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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第八章 雪月花時最憶君
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80 対イルハルト戦(前)

 あまり派手に動くと、君自身に刺客の目が向く――。


 ディレクトア王国第二王子アーロンの危惧が、ここにおいて現実問題として、浮上していた。


 階下でも、物音と怒号は飛び交っているようだったが、誰一人、それを気にかける余裕はなかった。

 各自、頑張って日頃の訓練の成果を発揮してくれ…と、そこは祈るしかない。


「……続けるぞ」


 左手で鞘口を軽く握り、右手の剣は左耳の高さに上げて、刃先を自分の方に向ける――独特の構え方をしていたイルハルトの身体が、ふっ……と動いた。


 そのまま前方に飛び込むようにして、右下方へと剣を振り下ろしたものの、切っ先は宙を斬った。キャロルがすぐさま後方へ飛んで、イルハルトの間合いから、出たからだ。


 イルハルトは軽い舌打ちをしながら、今度は剣の柄を右腰辺りで握り、そこから切っ先を真っ直ぐ立てるように持つと、左手を顔の前に、(かば)うように掲げながら、ジリジリとキャロルの間合いに詰め寄り始めた。


 相対する2人の左右には、ランセットとヘクターが立ち、イルハルトに飛び込ませまいと、タイミングを伺っている。


 刺客の矛先が、デューイからキャロルに向くなどと、彼らとしては、尚更看過できない。


「!」


 そのイルハルトの剣が、いきなり、斜め前方にあった執務室の机の(かど)を叩き壊した。


 何の真似だとキャロルは(いぶか)しんだが、その木片が、ランセットとヘクターの目の高さに飛び散ったのを見た瞬間、イルハルトの意図に気が付き、とっさに自分の剣を、右上から左下へと、身体を捻りながら振り下ろしていた。


「……チッ」


 剣のぶつかり合う音と合わさるように、キャロルの右肩とイルハルトの左肩が、ぶつかり合った。


 イルハルトの(パワー)とスピードを受け流すように、キャロルがイルハルトの剣を、上から押さえ込んだのだ。


 木片で、2人の視界を一瞬奪ったのだと、当たりはつけたが、声に出して確認している余裕はない。


 そしてキャロルは、ランセット以上に力が足りない。

 イルハルトが、剣を持つ両手に力を入れ、キャロルごと剣を後方へと振り抜いた。


「――っ!」


 キャロルはそのまま、執務机に背中から投げ出された。


 それを追うように、イルハルトが頭上に上げた剣を一気に振り下ろしたが、木片を振り払ってそこに飛び込んだヘクターが、顔の高さで剣を真横に倒して、斬撃を受け止めた。


()……っ」


 あまりの剣の重さに、ヘクターも本気で顔を(しか)めた。道理でキャロルが半日、腕が使い物にならなかったと言った訳だ。


 そこにランセットが、イルハルトの胴を狙って、剣を右横から一閃させたが、あっと言う間に、イルハルトは後方へと飛び退いていた。


 執務机に投げ出されたキャロルも、背中が机の角に届いたところで、くるりと身を翻して、床に降り立った。


「ああ、もう、窓だけじゃなくて机の修繕費まで……」


「大使館の机を蹴飛ばして、楯にしたヤツが何を言うか、小娘」


「アレは公費で補填がきくもの。侯爵家の私的財産をぶち壊すのと訳が違う。こんな程度で身代は傾かないって言われても、根っからのド平民は、ハイそうですかと頷けません!」


 いや、貴女様の本来の身分は侯爵令嬢ですよ――との、ランセットとヘクターの内心の声は、もちろん誰にも届かない。

 感覚が自分達に近いのは、より好ましい事ではあるが。


「そもそも、生き残って賠償するつもりか。随分と余裕だな。そこの護衛2人がいるからか…アイツらは、侯爵家の護衛か?それとも、殿下が貴様に付けた護衛か」


 チラ……と、イルハルトが、ランセットとヘクターを見やった。


「それ、今、重要?」


「いいや。一人一人なら、それほどとは思わんが、貴様と三人で束になられると、存外面倒なものだと思ってな」


「……ふふっ」


「何だ」


「ううん。前は〝無駄死に〟するだけだって、一刀両断だったのに、彼らも努力が正しく報われて、嬉しいんじゃないかと思って」


「―――」


 ランセットとヘクターが、無言で大きく目を見開いている。


 無意識にしろ、キャロルは人心の掌握が巧みだ。2人がイルハルトに気後れすることのないよう、こうして時々、目の前の男と会話をしてくれていると、否が応でも理解してしまう。


