1-6.変な名前を付けられた
今まで俺には名前が無かったのだが、俺の名前は”トルテラ”になった。
あだ名なのか、正式な名前なのかはわからない。
俺が決めたわけではなく、そう呼ばれることになった。
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エスティアとリナの家は、村の入り口からは少し離れたところにあるのだが、そこに向かおうとしたとき、たくさんの村人の中で、「テラ」と呼ぶ声が聞こえて反射的に振り返った。
そこには「テラ」と呼ばれる少女がいた。
呼ばれたのは俺では無かったが、テラと聞いたとき、俺は名前を呼ばれたと思った。
俺は、ここにきてから他の名前を聞いて自分の名前だと感じたことは
一度も無かったので、そのことを話した。
「もしかしたら、俺の名前はテラだったかもしれない」
そう言うと、テラと呼ばれた少女は微妙な顔をした。
これは後から聞いたのだが、”テラ”は女性の名前の定番なのだそうだ。
俺のところでは、”てら”と呼ばれる人はとても多かったが、だいたい男だった。
まあ、男女問わずよく使われる愛称だが。
この世界では”テラ”は女の名前だが、わざと男に女の名前を付けることもあるらしく、”テラ”という名は却下されなかった。
そんな風習は俺の国にも過去あったような話を聞いた気がする。
風習というのは、どの国でも意外に似通ったものになるのかもしれない。
女の子の方のテラと区別するために、俺は【トルテラ】と呼ばれるようになった。
「これからは、トルテラって呼びますね」
ここの人たちの名前は、俺が聞いても人名に聞こえるものが多い。
”エスティア”とか”リナ”は、俺的には人名に聞こえる。
”トルテラ”は俺的には人名っぽくないように聞こえる。
ここではメジャーな名前なのだろうか?
「トルテラ?」
「トート森のテラ」
「ああ、そういう意味なのか」
俺は何故か自分の名前がわからないという妙な状態なので、”思い出すまでの仮の名”は、区別が付けば何でも良いのではあるが、俺にはトルテラというのは人名に聞こえない。
これは慣れの問題だろうか?
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このときはトートの森のテラという意味と聞いていたが、だいぶ後に後になって再度聞いたらニュアンス的にはトートの森で拾ったテラに近かった。
酷い。
でも、きっとそういう文化なのだろう。
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「”テラ”はたぶん、お寺の寺の意味なんだけど」
「お寺? お寺にいたんですか」
「ああ、寺か」
寺で通じるのが妙にも思えるが、何故か通じているのでそのまま説明する。
日本では、”寺井さん”でも、”寺田さん”でも、”寺崎さん”でも、だいたい略して”てら”と呼ばれることが多かった。
”テラ”で自分が呼ばれたと思ったくらいだから、俺はたぶん”寺なんとかさん”なのだと思う。
ここでは、名前にさん付けはしない。
さん付けすると外国人だと思われるようだが、俺は凄い勢いで外国人だ。
外国人だと思われるということは、さん付けしたがる文化圏の人も、外国には存在するのだろう。
俺の名前のテラは寺院のことだと説明すると、寺で囲われた巫女的なものだと思われたようで、なぜか勝手に納得してくれた。
当然仏教は無いが寺と言えば宗教施設を指すことは伝わるようだ。
寺と言っただけで寺に居たと思われるくらいなので、日本で言う巫女の男版みたいなものがあるのかもしれないと思った。
……と言うか、修行僧みたいなものか。
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話が途切れると気まずくなる。
とりあえず、遭難したところを助けてもらった上に、今回もまた助けてもらったことに対して、申し訳なく思っていることを伝える。
可能であれば、いずれ、この恩は返したいと思っている。
できるかどうかはわからないが、そう思っている。それを伝える。
「あの、すみません、いろいろと……」と謝り、
続けて、
「女の居る家に男は置けないのに、それを破らせてしまって」
と言うと、エスティアは不思議そうな反応をしたが、リナが答えてくれた。
「女が居て困るのは男の方だ。だからトルテラが困らないなら問題ない」と言った。
困るのが俺? 女の居る家に行くと俺が困る?
意図が分からなくて変な回答をしてしまう。
「エスティアとリナが居ると俺が困る……のでしょうか?」
普通に考えたらむしろ大歓迎……なんだけど、身元不明の俺みたいのが村の若い女の子と仲良くすると打ち首になったりするのだろうか?
