1-1.おっさん(横浜市在住49歳)異世界にやってくる
”加齢臭と転移する竜” (略称は”加転竜”を希望)
『加齢臭と転移する竜』の抜粋版です。
【終活】の話なのですが、なぜか、『ほのぼの』、『ほんわか』、『日常系』といった感想を持つ人が多いようです。
どこまでが、ほのぼのなのか、よくわからないのですが、はじめのあたりを少し長めに切り出します。
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※本編を通しで読むと主人公の【終活】の話ですが、主人公がそれを自覚するのは、
だいぶ先のことになります。9章くらいでは出てこないので、この抜粋版ではそこまで行きません。
横浜市在住の49歳普通の中小企業勤務のサラリーマンが、
なぜか突然知らないところに放り出されるところから物語は始まります。
突然ものすごい衝撃を受けて、世界が回った。
それだけを覚えている。
どれくらいの時間かはわからないが、気を失っていたようだ。
衝撃で気を失ったことは、今まで無かったような気がする。
だが同時に、初体験なのに、すぐ理解できることが妙にも感じる。
「痛ててて……」
体のあちこちが痛い。
何が起きたのかはわからなかったが、両手を動かしてみると、ガサガサという音と、枯れ草というか土の臭いがした。
草の生い茂った斜面だということはわかったが、暗くてほとんど見えない。
起き上がろうとする……が、なかなか起き上がれない。
あまりにも意味不明で、頭が混乱している。
「なんだこれ、どうなってんだ?」
少しでも気を紛らわすため、ぶつぶつ文句言いながら、状況を確認していく。
なかなか起き上がれない。
動くと体のあちこちが痛いが、起き上がれない理由はそれとは別だ。
身動き取れないほどの重症……では無く、斜面で頭が下側な上に、足に草が絡まっていて、ほどけないからだ。
バイクやスキーだとよくあるが、”変な倒れ方をすると、自分の体重が自分にかかって、脱出できなかったりする”。
この場合も、絡まっている蔓を解こうと思うときに、ますます蔓が強く締まる。
蔓草が足首を締め付け、靴を脱いで脱出することもできない。
ほどこうにも見えないし、腹筋が苦しい。
休み休み何度かトライしているうちに、なんとか抜け出す。
「うおー、こんな嫌な引っかかり方は、はじめて経験した」
起き上がるだけで、凄い体力を使った。
体重がかかった状態ではどうにもならず、腕と膝で少しずつ登って、
蔓草に体重がかからないところまで行って、なんとか抜けることができた。
”急がば回れ”そんな諺がしっくりくる場面だったなどと考えつつ、状況を確認する。
「ここはどこだ?」
起き上がって周りを見るが、暗くてよくわからない。
そもそも俺は裸眼では、ほとんど見えないので、明るさ以前の問題なのだが。
運悪く……というか、当然のようにメガネが無くなっている。
衝撃で外れて、どこかに落ちてしまったようだ。
俺はメガネさえあれば普通に生活できるが、無いと何もできない。
ピントの合う距離の問題なので、見える見えないは距離次第なのだが、老眼鏡ではなく近視用なので、メガネが無いと、ものすごく近い物しか見えない。
俺の裸眼視力は0.1にも満たず、メガネ無しでは草に紛れたメガネを見つけるのは相当絶望的だ。
それでもメガネ無しでは行動の制限が大きいので、とにかく探すしかない。
このまま動かず、明るくなるのを待つしかなさそうだ。
この付近に落ちていてくれれば良いのだが。
メガネが無いのは大問題だが、そもそも、ここがどこなのか、さっぱりわからない。
頭を打ったのか、何が起きたのかさっぱり思い出せないのだ。
「ここは、いったいどこなのだろう?」
登山でもしていて、滑落したのだろうか?
だが、登山なんて何十年もやってないと思う。そして、見渡す限り街灯の1つも無い。
視力が低くても、明るいものはわかりやすい。街灯が有るか無いかくらいはわかりやすい。
こんな環境は近所には無い……というか、相当山奥にでも行かない限り無いだろう。
いったい何があったのだろう?
