84 泡沫にて(後)
「話が……違い過ぎ……て……」
「キャロル様?」
「ランセットは例えば……キルスティンが侍女長で、自分も相応しくあろうと努力して執事長になったとして……実はそのキルスティンが、某国の姫だと知ったりしたら……どう、思う……?」
キャロルの反応から、ランセットは今、キャロルを必死になって呼んでいるのが、父親でも母親でもなく、エーレ・アルバート・ルーファスなのだと察した。
だがあり得ない仮定にしろ、あまりにも、自分の身に置き換えた時の説明が的確過ぎて、一瞬言葉に窮した。
「それ……は、躊躇するかも……知れませんね……」
ね? と、ほろ苦くキャロルが微笑う。
「私は……あの人は首席監察官だと思っていて……いつか胸を張って隣に立ちたい、って努力して……近衛隊長にまでなったんだけど……第一皇子って、言われちゃうと……ね。すぐ側に席はあると思っていたのに……見えなくなった……気が、して……」
「キャロル様」
ランセットは、再度キャロルの表情を覗き込み、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「男には、大なり小なり独占欲があります。自分が大切だと思う人を、自分の手の中に閉じ込めて、ドロドロに甘やかしたいと言う、欲です」
「⁉」
「ええ。私も時々、キルスティンに対して、そんな風に思う事はありますよ。そんな事は有り得ないのに、彼女とヘクターが言葉を交わすと、訳もなくイライラしたり……ですとか」
目を見開くキャロルに、ランセットは「本人達には秘密で」と、微笑う。
「ですから、キャロル様を呼んでいらっしゃる方が、何をお望みかと言う事に添おうとするのは、問題の解決になりません。その方にとっては、キャロル様が、キャロル様のまま、自分の隣にいると言う事が全てであって、何かを諦めて、何かを押し殺してまで、側にいて欲しいと言う事ではない筈ですから」
「私の……まま……」
「私なら、キルスティンには、自分の意志で、私を選んで欲しいと思いますしね。決して私が望んだから――ではなく」
「!」
「私が望んだから――なんて言うのは、一種の逃げ道ですからね。本当に好きなら、そんな余地すら残したいと思わない。究極の独占欲ですよ。……もしや、それに近い事は言われたり、なさいましたか?」
ランセットの言葉に、キャロルが明らかに動揺した。
「自分を……選んで欲しい、って……」
なるほど……と、ランセットが片眉を上げる。
「それは、ただ『好きだ』と言う事よりも、重いですよ。気まぐれや、一時の情に流された程度で、そこまで言う男は、まず、いません。……本気で、全てが欲しいんでしょうね」
「……っ」
実体であれば、顔が茹でダコになっていたに違いない、動揺ぶりだ。
ですからね? と、言い聞かせるランセットの口調は、かつての教師時代のそれに、近くなっていたかも知れない。
「相手がどう思うか、周りがどう思うか、まして相手からどう思われたいか、ではないんです。自分が、どうしたいか――なんですよ、キャロル様。会いたいか、会いたくないか。隣に立ちたいか、立ちたくないか。隣に自分じゃない女性がいて、耐えられえるか、耐えられないか。キャロル様が悩んで、考えるなら、そこが全てです。他の事を考えても、永遠に自分の中で折り合いは、つきませんよ」
「私が……どうしたいか……」
ランセットは再度ゆっくりと「会いたいですか?」「隣に立ちたいですか?」とキャロルに尋ね、キャロルはそのどちらにも、コクリと頷いた。
「その方の隣に、自分以外の女性がいる事には……耐えられますか?」
最後初めて、キャロルの表情が僅かに揺らいだ。
「ちょっと……辛い、かも」
何だかんだ、どれも、ほぼ即答である。
ただ、一般的な貴族の姫君らしからぬ自分が、第一皇子の隣に「望まれる」事に、躊躇があるだけなのだと、ランセットには思えた。
それもある意味、物語の定番なのかも知れない。
相手の気持ちは、いっそ重すぎるくらいに明らかではあるのだが、こればかりは、そのうちキャロル自身に自覚してもらうより他ないのだろう。
「キャロル様。先程は、キャロル様の決断に従うとは申し上げましたが――キャロル様を呼ぶ『声』に、応えて差し上げた方が良いと、今は思います」
そう言って、ランセットはキャロルの左手を、指差した。
「最初から『自分は相応しくない』と、決めつける事だけはおやめ下さい、キャロル様。それは相手に失礼です。それは本来、向こうが決める事なのですから。一度はキチンと向き合って、話をなさるべきです。ご不安でしたら、おまじないを一つ、差し上げますよ」
「……おまじない……?」
「ええ。どうしても不安が拭えなければ、最後『自分で良いのか』と、お尋ねになってみて下さい。そうすれば、キャロル様の躊躇は伝わる筈です。そうして、キャロル様『が』良いんだと、他にあれこれ理由を付けずにお答えになられたなら――むしろ、もう逃げられないかも知れませんね、キャロル様が」
後でよくよく考えれば、結構怖い事をランセットは言っているように思った。
「更に『キャロル様以外、自分には必要ない』とでも言われたら、諦めて大人しく捕まって下さい、としか」
「――――」
母に「エーレはヤンデレじゃない」と言い切った事が、ここにきてキャロルはグラつき始めていた。
「な……んか、それはそれで怖いような……」
「良いじゃないですか〝溺愛〟ルートも、それはそれで」
「ちょっと、ランセット⁉」
「何にせよ、お互いに胸襟を開いて語り合う事が、必要だと思いませんか。気になる事は――本人の口から聞くべきですよ」
一部気になる部分はあれど、ランセットの言っている事は、概ね間違っていない。
もう一度だけ視線を落として、キャロルは左手の拳を、ギュッと握りしめた。
「まだ〝声〟は聞こえますか、キャロル様?」
「……うん。聞こえてる」
「では一か八か、その声が聞こえる方へ、お互い意識を向けましょう。もしかしたら……私とキャロル様が再びお会いする頃には、レアール侯爵邸は、雪景色の中かも知れませんね」
「雪……」
「もし再びお会い出来たら、その時も、キャロル様に仕えさせて頂けますか…?」
「……良いの?」
「それが、私がこの世界で生きるにあたって望んだ事ですから、自分からその場所を手放す事はしたくありません。ただもしキルスティンに、実は某国の姫だったと打ち明けられたら、その時は相談に乗って下さい」
初めてランセットが、年齢相応の明るい笑い声を上げ、キャロルもつられて笑った。
「ランセット」
「はい」
「お礼は、意識が戻ってから……ね」
「かしこまりました、キャロル様。どうぞ、その時はヘクターも一緒に。でないと、拗ねて後のフォローが面倒になります」
「ふふっ、分かった。じゃあ、また後で――ね」
一礼するランセットの姿が、そこでかき消えたような感覚になり、後には自分を呼ぶ〝声〟だけが、残る。
『キャロル……キャロル、頼む! 足掻いてくれ……っ!』
(エーレ……)
意識を向ける事の具体性が、良く分からない。
『まだ死の国には行くな! 俺は……俺はまだ、君に何も……っ』
側にいたいと、願えば良いのだろうか。
私のものだと言ってくれる、貴方の隣の席に、いたいと。
『キャロルっ‼』
その声と同時に、どこかに意識が引かれていく感覚を、確かに感じたと思った。
迷う余地はない、と何故だか思った。
キャロルは逆らわず、意識を委ねて瞳を閉じた――。