可能性がいろいろありすぎて、さっぱりわからない。
ここの常識は俺が居た世界と全然異なるのだ。
文化の違いでこんなに苦労するとは……
気付くとエスティアが困った顔をしていた。リナはなんとも無さそうだが。
あんなに一生懸命守ってくれたエスティアを困らせてしまった、これはまずい。
エスティアが居て俺が困らないと、エスティアが困ってしまう。
……でもエスティアが居ると困ると言うわけにもいかないし、
もう何が正解なのかわからない。
そもそも俺は、この歳まで女の子と喋る機会なんて挨拶か仕事の話くらいしかなかったのだ。
完全に経験不足だ。テンパってダッシュでこの場から逃げたくなった。
今だったら記録的なタイムが出そうだ。そのくらい切羽詰まってしまった。
そこでリナが口を開く。
「やっぱりトルテラは恋ができないんだな」
は? 意味が分からない。
「はあ、恋ですか?」なんとも間抜けな受け答えになってしまった。
冒険者やってて、そこそこ強そうだけど、やっぱり女の子の物事の基準は恋とかなのかもしれない。
そうは言っても、”恋ができない”ってなんなのだろうか?
もしかして50年近くも生きてきて、俺は今まで恋をしたことが無かったのだろうか?
初恋は小学生の時には経験してたつもりなんだが……ということは、言葉を濁してるだけで、肉体関係のことを言ってるんだろうか?
でも、困るのは男って言ってるから、女が居ると煩悩に負けるってことか?
やっぱり手を出すと打ち首とか、そんな感じか?
……で、”恋ができない”っていうのはいったいなんだろう?
決まった相手しか好きになってはいけない禁忌とかあるのかもしれないな。
でも肉体関係の方かもしれないし女の子には聞きにくいよな……
だいぶ迷ってから、
「恋がどういうものか、よくわからなくて」
と曖昧に答えておいた
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このとき、エスティアはいつも通り前向きに、恋ができないならこの歳でも体力あるだろうしパートナーとして暮らしていくこともできるかもしれない……と思ったが、リナはもうちょっと複雑な事情を感じたのだった。
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少し時間をさかのぼり、前日の話になる。
リナは、エスティアがあの男を引き取ると言い出す前に、すでにそのことを予想していた。
エスティアが何か考え事をしてると思ったら、ここ数日でもう一人寝られそうなスペースを作っていたからだ。
覚悟してはいたものの……やはり、今日突然引き取りたいと言い出したのだ。
さらにはリナが嫌なら出て行っても良いと。
歯牙無い普通の冒険者が1人で年取った男を養えるわけがない。
財産が無いから、冒険者にしかなれなかったのだ。
早々に生活は破たんする。
何年も一緒に2人でやってきたのに、それを解消してでも、あの男を選ぶと言う。
あんな老人を。しかもリナに相談することも無く。それが許せなかった。
もちろんリナのことを思って、重荷を一人で背負うつもりであることはわかっていた。
それでも相談してほしかった。
相談されたら絶対に反対するので、それをわかっていて相談しなかったのかもしれない。
この世界では、貧乏女は子供を持てない。
それは常識だ。
リナは男には一生縁が無いと思って諦めていたが、エスティアは家庭を持つことに憧れていたことを知っていたし、こんなに近くに居たら、手を伸ばしたくなるのもよくわかる。
だが、”あれは老人だ”。重荷にしかならない。
リナは情がわくと後がつらいからと思って、あの男のことは傍観するだけのつもりでいたが、エスティアはすでに手遅れなので、次の手を考えることにした。
エスティア1人では早々に破たんするだろうが、二人でなら少しの間生活を維持できるだろう。
それでも、ずっとは無理だ。
だから、重荷になること、破たんすることを早く理解させないといけない。
一時的に受け入れるにしても、なるべく早くあの男を手放す方法を考えなくてはいけない。
「エスティア、自分一人でなんとかなると思ってるのか?
自分のことさえ自分でできないあの男を抱えて、
どうやって生きていくつもりなんだ?」とリナが言う。
「正直、どうなるかわからない。でも、引き取らないと捨てられる」とエスティアが答える。
捨てられる。確かにそうだろう。
誰も受け入れないだろうから。
「それに、若くは無いけど、まだ元気じゃない」とエスティアは言った。
これはもう手遅れだとリナは思った。
エスティアは冒険者やってるくらいだから、大人の男なんて見るのも珍しく、話なんてしたことも無かったのに手を握られたのだ、あれは衝撃だった。
今まで生きてきて一番衝撃だった。
あんな大きな手で握りしめられて。その人が捨てられるなんて……
リナはわかっていた。あれは不意打ちだった。
やはりあのとき既にやられていたのだ。
リナは言う。
「組は解消しないし、私はここを出ていかない。
あの男の居場所を見つけて、生きていける方法を見つけるまでの間だけ手助けをする。
先に気配を見つけたのは私だ。
あのとき”男だ”と先に言っておけば、不意打ちにはならなかった。
私にも責任はある」
「ありがとうリナ」そう言って二人は抱き合い泣いていた。
背景にバラの花が見えそうだった……