73 お父様、抗議します
レティシアが気合を入れすぎた所為なのか、アーロンからの推薦状が加わった所為なのか、〝軍鳩〟一羽分の筒に手紙が収まらずに、二羽も飛んで行ったのは、余談だ。
キャロルがアデリシアへの報告の為に飛ばした鳩も含めると、三羽もの鳩が、アデリシアに向けて飛ばされた事になる。
白隼は一羽分に収まり、鳩とは時間差で、飛び立って行った。
だが、それがほぼ同じ方向に向かって飛んで行ったのを知る者は、誰もいなかったのである。
――その後は、キャロルとロータスは1ヶ所しか〝宮廷ルート〟の宿を利用せず、ディレクトアを出た。
なるべく、どこへ向かったのかを知られる危険は避けたかったからだ。
そしてルフトヴェークでも、今回はキシリーの街に泊まって、先触れを出す事はしなかった。その使者が襲撃者方の手に落ちて、情報が漏れる事を危惧したのだ。
だからレアール侯爵邸の玄関ホールに辿り着いた時、使用人達も、ざわめきに気付いて執務室から出て来たデューイも、目を見開いて、言葉を失っていた。
「お……まえたち、何故……」
「ご無沙汰しておりました、お父様。いきなり勝手に遺言を託されても困ります……と言う抗議と、事態が現在、お父様のご想像を斜め45度くらい飛び越えておりますので、そのご報告及び刺客の撃退方々、ロータスに無理を言って、付いて来て貰いました」
「事態を斜め45度飛ばしたのは、他でもないキャロル様です。が、他は概ねその通りでございます、デューイ様。キャロル様共々、後でお説教を覚悟して頂きます」
立て板に水の如く、それぞれに言葉を紡がれ、デューイは盛大に顔を痙攣らせた。
「……っ……カレルと……デュシェルは……」
「クーディアの商業ギルド長で、一代貴族でもあるジルダール男爵の領地屋敷で、今はお世話になっています、お父様。ギルドの護衛訓練を兼ねるような所ですから、基本的には心配ありません」
「そ……うか……いや、あの二人の安全が当面保証されるなら――良い。何となくおまえたちは、その枠に収まらない気はしていたしな……」
そのまま、諦めたようなため息を吐き出す。
「聞こう。どうやら我々は、話のすり合わせが必要そうだ」
「かしこまりました、デューイ様。では、ヘクターとランセットも、執務室に呼んで宜しいでしょうか。彼らを――本来の職務に就かせたく存じます」
執務室に戻るべく、身を翻らせたデューイの足が、一瞬、急停止した。
「……何?」
「お話しは、執務室内で是非」
「…………」
執事の前に、侯爵が折れる。
レアール家の日常が、そこにあった。
.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜
「……斜め45度……そうだな……確かにそのくらい、事態が飛んだな……いや、元はと言えば、私が皇弟殿下に楯突いたせいか……」
侯爵邸でイルハルトを止める為に、アデリシア殿下と偽装婚約してきました――から始まった、キャロルの「報告」に、聞き終えたデューイが、頭を抱えた。
「いえ。私自身は、お父様に感謝しています。どう頑張っても、第二皇子の妃とか、無理ですから」
あんな、頭でっかちのお坊ちゃんの相手なんて、無理!と、心の声のつもりが、駄々漏れだった。
慰めではなく、本気でそう言っていると察したデューイも、ややホッとしたように微笑んでいる。
「おまえは……エーレ殿下が、監察官としてお調べになられた書類を、活かしたいんだな」
問われたキャロルが深く頷いて、ロータスに預けていた、ヤギ皮封筒を持って来て貰って、中身をデューイへと見せた。
「これは、写しです。原本は、今頃アデリシア殿下の元に届いていると思います。他ならぬ――本人の手で」
「本人⁉ エーレ殿下は、ご無事なのか!」
「入れ違いになってしまいましたが――意識が回復して、動けるようになったと、聞きました」
「キャロル……」
キャロル自身は平静を装っているようだが、声が嘘をつけずにいる。
デューイの表情から、ふっと笑みが消え、視線が真っ直ぐ――娘を捉えた。
「エーレ殿下のお怪我に関しては、私が皇弟殿下を侮って、油断していたが為に起きた事だ。その為に、おまえにまで辛い思いをさせてしまうとは思わなかった――本当にすまない」
