
「黒木くん、今からお昼ご飯?」
「ああ、うん」
「よかったら」星名は言った。「黒木くんのお弁当作ってきたから食べない?」
「──へ?」
「ほら、いつも白米だけでしょ?」何故それを知っている?「ちゃんと栄養のあるものも食べないと──」
そこで辺りに怒号が轟いた。
「ちょっと待てい!」
顔を向けると、太陽の光のもと、五人の男たちが立っていた。
「星名ちゃんの手作り弁当は渡さん!」五人組の中央の男が叫んだ。
「え? 誰?」ぼくは訊いた。
「我々は星名ちゃんのファン・クラブ、その名も〈スター・ネームズ〉の一団だ」そして五人で特撮ヒーローよろしく渾身の決めポーズをとった。彼らの背後には爆発の演出でも起こりそうな勢いだった。
「ださ」綾瀬がそれを見てあからさまにドン引きした。
「何だと? ものすごく研究したのに」
「練習だって完璧にしたぞ」
「きっと、見る目がないのさ。凡人だから」
「ああ、我々のよさは、見る目のあるやつにしかわからないからな」
「おなかすいた」
〈スター・ネームズ〉の面々は輪になってひそひそと慰め合っている。
「とにかく!」〈スター・ネームズ〉のリーダーらしき男(眼鏡をかけ、贅肉がたっぷりとついている)がぼくを指さした。「星名ちゃんの手作り弁当を賭けて、我々と勝負しろ、黒木!」
「え? やだ」ぼくはあっさりと突き放した。「てか最近おれを監視してたのはお前らか?」
「星名ちゃんを魔の手から守るためだ」
「まあ、いいじゃん、クロっち。ちょっと面白そうじゃん?」いつの間にかうきうきとして、綾瀬が諭すように言った。
「面白くも何ともないよ」ぼくは答えた。
「では今から5対5のドッジ・ボール対決を行う」
「人の話聞けよ、こら」
「5対5? こっちは五人もいないよ?」綾瀬が尋ねた。
「頭数がそろわなければ、その時点でこちらのチームの不戦勝だな」〈スター・ネームズ〉のリーダーと思わしき男が気取った表情で言った。
「五人ねえ……」ぼくと綾瀬は呟いた。
「みんな、やめて! わたしのために争わないで!」星名はこんな台詞を一度は口にしてみたかったという風に声をあげた。
「──で? あたしらが呼ばれたのか?」
グラウンドには美術部の部員全員がそろっていた。ただみんなからはやる気を感じられない。むしろ機嫌が悪そうだ。うんざりした調子だ。でも美術部の部員は全部で五人。これで対決の条件は充たしたことになる。
「よくもまあのこのことあほ面提げてやってきたな、美術部」
「あほ面はそっちや」蓬原先輩はむっとした。
〈スター・ネームズ〉の七三分けが人差し指を立てて言った。
「ではルールの説明をする。昼休みの時間を考慮して制限時間は十五分。最終的に内野に残った者の多いチームの勝利とする。尚、同数だった場合、勝敗はじゃんけんに委ねる。よろしいかな?」
美術部員一同、頷いた。
「みんな、やめて! わたしのために争わないで!」星名はそう言いながらも、嬉びを抑えきれない様子だった。
ではゲーム・スタート。先攻は美術部だった。ぼくが目いっぱいボールを投げると、相手は慌てたようにそれをかわした。ボールが外野の蓬原先輩に渡る。
「黒木、もういっちょ」
ボールがぼくの手元に戻る。そして〈スター・ネームズ〉のリーダーと思わしき男にぶつけた。
しかしこちらの快進撃はここまでだった。今度は巨漢の坊主頭目掛けてボールを放ると、いとも簡単にキャッチされたのだ。そして剛速球が返ってくる。綾瀬は正面で捕らえるも、手から弾かれて、ボールはコートの中を転がった。
「ふはははは」〈スター・ネームズ〉のリーダーらしき男が外野で腕を組んで高笑いをした「彼は小学生の時にドッジ・ボールで県大会にまで出場したのだよ。まさに天才の成せる所業。悪魔の種の力」
「経験者とは卑怯な」蓬原先輩が言った。
次に大山さんがボール拾う。彼女は大きく息をつき、目をかっと見開くと「疾風の爆焔」と叫びながら、凄まじい迫力でボールを放った。ボールは彼女の手前にぽてんと落ちる。そのまま前に転がっていった。彼女はそのボールを拾った相手によってあっさり外野に移動させられた。