「そもそも、私一人じゃ3手が限界だから、手を借りてるんだし、そう言う意味では狙い通りなのかな?」

「……ほう」


 そう言えば、と、剣を再び構え直しながら、イルハルトが口の端を歪めた。


「貴様は、よく足掻(あが)いた――伝言を、預かったままだったな」

「……もう、一生預かっててくれて良いかな」


 満ちる殺気に、キャロルも剣を構え直す。


「遠慮するな。私をここまで手こずらせた〝駒〟は、そうはいないからな。ちゃんと伝えてやる。私に――(てのひら)を返せとも言わない、その性根も、惜しい」


「既に自分の中で〝唯一〟を定めた人に、そんな無駄な話はしません。どこが良いのか、私には理解不能だけど、そんなのお互い様だし」


「確かに――なっ!」


 言うが早いか、再びイルハルトが剣を振るったが、キャロルはその剣の勢いを、横に流すように、剣を弾いた。


 手首を翻したイルハルトが、剣をすぐさまキャロルの方へと振り抜き、剣自体は受け止めたものの、力に押されたキャロルが数歩後ずさった。


 更に頭上から斬り捨てようと、剣をふりかざしたが、察したキャロルは、今度は右足を一歩引いて、振り下ろされた剣をかわし、行き場を失った剣は、大きな音を立てて、執務机にめりこんだ。


 絶対、すぐには剣が抜けないと読んだキャロルが、イルハルトの頸動脈を狙って、左手首を翻して剣を真横に一閃させたが、イルハルトは、いったん剣から手を離す事で、それを避けた。


 だがイルハルトは、徒手空拳になったところで全く油断が出来ないため、キャロルもそれ以上は踏み込めない。


「‼」


 ガタン!と、何かが入口の扉にぶつかる音がして、全員の意識がそちらに向くのと同時に、イルハルトが、木製の、その扉を蹴破った。


「……っ」


 どうやら階下から、一人、イルハルトに助けを求めるべく上がって来た男と、それを追って来た護衛一人とが、執務室前の廊下で争いになり、どちらかが壁にぶつかったらしかった。


「避けっ――」


 キャロルが叫んだが、間に合わない。

 廊下の外に飛び出したイルハルトが、護衛の方を蹴り飛ばして、剣を奪い取った。


「⁉」


 イルハルトはそのまま階下、外に退避する事をしなかった。

 何故か、部下である筈の男も、踵落としでその場に昏倒させてしまう。


「……何……して……」


 振り返ったイルハルトが、酷薄な笑みを浮かべたように、キャロルには見えた。


「ランセット‼」


 イルハルトが、崩れ落ちた部下の襟首を掴むと、そのまま執務室の中、一番手前にいたランセットに向かって、部下を投げつけた。


 さすがにそれは、剣の柄部分を、投げつけられた男の背中に叩きつけて交わしたランセットだったが、その瞬間、目の前にはイルハルトの姿があり――左脇腹に、剣を突き立てられていた。


「……っ!」


 イルハルトが容赦なく剣を引き抜いたため、床に血が滴り落ち、ランセットが片膝をつく。


 ヘクターが背後から飛び込んで、イルハルトを背中から斬りつけようと剣を振り下ろしたが、再びイルハルトは、左手で男の襟首を掴むと、最早人とも思っていないくらいに、躊躇なく後方に放り投げ、ヘクターの剣は、イルハルトではなく、部下を斬り捨てる格好となり、鮮血が宙を舞った。


 更にイルハルトは、楯にした男の後ろから剣を繰り出し、それがヘクターの左の二の腕に、深い切り傷を刻みつけた。


「ぐっ……」


 男ごと、ヘクターが後ろに吹っ飛ばされそうになったが、かろうじて両足を踏みしめて、執務机に激突する前に、踏み止まった。


「ヘクター!()()()、前に蹴飛ばして…っ!」


 声の主を確認するまでもない。


 ヘクターは、腕の痛みは二の次で、反射的に目の前の男を、イルハルトに向けて蹴り飛ばした。


 恐らくヘクターの一撃で、男は生きていない可能性の方が高いのだが、それでも、目の前の男が、人としての扱いを受けていないと言う点では、イルハルトも自分達も、大差ない事をしているのかも知れなかった。

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