75 公都の現状
キャロルの考えていた事が読めていたのか、顔を横に向けながら、デューイが可笑しそうに、口元に手をあてていた。
「そう言った連中に、騎士的な忠誠の儀は、重圧どころか逆効果だ、キャロル。結果としておまえは、私にとってのロータスのような、絶対に自分から離れていかない、家族にも等しい腹心を手に入れたんだ。それも、2人も。近衛隊の部下達とは、訳が違うぞ。彼らはあくまで、国や殿下があっての、おまえへの「尊敬」であって、それは「忠誠」とは意味が異なるからな」
「……っ」
サラッと言われたロータスも、何気にデューイの隣で、感動したように言葉を詰まらせている。
キャロルはそのため、余計にデューイが言った事の正しさを実感した。
「まあ、そう言った腹心を、誰に強要されるでもなく、自分の力で得た事だけでも、おまえには私の後を継ぐ資格が充分にある。偽装婚約の行き着く先が、カーヴィアルでの今の立場を全て失う事になるのなら――前にも言ったが、ここに帰ってくれば良い。ローレンスの名がなくなったとしても、おまえにはまだ、レアールの名がある」
「お父様……」
「まだ、デュシェル自身の才が見えない以上、私は、本当はおまえにも、次期として、こんな争乱の場にいて欲しくはないんだが……今となっては、色々な意味で無理になったと言うのも、理解はした。私には、どうやら第一皇子派となる覚悟が必要だと言う事もな」
そう言って表情を引き締めたデューイは、改めてキャロルが持って来た、監察書類の写しを手に取った。
「今、国政は皇弟殿下の専横状態……のように見えて、宰相エイダル公爵が、かろうじて裏からバランスをとっているのが実情だ。エイダル公爵は現皇帝の叔父、エーレ殿下の大叔父にはあたるが、継承権を含めた皇族としての特権のほとんどは放棄、自身の公爵領のみを管理している、中庸派の筆頭のような人物だ。ただ、皇弟殿下の無謀な国策は握り潰してしまえるような伝手を、どうしてかお持ちで、それが現在かろうじて、公国の崩壊を防いでいるとも言える」
一種の天才肌なのか、一族の権力争いには早々に愛想を尽かしての継承権放棄、皇籍離脱半歩手前のところを、現皇帝に頼み込まれて宰相を引き受ければ、政を動かす面白さに目覚めたのか、徹夜上等の仕事の鬼に変貌。
清濁の「濁」は、一切合わせ呑まない、徹底した姿勢。刺客上等、どこからの恫喝にもまるで動じない。むしろ、恫喝した方が跡形もなく破滅をすると言う、摩訶不思議。
もうすぐ57歳との事だが、もちろん?独身で、第二皇子一派は、そもそも苦手としていたのか、切り崩す事を早々に諦めたのか、自分達からは一切接触を図る事がないのだとか。
白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき――などと言う、志帆しか分からないだろう狂歌を、深青の時に習ったなぁ……と、何となく思い出しはしたのだが。
さしずめエイダル公爵は、松平定信か。
「ああ……だから、第二皇子が自分でコソコソ動いたりしてたんですね。堂々とやったら、そのエイダル公爵に、潰されてしまうから」
「私が謁見の間に呼ばれた時も、エイダル公爵はリューゲからの御用達商人と、別室で商談中だった。皇弟殿下が、第二皇子の縁談を、どこかの侯爵家に勧めるくらいは、問題ないと思っていたんだ。まあ…さすがに結果には驚いたのか、反省したのか、今はほとんど不眠不休で、皇弟殿下に下手な手綱を執らせないようにしているみたいだが」
デューイの苦笑は、かなり自虐的だ。
と言うか、デューイのエイダル公爵への態度が、少なからず気安いと思うのは、キャロルの気のせいなのだろうか。
「私は、どうにかしてエイダル公爵と接触を図る。公爵にこの書類を渡して、おまえが双方裏をとっている事を伝える。カーヴィアルのアデリシア殿下、ディレクトアのアーロン殿下がその証人でもある訳だろう? そうなれば、恐らく公爵は、遠慮斟酌なく粛正の大鉈を振るってくるだろう。中央には、エーレ殿下しか残らないと言う、極端な事にもなりかねないんだが……背に腹は変えられないと言うところだな」
はは、とデューイは乾いた笑い声をあげる。
キャロルは全く知らないが、デューイにこんな表情をさせるとは、どんな傑物だ、エイダル公爵。
「……まず数枚、写しを送って、『第二皇子派に狙われている』と言う事を、一言添えられては? 1~2日の内に、確実にイルハルトは来ますから、信憑性は増しますよ」
「……捨て身の戦法だな」
「多分そう言う方は、下手な小細工は全部看破なさるんじゃないでしょうか。狙われる前提で策を練ったと思われるくらいが、ちょうど良いんじゃないかと」
「まあな……会った事もないのに、良く分かるな」
「ああ、何か……アデリシア殿下みたいな方なのかな、と」
「……おまえも大変だな」
「……お父様に同情された……」
微笑ましそうに、ロータスやランセット、ヘクターの頬が緩んでいるが、何かが違うと、キャロルは思った。思いながら、軽く咳払いをする。
「お父様。お父様は、イルハルトが屋敷に入ったのを確認したら、そのままその書類を持って屋敷を出て下さい。闘わなくて良いです。今、出て貰っても良いんですけど、それで万一途中でイルハルトと遭遇する方が、危険度高い上に『たまたまだ』とか、言い訳されかねないので。今は先触れだけを、何とか先行させる形で出して下さい」
「いや、確かに、それはそうだが……」
「ロータス、お父様をお願い」
「キャロル様、それは……」
珍しく言い淀む主従を、しっかりとキャロルが見据える。
「イルハルトを止める事、その書類をエイダル公爵に届ける事、どちらも優先事項です。だから、手分けをします。私がいきなりエイダル公爵をお訪ねするより、お父様が向かわれる方が良いです。お父様がイルハルトと相対されるより、私が戦った方が、可能性は高いです。以上の部分に、非合理性はありますか?」
「……ないな」
「屋敷を出たら、もう、ひたすらエイダル公爵領を目指して下さい。屋敷から、どんな物音がしようと、後からどんな使者が来ようと、書類を届けるまでは、全部無視して下さい。お父様を公爵領に行かせない為の陽動とも限らない訳ですから。良いですか?例え、私が死んだとか、酷い怪我で死ぬかも知れないとか、劣勢だから手伝えとか、そんな伝言を持った使者でも――です。ロータスも、今回はお父様の側を離れないで」
「ですが……」
「その為の、ランセットとヘクターなんでしょう?」
もちろんです、お供します、と二人からは声があがる。
「カーヴィアルで、イルハルトの子飼はそこそこ捕らえて引き渡して来たけど、それでも流石に単独では来ないと思うし、腕の立つ人をなるべく残して貰って、私たち三人でイルハルトに集中出来るくらいが理想…です」
キャロルの視線をデューイが受け止め――睨み合いが、しばらく続いた。




