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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第一章 激流の中で
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8 北国のクーデター

「第一皇子は深傷(ふかで)を負われたものの、譜代の家臣らに守られて、追っ手を振り切るように公国(くに)を出られたとか。今、どこにいらっしゃるのか、正確な位置は不明ですが、近いうちに、予期せぬ形で第一皇子とお会いになるやも知れません」


「叛乱……よりによって今……?」


 半ば呆然と呟くアデリシアの動揺は、先刻フォーサイス自身が通ってきた道である。

 

 このエールデ大陸において、ルフトヴェーク公国は、直接カーヴィアル帝国と国境を接していない。


 国土面積では、カーヴィアルを上回る程の大国だが、両国の間には、マルメラーデ国、ディレクトア王国、リューゲ自治領の三国が横たわり、両皇室は、冠婚葬祭時を除いて、これまでさしたる交流を持ってはいなかった。


 アデリシアの手腕もあり、ようやく内政の安定にも見通しが立ったところで、クライバー2世は、外交面からの更なる国家安定を目指し、まずはディレクトア王国と縁戚関係を結んだ。


 リューゲ自治領とは、リューゲ特産のツェルト織の商業権を得る事で経済交流を深め、そしてマルメラーデ国とは、近々妙齢の姫君とアデリシアとの縁組が検討されており、いよいよ本格的な、ルフトヴェークとの交流を――と意気込んでいた矢先の、皇帝不豫であり、その皇帝の体調が、ようやく落ち着いてきたからこその、第一皇位継承者同士の、交流計画だったのだ。


 タイミングもさる事ながら、これから冬の季節を迎えるエールデ大陸で、最も北方に位置するルフトヴェーク公国が兵を動かす事こそ、愚行の最たるものと言うべきで、蓄えておくべき食糧の浪費は、即、冬を越せない地域が出てくる事を意味する。


 あまりにも当たり前の事すぎて、アデリシアは、それを無視した事態が起きるなどと、考えもしなかったのだ。


 予定通りならば、近日のうちに、第一皇子は、春の会談に向けて公国を出立する筈であり、明日のルフトヴェーク大使との会談も、皇子のカーヴィアル帝国までの陸路を、最終確認する内容である筈だった。


「フォーサイス将軍」


 半瞬の自失から立ち直ったアデリシアは、まず自分の額に手をやり、自分の中で何とか、起きた事態を飲み込んだ。


「侍従武官が、そちらへ駆けこんだと言う事は、ルフトヴェーク公国の大使館は、まだ、この事は……」


「ここはカーヴィアル帝国です。この国で起きた事はまず、この国の然るべき立場の方に報告をするのが筋と思い、こちらへ」


 言外に、ルフトヴェーク大使館ではまだ、この事態を把握していないだろうと、フォーサイスは告げた。


「もっとも事前に、不穏だとか、何か可能性は感じていて、入ってくる情報に聞き耳を立てている可能性は、あるかと」


「……なるほど」


「今、我が国の駐在官邸の者には、箝口令を敷いて、待機させています。ご指示頂ければ――いかようにも」


 フォーサイスが、わずかばかりの緊張感を漂わせて、アデリシアを見上げる。


 彼がこの情報を、どう扱うつもりなのかによっては――駐在官邸における目撃者は、始末するようにと命じられる可能性もあるからだ。


 フォーサイスの緊張が、伝わったのだろう。

 アデリシアは、僅かに片手を上げて、首を横に振った。


「何やら物騒な想像をしておいでのようだが、その心配は無用だ、将軍。むしろこちらからは、わが帝国(くに)には内密に、裏で結託して、情報の独占をされても仕方がないところ、こちらへお越し下さった事への御礼を申し上げねばならない。この件は、貴国の友好の(あかし)として、必ず心に留めさせて頂く」


「私は職業軍人です。こう言った事態への対応は不得手で、殿下を頼らせて頂いたに過ぎません。過分なお言葉、有難く存じます」


 頭を下げるフォーサイスに、鷹揚に頷きながらも、アデリシアの頭の中は目まぐるしく動いていた。


「将軍……その箝口令、もう少し、そのままにしていて頂けますか」


「それは……殿下がそう、おっしゃられるのでしたら」


「我々は、ルフトヴェーク公国大使館――と言うよりは、その(トップ)である駐在大使が、第一皇子派なのか、第二皇子派なのか、それとも中庸派なのかを把握していない。一連の流れからすると、第一皇子派、あるいは中庸派なのかと推察は出来るが、万が一にも第二皇子派だった場合は、争いの火種が帝国(こちら)にまで、飛んで来かねない。どのみち、明日……と言うか、半日もない内に、大使との面会がある。さすがに、そこで話題にしない訳にはいかないだろうが、それまでに、大陸情勢に詳しい者を呼んで、状況を確認しておきたい」