ふと、空を見上げると、ものすごい衝撃を受けた。
体に……ではなく、心に。
雲の切れ目から星が見えるのだ……星がたくさんある。
俺の視力では、空を見上げても見える天体は月と金星くらいのものだ。
光害なんか無くたって、俺には夜空に星はいくつも見えないのだ。
メガネをかけて、その程度だ。
それなのに、雲の切れ目のあんな狭い範囲に何個もの星が見えるのだ。
写真でも見ているかのように感じる。
こんな景色は、視力が落ちる前の子供の頃以来見たことが無い。
メガネ無しで見える理由が思い当たらない。
コンタクトにしたんだっけ? ……視力回復手術かもしれない。
どちらにしろ、日頃から良く見えるなら、今更星が見えたところで衝撃受けるのも変な気もした。
……街中では星ははっきり見えないから、今初めて見たように感じただけなのかもしれない。
無意識にメガネをクイっと持ち上げる動作をして空振る。
やはり、俺は今までメガネをかけていたと思う。
俺のように視力が低いとメガネの度は高くなり、重さでずり落ちてくる。
なので、メガネを持ち上げる癖が着く。
メガネが不要になっても、この癖は抜けないのだろうか?
まあ、とりあえず、視力に関しては問題無さそうだ。
こんなに遠くが良く見えると、近くにはほとんどピントが合わないかもしれないが、足元くらいにはピントが合うはずだ。
近くに老眼鏡が落ちてるかもしれない。
ド近眼でメガネを探すよりは、遠視でメガネを探す方が、ずっとマシだ。
視力の問題が解決すると次に重要な問題となるのが、持ち物だ。
スマホなり、なんなりを持ってるはずだと思い、服をあさってみる。
妙な手触りだ。バサバサした繊維感が……
俺はこんな服知らない。
「なんだこりゃ?」
変な服を着ていて、どこに何を入れたかさっぱりわからない。
脳に深刻なダメージがありそうだ。
すぐに病院行かないと、まずいのではないかと思う。
連絡手段……スマホか何かを持っているはずだ。
ポケットが……どこにあるのかさえわからない。
どこに収納スペースがあるのだろうか?
なんで、こんな服を着ているのだろう?
何も持っていないなんてことがあるだろうか?
財布さえ持っていない。
そうこうしているうちに、夜が明ける。
いろいろ考えているうちに、あたりが明るくなってきた。
…………
山の中かと思っていたが、少々起伏があるものの、山というよりは平地に近い。
5mほど斜面を登ると未舗装の道があった。
この道から落ちたのだろうか?
道を踏み外してちょっと斜面を滑り落ちただけかもしれない。
……にしては凄い衝撃だったように感じたのだが。
幸いにも、大きな怪我は無さそうだったので安心した。
落ちたすぐ近くに、ずいぶん使い古された布のカバンがあった。
中には大きめのナイフと、水の入った袋とゴワゴワの手袋が入っていた。
これは俺の持ち物だろうか?
だいぶ明るくなったので周りを探してみたが、予想通りメガネは見つからず、他にめぼしいものも無かった。
目が良く見えるのにはびっくりだ。
これだけ見えるのだから、元からメガネはかけていなかったのだろう。
星が見えるほど遠くがはっきり見える割には、近いものも、そこそこ見える。
スマホの文字が読めるかはわからないが、老眼鏡が必要なら、また作り直せば良い。
家に帰るまで視力で困らなければ、それで良い。
見えはするが、見えても今自分のいる場所がどこなのかがわからない。
スマホがあれば、圏外でもGPSで凡その場所はわかるのだが……いや、全く地図無しではわからないか。
GPSは数十m程度以内の誤差で非常に正確だろうが、圏外ではおそらく詳細な地図は出ない。
GPSがいくら正確でも地図が出なければ、結局大雑把な位置しかわからない。
俺は緯度と経度から今自分がどこに居るかを知ることができるほどのマニアではない。
いや、スマホが無いのでGPSも使えない。緯度経度もわからないのだが。
まずは、ここがどこで、どうやって帰るかを考える。
財布が無いのが致命的だ。大概のことは金で解決できる。
だが、その解決法が使えない。
その上、スマホも無い。
スマホか財布のどちらか一方でもあればなんとかなりそうなのだが。
……………………
再度調べるが、服はやっぱり見覚えの無い物で、手作り感溢れる妙なものだった。
こんな格好で人前には出られないなと思った。
再度あちこち調べるが、ポケットすら無い服で、やはり財布も無ければ、身分証明書のようなものも一つも無いし、電子機器の1つも持ってない。家の鍵も持ってない。
いったいなんなんだ?
どんな状況なのかよくわからない。
自分で山に来たとしたら、この装備はおかしい。こんな不用心な装備で山に入ることは有り得ない。
仮に、ふらっとどこかの山に入ってしまったとしても、財布やスマホ、家の鍵くらいは持っているはずだ。
こんな服で家から出ることもないだろう。
服は何かのコスプレだろうか?
布は高いものでは無いかもしれないが、これを手作りする手間を考えると、普通に店で買える安い服より、この服の方が手間がかかっていて高価な気がする。
何かの事故にでも巻き込まれたのか?
