92 因縁
「まさか年内に、底辺の雑草まで狩り尽くす勢いで摘発にのめり込んでいるとは、思わなかった。路傍の石まで整備される勢いで道筋が作られ、喪も明け年も明ける来月、エーレ殿下の即位が決まって、国中に告知された」
「…………え?」
「来月の即位式典が終われば、彼は『エーレ殿下』ではなく『アルバート帝』と、この先呼ばれていく事になる。カーヴィアルはミドルネームが皇帝暦となるが、ルフトヴェークでは、それは皇帝の公式名となる慣しだからな」
「アルバート……帝?」
ベッドから上半身を起こした姿勢で、呆然と目を見開いているキャロルに、デューイが嘆息する。
話は、まだ終わっていないのだ。
「ここにあるのは、即位式典への招待状と――皇族からレアール家への、正式な婚姻申込状だ。次期皇帝エーレ・アルバート・ルーファス様から、キャロル・レアール侯爵令嬢への……な」
「…………こん、いん」
デューイ様、と小声で囁いたのは、ロータスだ。
「カレル様を慰安旅行にお連れして、侯爵邸に到着した時とそっくりです。考える事を放棄しておいでのようです」
「キャロル……」
デューイが片手で額を覆った。
エーレとキャロルの現在の身分差は、実は自分とカレル程ではない。
と言うか、カーヴィアルで側妃になる覚悟はあったのに、何故、それがルフトヴェークに場を移したからと言って、こうなるのか。
「基本的に、ご自身の為に動く方ではないですからね、キャロル様は。カーヴィアルでは、事態を収束させるための、手段の一つとして、選択されただけのようですから」
それもどうなんだ、とは思いましたが……と、呟いたのは、ロータスだ。
「それが今回は……望まれたのは、キャロル様ご自身。そこに、何の思惑もございませんでしょう? 相当、戸惑っておいでなんだと思いますよ。いっそデューイ様が『この婚姻を受けて貰わないと、レアール家が取り潰される』とでもおっしゃって、頭を下げられた方が、よほど納得をされるのではないかと」
「馬鹿を言うな。例え実際に、そう追い込まれたとしても、私はそれだけは、口にしない。話を受けるも受けないも、キャロルが決める事だ。とは言え今回は、カレルのように、気長に考えさせてやれないからな……」
キャロル、ともう一度声に出して、デューイは呆然としたままの娘の顔を覗き込んだ。
「恐らくエーレ殿下は、エイダル公爵が、狩りついでに妃も決めてくるとか、余計な事をしないよう、先手を打ってこの書状を出したんだ。おまえの怪我を分かっていて、公都に来いなどと、本当は言いたくなかった筈だ」
「公都……に……」
「喪が明けてすぐと言う事を差し引いても、即位式典の規模は、それなりに大きい。普段ならば、目に留まる事のない、子爵家男爵家も、妙齢の娘を連れて押しかける。これまでは、監察官である事を楯に、式典はともかく、付随するパーティーは一切出席されなかったそうだが、さすがに今回は、そうも行かない。身分が足りなければ、エイダル公爵がいったん養女として引き取れば良いだけの話だ。政治的に影響を及ぼしにくい、下位の貴族の方がむしろ望ましいと、今の公爵なら、考えていても不思議じゃない。ある意味――エーレ殿下は、今、宮殿内で孤立しておいでなのかも知れない」
ロータスの言葉があったからか、デューイは言い方を変えた。
案の定、ゆっくりとキャロルの瞳の焦点が戻る。
「……孤立」
「あのエイダル公爵は、なかなか手強いからな。大抵の事が正論なだけに、余計にタチが悪い。キャロル、傷に響くやも知れんが、まず、公都に向かう事に関しては、許容してくれるか。おまえが出て来られない可能性も考えて、殿下の見合いのセッティングでもしかねないエイダル公爵を、まずは出し抜いてやる。ああ、だからと言って、この婚姻申込状を必ずしも受けなくてはならない訳ではないからな。嫌なら嫌で、私が何とでもしてやるから、公都に着くまでに考えておけば良い」
「あの……お父様?」
「つまり、私への気遣いは一切いらんと言う事だ。良い機会だから、私の娘をそこらの貴族の娘と一括りにした事を、公爵に土下座させてやるぞ」
「デューイ様……」
満面の笑みを見せるデューイに、ロータスが片手で額を覆った。
本当にキャロルを気遣って、無理を言っている風ではないと、キャロルにも分かる。
娘の婚姻より、エイダル公爵をギャフンと言わせる事に、比重が傾いている。
何故そんなに、エイダル公爵を目の敵にしているのか。キャロルは訝しんだが、その種明かしは、デューイに来客があり、席を外した隙に、ロータスがしてくれた。
「ガスパーク伯爵家を失脚させた際に、エイダル公爵が、その手腕を中央で活かせと、何度かおっしゃっていたんですよ。公爵は少々、効率重視なところがおありですから、中央の有力貴族との縁談を、デューイ様に仄めかされた事もあって……デューイ様が中央を忌避されるのは、確たるパイプがないからだと思われたんでしょうね。平民にうつつを抜かして、何の得があると言われるに至っては、もうすっかりヘソを曲げておしまいになったと言うか……」
「うわぁ……」
明らかに、母への愛が為せる私怨は――根深い。
「これは、私の勝手な推測ですが……恐らく今回エイダル公爵は、レアール侯爵家が、ミュールディヒ侯爵家の二の舞とならない保証がどこにある、とお考えなのかも知れません。それも正しくはあるのですが、デューイ様にしてみれば、侯爵家とキャロル様、双方を貶されているも同然ですからね。どんな理由であれ、公都に行かないと言う選択肢は、存在しない。だからこそ、デューイ様は先にキャロル様にお話しになったのですよ。カレル様が、キャロル様のお怪我を心配して、公都行きをお止めになったとしても、それだけは『レアール侯爵』として、許容出来ない。キャロル様なら、それは理解してくれる筈――と」
ああ……と、キャロルの中でも、それはストンと理解が出来た。
確かに、不必要に侯爵家が貶められるのは、看過出来ないだろう。キャロルがこの先も、デューイの仕事を手伝っていくつもりなら、尚更優先順位を間違えてはならない。
キャロルにとっても、エイダル公爵は、避けては通れない人なのかも知れなかった。
「そっか……じゃあちょっと、リハビリをしないとね」
「キャロル様……」
「ええと……婚姻の申し込みに関しては、うん、先送りで。多分、お父様もその使者の方には、式典への出席と、婚姻の申し込みに関しては公都で当事者同士で……とか何とか、もう、返事してるんだよね?」
「おっしゃる通りです。……お怒りになられますか?」
「まさか。お父様の判断は、当主として正しいと思う。むしろ、私の意思を尊重して下さろうとするのには、感謝しかないし」
その意思が定まらなくて、困ってるんだけどね……と、ひとりごちるキャロルには、ロータスも言葉を返す事が出来なかった。