76 生き残れではなく勝ち残れ
「お父様」
ここまできて、キャロルは一歩も引くつもりはなかった。
「お父様にも矜持はおありだと思います。でしたら、私の我儘として――お父様がイルハルトの手にかかって、彼に叛逆の濡れ衣が被せられないようにしたい。三国間の融和は、彼が発案した事で、そのための努力も惜しまずにきた事を、衆目に認められて欲しい――それらを汲んで、屋敷を出て下さいませんか」
「おまえの我儘だと? 何一つ、おまえ自身の為ではない事の、何が我儘だ」
「我儘ですよ。お父様だって、それが母のためになる事なら、例えご自分の事は後回しでも、周りがそれを止めたとしても、成し遂げようとされますよね?我儘と言うより、利己主義なのかも知れませんけど」
「おまえ……それだと……」
デューイには、カレルが自分にとっての唯一無二だとの自覚が、もちろんある。子供達への愛情とは、全く別の話として、デューイはカレルを愛している。
それを、キャロルが引き合いに出すのであれば。
デューイ様……と、小声でロータスが囁いた。
「ご自身の思いと、エーレ殿下の思いとは、キャロル様の中では全く別の話です。エーレ殿下の周囲の柵は、デューイ様以上です。カレル様がこの家に入られる事を是とされるだけでも、何年かかったとお思いですか。キャロル様は、いったい誰の血を引いておられると?」
流石、ルフトヴェークとカーヴィアルを何年も行き来していたロータスの言う事は、重みが違う。
いや、しかし……などと、デューイが口籠っている。
それと……と、今度はキャロルにも聞こえるように、ロータスが声のボリュームを上げた。
「エーレ殿下は、アデリシア殿下との話し合いを終えられたら、こちらに駆けつけて来られるそうですから、尚更この屋敷には、ご自分が残りたくていらっしゃるんだと思いますよ?」
「……っ、ロータス!」
カッとキャロルの頬に朱が差したのを、驚いたようにデューイが見つめ、ロータスが悪戯っぽい笑みを閃かせた。
「ここは、物分かりの良い父親でいて差し上げてはいかがですか、デューイ様」
「そ……れはそれで、少し複雑だな……」
「もう、何の話ですか!」
とにかく!と、キャロルが両手をバン!と、執務室の机の上に置いた。
ロータス、例の金璽!と叫んで、片手の掌に載せさせる。
「今はまだ、私がこれを預かっていますから、私の権限で、お父様にはエイダル公爵領へ向かって頂きます!これは決定です‼」
「開き直ったな、キャロル⁉」
デューイも叫び返したが、今更である。
そもそも、皇弟殿下との謁見で、死を覚悟して、色々張り巡らせておいたのを、今、ジワジワやり返されているだけだ。
「では私は、デューイ様の分を含めた、エイダル公爵領までの旅の準備を致します。デューイ様は、その書類をもう少し読み込まれて下さい。キャロル様とランセット、ヘクターには、この屋敷で、当主と筆頭執事のみが知る通路や情報を、可能な限りお伝えしておきます。刺客とやり合うのに、どこで役に立つか分かりませんから」
「ロータス……」
恨みがましいデューイの視線を、さらりとロータスは受け流す。
これに懲りたら、二度と自分に「遺言」を託すような事だけは、しないで欲しいのだ。
キャロルの方が、ロータスの最上位がどこにあるのかと言う事を、よく分かっている。
分かっていて、ただの一度も、自分が二の次にされている事を責めた事がない。
まさにキャロルは、次代にふさわしい。
キャロルには、ランセットとヘクターが付いた。ならば、彼ら2人に自分の全てを引き継ぐのが、正しいロータスの在り方だ。
「私が責任を持って、エイダル公爵領までデューイ様をお連れ致します、キャロル様。キャロル様はどうぞ私との約束を、お忘れ下さいませんよう」
「あーっと……うん。まだ、どうやってと聞かれると答えられないんだけど……とりあえず、受け入れる覚悟は出来たと思う。それで良いかな」
「そうですね……まずは、と言う事でしたら」
「厳しいなぁ」
「生き残る、とはそう言う事ですよ、キャロル様。決して勝手に『念の為』とか騙くらかして、遺言を託す事ではございませんので、お間違えなきよう」
刺だらけの口調に、ロータスの怒りが滲んでいる。
キャロルと会話をしているようで、矛先はデューイに向いている。
そのデューイは、キャロルから受け取った書類を見る風を装って、視線を明後日の方向に逸らしていた。
何の約束をしたのか、気になりながらも聞けないらしい。
不思議な主従だなぁ……と、キャロルは思う。
深青が読んだ〝エールデ・クロニクル〟は、志帆側の話であるため、ロータスがどうしてデューイに仕えるようになったのかは、知らないのだ。
「……今度、お父様とロータスが出会った頃の話とか、聞いてみたいかも」
何気なく漏らしたキャロルの言葉に、動揺したように咳込んだのは、やはりデューイで、ロータスは、そんなデューイを生温かい目で見やった。
「……多分、キャロル様が時々おっしゃるところの〝黒歴史〟に相当するようには思いますけれども」
「えっ、そうなの⁉」
「デューイ様の反応が面白いので、キャロル様が無事生き残られた際に、お話しさせて頂く事にします」
「ホントに⁉ ああっ、聞きたい! 確率低いところに、ロータスが物凄いニンジンぶら下げてきた! どうしよう!」
「何が『どうしよう』だ! そんな次元の低いニンジンに人生賭けるな! いいから黙って勝ち残れ!」
そこでさすがに、たまりかねたように、デューイが手にしていた書類で机を叩いた。
「そうだ、勝ち残れ――だ。全員、瞬殺されないだけの腕を磨いてきたんだろう。だったら生き残るなどと、程度の低い話をするな。私に振り返って欲しくないなら、勝ち残ると言い切れ」
「お父様……」
「私が行く方が、エイダル公爵に動いて貰うには効率的だ。それは確かだからな。だが、後が焼け野原になっても責任は持てない。おまえがここでエーレ殿下と合流するのなら、焼け野原は殿下に収拾して頂く事になるからな。誇張はしていないぞ。まあ、殿下は言えばお分かりになるだろう」
最後、ほとんどヤケのように言いきって、デューイはもう一度、正面のキャロルを向いた。
「いいか。おまえは、ランセットとヘクターの命を預かった。まずはその事を自覚しろ。おまえは主として、彼らの誇りを汲み、彼らに恥じない剣を振るわねばならない。その事を常に意識するならば――自ずと分かる筈だ。最後、刺し違える事が、どれほどの下策か」
ここでも「刺し違えるな」と、キャロルは釘を刺された。
そして「生き残る」のは当たり前、「勝ち残れ」と言い切るデューイの要求が、最もレベルが高い。
「そうですね。2人に恥じない剣を振るいます、お父様」
少なくともそれだけは今、約束出来ると――いっそにこやかに、キャロルは微笑んだ。