「お父様……」
「私は特に、おまえの存在を公にしていた訳ではないんだが、それでも縁談は届いていた。だが全て、中身も見ずに突き返してきた。おまえが望む相手である事が、私の中での譲れない部分だったから、会った事もないその辺の貴族や皇族など問題外だった。それが、私とカレルを再度会わせてくれたおまえに、父親として、してやれる事だと、ずっと思っていた」
「…………」
いつかの母の言葉を、父自身が肯定している。
「だから私は、エーレ殿下に直接声をかけられて、頭を下げられた時だけは、一言の下に否定する事をしなかった。あの方が、おまえと会って、監察官としての姿で行動を共にした事があると聞いたから、なら、おまえの気持ちを確かめる余地はあると思った。だからおまえに、カーヴィアルで好きな人がいないのであれば――との条件付で、保留にさせて貰った」
キャロル、と柔らかい声が、鼓膜をくすぐる。
「私は……エーレ殿下からのお話は、お受けしても良いのか?おまえの気持ちを……聞かせて欲しい」
「……私の……気持ち……」
言葉が出て来なくなったキャロルに、ため息と共に助け船を出したのは、ロータスだった。
デューイ様、とやんわり会話に割って入る。
「キャロル様は、3歳の頃に私が初めてお会いしてから、ご自身の望みを、ほぼ口に出された事がありません。気持ちを口にするよりも、中に仕舞い込んでしまわれる方が、標準仕様です。その辺りは、カレル様そっくりです」
「……っ。いや、しかし……」
「そもそも、エーレ殿下とキャロル様は、ルヴェルで別れられて以降、この4年半、一度も直接言葉を交わしていらっしゃいません。全て手紙だけのやりとりと聞いています。そのお話をされるのであれば……まずは当事者同士で話をされた方が良いのではないかと」
反論出来ずにいるデューイに、キャロルもハッと顔を上げる。
「話……は、したいです。お父様」
「キャロル」
「私はエーレ〝殿下〟を知りません。私が知っているのは、エーレ・アルバート〝首席監察官〟です。私には……まだ、その差を埋める勇気がありません。直接話をすれば、何か変わるかも知れない。でも……時間が、欲しいです」
それは、ほぼ、話を受けても良いと言う「答え」なのではないかとデューイは思ったが、ロータスの言う通り、自分の望みに、無意識の内に蓋をしているのであれば、さもありなん――とも思えた。
「分……かった」
「お父様。いずれにしろ、まずはイルハルト、彼の動きをここで止めないと、その先の話なんて、出来ません。私はディレクトアで、第二皇子の動きを封じてきましたけど、その話が、公都の皇弟殿下やミュールディヒ侯爵家にまで届くには、まだ日がかかる。だとすれば、彼の派遣は決定事項のままです」
「イルハルト……ミュールディヒ侯爵家最強の、お抱え護衛と言われている男だな。表に出せない事件のほとんどは、その男の仕業だとも」
「やっぱり、その筋じゃ有名なんですね」
「どんな筋だ。公式行事以外公都に行かない私が、そうそう他貴族の家の護衛を知る訳がないだろう。私がその男を知っているのは、おまえが首を刎ねられそうになったと聞いて、調べさせたからだ」
「……な、なるほど」
どうやら、母への重い愛情の一部は、こちらにも溢れ落ちていたらしい。
と言うか、以前ルヴェルでイルハルトに遭遇した事が、筒抜けになっている。
「侯爵家の護衛が、おまえに見つかった事やら、イルハルトを前に手も足も出なかった事やらで、やる気に満ち溢れて、全員が無駄に強くなった。今回の事を思えば、結果として良かったのかも知れないがな」
「デューイ様『無駄』は余計です」
「たまに『どこを目指しているんだ』と思う時があるぞ」
この時は、ロータスよりもデューイに賛同したくなったキャロルである。
「キャロル様」
「はいっ⁉」
そんな内心が聞こえた筈もないのだが、思わず声が裏返ったキャロルに、ロータスが軽く咳払いをした。
「ディレクトアでお話ししていた、二名の護衛。――後ろの、彼らです」
ロータスが片手の掌を向けて、指し示す先には、二人の青年がいた。
……どこかで見た覚えがある。
キャロルは小首を傾げて、記憶を辿った。