もう内野はぼくとゴブリン先輩しかいない。それに対して、相手の内野は三人だ。ゴブリン先輩は小さい身体を活かして、すばしっこく逃げ回っていた。
「く、的が小さい」相手の坊主頭が言った。
「みんな、やめて! わたしのために争わないで!」誰かが、以下略──
「ゴブリン先輩」ぼくは言った。「向こうに経験者がいるとはいえ、それもたった一人です。連携して他を潰して、時間切れを狙いましょう」
「わかった」ゴブリン先輩はこくりと頷いた。
そのあとゴブリン先輩が見事無個性な男を外野に追いやり、ついに二対二になった。あっちは坊主頭と七三分けを残すのみ。ふいに坊主頭がぼくを目掛けてキャノン・ボールの如き渾身の球を投げつけてきた。正面から飛んできたのでぼくは受け止めようとしたのだが、その威力に悪寒がして、すんでのところでかわした。危なかった。
「今のは当たったんじゃないのか?」〈スター・ネームズ〉のリーダーとおぼしき男が外野でふんぞり返ってわめいた。
「お前の目は節穴か」蓬原先輩が言い返した。「どう見ても当たっとらんわ」
そしてついにタイマーの音がグラウンドに鳴り響いた。試合終了。両チーム二人を残す引き分けだったので、勝敗を左右すべくぼくと〈スター・ネームズ〉の代表っぽい男とでじゃんけんをした。
「やめて! わたしのために──」──いや、たかがじゃんけんなんだけど。
ぼくはチョキ、相手はパー。勝った。
対決が終わるとぼくは星名に満面の笑みで彼女の手作り弁当を渡された。疲れ切った部員や、羨ましそうに見つめる〈スター・ネームズ〉の面々が見守る中、弁当を開けた。中からはどぶの臭いがした。ぼくはすぐに蓋を閉じた。
「ぐは!」ぼくは脇を抱え、大袈裟に悶えた。「急に脇腹に痛みが──最後にかわしたボールが実は当たっていたようだ」
その様子を見て、美術部のみんなと星名が唖然とした。
〈スター・クラブ〉の代表かもしれない男が言う。
「ふふん、やっぱりそうだったか。所詮私の目はごまかせん」
「おれに星名の弁当を食べる資格はなさそうだ」ぼくは弁当を差し出した。
「いい戦いだった。お前の分まで、我々でしっかり味わってやるさ」彼は弁当を受け取った。
「え? そんな」星名は動揺を隠せない様子で言った。「せっかく早起きして作ったのに、何でこうなるの?」
〈スター・ネームズ〉の連中は星名の手作り弁当をみんなでさも大事そうに食した。弁当を食べた者全員が、途端に眼の奥をぐるぐると回し始める。
「ああ、これが星名ちゃんの作る味」
「何て独創的な風味なんだ」
「まるで天国にいるみたいだ」
「こっちはお花畑まで見えるよ」
「去年亡くなった飼い犬のぺスが呼んでる」
その日の夕方、花の町大学では食中毒の騒ぎが起き、テレビのニュースでもちょっと取り上げられるほどの事件となった。
「あー、最近暖かくなってきたからな」翌日講義の合間に教授が取ってつけたかのように言った。「食当たりには気を付けるように。とくに生ものは控えなさい」
放課後、部室で一人あぐらをかいていると星名がやって来てぼくに言った。
「わたしも美術部に入ろうかな?」
「星名は歌が上手いんだから合唱部とかのほうがいいんじゃないか?」
「ガーン」
でも星名はさらにその翌日に美術部に入部届を提出した。
「星名めぐみと言います。このたび正式に美術部のメンバーとなりました。皆さんとはもうとっくに顔見知りだけど、新人としてビシバシとご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」星名はぺこりと頭を下げた。
美術部員一同が歓迎ムードで拍手をする。和気あいあいとしたムードだった。美術部はさらにこれからどんどん賑やかになるかもしれない。
「新しい部員も入ったことだし」新入部員の紹介のあと、蓬原先輩がすっきりした表情で明るくみんなに言った。「あたしは今日をもって美術部を退部するよ」そしてにっこりと笑った。
──え?
それは五月も半ばの、以前より大分日が長くなってきたころの、まさに青天の霹靂だった。