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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第九章 雪の果て 君のとなり
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90 訪れなかった未来

「……大叔父が……色々申し訳ない……」


 扉を叩く音(ノック)と共に入って来たエーレが、どこからデューイの発言を聞いていたのか、片手で額を押さえていた。


「お気になさらず、殿下。……お()ちですか?」


「ああ。彼女が気が付いてくれたのであれば、まだ、納得して公都(ザーフィア)に戻る事が出来る。レアール侯爵。陛下の事を含め、公都で落ち着いたら、今度こそ()()()()()()を送らせて貰いたいのだが、構わないだろうか」


 ピクリとデューイの片眉が上がった。


「……お送り頂く()()なら、お好きになさって下さい。最終的には、当事者同士話をして下さらないと困ります」


 エーレは一瞬虚を突かれたようだったが、すぐにデューイの言葉が、()()()()()の「保留」から、一歩前進している事に気が付いて、口元に柔らかい笑みを浮かべた。


 ゆっくりとキャロルの近くに歩み寄ると、耳元でそっと囁く。


「今度会う時は、最初からきちんと話をさせてくれるかな。お互いの、()()()()()を――もう一度」


「――――」


 その意味を察したキャロルが、目を見開いた事に満足するように、エーレはキャロルから離れた。


「目が醒めたばかりで、まだ辛いかも知れないが……すまない、ヒューバートとルスランを中に入れても? 出立の挨拶もあるが……顔を見て、安心したいんだそうだ」


 

 その後、ヒューバートやルスラン、左腕は包帯を巻かれて固定されているが、歩く事に支障はないヘクターなど、様々な使用人達が、入れ替わり立ち替わり、目が醒めたと言うキャロルを、喜色満面、訪ねて来た。


 ランセットだけは、キャロル同様とても起き上がれないので、ヘクター経由で、自分が()()()()()事を伝えて貰った。


 そうこうしている内に、エーレ達は侯爵邸を出発し、日もすっかり高くなった頃、昼食が取れるのか、確認しようとデューイが再びキャロルの寝室を訪れると、キャロルは少しだけ身体を起こして、手紙を読んでいるところだった。


「キャロル。小麦団子の野菜スープ(キャリエール)くらいだったら、胃にも優しいし、食べられるんじゃないかと、料理長が言っているんだが……食べられそうか?」


小麦団子の野菜スープ(キャリエール)……? 食べた事がないので、分からないですけど……せっかく料理長が、そう言ってくれてるなら……」


 そうか、と頷いて、侍女に指示をしたデューイが、寝台(ベッド)横の椅子に、そのまま腰を下ろした。


「……アデリシア殿下は、何と?」


 キャロルが読んでいるのが、エーレが置いて行った、アデリシアからの手紙だと知ったデューイが、さりげなく内容を問いかけた。


「…………」


 キャロルが答えを返すまでに、少し、間があった。


「……お父様」

「ああ」


「ローレンスの名が()くなっても、レアールの名があると……おっしゃって下さった件、まだ生きていますか……?」


「急に、どうした。生きているか、いないかと問われれば、もちろんまだ生きているが」


「私も殿下も……生きたまま、2ヶ月近く意識を取り戻さないと言う可能性は、選択肢に入れていなかったんです。クラッシィ公爵家の不正の事もあるし、いくら後宮で勉強中と言っても、表舞台に出ない限界はあるし……1ヶ月たっても意識が戻らないようであれば、表向き『キャロル・ローレンス』は、側妃の地位を妬んだ、クラッシィ家の刺客に()()()()()()より他はないと、殿下が……」


 ああ……と、得心したように、デューイが頷いた。


「結果的に、おまえが、イルハルトに殺されたと言う仮定の場合と、同じ事になった訳か。だが、おまえは生き残った。カーヴィアルでは、()()見做(みな)されてしまうのか……」


「はい……」


 手紙を持たない、キャロルの右手が僅かに震えている。

 デューイは、安心させるように、キャロルの左肩を、ポンと叩いた。


「心配するな。この屋敷で、おまえが戻って来る事を、喜ばない者はいない。何なら今日からでも、キャロル・レアールを名乗ると良い。()()()()()していた姫君の、お戻りと言う事で――な」


 もともと、療養の噂はあったのだから、いくらでも逆手に取れる。


「すみません……」


「もう、あれこれ謝るな、キャロル。私を父親として認められないと言うなら、話は別だが、そうではないと思ってくれるなら、むしろ好きなだけ頼ってくれて良い。まったく、そう言うところは、カレルそっくりだな」


「お父様……」


「回復したら、少しずつ私の仕事を手伝って、覚えていけば良い。キャロル・レアールには何もないと思うな。キャロル・ローレンスとして過ごした下地があったからこその、現在(いま)だ。今更ダンスだのお茶会だの、貴族の姫君めいた事は、おまえには求めないから、安心して良い」


 そんなものは、(カレル)にだって求めてない。

 そう、茶目っ気たっぷりに、デューイは笑った。


「殿下の手紙は、それだけか?」

「概ね、そうですね……」




〝私も、何も打算だけで君を後宮に入れようとしていた訳じゃないよ。君と2人で帝国(くに)を動かしていくのも、楽しそうだと思ってはいたんだ。()()()――君を本気で抱こうかと、思えたくらいには、ね〟




「……っ⁉」

「キャロル?」


 頬をサッと赤らめて、勢い余って手紙を握り潰してしまったキャロルに、不審そうにデューイが眉を(ひそ)めたが、キャロルは大きく首を横に振っただけだった。


「……な……んでもないです……ちょっとした私信です……っ」


 淡々と、「キャロル・ローレンス」をこの世から消してしまうと書いた傍らで、何を書き足しているのか、あの皇太子サマ(アデリシア)は。


「……キャロル・ローレンスは()()()()()()んですけど……殿下はちゃんと、私自身を見て、近衛隊長として、認めてくれていたんだな、と……」


 最後の一言は余計だが、一緒に帝国(くに)を動かす――滅多に他者(たにん)を頼らないアデリシアの、それは最大に等しい褒め言葉だと、キャロルには分かる。


 デューイは深くは聞かず、そうか……とだけ、答えた。


 エーレと出会っていなければ、そんな未来もあったのかも知れない。

 一瞬だけ、そう思った事は、手紙と共に墓場まで持っていこう――キャロルは密かに、そう決めた。




 ルフトヴェーク公国の皇帝崩御の報が、国内を巡ったのは、それから5日後の事だった。

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