「……っ」


 単に、自国が有利になるよう、情報を留め置きたいのかと思ったフォーサイスは、内心ですぐさま己の不明を恥じた。


 この皇太子の目は、常に何歩も先を見ている。宰相兼務が可能なだけの、政治的センスを持っているのだ。


 彼が健在な限り、ディレクトアが王国の利益だけを追求して、帝国を出し抜く事は出来ない。少なくとも、自分には無理だと、フォーサイスは実感させられた。


 まずここへ来た事は、正しかったのだろう――と。


「将軍、その侍従武官と直接話をする手筈を整えて頂く事は可能ですか」


 既に心理的動揺からは回復しているらしい、アデリシアの声に、フォーサイスがハッと我に返る。


「いえ……傷をおして、昼夜を違わず走って来ていたようです。我々に事の顛末を語った後、力尽きたようにそのまま……」

          

 沈痛な表情を浮かべたフォーサイスに、アデリシアはわずかに眉宇をひそめただけで、その事については、あえてコメントを避けた。


 それならそれで、今ある手札の中で、どうにかするしかないと、思考を切り替える。


「……今、ここにある手札(カード)……いや、もしかして切り札(ジョーカー)なのか……?」

「殿下?」

「将軍」


 アデリシアはそこで、そもそもの疑問が、そのままだった事にようやく思い至った。


 アデリシアの視線の先に気が付いたフォーサイスも、ゆっくりと、自分の背後の扉を、振り返る。


「事のあらましは、ある程度理解した。だが何ゆえ、我が帝国(くに)が誇る近衛の隊長を、この場に残さねばならなかったのか――そのご説明が、まだだったかと」


「……ええ」


 ――正確には、扉ではなく、蒼白な顔色で扉の前に立つ、キャロル・ローレンスを、2人ともの視線が捉えている。


「……どうやら、思い当たる節はあるようだ」


「そのようですね。ならば申し上げますが……亡くなった侍従武官が、私を大使館の者と勘違いしたまま、言ったのです。キャロル・ローレンスという女性の住まいを探して欲しい。カーヴィアル帝国の政情がどうであれ、必ず皇子にお味方下さる方だと東将(オストル)が言っておられた、と。少なくとも私は、カーヴィアル帝国において、キャロル・ローレンスと呼ばれる女性を、1人しか知りません」


「なるほど……」


 キャロルの目が、自分達を見ていない事に気付いたアデリシアが、静かに立ち上がった。

 そのまま彼女の側に近付くと、僅かに身体を傾けて、耳元で囁く。


「――キャロル」


 ビクリ、と身体が跳ねた拍子に、腰の剣がカチャリと音を立て、その音で、キャロルの視線の焦点が、ようやく目の前の人物を認識した。


「で……んか……」


「落ち着いて。まだ君の知り合いが、亡くなった侍従武官だとは限らない。と言うか、将軍の伝言が言葉の通りならば、その侍従武官は、君を知らなかった。なら()()()()()()は、まだ、無事な筈だよ」


 アデリシアはキャロルに、ルフトヴェークに知り合いがいるのかどうかの確認はしていない。キャロルを落ち着かせようとしながらも、既にこの叛乱(クーデター)話に関わる人物の中に、キャロルと関わりのある人物がいると、それを前提とした話し方をしている。


 普段であれば、すぐその事に気付くのだろうが、いかんせん今、キャロルは精神的に追い詰められていた。


「キャロル、確か君は国立士官学校入学前に、大陸周遊ルートで旅を――ルフトヴェーク公国にも、行った事があると言っていたね。最新の情勢は、明日、外交書記官にでも聞く。ただ、まずは今、君が知っている事を全て話してくれないか」


「――――」


「ルフトヴェーク公国を出たらしい、第一皇子とその家臣達が、もしも本当に、この帝国(くに)を目的地としているのであれば、事態は明日にでも、一大外交問題だ。陛下の耳にまで届いた時点で、君は恐らく宮廷内で監視下に置かれて、事態(こと)に関わる事さえ出来なくなってしまうだろう……それでも良いのかい?」


 返事の代わりに、キャロルは胸元をギュッと握りしめた。


 アデリシアや、フォーサイスからは見えない――そこにある2通の手紙を、服の上からなぞるかのように。

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