どれもピンとこない。
それはそうと、道はあるのに電線も街灯も民家も無い。
国内に、こんなところあるんだろうか?と思う。
植物も、見慣れないものだし外国っぽい?
ただ、日本にも似てるような気もするので、外国という感じもしない。
見える範囲に文明を感じさせるものは無い。
だが、道はある。獣道ではない。
俺は山歩きをしていて、獣道に騙されたことは何度かある。
あれとは明らかに違って、これは、確実に人間が作った道だ。
道が有るのだから人が居るはず。
歩いていれば、そのうち人里に着くような気がして歩いてみた。
道は緩く坂になってるので、下れば平地に出て人里に出るのではないかと思ったのだ。
ところが、しばらく進むと森に入ってしまった。
反対側が正解だったかと思い、引き返してみたが、やはり森に続いていた。
どっちに行っても森に入る。
下り側の森に入り4時間くらい歩いたと思うが、その間、誰にも会わなかった。
早くも水が無くなってしまい、湧き水っぽい小川の水を入れておいた。
川の水を沸かさず生で……は、できれば飲みたくないが、無いよりはマシだと思ったのだ。
見た目はきれいな水だった。
水無しでは、ほとんど行動できない。背に腹は代えられない。
ここで腹を壊したら、行動不能になる危険もあるのだが、すでに結構汗をかいてしまっている。
飲まないわけにもいかない。
腹が減ったので、かばんを漁ると、干し肉があった。
少し食べたがものすごく塩辛かった。
そのまま食べるものでは無いのかもしれないが、調理道具があるわけでもなく他に手段が無い。
標高が低い方が人里に近いだろうと思い、低い側に向かって1日歩き続けたが誰にも会わなかった。
いったいここは、どこの国なのだろうか?
歩いても歩いても人影は無い。どう考えても、そこそこ人が通る道に見えるのだが。
あまりにも人影が無いので、この世に、自分一人しか居ないのかもしれない……なんて何度も思った。
未舗装とは言え、道があるのだから、そんなことはあり得ないのだが。
もっと細ければ獣道かもしれない。だが、この道はもっと広い。
森の小道。これが植物で埋もれず残っているということは、つまり、この道は、
最近まで使われていたはずなのだ。
道は、アスファルトで舗装してあっても、何年か経てば、けっこう埋もれてしまう。
アスファルトの隙間にだって雑草が根付き、風化は進むものだ。
アスファルトで舗装されていても、廃道になれば数年で草に埋もれる。
アスファルト自体は残るが、舗装路だとは気づかないような見た目になる。
こんな未舗装路なんて、人が通らなければ、何年もかからずに草木に埋もれてしまうだろう。
この道を維持するために、雑草刈りを定期的に行っているはずなのだ。
ところが、更に歩いても誰にも会わない。
居るはずなのに人が居ないという不気味さを感じる。
”今まで居た人たちがある日突然消えて、換わりに俺がやって来た”のではないかなんて思った。
道があるのに、人が居ないのだ。
そう思えても仕方が無い。
…………
結局、誰にも会わず日が暮れてしまう。
こんな状況で日暮れは、とても心細かった。
マッチもライターも持っていないので火が使えない。
「やっぱり、森にするか」
森の中は怖かったので、開けたところで夜を明かそうと思ったが、やっぱり森に戻ってきた。
開けたところは、風を遮るものが無いので風があり、森の中の方が風が少なく過ごしやすいのだ。
森は暗くて怖いが、風避けの無いところで夜を明かすのは避けた方が良さそうだ。
水は2日目には無くなり、なんとか小川を見つけて一息ついたが、そこで動けなくなってしまった。
まだ少しは歩けるが、ここから移動を続けて水場が見つからなかったら、もうここまで戻ってくることもできないかもしれない。
いきなり詰んだ。
人間、ろくに食べずに動けるのは1日程度。
翌日は半日も歩けば、もう余力が残らないのだ。
だから、山で遭難したら動かず体力温存が基本だが、昨日の朝の時点では、道があるから近くに人が住んでると思ったので待たずに進んだ。
あの時点で、そう判断したことは間違っていたわけでは無いと思う。
だが、今は状況が変わった。
誰かが通るのを待つしかない。
1日半歩いて誰にも会わないのだ。
待ったところで人が居るのか……道はあるのだから、人は居るのだろうが、たまたま人通りが少ない日だっただけとか?
幸い凍えることは無いが、このまま人が通らないと……
時間があるので無駄にいろいろ考えてしまう。
救助が無ければ俺は助からない。動けば、それだけ体力を消耗し状況は悪化する。
はじめから歩かず体力温存すべきだった。物資も。
干し肉ははじめから僅かしか持っていなかった。
それももう無い。
水だけで、あと何日もつのだろう?